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宗教の定義ってなんでしょうか
信じることに一定のルールが付随したものが宗教ですか?
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宗教の定義については、高裁で判例が出ており 法学では、以降これが通説になっています。 つまり。 「神や仏など、超自然的、 超人間的本質の存在を確信し、 これを畏敬崇拝する心情と行為」
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- Mokuzo100nenn
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信者からカネやお供物を受け取る事じゃあんめいか。 何も信じておらずとも上記を上手にやってる宗教があると聞いたぜよ。
お礼
なんかそれは味気ないですね…ありがとうございます
- kurinal
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こんばんは。 「構成員、及び、非構成員にも「有無」を言わせない、価値観・世界観」でしょうか。
お礼
なるほど…ありがとうございます!
- suzumenokox
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道徳的な面に関して直感的に正しいと思われる人為について意味づけをしたもの。その際に詰めていった先の最後の拠り所として神もしくはそれに相当する教祖を位置付けてそこへの信仰が主眼となる。こんな感じでどうでしょう?
お礼
意味づけを重ねていくと…というのは私も納得できました! ありがとうございます
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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(1) アニミズム 人間には 広く《共通感覚 sensus communis / common sense 》とよぶべき人と人との関係性があり 確かにこれを この宇宙の中で 持っていると考えられる現象が見受けられるようです。その昔 アイヌの人たちの間で こういうことが起こったそうです。 一人のアイヌの男が 山で遭難した。戻って来ない。 巫女が占なった。この山のどこそこあたりに倒れていると言う。果た してその通りであったが そのわけは こうだと説明した。 ――わたしが からだ全体で 山になる。その山の全体に わたし の体を重ねてみる。 そうすると 体の一部が 痛くなる。その部分が 山のどこに あたるかを考えてみれば そこに男は遭難しているはずだ。 おそらくこの現象は 非科学的であっても 反科学的ではないのでしょう。 神体山であるとか神木とよばれた樹木 これらに身心ともに寄り憑くというのは ふつうに素朴に 原始心性だと捉えられます。人間の自然本性にそのような《交感 correspondance 》のはたらく余地があったのだと思います。アニミスムともよびます。 (2) シャーマニズム これをいいことに そこからは 自分でこの現象を操作しようとする動きが出ます。シャーマンです。 何か身のまわりのことでも或るいは広く共同体全体のことでも 揉め事があったり衝突なり戦争があったりすると もはや先ほどのアニミストたちの素朴な対処法ではなく そうではなく このシャーマンの出番となる場合です。 何が何でも 自己の努力によって 自己の意識を突き抜けて 何ものかの世界に身を置き さらにそこから 何らかの答えを得て戻って来るというのが シャーマニスムです。 言ってみれば 何でもいいから 自信を持って・また人びとが確信を持てるように 《正解》を言い放つ。そういう役目です。人びとのためにではあるのかも知れません。 (3) 時間的存在たるヒト さらに時を飛びます。 やがて あたかも初源のアニミスムの自然性を取り戻してのように しかも 新たな心性を 人は獲得したと思われます。単純に それは 時間の獲得によるものでしょう。 農耕をとおして つまり麦なり稲なりの栽培の過程をとおして つまりその種まきから穫り入れまでの時間の経過をとおして 自己も 時間的な存在であることを知ります。 要するに 自分たちは老いると ただ倒れるのではなく・また眠るのではなく そうではなく 死ぬのだという認識がからんでいるはずです。時間的存在であるということは ひとの心性を高めて その精神および身体において 歴史知性を獲得させたと考えられます。世界へ その時間的存在なる自覚において 入った。《世界‐内‐存在》。 (4) 歴史知性の獲得 ここまでの経過とその後の転回をも交えて 整理すると 次のようです。 -1:原始心性=《ヨリ(憑り)》:アニミスム&シャーマニスム 0 :歴史知性=《イリ(入り)》:世界への入り +1:超歴史知性=《ヨセ(寄せ)》:《ヨリ》を束ね 《イリ》をも 寄せ 世界を社会力学上(政治的に) コトヨセル。 ヨリ→イリ→ヨセの順序を想定したのですが では なぜ 最後にヨセが 出て来たのか。 (5) 歴史知性のさらに上をゆくもの ここでは このヨセなる知性は 要らぬものという理解に立ちます。(人によっては 必要悪と言ったりします)。そして これが 宗教の始まりです。 言いかえると イリなる歴史知性においても ヨリなる原始心性におけるアニミスム自然本性の部分を備えているでしょうから(むやみに捨て去ることはないでしょうから) その非科学的な心性として いわゆる信仰をも持っています。単純に 超自然のちからを かみと呼んだことでしょう。 さて ここから スーパー歴史知性とよぶべき《ヨセ》なる人間類型が出ました。 (6) イリ歴史知性の中から出たヨセ超歴史知性 単純に言えば ヨリ・アニミスムをも備えたイリ歴史知性は その信仰において 神との共生をふつうの生きるすがたとしており 実際に或る種の儀式として皆で 神との共食を持ちます。つまり 食物の収穫に感謝し供え物をして またこれを共に味わいます。つまり《まつり(奉り・祀り・祭り)》です。また どんちゃん騒ぎです。 ヨセは このマツリを 一段高いところから(ふつうの歴史知性をあたかも超えたところの精神において) 集団としてのマツリゴトなるかたちにおいて 制度化したというものです。マツリゴトとは 個人の信仰を束ねる宗教であり政治です。 古事記には こうあります。 その(仲哀タラシナカツヒコ天皇の)大后 オキナガタラシヒメのミ コトは 当時(そのかみ) 神を帰(よ)せたまひき。 四百年ごろのことだと推測されますが 具体的には 九州のクマソもしくは半島の新羅を討つというくだりで出て来ます。 これは あたかも その昔のシャーマンを思い起こさせます。そして 違いは すでに 人びとは一般に イリ歴史知性なる有限な存在としての自覚を持ったあとだということです。かくて ヨリ・シャーマニスム+イリ歴史知性で ヨセなるスーパー歴史知性の誕生というわけです。鬼っ子かも知れません。 (7) マツリゴトが シュウキョウである。 つまりは その昔のシャーマ二ストは まだ 人びとと同じ地平に立っていたところがありますが このヨセなる超歴史知性は この同じ水平を嫌ったようです。社会が いわば平屋建てであることを嫌ったようです。 嫌ったゆえ 強引に・しかもそのヨセ超知性は 学力優秀かつ品行方正であったところそのアタマの高さに応じて 社会のいわば第二階に みづから上がって行ったのか。それとも 人びとが その新型シャーマンに辟易して これを敬遠し 人びとの合意で これを社会の神棚に据えてまつろうということにしたか。いづれとも推し測られます。(《くにゆづり》説は 後者です。社会が 二階建てになりました)。 要するに ここに 神の地上における代理が 出現しました。見えない神との共食(供え物をしてのまつり)が 見える神との共食(貢税を伴なうまつりごと)になったという話です。これが 宗教の始まりを説き明かす一つの歴史事例だと考えます。 (8) こぼれ話 ・ マツリゴトは いまでは 政治と宗教との分離というかたちにおいて しかも全体としては事寄せられまとまりを持ったひとつのマツリゴトたるアメリカ教とか日本教とかなる姿を見せつつ 生きているように見られます。ロシア教なり中華教なりウリナラ教なりは 群を抜いて突出したマツリゴトであるのかどうか。 ・ ニーチェは 話になりません。神の代理とその権威の下に作られた宗教 つまり 宗教の教義の神(つまり これは 観念です)に対して 無駄なけんかをふっかけているだけです。つまり このオシエなる神は 初めから 死んでいます。マツリゴトなるシュウキョウのカミは 人間が勝手につくった神だからです。 国家が 社会秩序のために必然的に形成されたというならば このシュウキョウも 必要悪なのでしょう。そうであるかどうか。 ・愛とは 社会における人びとのあいだの ふつうの共生のことであるでしょう。 見えざる神との共生も 個人にあっては 信教・良心の自由において 伴なわれ続けていることでしょう。 神の代理との――すなわち見えるカミとの――社会的・国家的な共食は やがて歴史的に しかるべく揚棄されていくことでしょう。 わたしたちは 長く永く 働き蜂に甘んじていたわけです。 イリ歴史知性の回復 その万葉集いや億葉集のルネサンスが待っているということではないでしょうか。 ★ 信じることに一定のルールが付随したものが宗教ですか? ☆ その《ルール また オシエ》とは どういう中身であるか そしてそれを信仰に《付随》させるそのさせ方が 問われるのではないでしょうか。
お礼
アニミズムは習ったことがあるんですが、なんとなくそれと「キリスト教」とか「仏教」とはなにか、差異があるきがして…質問しました
- PC_otaku
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この質問が真の宗教について問われているとすれば、ただ一言「宗教とは決して定義できないもの」 としか言えません。 言い換えれば「信頼することにいかなるルールも存在しないというルールがあるもの」 こちらからの問いです。宗教を定義して何をなさるつもりでしょう。
お礼
>宗教を定義して何をなさるつもりでしょう きになっただけです
- NemurinekoNya
- ベストアンサー率50% (540/1073)
英語の「religion」は、 ラテン語の「religio」が語源で、 「re(再び)」 + 「ligare(結ぶ)」 + 「ion」 = 「再び結ぶこと」 の意味だといわれております。 ではなく 「re(強い)」の意味で、「(人と神とが)強く結びつくこと」だとか、 この語源については色々な説があります。 「他と区別する・・・」という話は聞いたことないんだよな~。
お礼
ありがとうございます (人と神とが)強く結びつくこと なるほど…
- NemurinekoNya
- ベストアンサー率50% (540/1073)
こんばんは。 宗教の明確で普遍的な定義はないと思います。 まぁ、それでもあえてあげるのならば、 ───────── 「宗教とは、本来自明ではない超自然的な存在に関わる事柄を、自明なものに変換し、人々をそのように振る舞わせる社会的装置である」 「経験的・合理的に理解し制御することのできないような現象や存在に対し,積極的な意味と価値を与えようとする信念・行動・制度の体系。」 「一般に宗教とは,超自然的な力や存在に対する信仰と,それに伴う儀礼や制度をいう。」 http://kotobank.jp/word/%E5%AE%97%E6%95%99 ───────── あたりになるのであろう、という気がします。 しかし、こうした宗教の定義を提示すると、おそらく、宗教者や宗教を信じていらっしゃる方などから「この定義は、宗教を表面的に、形式的にとらえたものであり、宗教の持つ一側面しか示していない」などの反対の声が上がると思います。
お礼
ありがとうございます。 ううーん…一言で表せるものはそもそも宗教じゃないのかな…
- 雪中庵(@psytex)
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狭義には、存在の第一原因や生きる意義などを、 原理的分析や因果関係の探求を受け付けない「神」 に帰結させる事。 広義には、上記の「存在の第一原因や生きる意義」を、 神でないまでも原理的な分析の伴わない先入的な 価値(お金、善悪)や外的な権威(出世、虚栄心)の 信奉によって、他律的に生かされる事。
お礼
ありがとうございます 一寸難しいですが、やはり神の存在が大切なんですね。
- marbleshit
- ベストアンサー率49% (5033/10253)
宗という文字、英語のreligion が文字通り表すように、 『他と区別する、分け隔てる』 というのが本義です。 内実がどうであれ、他と一線を画すことが 宗教の本質であります。
お礼
ありがとうございます 通常から一本かけ離れたところにあるものですね
宗教に関して言えば、辞書どおりの意味合いでいい。
お礼
ありがとうございます
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お礼
判例あったんですか! ありがとうございます