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愛する・・・

よろしく、お願いいたします。

みんなの回答

  • 3355Teach
  • ベストアンサー率11% (12/101)
回答No.12

「愛する」とは、それ以前に愛が無いことを意味します。対象への愛があるならば、「愛する」必要はありません。

kurinal
質問者

お礼

3355Teach様、こんにちは。ご回答ありがとうございます。 「・・・する」を、人為的(?)と見るのですね。 「「愛する」以前に愛が無い」とは、「愛する」後は、あるのでしょうか たぶん、なんですが、「愛する」とは、 あるがままを認めるところから出発するものという、感じもしています。 してみると、「「愛する」の後には、愛はある」と言えるでしょうか。

  • yuniko99
  • ベストアンサー率15% (31/204)
回答No.11

愛するとは相手を活かすこと。 自分も活きれば尚良いけど。 神の愛がアガペーで 人間の愛がエロスとか言いますが  要は同じです。相手を活かし 何かを生み出すことが多いようです。 愛し合うこと 愛し生み出すこと 知を愛すること(哲学)

kurinal
質問者

お礼

yuniko99様、こんばんは。 >「愛するとは相手を活かすこと。 自分も活きれば尚良いけど。」 「活」が、キーワードですね(笑) >「神の愛がアガペーで 人間の愛がエロスとか言いますが  要は同じです。相手を活かし 何かを生み出すことが多いようです。 愛し合うこと 愛し生み出すこと 知を愛すること(哲学)」 んー、、、 それでは、ひとつ、伺いたい事もあるのですが、 「神の価値観」とは? 「これは、ダメだね」なんて、言い放つものなのか?

回答No.10

こんにちは。 広大な野原に(房総半島のマザー牧場程度) ポツンと「愛する・・・」が置いてある。 傍らに「よろしく、お願いいたします。」 の立て看板。 こんなイメ~ジで回答しました。 >日本語の「愛する」にある二面性について ↑ どの場面でも使用できる、多面性「愛する…」 を思考してみます。 質問者さんは「愛する…」を何歳に意識しました? それまでは、言葉を知らなかった? 言葉は対人間関係の道具ですが、「愛する…」の 必要な事期をお持ち? ご自分の、相手の、世間の、世界の、と際限が 視えませんので、迷いが在ります。 大人になって生活に疲れ、人間関係で痛い目に遭い、 自発的に「愛する…」を求める様になるのでしょうか? 無関心だった「愛する…」が自然に使用できる事は 大人になったからなのでしょうか? ダンゴムシを心から「愛する…」孫。ダンゴムシに なりたいとさえ言う、その孫を心から「愛する…」 出来たらその望みを叶えてやりたい偏愛するジジ~。 で、形にしてはいけない「愛する…」も有ります。 「愛する…」は、在るかも知れない。それは、言葉でしか存在出来ない、 存在を確認しようがない。 形にすると惨めなくらい痩せたミイラ、 思うヒトのモノ。 自己満足。 欺瞞。 空しさ。 多面性を持つ言葉の一つである。

kurinal
質問者

お礼

ido-kawazu様、ありがとうございます。 >「広大な野原に(房総半島のマザー牧場程度) ポツンと「愛する・・・」が置いてある。 傍らに「よろしく、お願いいたします。」 の立て看板。 こんなイメ~ジで回答しました。」 はい。 >「どの場面でも使用できる、多面性「愛する…」 を思考してみます。」 「多面性「愛する・・・」、ですか、はい。 >「質問者さんは「愛する…」を何歳に意識しました? それまでは、言葉を知らなかった? 言葉は対人間関係の道具ですが、「愛する…」の 必要な事期をお持ち? ご自分の、相手の、世間の、世界の、と際限が 視えませんので、迷いが在ります。」 私個人について、お尋ねですね。 (1)・・・そうですね、「愛する」は、小学生のうちには意識したでしょう。 「言葉」は知っていました。 (2)「必要な事期をお持ち?」・・・「対人関係の道具」なるほど。 「非言語コミュニケーション」てのも、教えられました。 (3)「ご自分の、相手の、世間の、世界の、と際限が視えませんので、迷いが在ります。」 ・・・よく言われるのですが「質問になってない」とか。 >「大人になって生活に疲れ、人間関係で痛い目に遭い、 自発的に「愛する…」を求める様になるのでしょうか? 無関心だった「愛する…」が自然に使用できる事は 大人になったからなのでしょうか?」 んー。ある本によれば、「愛する」とは技術だ、ということらしいです。 (誰にでも簡単に出来る、というものではない) >「ダンゴムシを心から「愛する…」孫。ダンゴムシに なりたいとさえ言う、その孫を心から「愛する…」 出来たらその望みを叶えてやりたい偏愛するジジ~。 で、形にしてはいけない「愛する…」も有ります。」 ああ、それについては、ですね。 「孫の望みを叶えてやったら、孫の将来に取り返しのつかない禍根を残した」 そういう場合は、形にしてはいけない、でしょうねえ。 >「「愛する…」は、在るかも知れない。それは、言葉でしか存在出来ない、 存在を確認しようがない。 形にすると惨めなくらい痩せたミイラ、 思うヒトのモノ。 自己満足。 欺瞞。 空しさ。」 なるほど。この場合、 「自己満足、欺瞞、空しさ」とは、 「コントロール」ということに関係がありそうです。 (「アダルト・チルドレン」の議論において、) (1) 「しばしば、子は(本来は、自分を愛してくれるはずの存在である親から) 「親を愛せ!」と言われて、それを強制されさえして、、、育つ」 (2) 「未熟な親ほど「自分の過ち」を認めないし、傲慢ですらある」 >「多面性を持つ言葉の一つである。」

回答No.9

 ★ (No.5お礼欄) ~~~~~~~~~~~~~  「チカラの発揮」が、キーワードですね。  しかし、(公的に)積極的な関与を求めるものもありますが、  関与など求めない(消極的自由)というのもあると思います。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ そういうふうに書いたつもりですが それは措いておいて 書いたのは  ★ (公的に)積極的な関与を求めるもの  ☆ に限るというものではありません。  なぜなら   ☆☆(回答No.5) 自由なチカラの発揮を容易にするべく場や情況をととのえ 妨げとなるものを取り除くこと  ☆ は 自分のためでもあるからです。《自分も他人(ひと)もともに生きる》という初めの考え方に合っていると思います。  《情況をととのえ 妨げとなるものを取り除く》のは 自分のためにするのでもあるからには 余計なお節介に 何が何でもなるとは限らないと考えます。  くどいですが 大事だと思いましたので。

kurinal
質問者

お礼

bragelonne様、ご回答ありがとうございます。 >「☆☆(回答No.5) 自由なチカラの発揮を容易にするべく場や情況をととのえ 妨げとなるものを取り除くこと  ☆ は 自分のためでもあるからです。《自分も他人(ひと)もともに生きる》という初めの考え方に合っていると思います。  《情況をととのえ 妨げとなるものを取り除く》のは 自分のためにするのでもあるからには 余計なお節介に 何が何でもなるとは限らないと考えます。  くどいですが 大事だと思いましたので。」 「ともに生きる」 判りました。 >「もしそのほかにさらに お節介になってもよいとすれば 相手がやはり自由におのれのチカラを発揮することができるように なんらかのキッカケとなるようなことを提案してみる。こんな振る舞いも 愛することに入ると考えます。 (難し過ぎるので中略)  共生性そのものであり それは ひとのごくふつうの自然な――ただし社会人としての――態度としておこなわれるものと考えます。」 「自立」「自力」「自律」というのは、確かに、「望ましい」のですが、 「対人援助」ということの難しさを、思いました。 (「「援助にかかりきり」か、「援助なし」か」というのは、極論として。)

noname#209756
noname#209756
回答No.8

社会学でいう社会集団の「コミュニティ」と「アソシエーション」じゃないですけど。 利益社会と共同体のうち、共同体が崩壊していて、ギブアンドテイクになってたりして。 母性というか利益とか目的ではなくてだと思います。 脳神経伝達物質でいうドーパミンではなくて、オキシトシンだと思います。

kurinal
質問者

お礼

pkuobe99様、こんばんは。ご回答ありがとうございます。 >「社会学でいう社会集団の「コミュニティ」と「アソシエーション」じゃないですけど。」 コミュニティが、分け隔ての無い集団?で、アソシエーションは何らかの目的を共有するんですか。 >「利益社会と共同体のうち、共同体が崩壊していて、ギブアンドテイクになってたりして。」 コミュニティが崩壊して、アソシエーション同士やってる、と。 >「母性というか利益とか目的ではなくてだと思います。」 なるほど。 「愛する」と母性とは、なるほど関係浅からず、かもしれないですね。 父性(愛)って、単なる小手先に過ぎない、みたいな。 >「脳神経伝達物質でいうドーパミンではなくて、オキシトシンだと思います。」 ・・・不肖、kurinalへのご回答は「高校生にも判るくらいで」と断ったこともあるんですけど、 >「オキシトシン」、興奮系ではなくて、癒し系ということですね。 「興奮系」は、利己的に「求める」のに対して、 「癒し系」は、「いいですよ」って感じですね。

回答No.7

こんにちは。  「愛する」とは、いと惜しく思うこと、恋愛感情から人類愛まで。どの位置の「愛する」を重視するかには個人差がある。こんな感じです。

kurinal
質問者

お礼

suzumenokox様、こんばんは。ご回答ありがとうございます。 「ココ↑」というAAを貼りたいところですが、 職人でもないので、無理しません。

  • a_hona
  • ベストアンサー率21% (95/444)
回答No.6

それは病、、。なんて意味深な事を言ってみる。けれど人の愛なんてどれも歪だと思う、俺はひねくれているかなあ。

kurinal
質問者

お礼

a_hona様、こんばんは。ご回答ありがとうございます。 分類してしまえば、それは「I like you」だよ、ということになる、 かもしれませんが、しかし、 >「けれど人の愛なんてどれも歪だと思う」 は、たしかに、意味深ですね。 ・・・それを「病」と捉えると、精神科が繁盛しますか

回答No.5

 こんにちは。  愛するとは 自分も相手も生きることを目指すことです。  それには ひとが自由であることを必要とします。  自由であるためには おのれの持ち前のチカラを十二分に発揮することがその内容としてあるとすれば そのような自由なチカラの発揮を容易にするべく場や情況をととのえ 妨げとなるものを取り除くことです。  もしそのほかにさらに お節介になってもよいとすれば 相手がやはり自由におのれのチカラを発揮することができるように なんらかのキッカケとなるようなことを提案してみる。こんな振る舞いも 愛することに入ると考えます。  このことは おそらく利己か利他かとか あるいは 善か悪かなどというような対立する二項に分けて考える思考形式とはなじまないでしょう。あるいは ギリシャ語における愛の区分――フィリア エロース ストルゲー アガペー――がどうのこうのと言っている場合ではないと言うべきでしょう。  共生性そのものであり それは ひとのごくふつうの自然な――ただし社会人としての――態度としておこなわれるものと考えます。

kurinal
質問者

お礼

B様、こんばんは。ご回答ありがとうございます。 短く、まとめて下さって、ありがたく思います。 >「自由であるためには おのれの持ち前のチカラを十二分に発揮することがその内容としてあるとすれば そのような自由なチカラの発揮を容易にするべく場や情況をととのえ 妨げとなるものを取り除くことです。  もしそのほかにさらに お節介になってもよいとすれば 相手がやはり自由におのれのチカラを発揮することができるように なんらかのキッカケとなるようなことを提案してみる。こんな振る舞いも 愛することに入ると考えます。」 「チカラの発揮」が、キーワードですね。 しかし、(公的に)積極的な関与を求めるものもありますが、 関与など求めない(消極的自由)というのもあると思います。

回答No.4

こんにちは。 愛する… 在るかも知れない。 それは、言葉でしか存在出来ない、 存在を確認しようがない。 形にすると惨めなくらい痩せたミイラ、 思うヒトのモノ。 自己満足。 欺瞞。 空しさ。

kurinal
質問者

お礼

ido-kawazu様、こんばんは。ご回答ありがとうございます。 これまでのご回答にもありましたように、 日本語の「愛する」には二面性があり、 すわなち、 1 「「私」が主体となって、単に相手を熱烈に好きに過ぎない」 というものと、 2 「いやいや、例え相手が実はどんなであっても、とことん・・・」 (「好き」は、超越) というものと。 で、1の立場は実は「I love me」なのではないかと。

回答No.3

愛(あい):自己の生命の組織(社会)性の認識によって、あらゆる衝動の発現に於ける利己過程に、利他が介在すること。 主として、性別(交配)・親子(生殖)・分業(組織)などに、個体生命の成立に於ける超個体的機能が顕著であるが、認識未だ及ばず、「自己の生存(反エントロピー)」という本質的統一性を、現象上に捕捉し得ない不完全な認識を補う、非認識的に組織化する上での近似的多元的に発達した多様な即物的衝動や他律的常識の集積による、内的矛盾に於て発生する自虐的意識行動に対し、その結果(非認識)的整合(>システム進化)に対する、形骸的概念として、主に性欲・自己顕示欲・虚栄心・偽善などの発現の上に、現象的定義域を持つ。 しかしそれは、この本質としての、生体外情報の処理システムたる認識による、自己の生命システムの組織性の追跡によって意識(必然=宇宙)を共有し自我を超越するものではなく、近似システム(金・権力etc.)による自我の延長(自由競争)、あるいは歪曲した衝動(イズム)の手段としての自我の相乗(マイホーム主義・愛国心etc.)とでも言うべきものであって、つまり「利己過程に利他が介在する」事によって個体間闘争が回避されるのではなく、集団的に新たな、そして組織的ゆえにより強力で容赦ない、闘争段階の形成へと変形されるに過ぎず、飽くまで常識による常識の為の虚構であって、人を低認識(情動)化して充足減に導く、中毒(近充足)性毒物(非最大充足)に他ならぬ。 そこに於て、真の愛は、完全なる科学(原理認識)である(社会生命性の自覚化による他我)。

kurinal
質問者

お礼

psytex様、こんばんは。ご回答ありがとうございます。 いや、凄いですね。 >「形骸的概念として、主に性欲・自己顕示欲・虚栄心・偽善などの発現の上に、現象的定義域を持つ。」 >「飽くまで常識による常識の為の虚構であって、人を低認識(情動)化して充足減に導く、中毒(近充足)性毒物(非最大充足)に他ならぬ。」 No.2さんへのお礼でも少し触れましたが、 「私は、アナタを愛して居るの」と言った場合、 (1)本当に「アナタ」自身を愛している (2)実は、アナタの所属物を愛している (3)「アナタを愛す」という自分の状態こそに酔っている まあ、それくらいは考えられるでしょう。 >「そこに於て、真の愛は、完全なる科学(原理認識)である(社会生命性の自覚化による他我)。」 それは、もしかして「あるがまま」ということではありませんか

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