罪の大きさによって量刑の軽重が決まるのは当然
- 大量殺人や計画殺人などの犯罪に対して、自身の生命による償いが求められる応報刑は、多くの支持を得ています。
- 被害者遺族の感情への配慮は重要であり、死刑存置の根拠となる要素です。
- 殺人被害者の遺族の大半が犯人に対して死刑を望んでいることが、過去の調査で明らかになっています。
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罪の大きさによって量刑の軽重が決まるのは当然
罪の大きさによって量刑の軽重が決まるのは当然だから、大量殺人や計画殺人といった犯罪に対して、自身の生命によって償うべきだというのは、応報刑という考え方で、多くの国民の支持を得ている。 あえて正しいとか間違っていると言わないのは、死刑存置派と廃止派では正反対の意見となるからだ。私は支持する。 同時に、被害者遺族は第三者ではない。殺人被害者の失われた生命、尊厳、人権はいかなる刑罰によっても回復できないが、被害者遺族の感情への配慮は当然必要だし、死刑存置の重要な根拠だと思う。過去の犯罪白書において何度か調査が行われているが、殺人被害者の遺族の7割以上が犯人に対して死刑を望んでいる。 みなさんはどう思いますか?
- myrtille54
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質問者が選んだベストアンサー
刑法が本当に信頼出来るのでしょうか?裁判自体 被告人の裁判なのに 被告人の発言を殆ど無視して 検察側と被告人弁護士で言い争ってる そんな裁判での判決を 被告人は素直に受け入れられる訳が無い 自分無視での判決なのだから いくら現在 民間裁判制度になったからと言っても 結局最後は多数決 本当に それで良いのだろーか? 多数の方が良い事だと思ってる事が 間違いだとしたら・・少数意見が正しい事も きっとある筈だ 現在 死刑廃止は 少数だから認められて無いが 少数派の事も正しい物があると解ったなら 死刑と言う物は無くなるに違いない
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- human21
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質問者さんと同意見です。 罪の大きさによって量刑の軽重が決まるべきです。 法律は弱者や被害者の為に必要なものであって、強者や 加害者を守る為のものではないと信じています。 殺人という重い罪を犯した人間を死刑に出来ないのであれば 被害者家族は浮かばれません。 人間の感情を机上の論理で無視するのは間違っています。 個人的意見ですが、死刑廃止派は偽善者だと思っています。 死刑制度については10代の頃から考え始めて数十年に なりますが、今も変わらず必要だと確信しています。 命は重いものであり、その命を奪ったのであれば、命で償うべきです。
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- その他(社会問題・時事)
お礼
回答ありがとうございます。 >多数の方が良い事だと思ってる事が 間違いだとしたら・・少数意見が正しい事も きっとある筈だ 赤信号みんなで渡れば怖くない ですね。