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矛盾

論理数学で、 「公理系が矛盾していれば、いかなる論理式も証明可能となる。」 というのがあります。 一方、世の中には口の上手い人がいて、 どの結論にも論理的に上手く持っていって、口喧嘩ではいつも常勝タイプの人って いますよね。 これは、世の中が矛盾しているからだ。 と考えることはできないでしょうか?

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公理系を持ち出すまでもなく notA and A のような矛盾する仮定をおけばいかなる結論を引き出しても論理的には正しくなります。(それはお分かりですよね) とすれば、msndanceさんのいう口喧嘩に常勝の人は、巧みに矛盾した仮定をおいているのではないですか? 上の考えなら、世の中が矛盾しているから、などという結論を無理に引き出さなくても説明できるし納得できるのではないでしようか。 まあ、私も飛躍論理学(これは冗談です、念のため)のベテランですから、議論に勝てば良い、というだけなら負けませんけれど・・

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質問者からのお礼

んー、なるほど、わかるような気がします。 ちょっと論点が変わりますが、口論している両者の意見を第3者の立場で聞くと、 「確かにどっちの言うことも正しいよなぁ。」 と思うことがあるのですが、 そういうことって根本的になぜ起こるんだろうって、 ときどき思うことがあるんです。

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「矛盾している」の範囲を、世の中全てにまで広げることはないでしょう。 口喧嘩に強い人の話す中身が、その世界だけで上手に完結しているのではないでしょうか?それも当人に都合のいいように。 つまり、口喧嘩に強い人の話を、その中の世界だけで考えず、別の世界と照らし合わせると、矛盾が見えてきたりはしませんか。 人間は、ついつい相手の提示する範囲の中で物事を考えがちです。時にはそれをうち破らなければならないことも有ると思います。

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質問者からのお礼

ありがとうございます。 ちなみに僕は気が弱く、 いつも口喧嘩では負けてしまいます。(笑)

  • 回答No.1

できません。 っていうか、その理論で行くと口喧嘩に負ける人がいなくなっちゃいますね。

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質問者からのお礼

ありがとうございます。 んー、でも、 口喧嘩に負けるのは、自分の言いたい結論への論理的導き方が実は存在しているにもかかわらず、 うまく見つけられないためじゃないかと思うんです。 うまく見つけて、それをうまくしゃべれる人が、口喧嘩に勝てる、ということだと思うんですが。

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