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最近の教科書に士農工商が載ってないって本当?
- 最近の社会の教科書には江戸時代の身分制度の士農工商が載っていないと聞きました。
- サムライは政治を行い、統治をおこなうから身分制度の上位に君臨し、農民は過酷な労働に耐えて国家の基幹経済を支えるから第二位になるはずでしたが、最近の教科書ではそう教えられていないようです。
- 教科書では士農工商の身分制度について誤った情報が載せられていたようです。
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こんばんは夜分に失礼します。これは昔の教科書が主として「国家の枠組み」に主眼が置かれていたとの理由からであり、職業上の身分階層は制度とは異なります。身分階層は分かり易くいえば、職業上の区分や分類とのことであり「社会学」でいうところの「階層」と同義です。 一方の「支配と被支配の関係」を示す概念は、経済学での「階級」になります。端的にいえば「富を持てる者と持てない者」の関係といっても差し支えはありません。 さて「江戸時代の身分制度」ですが、これは職業とは全く関係ありません。武士は食わねど高楊枝などの俗諺が語る様な職業間に差別があったとの印象をお持ちかもしれませんが、少数の事例以外はありません。 ここで「少数の事例」といったのは、卑賤の身分として動物の解体作業や死体の埋葬処理に従事していた階層の人々のことであって、彼等とそれ以外の農民も手工業者も商人間では区別があるものの、士農工商などの職業間にはインドのカースト的身分制度はありません。 こうした卑賤の身分に属する者を江戸時代以前では河原者などと呼んでいますが、この中には藝能に従事する者もおりました。その一つに大和四座と呼ばれる能楽集団があります。能楽を大成したとして知られる観阿弥・世阿弥父子もその一人でした。 もし質問者様が中学校や高校の教科書で「大塩平八郎の乱」との言葉を目にしたら、こうした「身分制度」との関係をどの様にお考えになるでしょうか。町人の困窮に対し武士階層が幕府に叛旗を翻すなどと、どう説明されるでしょうか。 また「鎌倉幕府の成立年代」に関しても、「鎌倉幕府って何?」と定義付けの仕方によって、幾つかの説があることも自然です。以前の1192年説は「源頼朝が征夷大将軍に任ぜられた年」のことであって、それだけでは「幕府というものの性質」を説明することにはならない、との見解から現在の教科書では「1185年」を一先ず記した後に、欄外等に「他にも幾つかの見解がある」として複数の見解があることを表示しています。 これは「歴史認識」の問題であって、何れが正しいなどの二分法では結論づけることのできない問題です。「大化の改新」といえば一般には「乙已の変」の殺戮事件を指しますが、日本史学では「一連の改革」を示す事象ですので、645年を大化の改新とは呼ばないことになります。
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- tyr134
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最近の研究では,江戸時代に士農工商という身分制度など無かったことが分かってきたから削除されたものと思います。 一般に流布されているように,江戸時代に士農工商という身分制度があったわけではありません。 あえて分けるなら町人と農民くらいです。 さらに細かく区別したいなら,商業を生業としてるものを商人,工業は職人,侍さんは公務員ですね。 当然,職業による貴賎はありませんでしたから,侍さんも町人も農民も同じ身分です。 事が後先になりましたが,ここで言う貴賎というのは社会制度的・法律的な意味での身分制度ということです。 つまり,社会制度や法律による身分制度はありませんでした。 ※但し,穢多非人という差別された人々もいたので,完全に平等だったとは言えませんが。 では,何故いままで教科書には「士農工商」が身分制度であったと載っていたのかですが,端的に言えば誤解です。 もともと士農工商というのは儒教において,社会を構成してる人々を単に分類しただけのことです。 士農工商が身分制度だと誤解されていたのには以下の理由であると推測されています。 明治時代に西洋の身分制が流入し,それに感化されて士農工商という身分制度があったと誤認していたのではないか。 そしてその根拠として,豊臣秀吉による太閤検地や刀狩,それを更に進めた江戸時代の兵農分離制度があります。 一見すると,今で言う軍事警察権力である兵(侍)と農民を明確に分け,さらに刀狩で反抗できなくしたと見えなくもないです。 ただ,実際は反対で江戸時代の比較的平和な時代になると,武装する必要が無くなります。 武装する者が減ればそれだけ治安も維持しやすくなります。 しかも,天下統一でお隣の藩と戦争なんて起きにくくなってます。 戦う機会が無ければ,剣豪と言えどもお払い箱です。 実際,没落していく武家も少なくありませんでした。 つまり,実証的に研究してみると,思ったより農民は豊かな暮らしをしていたし,侍には没落するものも多く,特権階級を認めるような制度は存在していなかったということが分かってきます。 さらに,そういった身分制度を定めた法律も見つかっていません。 ということで, >農民は過酷な労働に耐えてコメを作り、国家の基幹経済を支えるから他の三身分よりも優位の第二位に。 >職人は自らの腕でモノづくりをするから第三位に。 >商人は自分では何も生み出さず、農民、職人の作った物を右から左へ流すだけで手数料を稼ぐだけの卑しい職業だから最下位の身分に。 は完全な誤りだったということですね。 歴史では,定説がひっくり返ることが屡々おこります。 だからこそ,歴史は面白いだと思います。 ではでは、参考になれば幸いです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 間違いだったんですね・・・ サムライの「切り捨て御免」も本当は無かったんでしょうか? 大名行列が通ると庶民は土下座して挨拶し、前を横切れるのは産婆だけ、ってのもウソ?
- izuhara
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1185というのも正しいわけではありません(むしろ一番根拠が弱い)が・・・正確には1185・1192をふくめて六つぐらいの学説があり、決着を見ていません(というより、鎌倉幕府の定義が人それぞれですので、決着することはないでしょう)。 士農工商という身分制度が江戸時代に存在していなかったことが研究の進展で明らかになりましたので、おっしゃるような身分制度の認識は現在では間違いだったといえるでしょう。 士農工商とは職業区分であり、身分を表したものではないのです。
お礼
ありがとうございます。 職業であって身分ではないんですね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 ふーん、では今後は「士農工商」と口にしたら古い教育を受けてきた人間だ、といわれてしまいますね。 時代劇なんかも作り方が変わってくるのでしょうね。