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自分の能力について

私は今まで、自分の物事に対する能力(得意であるか不得意であるか)は、自分自身である程度把握するべきだと思っていました。 自分の能力を自分の中で決め付けてしまうことは悪いことですか? 皆さんの意見をお聞きしたいです!

質問者が選んだベストアンサー

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  • demerger
  • ベストアンサー率26% (152/578)
回答No.4

【自分の能力を自分の中で決め付けてしまうことは悪いことですか?】 いやぁ・・驚愕。 いいか、悪いかという、善悪の前に。 自分の能力を自分自身で把握=評価評定できる、ということですか? いやぁ・・驚愕。 自分の能力が、自分で判定できるってことですよね?? いやぁ・・驚愕。 お尋ねします。 得意・不得意を判定している基準は何ですか。 どのラインをもって、得意である、不得意である、と認定すればよろしいでしょうか。 その認定基準が、自分の能力把握レベルとどのように合致している、と 各自が判断すればよいでしょうか。 その根拠を示してください。 さらに。 その判断の基準となる「基準」の妥当性は、どのように判定していますか。 妥当性は種々ありますが、例えば。 普遍性、反する時代性、 歴史的観点、反する流行観点 そうした、種々の観点を盛り込んだ淘汰の問題点に対する実証精度が どの程度の統計学的観点を盛り込んでいるかによりますが。 賢明なる質問主様なら、お分かりになるでしょう。 何を言いたいか。 自分の能力など、能力を受容し役立てる <自分以外の周囲の人> が判定するものです。 自分自身は、役立っている、という実感からだけ、 自分の中にある「能力の可能性」だけを感じとる。 それは、決して【得意であるか不得意であるか】などではない。 人の役に立ったか、たたなかったか。それだけ、です。 不得手でも、役に立てば、良いのです。 自分の能力を、自分都合の主観で判定する「愚」 そんな過ちを冒さない【能力】だけは、必要ですね。

eat_in_ogiwara
質問者

お礼

自分の考えがあありに見当違いだったことがよくわかりました! ありがとうございます!!

その他の回答 (6)

noname#193391
noname#193391
回答No.7

評価と言うのは主に他人が行う物です。 自分が得意だと思っても他人がそう見るとは限らないです。 その逆に然りでしょう。

eat_in_ogiwara
質問者

お礼

周りの大人のひとたちもそんなことを言っていたような気がします! ありがとうございます!

  • tomban
  • ベストアンサー率26% (2616/9771)
回答No.6

「能力」っていうのは「複合体」であり、複数の可能性の「連携プレー」なんですね。 例えば「自動車の運転が上手い」としましょう。 その場合に重要なのは、ざっとですが… ・状況判断能力 ・車に対する知識(自動車工学、物理学など) ・人間心理解析能力 ・自然科学(例えば今の時期なら「枯れ葉と路面の摩擦係数」とかですね) などなど、あります。 状況判断能力そのものも、様々な経験と知識の複合です。 そういった、本当に様々な要素が組み合わさっての「運転が上手い」なのです。 ですから、単に「こういう能力が自分にはある」という認識はいいのですが…簡単に「自分は運転が上手いんだ!」というのは早計になります。 運転に必要な能力がトータルに高かった、という「結果」として、運転力の高低は論じられなければいけないのです。 物事はほぼ、なんでも「複合要素」で成り立っています。 自分で、自分の能力というものを「正確・確実に」把握ができる、解析ができるのであれば、それは良いことだと思います。 逆に、物事を「大まか」にしか捉えられないようなら、把握しようとすることは止めておいたほうがいいでしょう。 例で言えば、おおまかに「私は運転が上手いのよ?」という方は、絶対にリスクを犯すような走り方をしたらいけないってことです。 事故りますし、最悪死にます。 もしくは誰かを傷つけたり、殺します。 それが「自己認識の甘さ」というものの、恐いところなのです。 そして、そういったことが出来るなら「決めつける」の文言は出ません。 「理解出来てる」の言葉がかわりに出てくるはず。 大事なのは「理解」です。

eat_in_ogiwara
質問者

お礼

自分で自分の能力を「理解する」こともとんでもなく難しいことですよね… わかりやすい説明、ありがとうございます! 

noname#246720
noname#246720
回答No.5

ある程度把握するっていうのは大事だと思いますが、決め付けるっていうのは良くないと思います。 この二つって、言葉の使い方にしても全然違うことですよね。 「今の自分にできそうなことはこういう感じかな」 と思っていればそれでいいんじゃないでしょうか。 「自分はこれしか絶対できない」と限定しちゃうのは、色々勿体ないと思います。

  • SPROCKETER
  • ベストアンサー率26% (2128/8000)
回答No.3

 自分が病気にかかっていた場合を考えてください。  あなたが鬱病にかかっていて、それが原因でやる気が起こらず、いつも不安や心配ばかりで落ち込んでいたら、能力が発揮出来るでしょうか。マインドコントロールにかけられていて、自分が駄目だと信じ込まされていたら、能力が発揮出来るでしょうか。テレビのサブリミナルに騙されていたら、正確な自己認識が出来るでしょうか。  真の自分を発見する為には、外界のノイズを全て遮断し、自己に目覚める努力が必要です。多くの賢人が自己を発見して偉業を成し遂げています。自己の発見が正確に出来ない状態では、自己の能力に関しても邪推が多くて、真の自分を見つけるのは難しいでしょうね。  本として出ていますが、簡単な心理テストや知能テストをやってみて、おおよその自己判断をして置いた方が良いでしょう。自分は、ここまで出来るという自信を持つのが大きな励みになります。

  • shut0325
  • ベストアンサー率40% (490/1207)
回答No.2

上手に使えば悪いことではないと思います。 例えば「自分は持久走が得意である」と決めつける(思い込む)→上には上があることを知りそれを追い抜こうと努力する。 逆に「自分は歌が下手である」→下には下があることを知り、もしかしたら上手になるかもと努力する。 こういう風にできるのなら決めつけてよいと思います。 努力するのは簡単ですし。だた、諦めるのは難しいですね。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.1

”自分の能力を自分の中で決め付けてしまうことは悪いことですか?”     ↑ 悪いことです、というよりも間違っています。 能力を正確に測定するのは非常に困難です。 最近でこそDNA判別などが行われるように なっていますが、これとてどこまで正確かは 実証不足で、明らかではありません。 能力というのは、極限まで頑張ってみて、それで ダメだったら、ああ俺は、能力が無かったんだな ということが判るモノです。 それなのに、頑張りもしないで決めつける、という のは間違いです。 そういう人は、頑張るのが嫌なので、俺は能力が 無い、と逃げているだけです。 そうやって逃げ回って、自分を慰めているのです。 だから間違いだ、というのです。

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