《左の頬をも向ける》とき 抵抗を排除していますか
その一節全体を掲げます。
マタイ 5:38 「あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じられている。
5:39 しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。
5:40 あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい。
5:41 だれかが、一ミリオン(* あるいは 千歩)行くように強いるなら、一緒に二ミリオン(* 二千歩)行きなさい。
5:42 求める者には与えなさい。あなたから借りようとする者に、背を向けてはならない。」
5:43 「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。
5:44 しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。
5:45 あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。
5:46 自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。徴税人でも、同じことをしているではないか。
5:47 自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんな優れたことをしたことになろうか。異邦人でさえ、同じことをしているではないか。
5:48 だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」
* ここは 例の山上の垂訓が 《〔貧しい人 あるいは 心の貧しい人 もしくは〕 ただ神により頼む人は 幸いだ》から始まって 説教のごとく 述べられるところです。《腹を立ててはならない / 誓ってはならない》などとともに 《復讐してはならない / 敵を愛しなさい》と同じく要約される段落に当たります。
* さて このとき 抵抗してはいけないでしょうか。
* 読み方としての場合と そしてそれとは別に考える場合とがあると思いますが いづれのご回答でも 結構ですので ご見解をおしえてください。
* わたしは 抵抗派ですが どうも必ずしも 決まっていると限らないようで 当惑しています。わたしの立ち場から ご回答の内容について さらに細かく 分からないところをお尋ねすることがあるかと思いますが よろしくお願いいたします。
お礼
ありがとうございます。