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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:衝動って服の楽しみや美的センスの一部なのか)

衝動とは服の楽しみや美的センスの一部なのか

このQ&Aのポイント
  • 質問文章から考えると、衝動は服の楽しみや美的センスの一部であると言える。
  • 衣服選びには楽しみや自分の美的センスの表現も含まれており、それが衝動となって表れることもある。
  • 一方で、衝動が悪趣味や変態と誤解されることもあるため、適切に取捨選択する必要がある。

質問者が選んだベストアンサー

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noname#184677
noname#184677
回答No.2

>私は特に保守的よりは前衛的や奇抜なものが好きな傾向、 私の学生時代女子大の彼女の部屋で暇つぶしに読んだ「服飾美学」の テキストに 「服飾の美は、3つの要素がある。一つは用の美、礼の美・・」 3つめは忘れてしまいましたが着れない服は服じゃない、人に与える印象を 考えない服装は服装ではない・・・みたいな話が書いてありました。 VANジャケットの創設者がTPO(時、場、状況)の重用性を唱えて TPOを考えで服を選べということを言いました。 人から見られているものである以上、社会とのコミュニケーションとしての 服装も考慮したほうがいいということです。 簡単に言うのなら、コスプレをするわけではないのだから、自分の好み だけで服を選んではいけない。大人の男ならそういう場面があるという ことです。 前衛の服で私が思い浮かびのはかつてのDCブランド。ひところのコムデギャルソンやヨウジヤマモト、イッセイミヤケ、ジャンポール・ゴルチエ くらいですが、アイテムによってはコムデギャルソンのカーキのポロセーターとかいまでも捨てずにとってあるものがあります。 ルイ・ヴィトンのメンズのショーラインの服は色や素材は大人しいけど形は結構前衛的で私は好きでいくつも持っています。マーク・ジェイコブスからデザイナーが変わっても流れはかわりません。 その程度の「前衛」ですからあまり偉そうに言えませんが、デザイナーものは流行を越えてスタイルとして長く着られることは間違いないです。 むしろ、普通のイタリアンクラシコの服の方が寿命は短いです。 もう一つ、デザイナーの菊池武夫がこういうことを言っています。 服への理解力と組合せの発想力、そして着る勇気 この三条件が揃って初めて服は生きる。 この服への理解力 これが重用です。好きならなんでも着ていいと 言っていない。好きならそれなりに服を理解し自分なりの解釈で 服を組み合わせる。これが大事だと言っています。 ゴシックロリータとかパンクファッションとか、私は少しも前衛とは 思いませんが、そこに解釈と着こなしの発想があれば服を着ることが 楽しめるのではないでしょうか。 休日のオフのワンマイルウエアなら、どんな格好をしても勇気さえあれば 着こなせますけど、それでどなたかとショッピングに行くとかレストランに 行くとかいう話だと、トラブルが発生しますね。 >しかし、服って感動、性的などもふくめて衝動が伴なってしまうものだと思います。 その通りだと思います。モテる服とはすなわち色気のある服、セクシーな服です。 >芸術的な美的センスなものが好きですがそれは自分の一部としてのものというより外部の美的感動物ですし、 服飾の場合、素材の質感や服の形そのものだったりしますね。 >中性的なアイテムって性的に衝動があるのかもしれませんし ユニセックスのテイストはもちろん華奢で気品あるキュートな性的立場 をとりたいという願望の表現かもしれません。 >流行物や奇抜なものって飛びつかせます。好奇心で手にするものでも 長く使うものは結構あります。 私の場合帽子がそうです。ボルサリーノのパナマ帽。ずいぶん愛用しました。 奇抜なものは、昔は好きでよく買っていました。B2ndやEMPIREとか トライベッカで値の張る奇抜な服を買っていました。 ともかく、面白いんです。ゴムでできた半透明のコート。遠目には 半透明でコンドームを着ているとしか見えないのですがw ストーンアイランドやCPカンパニーなどいまではメジャーになって しまいましたけど、昔は結構とんがっていました。 ただ、今思えば好きだけど着こなしていませんでしたね。 >悪趣味や変態の概念ととらえる人もでてくるものはさすがに実際に着用しなかったり買い控えたりしますが。 スカルとかストリート系もモードとしてメジャーになれば安心して着られ ますけど。鋲のついた革製品はいただけませんね、私は。 服装は結局は「記号」ですから、記号をどういう意図で身に着けるか ということでしょう。 >身にまとって雰囲気を楽しんでいるのが事実だと思います。 いや、重要なのは、その格好をしてどこに行くかということです。 使える服を考えるなら、それを着ていく場がいくつも思い浮かぶ必要が あるのではないでしょうか。 私の場合、それを着てカミさんとレストランにいくのかショッピングに いくのか駅まで散歩にいくのか 海外出張にも着て行けるか、いろいろ考えます。 >コーディネート時に美的センスにどうしても衝動も楽しみの一部になったり、それが美的センスと思っていたりすることもあると思います。 服は、ややもするとコレクションアイテムになります。しかしコレクション だけでは菊池武夫のいう「服が生きる」ことにはならいません。服を着て 服の着こなしを他人の眼にみせて、それがカッコいいとかセクシーだとか 素敵とか思わせてナンボというところがあります。 >楽しみや自分の美的センスの表現の一部と考えていいのでしょうか。それとも違ってできるだけ排除すべきなんでしょうか。 どんな服もその服を着てあることを行うことで、思い出がより豊かに なることがあると思います。美的センスに自信があるのなら表現しても いいですが、多くは失敗します。なぜかというと人はあたまの中で 服の組合せを考えて服を買う。しかし実際に着てみるのは家にある服と 買った服。それは微妙に違っていたりします。 かっこいいコーデをマル真似するすることから初めて、コーデの法則性 をつかむと、前衛・保守に関係なくカッコいい着こなしを作りやすく なります。美しい着こなしを自分で創造できるのは才能のあるデザイナー やプロのスタイリストだけです。 彼らはそれなりのトレーニングの結果そういう技能を身に着けて います。彼らの技術を盗まない手はないです。 それでも、自分の美意識は表現できます。 服飾は一種のお稽古事です。自己流でやってもいいけど、一通り 基本は身に着けておく方がより創造性を発揮できます。

noname#209756
質問者

お礼

ありがとうございます。 菊池武夫さんの服についての3つの理解など参考になるお話ばかりです。 前衛的なもののほうが長く使えるというのはおもしろいです。 おけいこ事。意味分かります。 こういう意識であれば、コーディネートがうまくなるかもしれません。 服って確かに記号ですよね。 本当にありがとうございます。

その他の回答 (2)

noname#184677
noname#184677
回答No.3

「衝動」の意味がつかみかねて、変な回答を書いてしまいました。 着たいという衝動は、お洒落の出発点です。問題はその服をどう組み合わせて着るか だと思います。 それには服に対する理解と解釈が必要です。 家で身に着けて満足しても外に着ていけなかったりする服が少なからずあります。 さすが、60歳近い今は「妙な服」は持っていませんが、常に、自分に似合うか それを着てどこにいけるかを考えて服を選んでいます。

noname#209756
質問者

お礼

いえ、いろいろありがとうございます。 家で着れても外で着れない。 そうですね。 ご回答ありがとうございます。

  • IRONMAN2
  • ベストアンサー率22% (2/9)
回答No.1

共通に影響する”刺激”と解釈して一部と考えるべきだと思います。

noname#209756
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。

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