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裁判の考え方とは?
- 裁判とは、社会常識の範囲で判決が決まるものでしょうか?訴えるか待つか、被告人の立場からの考えもあるようです。
- 裁判訴訟費用や損害額の問題など、訴える方も負ける方も様々な視点から考えなければなりません。
- 裁判を経験した方々は、自分の考えを持ちながらも、問題なく解決してきた経験から、裁判に対しての考え方も変わることがあるようです。
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要するに、裁判なんて実際はあまり役に立たない てことですね。 私も、その通りだと思います。 だから、裁判などしなくて済むように、予防しておく 保険をかけておく、等の方が実用的です。 おかしな取引はしない、信用できない奴は相手にしない 加害者、被害者にならないよう、普段から十分に 注意した生活を心がける等々の方が大切です。
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刑事裁判の検察側、民事裁判の原告側経験者です。 裁判なんて、加害者のために有るものだと実感しました。 加害者優先で、被害者の心情などは一切蚊帳の外です。 検察側の顔を立て有罪判決、その一方で弁護側の顔を立て執行猶予を付ける。 まるで茶番としか言いようがありません。 執行猶予が付かなくても、求刑とは程遠い判決が出る。 過去の判例に基づいて判決が決まるだけで、そこには正義なんてありません。 上告したくても、検察側に、「これ以上は無理です。」と止められる。 たとえ上告できたとしても、そこから先の道のりは長く険しいものとなるでしょう。 検察官にも当たり外れがあります。 “この人、一体何を学んできたのか?” “あんたはそれでも真剣にやってるのか?”と思える検察官、残念ながら実際にいます。 裁判官も然りで、「被告人の口先だけの反省の言葉、あんな嘘の数々、よくもまあ、信じてるわ」と感心します。 刑事裁判で納得できなかったから、せめて民事では納得できる結果を出したいと思い、被害者の人権回復のために訴訟を起こすのです。 それなのに、「そこまでしてお金が欲しいのか」と周囲に非難されることは多いです。 テレビ報道で被害者の方の記者会見がありますが、ご覧のとおりです。
お礼
刑事事件まで経験されたとは本当にご愁傷様です。 私の場合には、 先方が怒り狂って、現在調停中ですが不調です。 調停だけで50万ほど使ったようです。 次は訴えようとしているところです。 訴えても、何もならないレベルのことなのに、 訴訟沙汰にするようで、先方は訴訟費用が嵩み、 請求は棄却されるでしょう。 それでも訴える人がおり、弁護士が付くという、 不思議なことが(原告が弁護士に詐欺に引っかかった状態) 起きているのです。 私は、当然法律の専門家に相談済なので、堂々と構えていたら良いと言われております。 訴える根拠が無いのに訴えるような事案なので、 負けないようです。 先方がドツボはまっています。 まあ、振り込め詐欺のようなものです。 NotSeenさんとは逆で、根拠なき裁判に突入しようとしています。 それに付き合っている被告人です。
- merciusako
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民事の場合、社会正義の実現などということはまったくないですね。 ゲームです。 争う内容が類型化されているため、双方の弁護士も落とし所を探るという作業がメインになります。 裁判所も和解を打診してきますし。 原告としては、訴訟にいたる過程の中で、散々相手に振り回され、それでも冷静に訴訟のための手続を踏み、膨大な時間と労力を費やしています。 そのようなことは一切無視して「金が取れればいいんだろう、全額はムリだね、この辺りが妥当です」と事務的に事が運びます。 裁判官がこちらの心情を勘案して、などということは皆無ですし、弁護士も早く終わりにしたいという意識です。 訴訟になれば結果は勝訴と分かっていても、審理はなかなか進みません。 裁判官や弁護士の都合によるものです。 で、やっと勝訴となっても、相手方が控訴すればまた付き合わなければなりません。 さらに、ここで勝訴となっても上告してきます。 当然上告棄却になるのですが。 ここでやっと判決の確定をみるのですが、貸金の回収では、更に差し押さえなどの手続が必要です。 このようなことを考えれば、最初の段階で「和解を受け入れてしまおう」と考えることはごく自然なことです。 和解になれば判決はありませんし、判例にも残りません。 結局、「どちらの方が社会的に正しいか」ではなくて「時間、労力、金銭的負担」に耐えられるかどうかだと思います。 被告の敗訴であっても前科はつきませんから。
10回くらい経験しましたが、裁判所を信用していません、しょせんお役所だと落胆しました。 最初は裁判所は正義の味方、正しいものは必ず勝つと緊張し特別な思いを待っていました。 所が裁判官は所詮役人でめんどくさいのです。物事の善悪に無関係に自分の出世などを考慮して判決を出します。 始末の悪いことに、自分は偉いのだ、特別な人間なのだ、民衆は愚民であるという隠れた真理がありありと出ることがあります。 判決というのは一種の決まり事であり、真理や正義とは無縁だと思います。 国を運営するために、裁判所の判決を 「正しい事」 と 決めようや という決まり事に思います。 いい例が逮捕状などです、裁判所は逮捕状を出すときにそれが正当かどうかなど書類審査だけで決めます。 誤認逮捕でも裁判所は責任を取りません。 まあ 裁判所や 裁判官 はたるんでます ええかげんです これが私の経験した感想です
お礼
>要するに、裁判なんて実際はあまり役に立たない てことですね。 そうですね。 弁護士を儲けさせるためのようなもの。 証拠資料を準備するための、手間が大きく、 それも、かなりの精度の高い資料を用意しなければなりません。 これは、仕事で法律を扱うような職業の人間でなければ準備できない。 加害者も被害者も裁判が終わるころには疲れ果てる。 どちらも判決に満足できないでしょう。 棄却されても、裁判中は被告人ですから。 原告側も、気力がないと出来ないでしょうね。