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大兄皇子の「大兄」
大兄皇子の「大兄」とはどういう意味なのでしょうか? 中大兄皇子 山背大兄王 など 何人か居ますが 何か意味があるのでしょうか? それとも単なる名前の一部で気にする事でもないのでしょうか?
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「おおえ」のえは干支のえと同じでしょう。え=兄 と=おとうと 後先の意味 甲:きのえ 甲子(きのえね) 乙:きのと 乙丑(きのとうし) 丙:ひのえ 丙寅(ひのえとら) 丁:ひのと 丁卯(ひのとう) 戊:つちのえ 戊辰(つちのえたつ) 己:つちのと 己巳(つちのとみ) 中大兄=なかのおおえ 中は順番でしょう。(次という意味か?) 長子相続が未確定だった時代に、異母兄弟などとの間での紛争を回避するために皇位の序列を付けていたのではないのでしょうか。 山背は屋敷があった場所ではないのでしょうか。 生駒辺りの麓にいて山を背にした屋敷の筆頭の王(皇子)という意味ではないのでしょうか。 一族郎党が狭い大和盆地の中で暮らしていた時代の話しです。 今でも鹿児島の叔父さんとか埼玉の伯母さんという言い方が使われます。 歴史書といっても所詮皇族一族の身内の文書です。
- technatama
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岩波新書『女帝の古代日本』(吉村武彦・著)にある関連部分を引用します。 誰が皇位の継承者なのか ― 大兄から太子へ “継体以降の皇位継承には、もう一つの特徴がある。 系譜をよく見ると、皇子のなかに「大兄」の名称が付けられている人物が 存在する。この大兄は、天皇との関係で皇位を継承できる資格と関係している。” “継体天皇と最初の妃である尾張草香の娘・目子媛との間に生まれた皇子は、 勾(まがり)大兄と名づけられている。” “勾大兄は、即位して安閑天皇になった。” “その次の欽明天皇は、安閑・宣化の異母兄弟となる。欽明には「大兄」を 名乗った伝承はないが、宣化の娘・石姫と欽明との長子は 箭田珠勝大兄である。” “こうした経緯をみれば「大兄」とは天皇ないし天皇たりうべき出生身分の皇子の 長子を意味していると、結論づけることになる。” “この「大兄」の創始は、天皇の長子は生得的に天皇になる優先資格もつという、 世代間における皇位継承の方法の誕生を意味しているだろう。” “この時期に大兄の制度が始められたのは、「応神五世孫」という、皇親としての 正統性にはほど遠い継体が、兄弟間の争いが起こらないように、 より安定的な皇位継承の枠組みを企図したものと考えられる。” “こと皇位継承に関しては、この大兄の制度が有効に働いたと思われる。 少なくとも「兄殺し」のような兄弟間の争いは、止んだことは確かである。” “複数の大兄がいる場合には、そこからさらに一人の大兄を選ぶシステムを つくればよい。つまり特定の大兄に皇位継承資格を固定化すればいい。 そこでつくられたのが、大兄の一人を太子とする制度でであり、 それができたのは推古朝に近い時期であった。” “推古朝から継続して太子が任命されたわけではなく、まだ制度的に定まって いなかった。” “大化改新後の孝徳朝からは、ほぼ太子が任命されるようになり、浄御原令で 「皇太子」の名称が制度化された。” “つまり太子制が制度として確立するのは、大化改新以後であり、 推古朝前後は大兄制から太子制への移行期にあたる。” “このように継体が創設した大兄制は、新たな皇位継承の仕組みであり、 天皇史のなかで画期的な制度であった。 大兄制は、中大兄が即位した前後まで、歴史的な命脈を保ったのである。”
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- yuyuyunn
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こんばんは 長兄に与えられることが多かったようです http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%99%BA%E5%A4%A9%E7%9A%87
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