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ちょっと恐ろしい質問です。(無理に開かないで!)
2013年10月20日夕刻の某テレビ局の番組で,ある医師が「日本では嬰児殺しは犯罪では無かった。」と語っていました。 実は,男女の双子は心中した人の生まれ変わりと言われるので,あの人の片割れは…したと(最近です)聞いたことがあります。 又,嬰児の遺体は通常の墓ではなく,菩提寺の近くの野辺に埋葬したとか。 こけし人形は,「子消し」で,位牌の代わりに嬰児の菩提を偲んで祀ったとか。 欧米では子殺しは重罪であり,日本では尊属殺人が重罪であるが,嬰児は戸主の考え一つとか。 半世紀程前から何気なく耳にしていた事ですが,本日全身に電流として流れました。 民俗学(文化)的に,日本の習俗は欧米化されて,ネグレクト等が表面化してきたのでしょうか? 日本人(の社会通念,又は見聞きされたこと)としてのお考えを教えてください。
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こけしは、子消しと書きます。 ただ、これは農業の不作で子供が餓死しないように、豊作を祈願してこけし人形を子供の餓死の身代わりとしてお守りにする慣わしです。 子殺しは、乳児院ができるまではありました。 来日した乳児院の創始者は、子供が大人の勝手な都合で命を失っているのに大きなショックをうけて乳児院を創設したぐらいです。 また、今言われてるとおりのことが、いつまでやられていたかは地域にもよると思われます。 現代の人が平和だと思えるまでに、むごい歴史があって、それに闘い続けた人々がいたことも事実です。
昭和30年代くらいまでは人身売買もあった国ですからね。 http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-a975.html >表面化してきたのでしょうか? それだけ豊かになったということです。
お礼
子どものころ子だくさんの母親から良く聞かされていました。 『人さらいが来る。』『夕方は早く家に入らないと隠し神様が隠してしまう。そうするともう家に帰って来れない。』云々。 半世紀ほど前の子ども時代の思い出でです。
補足
若い娘が東京の結核病院に行き、数年間雑用をしていると、看護婦の資格を得られるといわれて、幾人かが上京したようです。 実際に、大病院の婦長になって、錦を飾った人もいたと聞いています。 しかし、ほとんど小学校に行っていない娘は、病気になって帰省し、竹やぶに面した暗い部屋で短い余生を送った聞きます。 妻を癌で失った遠縁の男性に、知り合いの女性を紹介しようとしたら、なんでも詳しく説明してくれた祖母が、固く目と口をむすんで、首を横に振ったので、以後その話は一切しませんでした。 地区から隣町に嫁いだ女性から地区内のいざこざに絡んで、聞いた話で、病院の賄ではなく、ほかの場所で働き、病気を貰って来たと聞きました。 何気ない所作・呟きからdaibutu_puririn 様の言われる人身売買的なことが当地でもあったと分かります。 明治10年代に生まれた祖母は17歳で嫁いで来たと聞きました。
- fnfnnis3
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安心安全、平和ボケの中で暮らしてると、 嬰児殺しなどはとんでもない蛮行に思えるかもしれませんが。。。 何事もその時代時代の背景を考えに入れないと正確な判断ができません。 そもそも飢えで死ぬ人が無くなったのはほんの最近の事で、 今でも世界各地で毎年餓死者が出ているように、日本でも 何とか死なない程度にでもご飯が食べられるというのは稀で幸せなことだったんです。 野麦峠をみて、おしんを見て涙しますが、 あの程度の話は現実のものとして日本中にありました。 嬰児殺しに話を戻しますが、「間引き」は(それだけ貧しかった)東北地方を中心に 普通に行われていたようです。 また、シャボン玉の歌「シャボン玉消えた 飛ばずに消えた 生まれてすぐに 壊れて消えた」は やはり間引きの歌だと聞きました。 逆の年寄り向けが「姥捨て山」です。 今の倫理観で言えばとんでもないと言えますが、 当時はそうしなければ成らない生きるか死ぬかの 切羽詰まった事情(=それくらい貧しかった)があったのでしょう。 他の事でも、今考えると「ひでぇ~」と思われることでも、その時代では普通なことはあります。
お礼
「じぇ じぇ じぇ じぇ~!」 本当に甘ちゃんでした。 『間引き』『姥捨て山』『シャボン玉』 早速のご解答ありがとうございます。 私も,いままた思い出しました。聞き流して意識に無かったのですが,立った今,思い出しました。 『間引き』は産婆や老女が戸主の意を汲んで産まれた直後に最初の息を吸い込んで『オギャー』という声を出させないように息を吸わせなかったとか。 思い出しました。
お礼
ありがとうございます。 乳児院:有りました。 http://www.ipss.go.jp/publication/j/shiryou/no.13/data/shiryou/syakaifukushi/426.pdf ある資料が思い出されました。 >これは農業の不作で子供が餓死しないように、豊作を祈願してこけし人形を子供の餓死の身代わりとしてお守りにする慣わしです。 この部分は,穏やかな方向に向けられていると感じます。