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自分がしたいことがわからなくなりました
私はこの春大学を卒業し ご縁があり,地元近郊の全校生徒約400程度の中学校で 1年生の社会科の講師として勤務させていただいています。 常勤講師ではありませんが,自分の教科以外に校内分掌や 道徳の補佐や総合の補佐,掃除・昼食指導など常勤講師に近い勤務をさせていただいています。 そのおかげもあって,定時より4時間は学校にいて仕事をしています。 今のところ勤務時間については不満や苦痛はありません。 クラブ活動の指導はないので休日が休みなのが救いです。 大学時代は,積極的に学校のボランティアに参加し 特別支援学校や小学校,中学校でアシスタントのような仕事もさせていただきました。 教職課程の中でも,大学の先生から紹介していただいたセミナーや講演会に参加させて 頂くなど,教員を志す熱意はとても強いものがありました。 これらの経験もあり,卒業後に講師のお話を頂き とてもうれしく思い,やりがいに満ちていたのですが 6月を越えたあたりから,自分の方向性を失ってしまいました。 そのころから,生徒との関わりの中で 特定の生徒から呼び捨てにされることや,掃除などに行かない生徒への声かけに対する反発などで 自信を失ってしまいました。 とくに辛かったのは,授業内でクラスの半数が騒がしくなる際,手に負えなかったことです。 大声を出すと静かになるのですが,そこからチクチク言葉の攻撃を受けます。 そのころには職員室で教材研究をしているときふと涙が出てきたり 帰り道で車ごと転落して自殺してしまおうかという考えがよぎったこともあります。 先生方や支援員の先生方も普段から授業時など見回りに来てくださっていますが 私の授業以外でも落ち着きがない生徒は多い印象があります。 現在は夏休み中で研修と生徒の登校日が勤務日となっていますが 先日の登校日でも生徒からの反応は変わらず,それをみた生徒が真似をしているといった状況です。 今の私の心境から,生徒と正面から向き合えていないのが自分からでもわかるくらい4月のころの自分とは違っているところが多いと感じています。 また,プライベートでも気になっている人とうまくいっていないことが精神的に不安定さを増しています。 しかし,授業は手を抜きたくないので教材研究を行い,先生方からのアドバイスを頂くなど 任期の1年間は授業づくりはしていきたいと思います。 また授業では,授業のアンケートや定期試験前の対策プリントなどをつくっており 少しでも生徒の意見を反映していきたいと努力しているつもりでいますが 最近は,卒業した母校で事務職員の募集がないか,近くの自治体の役場の事務募集に願書を 出しているなど 自分がしたいことがわからなくなっています。 採用試験もいい結果が得られず 2学期からが精神面的にも将来的にも不安で仕方ありません。 来週お休みがあるので 母校の大学でお世話になった教職課程の先生方にも相談しようと思うのですが ここでも何かアドバイスを頂くことはできませんか。 やりがいがあることはわかっていても 大学時代からの熱意が薄れているのが悔しくてたまりません。 よろしくお願いします。
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- obrigadissimo
- ベストアンサー率23% (1613/7000)
学級崩壊が始まりつつある、といった 状況ではないでしょうか。原因は 質問者さまの魅力を感じない授業展開や 接し方等にあるかと思われるのですが……既に、 お心が違う次元に動き出しているのですから詳細は 省略します。で、 私のおススメは、塾講師などになることです。 あるいは、 不登校、高校中退者、勉強が遅れている子どもたちに、 勉強を教える公的なシステムに参加して、彼等の 熱意や学習意欲を感じながら教えることです。 それが質問者さまの理想に近いのではないでしょうか。 どちらも、1時間もかからずに読めますので、 杉山奈○子『偏差値29の私が東大に合○した超独学勉強法』 「『奇跡の教室』 エチ先生と「銀の匙」の子どもたち」 を図書館などで読んでみませんか。 質問者さまのこれからの展開を含めて、非常に 参考になると思いますよ。 役所の職員になる等は質問者さまの自由ですが、 幻滅や失望しないように、進めてください。 Good Luck!
- hdai
- ベストアンサー率64% (11/17)
現役教員からアドバイスです。 あなたの周りにいる先生たちも程度の差はあるものの,みんなあなたと同じような経験を乗り越えてきたということです。逆に言えば,この程度のことを乗り越えられなければこの職業は続けられないということです。 ところで,母校の事務職員や自治体の役場の職員は教師のような経験をしなくて済むのでしょうか。 私は教師以外の仕事を経験したことがないので分かりませんが,きっとその職業なりに乗り越えなければならない試練があるのだと思います。つまり,教師を辞めたらかといって今よりもよい世界にいけるわけではないと思います。 あなたにとってのもっとも強力でよく効く精神安定剤は,教師を続ける覚悟を決め,つらいことにもひたすら耐え,教職に邁進する決意を固めることだと思います。あなたも教師なら,逃げ道を準備しながら続けられるほど甘い職業でないことは分かっているのではないですか。 さあ,周りの人にいろいろなアドバイスをもらうのは直ちにやめ,今すぐ2学期の準備に取りかかることをお勧めいたします。
- TANUHACHI
- ベストアンサー率31% (791/2549)
No.3です。少し時間を置きましたが、落ち着きましたか。前回は少し強い言葉を使いましたので、今回は優しめに行きます。 質問者様がナイーブな方であることは文面からも解ります。そして教育に関する一応の理解もお持ちであることも解ります。 がしかし、ここからが問題です。敬愛するネコの先生をはじめ、現場経験の豊富な先生、そして院生活の間に非常勤で現場に携わった方々からのアドバイスをどの様に受け止めたかが問題です。 大学で学んだ教育方法や教育学どおりの現実はどこにもありません。否、最初から「ない、と考えた方が正解」といえましょう。 あそこで学んだテキストは何れも現在の状況を反映しているといえるでしょうか。斎藤喜博にしても綴り方教育にしても或いは水道方式にしても、ある意味「それぞれの教育者が理想とする実践」の結果です。そしてこの実践すらも「その当時の状況を踏まえたもの」であることから、それらをそのまま現在に転用できるかとの問題もあります。 根本的には「動機付け」に収斂される問題ですが、その動機付けを「どの様に自分の形としてアレンジするか」によって、参考にはならない場合も十分にあります。 孔子の考え方と老子の考え方を比較すれば一目瞭然です。孔子は「理想とするあり方」に対して「理想を実現するには自らも理想的であらねばならない」ととても窮屈な考え方をするのに対し、老子は「先ず、自身の現実を素直に受け容れ、できることをする」との考え方を採りました。簡単に言えば、孔子は学校秀才的なスタートであり、老子は普通を起点とする。全員が全員、同じ方向を向くなどと人間が雑多な集団であることから考えれば、孔子は「人間」を買い被っているともいえますが、老子は「そんな理想の形ばかりがあるはずなどないじゃん」とあっさりした考え方です。だから両者の考え方として「動機付け」を考えた場合、に例の言葉が生きてくることにもなります。 「馬を水辺に連れて行くことは簡単にできても、馬に水を飲ませることはさほど容易な仕事でもない」。恐らく質問者様の目に映っていたのは「自分に似た形の生徒」だったのでしょう。けれどもそれはあくまでも表向きの形であって、生徒達は「相手が自分達をどう見ているか」を観察していた。その観察期間が過ぎて、そろそろ本音を確かめてみようかとの段階が6月くらいで、それを見抜くことができなかった質問者様よりも生徒の方が上手だった。 つまり質問者様は6月以後にいわゆる「五月病」に陥った状態です。新たに大学の門をくぐる中にこうした学生が時としていることも僕を含め先の回答者の方々も経験済みです。 心療内科の手助けを借りたとのことですが、対症療法では本質的な部分を解決できるとも考えられません。あなた自らに課せられた十字架です。今後も「プロ」として教育に携わっていくならば、今の貴方がなすべきことは「自らと向き合うこと」そして「与えられてきた理想像を自分の力で組み直していく逞しさ」が欲しいと僕は思う。 餞にこんな言葉を贈らせていただきます。司馬光の『資治通鑑』の一節ですが、こうあります、「経師易遭 人師難遇」。ノウハウや即効性のある方法を教えてくれる人物は多々いるが、物事の本質を見る方法を教えてくれる人物は中々にいない。貴方にとっての人師は「貴方の目の前にいる生徒さん達」です。一朝一夕に適う道ではありませんが、一歩一歩とご自身の足下を確かめながら、そして疲れたら時々は一息入れつつ歩いてきた道程を振り返ってもいいじゃありませんか。前だけを見て歩くのが目標に近づく方法ではありませんよ。時には道草を食って、それが引き出しにもなることもありますから。僕など道草だらけの人生で、大学では「よろず悩み相談室のおっさん」であり、企業では怒れる現場監督ですから。
- Nakay702
- ベストアンサー率79% (10024/12548)
40年間ほど大学に関わってきた者です。大学院在学中に5,6年間中学・高校の非常勤として英語科目を担当したことがありますので、おもにそのときの経験を振り返りながら申しあげます。 質問者様は、きっと、恵まれた教育環境に生まれ育った、素直で誠実な方なのだろうと文面から拝察します。それだけに、 >特定の生徒から呼び捨てにされることや,掃除などに行かない生徒への声かけに対する反発などで自信を失ってしまいました。とくに辛かったのは,授業内でクラスの半数が騒がしくなる際,手に負えなかったことです。大声を出すと静かになるのですが,そこからチクチク言葉の攻撃を受けます。 というようなことに人一倍苦悩されて、心身ともに疲労なさるのだと思います。 確かに、目を輝かせて先生の説明に聞き入る生徒ばかりじゃありませんよね。4月のころは、そんな場面を想像しながら赴任なさったのかも知れませんね。そして、そういう生徒さんならば、質問者様は誠心誠意対応なさるに違いないのだと思います。しかし考えるに、中学1年といえば、ちょうど第2反抗期じゃないですか。そのようなワルや反抗的な言動は極めて普通にあり得ることでしょう。いやむしろ、その方が「健全な振る舞い」と言えるのかも知れません。 「人間は、人間に生れるのではない。(野獣に生れて)人間になるのだ」と言われますね。そして、教職という仕事は、ある意味、「野獣に生れて、人間になる」過程のお手伝いとも言えるのではないでしょうか。もちろん、自分自身も「人間になる」過程中にあるのですから、いわば「一緒に成長する」わけですが。 当然ながら、彼らにも彼らなりの苦悩があり、感情があります。ご自分の教科目を進めながら、彼らの目線で対話をし、その苦悩を理解し、共感し合うように工夫なさることをお勧めします。それがまさに、「共に生きる・共に人間になる」プロセスなのだと言えるでしょう。教科目のノルマを気にするあまり、授業進行の妨げになる言動を押さえ込んだり、無視するという、(彼らから見ると最低の行為を)つい犯してしまいがちですが、彼らの反抗を拒絶するのでなく、それをよく聞き、理解し、受け入れ、どう導くかが大事だと思います。 お偉い筋からのお達し、「指導要領」は準拠すべきでしょう。しかし、すべてそれだけではさびしいですね。必要とあらば、無視するくらいの図太さも持ち合わせるべきでしょう。考えようによっては、彼らの反抗があるときがむしろ「ある種の和解や共感のチャンス」でもあります。そういう考え方、心的態度を持つことをお勧めします。「心の琴線に触れる」と言いますね。それがポイントだと思います。そうすればきっと彼らはそれに応え、成長する姿を見せてくれることと思います。ぜひ、「その成長ぶりを楽しむ」ようにしたいものですね。 >そのころには職員室で教材研究をしているときふと涙が出てきたり 帰り道で車ごと転落して自殺してしまおうかという考えがよぎったこともあります。 ⇒お若いのですから、一瞬そんな気持ちになることも理解できなくはありません。しかし、死んだら何もできません。人間、死ぬ気になれば、つまり、開き直れば、かなりのことができます。「よし、これをやってみてからでも遅くはない」と考えて、どうぞ一頑張りしてみてください。 要点を繰り返しますが、大声で怒鳴ったりして彼らのワルを拒絶するのでなく、それを一旦受け入れて、同じ高さの目線で対応する、時には一緒に騒ぐことがあってよい、一方的に教えるのでなく、対話し、話題を提供し、関心を誘い、興味をそそらせ、反応を引き出し、ともに考え、意見交換する。心のたくましさ・度量を広く持ち、つねに「一緒に楽しむ」つもりで授業なさることをお勧めします。 「求めよ。さらば、与えられん」という言葉がありますね。インドのマハトマ・ガンジーは言ったそうです。「我々への報酬は、結果でなく努力にある。全き努力は、完全なる勝利である」と。プロセスが大事、ということでしょう。問題の解決や理想への到達を願って、それを求めて、飽くことなく努力すれば、必ずやいずれ「なぜこんなことで死にたいなどと考えたのだろう」と思えるようなときがやってきて、「何らかの、自分なりの到達感」が得られるに違いないと思います。 以上、ご回答まで。どうぞ、質問者様のご健闘をお祈りします。
あはは。TANUHACHIさんから喝が入りましたね。セクハラになるのでさすがに「キンタマ」は書きませんでしたが,「なめられる」とか「厳然と」というのはその婉曲的表現です。ぼくの回答を真に受けて,内申点で報復するような人物にもぜんぜん見えませんでしたし 笑。でも,そんな発想は夢にも得なかったでしょう? あなたの問題点は,たぶん指導法とかではなくて,人格ないし行動パターンが「ひ弱」なところです。「まじめ」だけじゃだめな世界であり,いくらかワルで毅然としていないと動物集団※は制御できず,指導者はつとまらないと思いますね。生徒はそれを的確に見抜いて行動しているし,そんな頼りない彼氏ならぼくだって見限る。ぼくも大学教員だけれども,「きさくな温情家だが,なめてかかると恐いプロフェッサー」の威厳は身につけています。 ※ヒトだって動物だ。「教育心理」じゃ習わなかったろうけど。 あなたが自分自身を,年季を積んでどうなるものでもなさそうだ判断したら,おとなしい事務屋になったほうがいいでしょう。
お礼
回答ありがとうございます。 ひ弱なのはご指摘の通りだと思います。 自分でもここまでひ弱だったかなと考えると虚しくなります。 いきいきとした大学時代や野球部に勤しんだ中学・高校と比べると格段に意欲が落ちてきています。 なんとかして改善し,社会に貢献できる人間になりたいと思います。
- suzuko
- ベストアンサー率38% (1112/2922)
#1です。お礼ありがとうございます。 >私の生徒との接し方は,優しすぎると他の生徒から言われています。きつく言わないといけないところが甘いのだと思います。 う~ん。それは「なんだか違う」と、20年の経験から思うのですが… 先生にも色々な人がいます。持ち味は様々。生徒への接し方も様々。 ただ、学校と言うのは人の集まりです。 多少、対応が違っても、向かっている方向が同じならば、反発は起きません。 周りを見てください。全ての先生が「きつく言っている」のですか? 「優しい言葉」で「毅然と」接する先生はいませんか? 実際、生徒は先生の「余裕」を見抜きますよ。「あ、いっぱいいっぱいだ」とか「まだ、話を聞いてくれるな」とか。 >大声を出すと静かになるのですが,そこからチクチク言葉の攻撃を受けます。 それはそうでしょう。まず、あなたが「大声」と言う攻撃をしたのですから。 「静かにしない」のは「あなたの声が小さくて、聞こえないから」だったのではないでしょう? 攻撃すれば、相手も可能な手段で攻撃し返します。 ですので、相手の攻撃に乗らず、スルーするか(まぁ、よくある対応ですが) 初めから「大声」という攻撃をしない。(これはもっと技術のいる方法です) >そのころには職員室で教材研究をしているときふと涙が出てきたり 真剣に生徒と向き合う教員ならば、誰もが1度は経験します。 それだけ、あなたが真剣だということです。 その「悔しさ」を「どう、生徒への対応で変えていくか」は、あなたの教師としての姿が変わります。 ぜひ、視野狭窄にならない方法を選んでください。 期待しています。
お礼
生徒には伝わっていると思います。 ただ,廊下で出会う生徒からは「今日社会ないんですね。残念です」などと声をかけてくれるのがうれしいことだと感じているのですが 正面から向き合えていないのが伝わると,そのような生徒もいなくなってしまうだろうなと感じています。
- TANUHACHI
- ベストアンサー率31% (791/2549)
ご質問を拝読しての僕の第一印象ですが、諮問者様は「演じて」いませんか?。こう言えば言葉は良くありませんが、質問者様がこれまでの人生で「八方美人」を演じ続けてきていて、そのトータルな灰汁がここに来て一気に吹き出してきた形に見えます。 >大学時代も積極的に学校のボランティアに参加。これも「誰のために参加したのか」との本音を想像しますと、指導教員に対する印象を良くするためなどの下心があったのかもしれませんね(もし、お気を損ねたのなら申し訳ありませんが)。でもそうした下心があってボランティアに参加したのであれば、それはボランティアとして接する相手に対して少し失礼ではないのでしょうか。 そしてこれまで何の躓きもないままに学校生活を終えてきたのならば、公立学校のように様々な学力レベルの生徒がいる学校には質問者様は向いていない可能性もあります。 学習進度に遅れのある生徒に基準を置いてしまえばより理解度の高い生徒からは不満が寄せられ、逆に理解度の高い生徒に基準を置いてしまえば、落ちこぼしなどと非難もされてしまう。こうした場合に貴方は「どちらにもイイ顔をしようとする」だから、どちらからも信用されなくなってしまうなどの悪循環に陥ってしまう危惧もあります。 どうでしょう、予備校や進学塾を一度覗いてみませんか?。こうした場所は「受講者が主体的に目的を持って通ってくる場所」ですから、教材作りも相手の進度を常にチェックしての一対一の形に近いものがあります。そして相手をするのもプロのアドバイザーですから、受験に特化することもできます。だから逆にプロであることもできる。そして「できなければ何度でも同じ教材を使用して、できるまでやらせる」。ここが「公立学校」との最大の違いです。公立学校には学習指導要領の縛りがあり、これに沿った形で年間のプログラム編成および授業構成を立案する。だから丁寧にやろうとすればするほど時間不足になることなど火を見るよりも明らかです。 そして、気になったことがあります。貴方の文章には「これまでお世話になった人達」に対する視線はありますが、教室にいる生徒さんに対する貴方の目線はどこにも見られない。生徒さんからの視線を感じるとの感想はあっても、貴方自身どこにもいないのです。それは貴方がこれまで歩んできた人生そのものであるとも僕は思う。 そして同じ男として一言。 でかい金玉付けて、しかも将来を共にしようとする相手がいながら、何と情けない話をしているのだ。そんなことだから女にも逃げられてしまうのだ。 職員室で一人涙を流しているだと?。それを聞いた誰が助けてくれるというのか?。それで生徒に対して恥ずかしくないのか。現場に出たら、貴方も「先生と呼ばれる立場」にあるのだ。だったら褌の紐を結び直して出直すか、それとも学校を去るかの何れしかない! どうやらこれまで挫折を味わったことのない様子でしたので、少しばかり叱り飛ばしました。僕も大学で教育実習のための担当を経験しましたが、ウチの大学には貴方の様にロボット的な学生がいなかったことが幸いです。自身の脚で歩いていくことを考えましょうね、坊や。
お礼
回答ありがとうございます。 ボランティアに対して下心があったかと言われれば 100%ありませんと言える純粋な人間ではないので 自分の中で,大学時代に教職に関して熱意をもってやってきたぞという誇りにしたかったのかもしれません。 高校は工業高校で,教職に対するやりがいにひかれ,印象に残っていた社会の先生を目標に社会の免許を取得できる大学に進学できたので,大きな挫折は確かに味わっていません。 それが,おっしゃられた通り,自分の精神面の甘さ頼りなさにつながっているのだと感じました。
ひとことでいえば,「新米としてなめられている」ということでしょう。だから,新米でも職務権限を行使できることを,厳然と示してやればどうですか。すなわち,内申をボロクソにして,底辺校にしか進学できないようにする。3年生になって後悔しても後の祭りで,大人を怒らせると恐いことを思い知る。
お礼
回答ありがとうございます。 それをやってしまう指導は私には向いていないと思います。 ただ,自分の精神面の醜さは改めてわかった気がします。
- suzuko
- ベストアンサー率38% (1112/2922)
支援学校教員です。 文面から「大変まじめな性格」の方かと… 今は非常勤講師ですよね。では、他の職業で短期バイトを経験してみてはいかがですか? 強制的に、気持ちを変えるのです。 >やりがいがあることはわかっていても大学時代からの熱意が薄れている それが、あなたの「心の奥の声」では? 多分、とっても疲れているのですよ。正教員ならば「休職」という手がありますが、講師の場合、難しいでしょう。 また、あなたの性格からして「辞めてしまう」のは不本意でしょう。 だから、今までつこうと思わなかったような職業で、短期間だけ働いてみてはいかがですか? それは、あなたが将来、正教員になった時にも「大きな力」になる経験になるでしょうから。 そして「何故、生徒が呼び捨てにするのか」「注意に反発するのか」を、教師の視点ではない、生徒からの視点や他の大人の視点で見れるようになると思うのですが… ご参考までに。
お礼
回答ありがとうございます。 書ききれていなかったのですが,私の親戚周りにも教育関係者が多く,私が正教員になることを期待してくれている部分が逆にプレッシャーになっていたりもします。 いろいろなことが起こりすぎていて まったく対応できていない自分が悔しくて逃げてしまいそうです。 私の生徒との接し方は,優しすぎると他の生徒から言われています。きつく言わないといけないところが甘いのだと思います。 とりあえず,命は大切にしたいと思います。 夜分遅くの回答ありがとうございました。
お礼
回答ありがとうございます。 たくさんの方々に良くしていただいたおかげでここまでこれたことは事実です。 なんと打っていいのかもわからなくなりそうですが 良くも悪くも生徒に対して正面からぶつかれる人間になれるよう努力したいと思います。
補足
ここまでで短期間にも関わらず多くの方に回答を頂きまして ありがとうございます。 どうしても自分の中でおさまりがつかず 心療内科を受診しまして,抗うつ薬?(アモキサン,パキシル)を処方して頂きましたので 少しでも意欲が増していけたらいいかなと思っています。