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信長が生涯最も輝いていた時期は?
戦国時代最大の英雄は当然、織田信長だと思います。信長の49年の生涯で質実ともに最も充実していた時期は何時だとおもいますか?1)尾張統一戦(家督相続~桶狭間まで)、2)上洛戦(美濃経略~上洛まで)、3)江濃越戦争(元亀年間)、4)天下布武戦(室町幕府滅亡~長篠の役まで)、5)天下統一戦(安土築城~本能寺の変まで)。勝手に信長の生涯を五分割させて頂きました。
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- kimari14
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NO3さん 紅蓮の炎って そりゃテレビの見過ぎだわ
- kimari14
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やっぱり1)でしょう。 数の力で圧力をかけ屈服させることができなかったこの時期が 1番消滅の確立が高かった時期でしょう、 みずから 仕物にかけて実の兄弟の腹に刃物を差し込んだわけですから 行動も事象もすぐ隣のことですからね 映画俳優ではなく すぐ前に観客がいる舞台俳優みたいなものでしたでしょう。 親父の時代の合力してくれる家来はたよりになるとかではなく いちいち談合して、承服させての行動ですから 何事にも時間がかかる そんなものを活用せず たとえ兵の少なさ、弱兵であっても その欠点をカバーするに足りるスピードが期待できる、 家を継げないハグレモノ(次男や3男)を鍛えて 800ほどの塊で桶狭間まで行く。とくに苅谷城攻めでは、 強襲しか方法がなく(那古屋城は美濃斉藤道三の安藤にまもらせて) (あくまでも城の外で)の出兵でして、 時間をかけられない状況での戦でしたから、 多くの若い親衛兵を亡くしたわけですけど やはりこのときが すごいと思います。 信長包囲網にヤバイときもありましたが みんな結局、京までの距離がネックですよね 謙信や信玄がどこまで本気だったかね、わかりませんが、 当時の常識でいうなら 3~4万ぐらいの兵量で 200~300kmの距離は どだいはじめから無理です 観光で歩くだけならいいですが、 各地での抵抗を突破しての行動は100%無理。 初めから地の利がないわけで 行くぞなんていっても 当時の人たちの感覚では そんな遠いところへ行けるのかの非現実の話しだったんではないですか 今の人は 感覚的に 新潟? 山梨? すぐジャンでしょうけどね だいたい 馬2頭が並んで通れる道すら日本にはなかったんですから やはり1)でしょう。
- あずき なな(@azuki-7)
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決まってるじゃん 天正10年6月2日未明 紅蓮の炎の中に消えていくあの瞬間だよ ここ意外にどこがあるんだよ
- take-on3
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後世赤の他人である我々が歴史を振り返ってみたところで 信長本人でないとそんな事分かりません。
- kingyo_tyuuihou
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>質実ともに最も充実していた時期 天正6年 安土城築城での年賀 http://home.att.ne.jp/sky/kakiti/shincho14.html 天正9年 京都での馬揃え http://home.att.ne.jp/sky/kakiti/shincho17.html このあたりではないでしょうか。 天下統一に目鼻が付き、得意満面といった感があります。
お礼
どうも有り難う。 尾張時代の信長包囲網は、元亀年間の対織田包囲網の比でないくらい危機的状況でしたね。敵の大半は身内で、何も信頼できるものが無かった。それに比べたら、信玄や謙信の上洛戦なんか・・・