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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:人の好奇心に関する定義)

人の好奇心に関する定義

このQ&Aのポイント
  • 人の好奇心について検討する際、団塊の世代は自虐史観の影響を受けていると一般的に言われていますが、同じ教育を受けているにも関わらず、歴史や国際情勢に無関心な人と興味を持っている人には何が違うのか疑問です。
  • この質問では、自虐史観の是非ではなく、歴史や国際情勢に全く興味がない人たちが存在することに焦点を当てています。人それぞれの関心事は当然異なりますが、大きな事柄に無関心な人と、関心を持つ人について学術的な定義やグループ分けが試みられたことがあるのか興味があります。
  • 国や地域の文化の影響があるのか、あるいは全く関係ないのかも考えられます。例えば、反日が強く存在する中でさえ、その問題に無関心な人が存在する可能性もあります。人の関心事は多様であることは理解できますが、なぜこのような大きな事柄に興味を持たない人たちが存在するのか、その原因を知りたいです。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.4

何時の時代でも、どこの国でも、自分の半径 1メートル以内のことにしか興味を持たない、と いうひとは、一定の割合で存在することが 色々な調査で判明しています。 この原因ですが、よく判らないようです。 頭脳の出来不出来、教育の程度などが関係して いるのでしょうが、英国人の社会学者の 調査によると、年配の女性に多いという ことです。 そして、民主制が上手く機能するためには、 こういう人達の存在が必要なんだそうです。 全員が全員、社会や政治に関心を持つような 社会では、意見がバラバラでまとまらず 民主制が麻痺してしまうからです。 反面、政治に強い関心を持っているのは 全体の5%ぐらい。 だから世の中、良い方向にも悪い方向にも そう簡単に変わらないのです。 ちなみに、日本人は好奇心の強い民族性を もっているとのことです。 幕末の英国人の手記にその旨の記載がいくつか 残っています。 こんなモノがあるぞ、と中国人に見せてもあまり 関心を示さない。 しかし、日本人は目を輝かせて、それはどうやって 造るのだ、教えて教えてと迫る。 この国は将来、世界において重要な地位を占める 国になるであろう。

object123
質問者

お礼

まさにその予言は当たったのですね。 アメリカの映画で「スターシップ・トゥルーパーズ」という映画をご存知でしょうか。 その中に、皮肉たっぷりな調子で、とりわけて阿呆な年配の女性の象徴のような人物が、政府の政策に何の疑問も抱かずに同調してしまうシーンがありました。 作者もその英国人の調査のことを知ってたのかもしれませんね。 ※もちろん年配の女性にも知性の高い人は沢山居ますよね。政治家、民間、主婦問わず。 ちなみに僕は、半径1メートルのことにあまり興味を持てないので、困っているくらいです。そういうことは、可能であれば他人に任せたいくらいです。このようなネットで偉そうなことを言っていても、実際は非常に貧しく、苦しく、悲惨な生活をおくっております。

object123
質問者

補足

>英国人の社会学者の 調査によると、 その英国人の名前を知りたいです。 なるほど、社会学の分野になるわけですね。 >全員が全員、社会や政治に関心を持つような 社会では、意見がバラバラでまとまらず 民主制が麻痺してしまうからです。 自分には逆の捉え方もあるように思います。 目先のことしか考えない人たちほど、政治に参加するという一面もあるのではないかと。 おのおの自分の属しているグループの利益など言い出したら、それこそ意見がまとまらないのではないかと。 逆に、本当の意味で社会や政治というものを考えられる人が増えたら、おのずと皆同じ真理に達するはずではないでしょうか。 民主主義が暴走せず、資本主義へのブレーキとして機能するためには、それなりの国民の成熟度合いというものが必ず必要になるのだと思いますね。 重いソフトウェアを動かすには、それなりのハードが必要なのと同じように。

その他の回答 (5)

noname#193499
noname#193499
回答No.6

ノンポリ?

object123
質問者

お礼

非政治的という意味ですよね。 それもそうなんですが、その政治的なことに限らずです。 興味のスケールの大小の問題ですね。 世界の事を考えるか、自分の事だけを考えるか、ですね。 ノンポリというのは後者に含まれるでしょう。

noname#221368
noname#221368
回答No.5

 ちょっと危なそうな事を言ってみます。もっとも以下のサイトの受け売りなんですけどね(^^;)。   http://oyako.gotohp.com/  上記の賛否はどうあれ、なかなか穿った話で面白いなと思いました。  で、受け売りをすると、無関心なのは「戦後民主主義のせいである」という事になります(詳細は上記URLで・・・)。  それの単純な解釈では、「個人の自由や権利は、地球よりも重いもの」となります。これの平易な実行は、「日常生活最優先」です。このような傾向は、同じ(ような)教育を受けてきた我々は、大なり小なり持っているはずです。  自虐史観も、これの裏返しと捉える事は可能でしょう。日本は侵略戦争を行ったから悪いんではないんですよ(政治的な悪または失敗かは、問われない)。そうではなく、他国の人々の自由や権利を犯したから悪である、となる。なので、そこさえ認めておけば、後は比較的フリーになれる。日常生活に戻れる。今では死語になってしまったけれど、エコノミックアニマルとして邁進できる。核の傘も安保も、とりあえず忘れておける。  たぶんそうやって、半世紀ばかりやって来たんですよ。

object123
質問者

お礼

自分もガンダムが好きなのですが、主人公の両親の人格がその主人公の人格に影響しているという鋭い分析はしたことが無かったです。しかし、何のために戦うのかという問いにうろたえたあたりは両親とは似ていないものを感じますね。 ところで主人公の母親の人格はまさに、自負心が欠落した人物の象徴のようでありますね。自分一人が何かしたところで何も変わらないだろうという意識が。自負心があれば、自分が子供に付いていなければ不良になってしまうとか、いろいろ考えるに違いないですからね。 >「個人の自由や権利は、地球よりも重いもの」 明らかに、地球の方が重いとも言えますね。 地球がなければ個人もないわけですからね。 ですから、人間が地球環境維持の為に何らかのアクションを起こさなければ、そのもっとも優先すべきという日常生活 どころの話しではなくなるということですね。 戦後は、その地球よりも重いという人間が、物質的な意味での人間(つまり単純に命)と解釈されてしまったのではないかと思うのです(物質万能主義)。 真に尊いのはあらゆる生き物の尊厳やそれを尊重する人間の精神であろうと。

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.3

こんにちは。 「「戦争」が、あったことすら知らない」は、 聞いた事がありますね。

object123
質問者

お礼

こんばんわ。 そうですね。戦争の話しは聞いたことがあるはずなんでしょうけども、意識に留まらないのでしょうね。 唐突ですが、私は、学校の平和教育で「はだしのゲン」を観せられて、とても強い恐怖心を抱いた当時の子供の一人です。 しかし、皆同じ作品を観ているのに、影響を受けた人と受けなかった人がいるのではと思います。 戦争というテーマに対して完全にスルーしてしまえる人はおそらく、その「はだしのゲン」のことは次の日には完全に忘れているのではないかと思うのです。(本当にただの推測ですが)

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.2

人の好奇心に関する定義 ○マローズの人間欲求5段階説+1というのがあります。これは人間の精神要求を分類したものですがその図式はピラミッド構造で描かれます。 一番下から上に向けて「生理的欲求」「安全欲求」「社会的欲求」「尊厳欲求」「自己実現欲求」「自己超越」という段階です。これを統計的に対応させると下から3番目の段階にほとんどの人が入っており。上の3段階は少ないというのが理解できますね。つまり、同じ人間でも精神は違うということなのです。 当然、より高度な精神を持つ人ほど少ないのですね。これは差別なんですが、それを認めて努力するかどうかなんですね。「生理的欲求」「安全欲求」のみで生きている人がほとんどでしょ。「社会的欲求」を声高に主張する人もいますが大抵、生存の平等程度のことですね。生存の平等は「生理的欲求」「安全欲求」の範疇ですね。人種差別に対する行動は「尊厳欲求」以上の精神ですね。マンデラさんは」「尊厳欲求」「自己実現欲求」「自己超越」の範疇の人ですね。このように人は大変違うものなのですよ。人の中に何を見るかで人生も違ってきますね。

object123
質問者

補足

それはいろいろな解釈が出来てしまう概念だと思うのですが。 1,2,3は分かりやすいですが、4はただ単に出世欲のような俗物も含まれてしまうのではないですか?それだったら、殆ど人があるように思います。逆に、世捨て人のような人は高次元の欲求を持っていないということになりますが、それは違和感があるんですよね。 つまり、同じ4でも高尚なものもあれば低俗なものもあるのではないのかと。 5にしても然りで、ただ単に手先が器用な人が職人になりたいというものから、国家元首になって世界を変えるというものまであるではないですか? 単に、自分の将来の夢だったらば、誰でも持っていたものではないですか? そして、それも高尚さやスケールの違いがあるでわけで。 そして、この概念で一番ひっかかると思ったのは、 下の欲求が満たされることによって、上の欲求が出てくるというものです。もし、一律にそうだといえるならば、金持ちに心の貧しい人は居ないことになってしまいませんか? しかし、彼らの多くはいくら物質的に満たされようとも、他人や全体の利益を考えようとはしないではないですか? たからこそ、有史以来人間の世界は理不尽で混沌としているわけではないですか? もちろん、人様のことを考えるには最低限のものはなければ、そりゃ考えられないでしょうけども。 それに、そもそもが、スケールの大きさ(高尚さ)と欲求の段階は別次元のものと考えるならば、下が満たされたら上へという理屈やこの概念自体は矛盾していないというわけですかね。

回答No.1

知る事が好きな人と、知る事以外の目的のために 知識を得ようとする人の違い。

object123
質問者

お礼

確かにそれは当たっていると思います。 僕の興味のあることは、知っても意味の無い知識だとよく言われます。 それが、何の役に立つのか? お前のような一市民が知ったところで、世界が変わるわけでもあるまいし と諭してくるのです。そして、そういう人に限って、税金やら、何かの手続きやら、日常生活に関わるようなことに妙に詳しかったります。それは、日常の個人的な目的に関わること、その為に知る というスタンスなのです。 それはそれで、正しい。自分自身、そういう社会一般的なことを知らずに金銭的に損をしています。そして、ホラみたことか。そんな無駄なこと考えていないで、自分の足元をみたらどうだ?と、言われるのです。 しかし、彼らの言う日常なんて、世界が少し舵を取り間違えただけで、簡単に消し飛ぶようなものなのだと、彼らは知らないのです。

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