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『事実』と『真実』のちがいについて

ある人に『事実と真実の違い』について説明されたのですが 自分には理解できませんでした。 事実と真実をベン図で表現することは、可能でしょうか? ベン図で、考えていましたがうまく理解できません。 自分は、 事実と真実がちがうことは、なんとなくわかります。 (大辞林でしらべました。) 事実でありかつ真実であることが、存在することは、わかります。 真実であって、事実ではないことがわかりません。 あるとすれば、なにか例は、ありますでしょうか? わかる方がいたらわかりやすく説明をしてほしいのです。 よろしくおねがいします。

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  • Zz_zZ
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回答No.7

つまり、ある人々にとっては、 「神は存在する」 は、 真実であり、かつ、事実で有り、(盲目的に信じる) 真実だが、事実ではなく、   (神を信じるが、(物理的)存在は信じない) 事実だが、真実ではない    (?) ですが、真実でも、事実でもない(と個人的には思っています)こともあります。 _____________________ 命題:神は存在する  A:事実  B:真実  C:真実でも事実でも無い(全否定)   _________ /         \ |          | |  / ̄\/ ̄\   | | |  /\  |  | | |A \/B |  | |  \_/\_/   | |C         | \_________/

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質問者

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Zz_zZさん、ご回答ありがとうございます。 真実でも事実でもない全否定というのは、必要ですね。 全否定は、かんがえてもいませんでした。 わざわざ、ベン図を書いてくださってありがとうございます。

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  • Zz_zZ
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回答No.6

少なくとも、「事実」は、「証明」されなければなりません。 「真実」は、誰かによって「証言」されなければなりません。 事実:証明された事       (誰によって?誰が認めた?) 真実:事実だと信じらた(る)もの (誰によって?誰のための?) 正義:正しいと信じられた(る)もの(誰によって?誰のための?) 神 :神様           (誰にとっての?) これら全ては、相対的なものです。 事実は一つ 真実は一つ 正義は一つ 神は一つ は、全て間違っています。 事実は2つ(以上)あり、 真実も2つ(以上)あり、 正義も2つ(以上)あり、 神も2つ(以上)有ります。 例えば、戦争において、双方が、 「真実」と「正義」と「神」の名において殺戮を繰り返します。 双方に、同時に「真実」と「正義」と「神」が存在する以上、 それらが2つ以上有る事は明らかです。 「新しい歴史教科書を作る会」にとっての「事実a」「真実a」も その他の「事実b」と「真実b」と同時に存在しています。 ベン図で書けば、「事実A」も「真実B」も、それを信じる者・証明 する者によって大きさが変化し、それぞれが一部重なり合ってい る普通の図になるしか有り得ません。(1つが他を包含する図は 出来ません。) 事実であるが真実でない A not B 真実であるが事実でない B not A 事実であり真実である  A+B   ←(いわゆる万人が認める事) ------------------------------------------------ 「真実」であって「事実」でない事は、 神は存在する。

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質問者

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Zz_zZさん、ご説明ありがとうございます。 2行目の真実はだれかによって証言されなければならないという誰かは、 その本人でもよいのでしょうか? 第三者が証言しなくてはいけないでしょうか? 戦争の話の例は、わかりやすかったです。 たとえば、世界で今仮に、全部の国で戦争がはじまったとしたら その国の数だけ、真実も、事実も存在するということですね。 だとすると、事実というものも、世界共通認識ではない場合ということも 考えてもいいということですね。 わかったようなきがします。 >ベン図で書けば、「事実A」も「真実B」も、それを信じる者・証明 する者によって大きさが変化し、それぞれが一部重なり合ってい る普通の図になるしか有り得ません。(1つが他を包含する図は 出来ません。) ベン図でかくことは、たぶん、間違っていたということに 気づきました。ベン図でかいたとしても、それをみんなで共有するのは、 意味がないし、不可能なことだということですね。 >「真実」であって「事実」でない事は、 神は存在する。 よくわかりました。 お忙しい中、ご回答ありがとうございます。

  • PEROYON
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回答No.5

個人的意見で恐縮ですが、 真実=本当の事、真相。 事実=一般に認知された結論、結果。 かなと思っています。 例えば、冤罪の人が自分は罪を犯していない事は解ってお り(真実)、しかし冤罪だと知らない人々にはその人は犯 罪者な訳(事実)で、この場合は事実≠真実になると思い ます。 よく新聞は事実を伝えるが、真実は伝えていないと言われ るのも、そんな所かなと思っています。

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質問者

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PEPOYONさん、ご説明ありがとうございます。 冤罪の人が、自分が罪を犯していないということ=真実 冤罪だと知らない人は、犯罪者として認識する。=事実 そうですね、心の中というか見えてない部分(犯罪を犯した瞬間)を 犯人以外の人は、しるよしがありませんですね。 新聞は、事実を伝えるのが目的であって、真実を伝える目的ではないのかなと ふとおもいました。 新聞がもし、真実をつたえようとしたら、その日あったニュースをすぐに 印刷することは不可能になるのでは? ちゃんと、本当はどうだったのかを詳しく調査してから 記事にしなくてはいけなくなるから。 ちがっていたらすみません。 お忙しい中、ありがとうございます。

  • ymmasayan
  • ベストアンサー率30% (2593/8599)
回答No.4

この話にベン図ですか。ちょっと考え込んでしまいました。 事実と真実のギャップといえばやっぱり、暗い話になってしまいますね。 レ・ミゼラブル(ああ無情)の人のために盗みをする話、正当防衛での殺人など犯罪人=善人という図式がそのように見えるという気もするのですが。 真実=善人、事実=犯罪人 また、時間の要素も無視できません。 100年後の人類を考えた行動(考え方)は真実でも、現代人に採っては暴挙と移る事実かも知れません。 なんだか、事実と真実は物差しが違っているような気がしてきました。 感想で説明になっていませんでした。ごめんなさい。

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ymmasayanさん、ご説明ありがとうございます。 この問題を、ベン図でかんがえるのは間違っていたような気がします。 >レ・ミゼラブル(ああ無情)の人のために盗みをする話、正当防衛での殺人など犯罪人=善人という図式がそのように見えるという気もするのですが。 真実=善人、事実=犯罪人 そうですね、そのとおりですね。 時間の要素については、まだまだ考えがとどきません。 でも、おっしゃるように、100年後、100年前などと 考えていくと、その時代時代で、真実や事実はかわるものもあるのかも しれませんね。 でも、何百年も生きれる人が存在するわけもなく どのように違いを認識するのかも疑問になりますね。 >なんだか、事実と真実は物差しが違っているような気がしてきました。 自分もそういうきがしてきました。 そもそも、真実と事実を同じ次元で考えるのは、意味のないことなのかも しれないという気がしてきました。 自分でもまた考えていきます。 お忙しいところ、ご回答ありがとうございました。

  • nobor3
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回答No.3

勝手に自分で思っている事なので、ぜんぜん自信はありませんけど・・・。 事実=客観的に証明可能な事柄に関すること。 真実=主観的なこと。 って感じがします。 例えば、「僕がAさんの事を好きだ」って事は真実なんですけど、誰かに証明することって出来ないので、事実とは言えないんじゃないでしょうか? あと、宗教好きな人が言う「神」も、その人たちにとっては真実なんでしょうけど、他の宗教の信者や無心論者にとってはぜんぜん嘘っぱちなので、事実ではないですよね。 どうでしょうか?

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質問者

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nobor3さん、ご説明ありがとうございます。 事実=客観的に証明可能な事柄に関すること。 真実=主観的なこと。 そうですね、そのように言われるとそんな気もします。 例のお話だと、見えるものではない(Aさんをすきだというきもち) と事実ではない、ということになりますでしょうか? 気持ちをいうことはできますが、証明となると、できないですよね。 真実というのは、そのひとそのひとで、違うということですね。 神の話でおもったのですが、 たとえば、キリスト教を信じている人がいてその人にとって キリストの神(イエスキリストでしょうか?)を真実とするのは、 わかりますが、ほかの無心論者の人でも、ほかの宗教を信じている人でも キリスト教の神様がイエスキリストであるっていうことは、 共通認識なので事実ということになるのではないかとおもったのですが、 違うでしょうか? わからなくなってきました。すみません。 お忙しい中、ご回答ありがとうございました。

  • roam
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回答No.2

ただの自論ですが、 「何か」に対して、みんなが認識しているいる「こと」が、{事実}で 「何か」に対して、当の本人(達)だけしか認識できない「こと」が{真実}じゃないかな、って解釈してます。 たとえば例をあげるとすると… すごく、残虐な犯罪を犯した人がいるとしますね。 そしたら第三者(他人)が報道して、大勢の人が「なんて人だ」と思うでしょう。 その人について「犯罪を犯した」ということしか知らないので、そういう風に見てしまいます。 「こいつは犯罪者だ。サイテーだ」←これ{事実}です。 しかしその人からしてみると、いろいろな出来事があって、心境が変化して そういう行為に至ったはずです。 だだ衝動的に、と言ったって、そうなるその人の過去があったと思うから。 →これ、{真実}です。 {事実}は大勢の人が「そう」思うことで、「そういうことになっちゃう」ことです。 一方、{真実}はその人しか知り得ない部分(気持ち)です。 …と私が勝手に思っていることですから、なんてことはないんですけどね。 というか、例がひどいですね(笑) この例はオーバーなんだけど、こういうことって実際ごろごろしてると思いませんか? 本人がどんなに苦しんでても、大勢が思ってることが事実になっちゃうんです。 私のでいくと、「事実でありかつ真実であること」「真実であって事実でないこと」に あまり当てはまりませんね;; ということは、説明になっていない!(長いだけ) ス、スイマセン;; は~語ってしまった。

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roamさん、ご説明ありがとうございます。 犯罪者の例ですが、犯罪者が最低だというのは、事実および真実(主観)に なるのではないかとおもいました。 最低というのは、罪を犯したという報道をきいてそれぞれの人がおもう 真実ではないかなとおもいました。 >本人がどんなに苦しんでても、大勢が思ってることが事実になっちゃうんです。 自分は、そこがよくわかりません。 大勢の中でも、最低だとおもう人もいれば、しょうがないやつだと思う人も 気の毒なことをしたと思う人もいればさまざまだと思うので 大勢が思っていることが事実になるというのは、違うのかなと思ったのですが、 でも、そういう風に考えていくと、社会的に認識されていることっていうものが 事実と仮定するのも、おかしいことになりますね。 自分もよくわからなくなってきました。 新たな、視点がでてきまして、また考える幅が増えました。 お忙しい中ご回答ありがとうございました。

  • polnareff
  • ベストアンサー率52% (119/225)
回答No.1

 哲学というものを専門に勉強したことがないのでご期待には添えないかも知れませんが、私個人の意見を言わせて頂いてもよろしいいでしょうか。  事実というものは、誰もがそれを存在するもの或いはしたものとして認められる事物のことではないでしょうか。例えば、目の前に犬という動物がいて、それは社会的に犬という動物であるという事は誰もが認めているというような。社会的にそれは犬という動物であると暗黙に約束されている。これは事実ではないでしょうか。だからそれは犬であって、犬という動物が存在すると誰の中でも認められることなのではないかなと思います。社会全体で共通に認め合っているものが事実のような気がします。  真実というのは、人それぞれに認められたり認められなかったりする事実ではないでしょうか。例えば、Aさんにとっては愛というものがすべてであり、それが真実であるけれど、Bさんにとってはお金がすべてであり、それがBさんにとっての真実だというように。だから、Aさんにとっては愛がすべてだという真実は存在し、それが真実であるけれど、Aさんの中ではお金がすべてであるというような真実は存在しないし、それは真実ではないというような具合に。人が個人個人で認めているものが真実なのではという気がします。  あくまで個人的な見解であり、哲学の法則に基づいた考えではないためご納得されないかと思いますが、こんな意見もあるのかな程度に見ていただければ幸いです。

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polnareffさん、ご説明ありがとうございます。 Aさんが愛というものがすべてで、それが真実であるというのは、 その人にとっての真実ということですね。 真実というのはその人にとって、どうなのかということで 決定するものということですね。 たとえば、さまざまな人がいて、同じ事実が目の前にあったとしても 人によって真実がちがうということになりますでしょうか? 事実は、そうですね、おっしゃるように社会全体で認め合っている事柄 ですよね。それは、わかるのですが、真実ってその人がそうおもってしまうものなら真実になってしまうんでしょうか? たとえば、その人がAという物を見た!ということを言っていたとして 同じ場に居合わせたほかの人がAというものは見なかったとしても、 その人にとっては、Aをみたっていうことが真実になりますよね。 では、ほかの人との共通認識ではないことが真実になってしまうという 事もありえるのでしょうか? あるいは、その人がただ、精神的に病んでいるとか幻覚をみたとか そのようなことになってしまうのでしょうか? わからないことばかりいい、すみません。 どのカテゴリーに質問したらよいか自分でもわからなかったので ここにしましたが、哲学じゃないのかもしれません。 もうすこしよく考えてみます。 お忙しい中、ご回答いただきありがとうございました。

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