>私は大学までしか卒業していないので(経営学部)知らない
おいおい、本当に大丈夫か?と聞き返したくなる質問ですね。経営学部といえば文系で、受験で国語があったはずです。
詳細は他の回答者の方があらかた説明されていますので、それに補足する形です。「百人一首」といえば、確かに「カルタ」の一種類とされています。がしかし!。「百人一首」がカルタではないとの説明も可能です。
「カルタ」の最大の特性が何にあるかといえば、「テーマもしくは題材」に基づき、それは「字札」と「絵札」の形に分け、字札を読んで絵札を取るとのゲーム形式であり、百人一首はこれと少しばかり異なりもします。
一般に呼ばれる「百人一首」は「小倉百人一首」のことであり、鎌倉時代の歌人、藤原定家が三代集を中心とする和歌の中から殊に秀逸な作品として「百首の和歌」を選び、その和歌と読み人の姿を描いた「読み札」を読み、字札として「和歌の下の句」だけを記した「取り札」を取る形です。
つまり「字札」であるべき読み札に読み手の姿が描かれているとの点で先ずは前提の一つが崩れ、更にもう一つの「絵札」であるべき取り札には絵がないものもある、との点で「カルタ」の概念からは外れてしまうものも実際にはあるとの奇妙な部分も浮かび上がってきます。
「三代集」も「和歌」も説明は不要ですよね?。そして江戸時代の庶民は、こうした和歌や古典の素養も百人一首やそれを下敷きにした狂歌などの形で身に着けていたとされています。
たかだか、百首の和歌ですから全て憶えるにもそう苦労もないはずで、中学だか高校の頃に夏休みの宿題で、全部暗記した憶えもあります。
恐らくは一度耳にした憶えのある作品ばかりですから、一度書店に寄って文庫のコーナーで手にとってご覧になってみて下さい。山部赤人や柿本人麻呂といった万葉の歌人から古今集の六歌仙として知られる在原業平や小野小町といった人物、そして新古今での三夕を手に取ってみると、きっと「どこかで覧た記憶」があるはずです。大学生ならば、「知っていて普通」です。
お礼
ご回答ありがとうございました。 >「三代集」も「和歌」も説明は不要ですよね?。 とありますが、三大集とは何ですか? >たかだか、百首の和歌ですから全て憶えるにもそう苦労もないはずで、中学だか高校の頃に夏休みの宿題で、全部暗記した憶えもあります。 恐らくは一度耳にした憶えのある作品ばかりですから、一度書店に寄って文庫のコーナーで手にとってご覧になってみて下さい。山部赤人や柿本人麻呂といった万葉の歌人から古今集の六歌仙として知られる在原業平や小野小町といった人物、そして新古今での三夕を手に取ってみると、きっと「どこかで覧た記憶」があるはずです。大学生ならば、「知っていて普通」です。 >申し訳ございませんが、 たかだか、百首の和歌ですから全て憶えるにもそう苦労もないはずで、中学だか高校の頃に夏休みの宿題で、全部暗記した憶えもあります。 恐らくは一度耳にした憶えのある作品ばかりですから、一度書店に寄って文庫のコーナーで手にとってご覧になってみて下さい。山部赤人や柿本人麻呂といった万葉の歌人から古今集の六歌仙として知られる在原業平や小野小町といった人物、そして新古今での三夕を手に取ってみると、きっと「どこかで覧た記憶」があるはずです。大学生ならば、「知っていて普通」です。 とは知りません。一応私も大卒ですが・・・
補足
卒業した大学がかなり特殊な入試形態なので、数学と物理で入りました。したがって文系なのは大学だけです。