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済州島と対馬との住民の由来

どちらも朝鮮半島と九州との間に有る大きな島ですが、 なにゆえ住民の民族が違うのですか。 とくに対馬は九州よりも釜山の方が近いにもかかわらず なにゆえ住民は日本人なのかが不思議です。 この論点の文献が有ったら知らせてください。

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  • jkpawapuro
  • ベストアンサー率26% (817/3046)
回答No.2

そもそも日本(大和朝廷)は朝鮮半島南部まで領土をもっていたのです。 (任那日本府) それが朝鮮で領地を失い、同盟国百済も新羅と唐に滅ぼされ、百済を立て直そうと白村江の戦いを行うも惨敗し、それで大陸からの防衛戦として対馬に防人を派遣し守りを固めて国境としたのです。 一方済州島は日本と朝鮮の間ではありません、ただ朝鮮の南にあるだけです。 大和朝廷にとって意味のない土地です。

noname#200115
質問者

お礼

任那日本府は考えませんでしたぁ。

その他の回答 (1)

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.1

済州島と九州の間はかなり離れていると思うが。 九州から直接目視できなかったはず。 古代の航海においては、直接目視ができるかが重要です。 目視できない距離では日常的に交流が生まれませんので、集団としての一体感は生まれない。

noname#200115
質問者

補足

対馬が本題です。釜山のほうが近いにもかかわらず なぜ日本人が住んでいるのか、なぜ朝鮮人にあらざるや、です。 対馬の歴史に詳しい人に応答願いたし。 済州島は同様に中間に有るが、 日本人が住んでおらぬとの意味で加えましたが 論点がぼけましたかね。

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