アニマルコミュニケーションって信じますか?
その日、私は愛犬が度重なる病に苦しんでるのを見る辛さと不安に耐え切れず
動物病院で安楽死を申しでていました。
しかし安楽死とは口で言うほど簡単なものではなく
サインまでしたのに土壇場で連れ戻してしまいました。
このやり場のないどうしようもない気持ちをどうすることもできず
次の瞬間、志村どうぶつ園のハイジみたいに、動物とコミュニケーションがとれる方に
緊急セッションをお願いしていました。
即、愛犬の写真を送って愛犬と交信。
すると・・・
僕、お姉ちゃん(愛犬は私のことをそんなふうに呼んでるらしい)が思ってるほど辛くないよ。
辛くて死にたいなんて思ってない。
でもお姉ちゃんが辛いなら本意じゃないけど終わりにしてもいいよって・・・
もう少しで私は過ちをおかすところでした。
では15年間幸せだったかどうかを愛犬に聞いてもらったら
僕はすごく努力したよ!
でもあんまりわかってもらえなかった…
私との意志の疎通が難しかったことをひたすらイメージで伝えてきたと・・・
すごくショックだった!!!
50個近い単語を理解していた愛犬!
いつもいつも私の顔色を伺い、愛犬は私の指示を仰ぎ、はしっこというと端によけ、
渡ってというと渡り、走ってごらんというと走る…
おもちゃをキュツキュッとならしてごらんというと得意げにキュッキュッと
“よ~い”というと構えて“ドン”でおもちゃを取りにいく。
“もうちょっと”というともうちょっと動いてくれたり、食べてくれたり、
“あとで”というとがまんしてくれたり・・・
イエスのときはくしゃみで“くしゅん”と応えていたし
わからないときは首をかしげる。
かわいい子ね~っていうと妙にはしゃいで外に行きたがったのも
愛犬には『川、行こうね~』と聞こえていたらしく
言葉に関してはほんとによく理解してくれていた。
愛犬はたくさんの言葉を憶え、まるで人間なんじゃないかと錯覚するほど
どこへ連れてっても私の思う通りにふるまってくれた。
だから時々ほんとに犬だということを忘れてしまって
なんでこんなこともできないの!とイライラすることもあった。
愛犬はずっとずっと努力してくれてたのに…
毎日がピクニックで思う存分走れて愛犬は世界一幸せだと思っていた。
それは単に飼い主のエゴだったのかもしれない。
愛犬はもっと自分のことをわかってほしかったのだ!
愛犬が生きてる間にわかってよかった。
15歳となった今はごく当たり前の簡単なことができなくって
信じられないことがたくさん起こる。
数々の病にも苦しんでる愛犬に今度は私が耳を傾け、
優しく声をかけ最後まで見守ってあげよう☆彡
一時は手放そうと思った命、残されたわずかな時間ー
そんな宝もののような時間を今、大切に過ごしています。