過去のいじめを乗り越えられないのは悪ですか?

このQ&Aのポイント
  • 過去のいじめを乗り越えられない・許せないとはどういうことなのでしょうか。いじめのトラウマは未だに引きずられているようですが、それが悪いことなのかについて考えてみました。
  • 子どもの頃に受けた苛めがトラウマになっており、未だに加害者を許せないという男性の話について、ネット上の回答者は質問者を批判する意見が多かったようです。過去のいじめを引きずることは異常なのか、社会で許されることなのかについて考えてみました。
  • 子どもの頃に受けたいじめが原因でトラウマになり、加害者を許せないという男性の話について、ネット上の回答者は批判的な意見が多かったようです。過去のいじめを乗り越えられないことや影響を受け続けることは、個人の心の弱さや社会的な評価につながるのかについて考えてみました。
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過去のいじめを乗り越えられないのは悪ですか?

こちらの質問サイトでだったかは忘れてしまいましたが「子どもの頃に受けた苛めがトラウマになっており、未だに加害者を許せない」と書いていた男性がいました。「あの時のいじめで人生が大きく狂った。出来ることなら苛めた人間に復讐がしたいくらいだ」とも書いてありました。 それに対してついた回答は、質問者を批判する内容が大多数でした。 「いつまでも過去のいじめを引きずっている方がおかしい。所詮子供の苛めだろう。大人になっても許せないなんて異常だ」 「いい大人なら過去は笑って許してやるくらいの器量は持つべきだ。そういう風に器が小さいから苛められたんだ」 「大人になって社会に出れば、周りと上手くいかなかったり理不尽な思いをするなんて当たり前。たかが学校生活さえ乗り越えられない人間が、社会で生きていけるわけがない」 そういったような回答が書かれていました。 私はそれについていろいろ考えました。 子どもの苛めと言っても、それで精神を患ったり引きこもりになってしまったり、最悪は自殺してしまう子もいるのですから「たかが子供の苛め」では片づけられないと思います。 ですが、いつまでも「苛められていたのだから仕方がない。可哀想」というような甘い社会でもないと思います。例え苛めが原因での不登校、引きこもりだとしても、社会的には「ろくでなし」という扱いをされてしまいます。長年空白期間があれば会社に勤めることも難しくなるでしょう。「何故卒業が遅れたんですか?」と面接官に聞かれて、「苛めが原因で…」とは言えません。「心が弱い人。適用できない人」という目で見られてしまいます。 なんだか踏んだり蹴ったりだなと思ってしまいました。冒頭から話が少し逸れてしまったかもしれませんが。過去の苛めを許せない・乗り越えられないのは悪なのでしょうか。引きずってしまうのは、いつまでも影響を受けてしまうのは、その人の心が弱いからなのでしょうか? 皆さんの考えを聞かせてください。

質問者が選んだベストアンサー

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  • nomado60
  • ベストアンサー率42% (21/49)
回答No.19

どんな人だって辛いことがあれば引きずってしまうなんて当たり前。 個人差のあることですし、子供時代のいじめであれば、その体験が成長過程で大きな影響力を持ち、いつまでも引きずる結果になってしまうのは当然です。 それらのコメントを残した人たちは何かしらの方法で自分の過去と上手く折り合いをつけ前進できたからこそ、そう感じるのでしょうね。中にはそこまで切り替えが上手にできない人もいますから一言でバッサリ切ってしまうのは意地悪過ぎると思います。 ただ、そこばかり集中して自分自身がこれから何ができるのか更にレベルアップすることを止めてしまっていることは問題だと思います。もちろん傷ついて疲れ切っている人に頑張れなんて言えませんし、一度ゆっくり自分の心が回復するまで休むこともとても重要なことです。 その代り、その間、ただ自分が受けた理不尽な仕打ちにしがみ付いて「被害者である自分」のまま時間の止まった生活をし続ければ世間が「弱い奴」と冷たい目で見るようになるのも当然です。 さてこれからご自分はどんな人生を生きていきたいのですか? いつまでもいじめ加害者の汚い言葉に振り回されて、繰り返し思い出してその度に同じことで傷ついて生きていきたいのでしょうか? 嫌な記憶を何度も自分で繰り返すのは、自分で自分を何度も傷つけるリストカットに似ていると思います。 自分で自分を傷つけていますよ。意味ないですよね。 思い出す時間があるのなら好きな映画を見るとか、別の事に時間を使ってみませんか。 今はあなたの傍にいじめ加害者はいませんよね。 好きなことができるのではないですか? 頻繁に書き込む人で「いじめられている人に問題があるからで、いじめている側に問題はない」と過去に自分がいじめていたことを必死になって正当化しているおかしな人がいますが、こういう人は自分が絶対正しいのに周囲から間違っていると指摘されたことがプライドを傷つけて納得ができないからいつまでもバカなことを書き込んで満足しているんです。 こういう人もいつまでも過去にしがみついて前進できない人です。 惨めで可哀そうだと思いませんか?いじめ加害者は加害者で自分自身に永遠に言い訳し続けているんです。 辛い過去を乗り越えるのは容易ではないでしょうが、それでもその人のリズムで少しずつ過去から離れることはできると思います。影響を受けたり、乗り越えられないことを「悪」とかそういう言葉で言い切れるほど人の心は簡単ではありません。 悪いこととは思いませんが、被害者である過去の自分を手放さないで同じ場所でずっと足踏みしているのではこの先、未来はないと考えます。

roroneko4949
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 乗り越えられた人の「俺が乗り越えられたのだから、お前も出来るはず。出来ないお前が弱いんだ」って言うノア、ちょっとズルいと思うんですよね。 苛める側も苛められる側も、いつまでも過去にしがみつくのは馬鹿馬鹿しいですね

その他の回答 (19)

  • 05051036
  • ベストアンサー率22% (114/509)
回答No.20

強烈な談話を見つけました。 http://kisslog2.com/archives/38184048.html 強烈過ぎて作り話と思いたくなりますが。 発言者はトラウマが払拭できないくらいつらい思いをしたようですが、その人はその歪みから、自分の娘さんにとてつもない抑圧を強いています。 この娘さんに同情する人から見れば、母である元いじめられっ子は悪です。 冷静に考えるため、なぜそうなったかなんて経緯を抜きに所業だけを見れば典型的な毒親です。 ひどいことをしておきながら正当化に明け暮れる、または自覚がなかったり世間一般には正しいとされることに摩り替えてる点ではいじめっ子と大差ありません。 いじめを乗り越えられない人に批判的な意見を述べた人たちは、この談話のような事例を見てきたり、質問者にも似たニオイを感じていたのかもしれません。 歪んでしまったこと、それを乗り越えられないことは自分の責任ではありません。 しかし、歪んだ自分が人様にもたらした苦しみは、自分の責任です。

roroneko4949
質問者

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回答ありがとうございました

noname#194628
noname#194628
回答No.18

わたしも、いつまで引きずっていると言われたことはありますが、されたことが何かも知らない人が言う訳です。 いじめられた側は、精神的に殺されます。 価値観が全て壊され、蘇生が難しいです。 ただ、過去に学び、自分と向き合う過程で、相手を理解することは可能です。 そういう努力は必要であっても、 出来る出来ないで責められる必要はないと思います。 我が道を行くだけです。

roroneko4949
質問者

お礼

回答ありがとうございました

  • hiroasi
  • ベストアンサー率22% (46/202)
回答No.17

いじめられた方は、一生覚えています。 いじめたほうは、すぐに忘れます。 自分がいじめているという意識もないでしょう。 忘れることです。 不安や、怒りなどのネガティブなエネルギーはとても強いものです。 それによって、人生がコントロールされてしまいます。 過去と未来は、同一線上にありません。 過去は過去、今は今。 もし、「昔いじめられたから俺はこんな人間なったんだ!」 という人がいるとしたら、それはいじめられた人の責任です。 頭の中を、いじめられた時の不安と怒りでいっぱいにするよりも、 他の楽しいことを考えたほうが生産的だと思います。 しょせん人間は、80年しかありません。 他の人に構っている暇はありませんよ。

roroneko4949
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 長い間、その人の時間を奪ってしまう苛めは酷いなと思いました。 長期に渡って引きずってしまうのはその人の弱さもあるのでしょう。 ですが引きずるきっかけとなった苛めは、やはり容認してはならないと思います。

回答No.16

まさか、悪じゃないでしょう!いじめなんてしていいことじゃないですもん。そういう意味では殺人と一緒だと私は思います。それに、若い頃に受けた影響って、良いものも悪いものも根強く残りませんか?そう考えるとやはりいじめは犯罪です。 私だったら、一生恨みますし仕返しも企むでしょうし、そういう気持ちを墓場や来世にまで持っていっちゃうかも。心が弱いどころか強すぎちゃうくらいだからずっと根に持つの。とにかく、いじめは絶対許しません!

roroneko4949
質問者

お礼

回答ありがとうございました

noname#217538
noname#217538
回答No.15

>過去のいじめを乗り越えられないのは悪ですか? 悪だとは思いません。虐める側が卑怯で悪だと思います。笑って許せなんてよく言えると思います。 しかし強いて言えば、あまり長くかかる場合は遺伝的弱さを感じます。だからダメージから立ち直りにくい。それは悪ではなく、本当に傷になり変調をきたしたのだと思います。ですから加害者として、虐めた側は決して許される存在では無いでしょう。その罪の重さを知るべきです。 余談ですが、私は常に虐められる側に非を求めるのはおかしいと思います。虐める側にいったい何の権限があるのか、全く理解できません。しかし虐めはなくなりません。虐めても許されると甘くみるからです。ですから厳しい罰則をもうけて未然に防ぐことを心がけるのが一番です。虐めに関して規則を作ることはある意味親切です。 私の息子の高校は徹底した進学校でしたので虐めが立証されたら即退学と校則で決められていました。(海外です、弁護士は自由に雇ってよい)監視カメラが各所に設置され、実験室に高い装置があるので警備員を雇っていました。そういう点ではかなりお金をかけた高校でした。清掃人や庭師も雇われていて、常に見回りの教員もいました。表立って虐める生徒はいません。これは進学校として勉強に専念してほしいからだそうです。しかし現実は厳しい校則をもうけることで生徒は虐めをしない、つまり虐めは許されないと思うとしない、そういう発想になります。 日本の学校は管理体制が甘いです。問題は起こってから考える、起こればふたをしたがる。細かい規定を決めれば未然に防げる事は多いです。生徒同士で話し合って解決する自由など夢物語です。そういう点では息子の理系進学校はかなり親として満足しました。子供の虐め、このように虐めたら処罰が待っているとわかると起こりません。もちろん体罰をするような野蛮な教師は一人もいない事もつけくわえさせていただきます。すべてが理性で動けるように細かい規則まで配慮する、虐めが存在しにくい環境として書かせていただきました。(余談が長く失礼いたしました)

roroneko4949
質問者

お礼

回答ありがとうございました

回答No.14

>「子どもの頃に受けた苛めがトラウマになっており、未だに加害者を許せない」 この質問だか相談は、ここで結構多いのですよ。 でね、確かに2年や3年前の話なら、辛い記憶でしたねと言えるの ですが、中には10年前とか20年近い前の出来事を今もって恨みに 思うだの、トラウマで家から出られないだの女々しい事を言う。 トラウマなんて言葉を都合よく使っても、心の傷なんて誰にも見えやしない。 そんなあるかないか幽霊みたいなものに踊らされて自分の人生を見失う なんて愚の骨頂だと思ってしまうのですよ。 「不登校、引きこもり」学生時代の一時的緊急避難なら仕方ないこともある でしょう。 しかし、そのまま何年も家族に迷惑かけたまま己の殻に閉じこ もり、人生どうにもこうにもならなくなったからって全て「昔のいじめ」の責任 に転嫁する姿勢が許せんのです。もっと早く行動しろよってね。 何十年も前の過去のことに捉われているのは一種の人格障害でしょうか。 そんないい年した息子を抱えた母親が「育て方を間違ったのか?」と泣いて いるのを見たことのある私としては、少なくとも現在はおまえが親をいじめて んじゃねえかと思ってしまうのです。 >過去の苛めを許せない・乗り越えられないのは悪なのでしょうか。 >引きずってしまうのは、いつまでも影響を受けてしまうのは、その人の心が >弱いからなのでしょうか? 悪だとは言いません。しかし心が弱いのは間違いないでしょう。 弱いことは罪ではない。でも、弱いままの自分で良いと一歩も踏み出す勇気が ないのは罪だと思う。弱いのが嫌なら強くなりゃ良いだけだ。

roroneko4949
質問者

お礼

回答ありがとうございました

  • kirin1985
  • ベストアンサー率40% (50/123)
回答No.13

 回答はありません……と言うより人それぞれだと思うので、思考のヒントになればと、回答です。  『悪』の基準は人それぞれです。そしてその基準は論理的なものではありません。  例えば論理に従うなら、人を殺す悪に対し、死刑という同様の悪はまかり通りません、が、その矛盾を日本を含めた多くの国が認めています。それでも理不尽に殺された遺族に対し、死刑は悪い事だと諭せる人間はいませんよね。酷く曖昧なところで善悪は決められ、人により善悪の基準は変わります。  例えばイジメにおいても、過去にAと言う軽いイジメを受けた人間、Bと言うイジメをした人間、Cと言うイジメを傍観した人間、Dと言うイジメを見てみぬフリを後悔し続ける人間がいます。イジメと言う言葉で全てが括られてしまいますが、その時受けた傷や感情は当たり前ですが人それぞれです。その意味で、イジメを踏ん張り続けて乗り越えた、忘れようと努力し続けた人間が「イジメを引きずるのはおかしい」とコメントするのは間違いではないと思います。「イジメをしている人間は劣っている」と吐き捨てて、イジメの本質を抱えたままに当事者と逆転の構図を考え、当事者を見下す事で自己肯定するのも、決して間違いではないです。一つの例ですが、それぞれにはそれぞれ、無数の一つであるイジメと言う体験談に対応して導いた結論があるのでしょう、それぞれが正しいと思います。  例えば「イジメを受けた事で人生が狂った」と、  その本人が本当にどうしようもなく壊れて、心理的肉体的に限界である場合もあります。一方で精神的に苦痛でありながら、どこか『イジメられた過去』に責任転嫁しながら自身の改善可能な領域さえイジメの『せい』にしてしまっている場合もあります。後者の場合、多くの寄せられたコメントは厳しいようですが、改善への糸口として正しいと言わざるをえません。  『擁護されるべき責任なき子供』の時分で受けるイジメと『自分自身で身を守らなくてはならない責任ある大人』の時分で受けるイジメは全く異なり、対応も違います。小学生のイジメに対する回答は多く『逃げろ、泣きつけ』ですが、社会人では『戦え』以外の選択は消えてしまいますよね。子供の頃のイジメを引きずったまま成人となることは、問題と回答にねじれができてより複雑になってしまっています。  イジメは現状が心理的に裕福になれば『乗り越えた』と言えるだけのものだとは思います。心理的機軸が出来るとか、友達に恵まれるとか、食っていけるくらいになるとか。現状が恵まれれば、イジメを許す、イジメがあったから優しくなれた、弱者への共感力が得られたと、折り合いをつけられることだと思います。ですがそうやって現状の満足度が『乗り越えた』ってのを決めるのならば……行動を起こせない故に乗り越えられない、乗り越えられないから行動を起こせない、って狭い循環に陥ってしまいますね。  重度の精神病を発症していたら行動なんて不可能ですし、自分を責め続け苦しむ方ならば「弱いからだ!」と鞭を打つことが正しきアドバイスでもありません。優しき人間を弱き人間と決め付けてしまう事もあるとおもいます。この辺も三者三様な気がします。  補足ですが、ある一つの事例に対し、反論するコメントは少ないエネルギーで出来ますが、擁護するコメントや思考を練って何かを論破するようなコメントと言うのはひどくエネルギーの必要な事です。批判や侮蔑は容赦なく量産され、キッチリ考えた思考の方は多くコメントと言う形に残らない事が多いのではないでしょうか。その上でインターネットでよく見られる情報の誤認があるように思いました。  んー……なんだか見事に霞がかった回答ばかりで申し訳ありません。思考の足しにしていただけると幸いです。

roroneko4949
質問者

お礼

いえ、私自身難しい問題だと思います。回答くださり有難うございます。 どちらが良い悪いとか、強い弱いとか、そう簡単に決められるものじゃないんですよね。 本当はこんな議論必要なくなれば…苛めなんてなくなればよいのでしょうが、完全になくすことが難しい以上、本人にとっても社会にとってもマイナスにならないよう、早期に苛めを解決しなければならないと思います。

  • hiro822
  • ベストアンサー率20% (132/638)
回答No.12

悪だではなく、損だ。でしょう。 ただし、過去のいじめのせいで、周りに悪い景況を与えていたとしたらそれは、悪ですね。 まぁ人間、普通に生きているだけで、いろんな悪を振りまきながら生きているのだから、 ちょっとくらいの悪は仕方ないとして、なるべくその分、善意を与えながら生きればいいだけの話かもしれませんが。 そうは言っても、過度の悪は許されないものもあるでしょう。 人なのだから、いじめではなくてもいろんな理不尽な影響を受けながら生きていく。 それをみんな、乗り越えながら、あるいは乗り越えるというところまで行かなくとも、なんとか対応しながら生きているわけで、 いつまでも、加害者だけのせいにしているのは、ある意味では甘ったれているとも言えるとは思います。 そういう意味あいで、厳しい言葉が与えられたように思えます。 心理的な影響が残って、現在一緒に仕事をしている上司や仲間に気を使わせているのなら、それは程度の低い悪でしょう。 加害者を未だに恨んでいて、例えばその仕返しを、その家族なんかに与えていたら、合法的であっても、結構程度の高い悪でしょう。 社会的、人道的、法によって、許される、許されないはあるかもしれませんが、いずれも悪だとは思います。 そういった悪をせざるをえない状況下にいるのであれば、 過去のいじめを乗り越えられていないのであれば、 それは悪というか、損だと思います。

roroneko4949
質問者

お礼

回答ありがとうございました

回答No.11

誰だ『過去の苛めを許せない・乗り越えられないのは悪』などと言った馬鹿は? どうせ自分が偶然にもいじめられなかった事をいかにも自分の大きな器のお蔭と勝手に勘違いしてる馬鹿なんだろうな(笑)そして乗り越えられる程度のからかいだかいじりだか分からないような経験を『イジメを乗り越えた』と自分で決めつけて悦に浸ってるような下らない人間なんでしょうね(笑) イジメなんて言うのは死ぬまで繰り返す奴がいる、それに誰もがターゲットになる可能性がある。器が大きかろうが無かろうが、関係なく巻き込まれる。人と言うのは、いつでも実に下らない理由で生き死にが決まってしまうものなんですよ。 それで、どこかの馬鹿が『過去は笑って許してやるくらいの器量は持つべきだ』とか低能丸出しの事を言ってる訳ですか?『何の恨みのない人を死ぬまでいじめ続ける』ような奴を許せるって言う人間の方が明らかに異常ですよね。自分の家族が通り魔に殺されて笑って許すなんて奴が居たら器量とかでなく、そんなものは生き物としても欠陥品です。 たかが学校生活さえ乗り越えられない人間のくせに、普通に社会で生きてそれなりに人間関係も不自由してない奴もいるよ。俺の事だ(笑)周りでもそんな奴珍しくないですよ。まあ心の弱さや器の小ささとやらは相変わらずか、余計ひどくなってるかも知れないが閉鎖的な学校社会と一般社会は全く別物だという事。心の弱さも器の小ささも逆に武器になる事さえある。 まあ復讐を考えるのも良いが(むしろ忘れろと言う方が無理)復讐にとらわれて、一般社会で生きるための努力を怠ってしまう事のないよう、それだけは気を付ける事ですね。

roroneko4949
質問者

お礼

回答ありがとうございました

  • chupaku
  • ベストアンサー率25% (460/1781)
回答No.10

子供の頃に傷をおったとして、引きこもりになったり仕事ができなくなったとして、親がいるうちは良いけど、ずっと面倒見てもらえるわけでもないから、結局は自力でやって行かなくてはいけなくなるから、働かないといけない。 とすれば、自分で会社を興すか、雇ってもらわないといけないはずで、雇う側からすれば、いじめで心が折れているひとよりは、いじめを受けても立派に立ち直っている人を雇いたいはず。 仕事で辛いことがあってもすぐにやめられては困るからです。 もし自分が人を雇う立場なら、精神が強い人を雇うはずです。 悪いか悪くないじゃなくて、客観的にみたら、引きずっているけどそうは思わせない人が良いでしょう。 自分を外から見ることも大事だと思います。 よく思いますが、いじめを受けて散々な思いをした人は、自分を顧みる事はあまりしていないような気がします。 ただいじめた人が悪い、自分には何も非が無いというような気がしますが、自分の子もそうでしたが、いじめられる理由を少なからず持っているはずです。 それに対して、自分はどんな努力をしたか、自分だけじゃなく、周りを巻き込んで対処してきたか。 出来るだけの事をしたのか、もっとやれることはなかったか。聞いてみたいものです。 いつまでも忘れられない人は、考え方を変えるような努力はしているのか、 いろんな人と話をして、もがきあがいて成長しようとしているのかも、気になる所です。 それでも許せなくてずっと病んでいても、結局困るのは自分だから。考え方を変えないと「損」だと思います。 いじめを受けて死んでしまえるなら、良いけど、もし身寄りがない弟や妹を養わなければいけないような死ぬに死ねない状況であったら、それどころじゃないはずだから、結局は、働かなくても引きこもって生きていける環境に甘えていると言う事でしょうか。 東南アジアなどでは、売られてエイズにかかってしまったり、いじめじゃすまされないような境遇で生きている子が山ほどいるから、日本人は甘いんでしょうね。 一度そんな外国に行って、今の自分を見つめることも大事だと思います。 かなり考え方が変わるかも知れない。そういったことをしてでもなんとか自分を変えようと思うことも大事だと思います。 補足ですが、スピリチュアル的に言うと、いじめを受けるのは、生まれる前に自分が設定してきた人生なんですけどね。それに負けてちゃ今世の修行がクリアできないんですけど。

roroneko4949
質問者

お礼

回答ありがとうございました

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    夏休みの作文で、私は【「社会を明るくする運動」作文コンテスト】の部門で書こうと思っています。 何かおかしいところがありましたら、ご指摘お願いします。  いじめとは、された側がいじめだと感じれば成立する。  よくニュースで見かけるいじめのニュース。見ていると胸が苦しくなり涙が溢れてきそうになることが多々あった。  いじめといえば、集団で傷つけ、いじめの対象となった人に肉体的、精神的な苦痛を与える、ということをまず思った。  そこで加減ができなくなり、いじめを受けていた人はやがて身体を壊してしまう。  いじめを行った理由は「面白半分だった」。  私は思う。面白半分で済まされるようなことではない。いじめはれっきとした犯罪なのだから。  いじめられた人は心に大きな傷跡をつくり、社会で生きていく力を失ってしまう。例え社会で生きていく力を取り戻したとしても、心にできた傷跡は絶対に完治などしていないのだ。  いじめを見て見ぬふりをするものはいる。  「自分がいじめられてしまう」などといった恐怖があるから、見て見ぬふりをするのだ。  確かに怖い。しかし、いじめを受けている人はそれの何倍以上も恐怖に身を侵されているのだ。  見て見ぬふりをしている人は、何らかの方法で助けてあげられないのかと考えるべきだ。  そこで、一緒になっていじめに加わるなんてもっての外だ。  いじめは犯罪なんだ、と強く思い、どちらとも助けてあげるつもりで勇気を持てばいい。  犯罪を犯す前に救い出すのは当然のことだ。誰もそれを止めようとはしないだろう。  一方、子供の鏡となる大人の世界にもいじめは存在する。  大人の世界はこんなにも悲惨なのか、と思い知らされる。  職場では地位というものがあるため、簡単に手は出せないのだろうと思う。大人の世界はそのような圧力がある。  学校の職員らがいじめに気付かず、遊びとして処理していた、というニュースを見たことがある。  他にも、いじめはなかったと学校ぐるみでいじめを隠ぺいしようとしているニュースも。  大の大人がこんなことして恥ずかしくないのか、と私はつくづく思った。  本来ならば、大人は子供を守る存在だ。  学校は未熟な子供をちゃんとした教育を受けさせて、社会に出させるものだ。  私は、どんな場所においても、国においても、いじめはどこにでも存在するものだと思う。  いじめは大きな社会問題だ。  今の時代、インターネット等が広く普及して、SNSを使う機会が増えている。  そのせいか、コミュニケーション能力が不足してしまい、相手の気持ちや周囲の反応を読み取る能力が薄れてきている。  インターネット上でもいじめもある。  携帯電話やパソコンを通じて、掲示板等に悪口や誹謗中傷を書き込むことだ。  ネットいじめの怖いところは、自分の知らないところで広まって、突然周りの関係がおかしくなっていくこと。  そして最大の恐怖は、誰がやっているか分からないことだ。  もし自分の友達がネットに書き込んでいたら、私は友達というものを信用できなくなってしまいそうだ。  「イラつき」や「ムカつき」から始まるいじめもある。  話し合いでいじめが解決したらいいが、コミュニケーション能力が不足している状態での話し合いでの解決は上手くいかず、更に関係に亀裂が入ってしまうということも考えられる。  私がいじめを無くすために考えたのは、コミュニケーション能力を高め、「イラつき」や「ムカつき」を子供のような考え方ではなく、「大人」の対応で接していくことでいじめは減少していき、その後の関係にも亀裂は入ったりしないと思う。

  • 過去のいじめ

    正直、文章にするのも辛いのですが、書き込むことで誰にも打ち明けられなかった過去の惨めな自分をしっかり見つめて解放したいと思います。 それまではいたって普通に学校生活を送って仲の良い友人もたくさんいました。 ある出来事が原因で自己崩壊してしまい。 性格も暗くなり、身だしなみもどうでもよくなり、何より人を信じられなくなりました。ある出来事とは…従兄弟にレイプされかけ、抵抗したので未遂で済みましたが、心がボロボロに崩れてしまい対人恐怖になってしまいました。 親に心配させまいと、この事はいえませんでした。 そこから人生が狂い始め、学校では仲の良かった子達の輪から抜け1人で居ることが多くなり、次第に「あいつの性格がムカつく、まじウザイ」など暴言を浴びる様になり最初はクラスの女子だけだったのがクラスの男子にまで広がり、学年全体へ飛び火し、どういう訳か一部の年上の人たちにまで変なあだ名で呼ばれたり暴言を吐かれたりしました。接点もなく私が何かしたわけでもないのに、反応を見て楽しんでいるように思ったので、どんと構えて無視していました。本当にしつこくて陰湿で当時の私は常にナイフで刺されてボロボロでした。 高校に進みましたが、一部の人間の嫌がらせが続き、身の危険すら感じる言葉を吐かれるようになり自主退学しました。他に身を守るすべが無い位追いこまれていたからです。 その後は資格を得るために地元を離れ専門学校へ進み勉学に励みました。ここでは人に恵まれて充実した日々を送れました。ここで明るさを取り戻す事ができたのです。 就職もうまくいき仕事場に恵まれ、やっと過去を振り返らなくなり、笑顔でいられるようになり、結婚して子供に恵まれささやかながら幸せになれました。 でも、時々夢で過去のいじめを見てしまったり、人の囁き声が自分への悪口に聞こえてしまうのです。今まで誰にも話しませんでした。だからなのかもしれません。もう大丈夫だよ。と過去の自分を抱き締めながら解放してあげたいです。

  • 現代のいじめについて。

    少年犯罪、自殺などテレビでよく見かけるようになりました。 そこには必ずいじめと言う問題が見え隠れしています。 メデアも特集を組み少年少女たちの叫びに耳を傾けようとしているテレビを見かけることが多くなりました。 いじめはもう日本の青少年における社会問題と感じます。 私は30代前半、昔もいじめはあったけれど(実はいじめっ子でした)成長すれば止まるものであった気がします。私がいじめたのは小学生時代までです。 中学生になればみんな大人になって行き、いじめというより気持ちの行き違いからくる、喧嘩であった気がします。喧嘩であるから誰かと仲が悪くなっても、別な誰かが助けてくれるという感じで、救われない精神状態にまで追い詰められることはなかったと思うのです。 まして高校大学は一生の友人作りの場、いじめなどまったく目にしませんでした。 現代はなぜ、いじめがこうも広がっているのでしょうか?大人が学校がいじめはだめだという教育をしないからですか? みんな自分の子供はいじめにあってほしくないと思っているはず、だから幼い頃より人をいじめてはいけない、差別してはいけない、仲良くと教えていると思うのです。教育はされている気がするのです。 なのになぜですか?今の若い人たちが昔の人間に比べ精神的に傷つきやすくなっているのでしょうか? いじめが原因で、大人になっても引きこもったままという特集を見るたびに胸が痛くなります。けれど私には原因がわからないのです。そこまで人を追い詰めるいじめを誰も止められないものなのか??? 私が分かっていないだけですかね・・・今がどうなっているのか、何が悪いのか教えてください。。

  • イジメは、どこからどこまでがイジメなのでしょうか?

    例えば、執拗な回数で嫌なことを言われた・嫌なことをされた。 この場合は、周囲もイジメでは?と感じますよね。 では、回数が少ない場合、イジメと感じるのは当人だけでしょうか? ちなみに、傍観者(見て見ぬふり)も加害者に入るのでしょうか? 気付かない内に、人を不快にさせた場合はイジメになるのでしょうか? 社会人になれば、モラルハラスメント・パワーハラスメント・セクシュアルハラスメントといった言葉が使われていますが、大人のイジメということですよね? 未成年のイジメと何が違うのでしょうか? イジメが起きる原因は何でしょうか? イジメがなくなる方法はあるのでしょうか? 色々と書いてしまいましたが、どれか一つでも構わないので、ご意見をお願いいたします。

  • いじめに遭った過去の事で悩んでいます。

    訪問ありがとうございます。相談があります。宜しくお願いします。 私は現在社会人として働いていますがある悪い記憶が追いかけられて悩んでいます。 それは小~高まで12年間いじめに遭った事です。 昔の私はマイナス思考で夢見がち、自分勝手、争い事が嫌いなど気難しく変わっている性格でそのせいか周りの子達が悪口言われたり、嫌な事させられたり、高校の時不良の人達に標的になり、暴言言われたり、私の悪い噂を他人に言い回したりとても嫌な思い出になりました。 私にとって楽しい学校生活はまったくありません。ネットユーザーさんの日常生活のつぶやきを見て羨んでしまいます。 今は働いているんですがどうしても被害妄想?でいじめてきた奴らを復讐したり、土下座させたり、地獄行きにしてやろうなど考えている原因で仕事に影響が出てしまいます(例えば相手に対して不機嫌な態度を取ったり、作業に時間がかかってしまったりなど)なんだかとても疲れてしまいます。 今までいじめてきた奴らは一生許さないし、うっぷん晴らしをしたいと思いますがもう学校卒業しきり遭っていませんし、想像で復讐していますが実際は何もできない臆病ものです… どうか助言を下さい。 正し批判(復讐はダメとか)、中傷はやめて下さい。『許しましょう』はやめて下さい。←許せないので

  • どうしていじめを肯定したがるのでしょうか?

    いじめを相談して「いじめはどこにでもあるから」と突っ返す教師や大人がいますが、どうしてそれほどまでいじめを肯定して苦しんでいる人を助けてあげようとは思わないのですか?そういう事を言う人だって病気やケガで苦痛を感じれば病院に行って助けを求めるのに、いじめで苦痛を感じている人を助けてあげないのはなぜですか? 「いじめは社会全体の問題で連鎖的だから」とわざわざいじめを肯定しようとするのはなぜですか? いじめを社会に残したい理由でもあるのですか? あと、「いじめはいじめられる側にも問題がある」と言う人がいますが、いじめの大半はいじめる側の身勝手な理由が原因です。もしいじめられる側が体力や知力が足らないのが原因と言い出したら本末転倒です。 「世の中は弱肉強食の世界だから」といじめを肯定するようではこれからの高齢化社会となる現状では社会が成り立たなくなると思います。 それでもいじめを肯定したがる理由は何なのですか? 社会を支配する強者の仕業ですか?