• 締切済み

有名大学は編入に消極的?

学生が集まりやすく、欠員が発生しにくい以上、有名大学がもともと編入の受け入れに消極的なのは自然だと思いますが、近年この傾向がにわかに強まっているように見えます。例えば、立命が過去大規模な編入定員を設定していたにもかかわらず、ほんの数年前に粛正してしまったのは驚きました。その他の有名校も、もともと欠員のある一部の専攻しか募集しないことも珍しくありませんが、明らかに募集規模が減退しているようです。 大学業界の一般的な傾向として、周知の通り少子化の進行によって、学生が集まりにくいようになっていますが、有名大学はそんな状況下でも自然に集まる(言い換えれば、底辺校は学生集めに四苦八苦し、それでも定員われが多発する)から、言い方は悪いですが態度がでかくなって面倒くさいイレギュラーなシステムをやめたがるというところなのでしょうか?

みんなの回答

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.9

http://www.ritsumei.jp/profile/pdf/a14-4_2012.pdf 短期大学の 4 年制大学化が進むなかで、過去 3 ヵ年(2008 年度~2010 年度)において志願者は年々減少したことが背景にある。 2010 年度は 2008 年度に対して 1/3 以下にまで減少した。この志願者減少の影響により、本学文学部で必要となる学力水準を満たすと判断される編入学志願者もあいまって減少し、合格者を控えざるを得ない状況となった。 としています。 http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo4/037/siryo/__icsFiles/afieldfile/2014/03/07/1343332_2.pdf 確かに文学部が想定する人文系短大生は激減している

  • akeshigsb
  • ベストアンサー率49% (536/1074)
回答No.8

個人的な意見になりますが「有名大学は編入で損をするから」だと言えます。  当たり前ですが、編入を希望する受験生は「編入先より偏差値が低い大学の学生」になります。わざわざに人気・難関大学からそうでないところにいくことはないでしょう(進学校の勉強についていけないので偏差値が低い学校に行くのは中高だけです)。  編入で入学する側としては「大学受験の難しい一般試験をやらずに難関大に進学=おいしい」ですが、受験を突破した人からすれば「勉強していない人間が入るのはおかしい」という不満や、編入生が多ければ企業としても「あそこは編入が多いので難易度は入試の時より低く見ないといけない」という大学のランクの凋落につながります。そのためか、学内編入は多少あっても学外からの編入を認めない大学が多かったり、東大等は東大を卒業した人(見込みの人)は他の学部に再入学するような制度を認めています(編入されるのが東大生であれば学生の劣化はないと見るようです)。大学は面倒だというのではなく、そうした裏口のようなことで人気を落としたくないというものでしょう。  まぁ、私の個人的な意見としては「編入を希望される大学にいるべき」であり、「編入を希望するような学生が在籍する大学は大した大学ではない」というものです。編入を希望する人は自分が通ってる大学は価値がないと判断している証拠だからです。そんな大学には最初から入学しなければいいと思いますが…。

  • TANUHACHI
  • ベストアンサー率31% (791/2549)
回答No.7

 編入といっても、僕の嫌いな仮面浪人モドキもあれば、学士編入もあります。一概にはいえませんが、前者の質はヒドイといっても過言ではありません。  客観的な指標からすれば学力が伴わないとの現実に対し、自らの憧憬とナルシシズム(強い自惚れ)が災いし一種の精神疾患ともなっている人間を受け容れるほどの物好きもないでしょう。態々と大きな赤子のお守りなどする必要がどこにあるのか。  元々の人間の数が減少する状態を前提の下で、私立有名大学とはいえ定員数とそれに対する実際の入学者が本来ならばピタリと一致せねばならないはずですが、歩留まりと称して何パーセントかは入学者の員数を多くみている現状が物語るものは「学校経営」を優先的に考えた大人の事情でしかありません。  本来ならば、条件を満たさない者が大学のキャンバスにいるとの不自然な光景など、あってはならない現実のはずですよね?  それができていないから、不自然になってもしまい、それが感覚麻痺を引き起こす病巣ともなっているとしかいいようもありません。  親も子も高校生以上ならば、マジで勉強して欲しいね。そうでもしなけりゃ、こちらは何時まで経っても自分の専門など掘り下げていく時間の確保に呻吟させられもしますよ。  本当に、バカな受験生やその親を並べてマシンガンで蜂の巣にしてやりたいとの衝動に駆られる日々が毎年この季節を告げる特徴でもあります。もはや日本の大学教育は死亡宣告を突きつけられたに等しい状況ですね。  日本の大学は入りにくく卒業しやすいとも揶揄されますが、入学も更に厳しくそして進級から卒業までも厳しくしていく以外には大学教育そのものを担保する方法はないでしょう。大学を大衆化する必要はどこにもありません。  但し、大学には社会に発信するとの責務を同時に課すべき必要も今以上に要求する必要もあります。

  • moritaroh
  • ベストアンサー率56% (658/1172)
回答No.6

他の回答者さんと同意見ではありますが、もともとどのランクの大学でも、2年次以降の欠員数に応じて、編入の受け入れをしていたのだと思うので、大学側の制度や態度によるものではないのではないか、と。 ですが、ランクが低く定員割れを起こしている私立大学などでは、積極的に編入を受け入れないと、経営的な面で安定が図れない、というのはあるかもしれません。 ただ、本来、編入の場合は、どの大学でも既存の1年次からの入学生よりも高い水準の学生を求める…と言うか、編入試験の倍率は通常の入学試験よりも高くなるのが普通だと思いますので、要するに、落ちこぼれを排除し、かわりに優秀な学生を受け入れる、という意図とシステムが相まっていたように考えられます。 ただ、少子化を原因に、1年次から入学する通常の学生の水準が下がっていることは、編入してくる学生にも当てはめられると思います。 また、編入の門戸を広げすぎてしまうと、例えばの話、1年次からは到底入学できないようなレベルの学生も集まってしまうかもしれません。 件の立命館の実情はわかりませんが、例えば、編入門戸を広げて倍率が下がったら、水準の低い学生を取らざるを得ない状況になってしまったため、学生の水準維持するために、門戸を再び狭めた、との推測もできます。 またもうひとつ、大学側の事情もさることながら、学生側の意識の変化も起因しているかもしれません。 今や、有名大学のネームバリューだけでは就職で通用しないことが学生の中でも定説化していることが珍しくなく、また同時に、有名大学→都市部の企業への就職、というだけが、安定した将来設計を描けるものでもないでしょう。 例えば、地方や実家で就農というものも、20~30年前の学生と比べたらそれほど抵抗のない学生も多いですし、国家公務員よりは地方公務員として地元に帰ってくる…ということを考えたとき、そもそも大学を高望みせず、地元のごく普通の大学で十分、といった考え方の学生もいるでしょう。 大学の運営者なり経営者は、約20~30年くらい前の感覚を未だに引きずって、名門や有名大学、また国立など、入試偏差値を基準とした大学の序列の中で上位にあれば学生に苦労しない、と考えるかもしれませんし、少子化によって相対的に学生の水準が下がる、と考えているかもしれません。 しかし将来的なビジョンをはっきりと持ち自立した優秀な学生は、むしろ、名門や有名大学だけが選択肢ではない、と考えていることと思います。こうした学生がまだ多数派ではないと思いますが、偏差値的に言えば中程度のランクの大学でも、明確な目的意識と向学心のある、およそその大学のランクには相応しくないような学生もいると思います。 こうした学生にとっては、入試偏差値や有名企業への就職実績と言うのは大学選びの判断基準にならないと思いますし、どこの大学でも、本当に欲しがっている学生モデルはこうした意識の高い学生だと思います。 そう考えると、入試偏差値を基準に受験する「勉強のできる学生」は、大学のランクや学生の水準を安定化させる上で重要かもしれませんし、有名企業への就職実績は、「勉強のできる学生」を集めるエサとしては良いかもしれませんが、各大学が特色づくりなどに四苦八苦している状態を考えると、「勉強のできる学生」を集めつつも、大学の打ち出したい特色に見合う「意識の高い学生」を選びたい、という姿勢の表れではないか、と思います。 受験生の大学選びが、高偏差値の難関有名大学から、優良大学へと意識が向きつつあることと同時に、大学生の就職先選びも、有名企業から優良企業へと意識が変わっているのではないか、と思います。 もっとも、「勉強のできる学生」の方が、「勉強のできない学生」よりも「意識の高い学生」が多いと思いますし、有名大学の方が優良大学であるパーセンテージが高く、有名企業の方が優良企業としての側面が強いとは思いますが。 この点から、大学への編入は、「勉強のできる学生」よりも「意識の高い学生」を見定めるものかもしれません。ですから、数を多く集めればいい1年次からの通常入学と違い、門戸を狭め、ピンポイントに「意識の高い学生」を選び出すことに意味があるのでしょう。

回答No.5

> もともと欠員のある一部の専攻しか募集しないことも珍しくありませんが 珍しくないというか、一般的には、定員に欠員があるから募集するのです。 一学年の定員は決まっているわけですし、大学の収容定員の適正化の指導が文科省から行われるようになり、収容定員超過・定員割れの両方についてペナルティが課されるようになっています。 具体的には、国立大学については、一定の定員超過率(平成20年度は1.3倍,21年度は1.2倍,22年度から1.1倍)以上の学生数分の授業料収入相当額の100%を国庫納付する、私立大学いついては、一定の定員超過率以上にある学部等への経常費補助金を減額又は不交付とする(収容定員の1.07倍以上になると段階的な減額措置があり,収容定員の1.5倍又は入学定員の1.3倍以上になると不交付とされる)などが行われています。 授業料を国に召し上げられるまたは補助金をカットされる、その上、文科省に睨まれる、ということを覚悟してまで、収容定員を超過するような大学はありません。 入学時に入学辞退や入学後の退学を見越して入学者をかなり多めに確保するということはできなくなりましたので、入学定員が収容定員を超過しないように辞退者を見込んだぎりぎりの人数で合格者を出し、入学したら辞めさせないようにあれこれフォローをする、ということが、現在、中堅以上の大学(特に私立大学)で一般的行われるようになっていることです。 ですので、収容定員(の1.07~1.1倍)から退学などで一定数以上の欠員が生じない限りは(どれくらいが一定数かは大学によりますけど)、編入の募集が行われない、あるいは、欠員が生じても欠員分以下しか募集しない(合格させない)のは当たり前の話です。 > 言い方は悪いですが態度がでかくなって面倒くさいイレギュラーなシステムをやめたがるというところなのでしょうか? 実際に、編入の募集定員が減少しているのかどうかは知りませんが、文科省の大学の収容定員の適正化の話をご存知であれば、人気大学が収容定員を無視して学生を取り放題だった時代はとっくに終わっているということはお分かりになると思いますので、こういうおかしな推測をなさる余地はないと思うのですが。

回答No.4

設問の前提は「明らかに募集規模が減退している」ということですが、これは事実でしょうか? 私が調べた範囲では顕著な傾向は見えてきません。 年ごとの変動はありますが、特に増えても減ってもいないように感じます。 特定の大学だけの話なのではありませんか? 少子化によるレベルダウンは全大学共通の悩みです。 東大・京大・東工大・東北大・早慶等々どこの教授とお話ししても皆さん同様に困っています。 単純な話、受験生が一割減少すれば、東大だったら今までなら入れなかった学生を一割採らなければなりません。 東大の併願校としては早慶になりますが、早慶にしてみれば従来なら学内トップを占めていた層が東大に吸い上げられ、また相応の学生も減少するために、MARCHレベルから二割採らなければなりません。 MARCHは三割、日東駒専は四割、大東亜帝国は半数を下から持ってこなければならないし、上位の半数もかつてなら成績下位者ということになる。その下ともなればかつてなら高卒だった層から採ることになる。 極端なたとえですが、傾向としてはそういうことです。 確かに有名大なら学生数の確保に四苦八苦することは無いでしょうが、質の確保は至上命題です。 そうした中である程度向学心が見込まれる学生を確保する手段として、編入学は今後も無くならないと思いますよ。

  • NiPdPt
  • ベストアンサー率51% (383/745)
回答No.3

大学側からすれば、教員の定員なども絡んだ、いわゆる「大人の事情」で始まった制度です。また、初期の主旨としては、高専出身者の受け皿となることであり、工学部を中心に広まった制度です。 当初は比較的優秀な学生を集めることが出来たのですが、近年は学生のレベルが低下しており、大学に馴染まない学生もいたりして、大学側でも問題視されることが多くなっています。受験生の中にも、「一般入試で合格できなかったからリベンジで・・・」などと言いだす輩がいたりします。そういったことは他の学生、特に浪人で入った学生の不公平感にもつながりかねません。世間的にも学歴ロンダリングなどと揶揄されるように、学生の質的低下が最大の原因です。なので、質的な低下を実感している大学ほど縮小傾向は強いでしょう。旧帝大などでは、社会的な責任をふまえて、受験資格を高専卒業(見込み)者に限定しているところもありますし、従来は2年で卒業できていたものを、3年に伸ばした大学もあります。これも学生の質の問題でしょう。また、それとは別の問題として、カリキュラムは4年で学ぶことを前提として組まれていますので、カリキュラム的にもかなり厳しくなりますので大学側も特別な対応が必要になるなど手間もかかります。 そんなこんなで、現在、大学側からすればデメリットだらけですので、縮小傾向となっています。

noname#232424
noname#232424
回答No.2

>立命卒でも中退よりまし むろん,立命館大学でも在学生の半分を処分するんですよ。その跡を編入生で埋める。処分品になった連中は,「山の上の大学卒でも中退よりまし」。その山から放り出されても,まあ,行くところはどこかあるだろう。 日本全国でこういう民族大移動を起こせば,大学生はもっと勉強するようになるし,末端の底辺大学にも客が流入して経営が助かる。そのためには旧帝大から英断しなきゃね。 いい考えだろ? 文科省高等教育局長さん。

noname#232424
noname#232424
回答No.1

編入制度には,一般的にいって,いろいろな目的があると思います。 1.質問文にあるように,定員割れの状態で大学施設(教員もふくむ)を運転するのはもったいなく,経営が赤字になる。 2.相対的にいい学生をとれるかもしれない。もし京大・阪大などが在学生のサバイバル戦に踏み切り,「卒業式の出席者は入学式の半分もあらへん」という状況にすれば,退学処分になった不良品が「立命卒でも中退よりましや」と来てくれるかもしれない。 3.短大卒業後にさらに勉強したいという学生を受け入れるという,社会的使命がある(国立大学では明確で,定員化されている)。しかし,短大が不人気で閉校していき母集団が少なくなれば,存在意義が薄れる。 4.中高年が「大学で勉強しよう」と思い立ったとき,高校生と入試で競うのは無理なので,特別に受け入れる。しかし,日本人の向学心の度合いは,そこまで高くはないようですね。 いずれの目的にも「?」がつくならば,編入定員を縮小するでしょう。

関連するQ&A