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くにゆづりを台無しにした事件は起きたか?
- 《くにゆづり》という歴史の伝統とほこりとを回復させるかのように大助に代わってみなが責任を負った。
- 革命は起きたか?
- この《くにゆづり》という歴史の伝統とほこりとを回復させるかのように大助に代わってみなが責任を負った。
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☆これは 一般にスサノヲ市民が アマテラス公民に《くにゆづり》をしたからには おいそれと返してくれとか まして政権を転覆させるために革命を起こすことなど 考えられないという見方をくつがえすであろうか? ◇これは何とも微妙ですね。 ───────── 「私の行為はあくまで正しいもので、私は社会主義の先駆者として誇るべき権利を持つ。しかし社会が家族や友人に加える迫害を予知できたのならば、行為は決行しなかったであろう。皇太子には気の毒の意を表する。私の行為で、他の共産主義者が暴力主義を採用すると誤解しない事を希望する。皇室は共産主義者の真正面の敵ではない。皇室を敵とするのは、支配階級が無産者を圧迫する道具に皇室を使った場合に限る。皇室の安泰は支配階級の共産主義者に対する態度にかかっている。」 — 最終陳述(抜粋), 今井清一『日本の歴史〈23〉大正デモクラシー』p416より引用 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%A3%E6%B3%A2%E5%A4%A7%E5%8A%A9 ───────── 「皇室を敵とするのは、支配階級が無産者を圧迫する道具に皇室を使った場合に限る。皇室の安泰は支配階級の共産主義者に対する態度にかかっている。」 と言っていますので。 これを読むと、難波大助は、必ずしも天皇制を否定していない、ということになるので。 そもそも、何故、皇太子を殺そうとしたのか。 皇太子を殺したとしても、他に皇族がいるわけですから、天皇制の消滅には結びつかない。 自ら捨て石とし、同じ志をもった人が後に続くことを期待しての犯行なのでしょうか。 その気持ちは分からないこともないのですが、あまりに短慮と言わざるをえないようです。 ☆すなわち そのスサノヲ市民の《ほこり》を 裏切り・台無しにし したがってこの《非戦論にもとづく くにゆづり》によってこそ《 A-S の逆立連関制》が成り立ったという理論をも崩壊させるものか? ◇スサノヲ市民の《ほこり》は傷つけているのでしょうね。 「したがってこの《非戦論にもとづく くにゆづり》によってこそ《 A-S の逆立連関制》が成り立ったという理論をも崩壊させるものか?」 は微妙と言ったところでしょうか。 スサノヲ市民は、《くにゆづり》したことを既に忘れている、もしくは、《くにゆづり》の意味を理解していないようなので。 ☆☆☆☆☆☆ ~~~~~~ 3. すなわち ▲ このような茫とした果てしない責任の負い方 それをむしろ当然とする無形の社会的圧力 ☆ と見るのではなく そうではなく 日本人の歴史的伝統を守ろうとする人間の真実 としての心の要請 であった。と考えられまいか? ~~~~~~ 世間体や他人(ひと)の目をことのほか気にする国民性ですから、自律的というよりは、《世間様に申し訳ない》という他律的な気持ちの方が大きいのではないでしょうか。 内閣は連帯責任があるので総辞職するのは致し方ないとしても、 警護にあたった警察官全員が引責辞職するというのは、すこし筋違いなのでしょうね。 江戸時代の村意識の名残り、《連座制》の意識が働いていたのでしょうか。 ☆☆☆☆☆☆ ~~~~~~ 4. この《くにゆづり》史観において おおよそ日本史とその社会は 解釈が可能なのではないか? ~~~~~~ この事件に関しては、江戸時代に国民に植え付けられた儒教的精神が大きく関わっているのではないでしょうか。 ここでいう儒教的精神とは、儒教そのものの精神というよりは、江戸時代の支配制度を絶体肯定するために改変された儒教的精神です。 儒教本来の考え方は、中国の宗族に基づいているので、かなり泥臭いですよね。 「宗族のためならば、嘘をつくことこそ正直なのだ」というようなことまで、孔子先生はおっしゃってられますし。 葉公語孔子曰、吾黨有直躬者、其父攘羊、而子證之、孔子曰、吾黨之直者異於是、父爲子隱、子爲 http://blog.mage8.com/rongo-13-18 宗族 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%97%E6%97%8F 日本人に、中国の宗族は理解困難です。 科挙にでも合格しようものなら、一族が故郷を捨てて、みんなやってきます。そして、たかります。たかり尽くします。お金、いくらあっても足りません。だから、昔の中国の高級官僚はみ~んな汚職をせざるをえません。現代中国の汚職体質の原型がここにあります。中国のお役人さんは、昔から汚職をするものなのです。そう相場が決まっているのです。つまり、経済開放によって拝金主義が蔓延したので、汚職が増えたわけではない(笑)。 しかも、 昔の中国では、 一族の中から大逆人が一人でも出ようものなら、九族(九親等内の)者は皆殺しにされます。女子供関係なしに処刑されます、八つ裂きにされます。 九族 http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/55230/m0u/
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- nyan_nyanko
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こんばんは にゃんこです > ☆ ということを論拠としようとするものではありません。 ↓↓↓ 了解致しました。 > ★ しかし、”ある正しいと思われる大義” のためならば、それは認められる。と考えました。 / 以下がその一例と思っています。 / 〔すなわち〕Wikipediaフクシマ50 からそのまま引用です。 ☆ という論旨についてですが これは 《理論の上では また聖書の上では》という前提における議論ではないように思います。 ↓↓↓ おそらく、以下のみことばが要因になっているのかもしれません。 ヨハネ 15:12-14 わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。 使徒 20:22-24 そして今、わたしは、“霊”に促されてエルサレムに行きます。そこでどんなことがこの身に起こるか、何も分かりません。ただ、投獄と苦難とがわたしを待ち受けているということだけは、聖霊がどこの町でもはっきり告げてくださっています。しかし、自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません。 > それとも決死の覚悟の人たちの行動を〔特に〕欧米が称賛しているのだから クリスチアニズムは 犠牲死を ときには認め これをたたえることがある ということでしょうか。 ↓↓↓ 日本では賞賛はされなかった。 一方、欧米では賞賛されるケースが認められた。 この違いを、単にクリスチアニズムのみに求めるのは、確かに少々乱暴な論理だとは思います。 > 《勇気をたたえる》ことに異論はありませんが それと自死の肯定とは 別であると考えます。 ↓↓↓ 確かに、このフクシマ50のケースも「自死の肯定」まではしていません。 ただ、以下の「カレーの市民」にもありますように、英雄視されることは往々にしてあるように思われました。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%81%AE%E5%B8%82%E6%B0%91 > ★ ~~~~~~~ 基本的には自殺は認められません。ですが、増加傾向にあります。ただ、子供のみではおそらく解決は不可能でしょう。このため、大人が手を差し伸べてあげる必要があります。そして、多少は取り組んでいるかも知れませんが、改善は現時点では認められない、という状況にあります。 ~~~~~~~~~~ ☆ 《ですが》のあとのご議論に その論旨がよく読み取れません。 ↓↓↓ ・「自殺はやめよう」、「イジメは止めよう」といったスローガンはよく耳にする。 ↓ ・しかし、そうしたスローガンにもかかわらず、むなしくも、イジメによる自殺者は増加傾向にある。 ↓ ・これは、子どものみの問題ではなく、大人も関わっていかなくてはいけない問題である。というのも、子どもには判断能力が未熟ということが挙げられる(おとな同様の判断力があるならば、選挙権も、また印鑑証明の付与されることが認められていることでしょう)。 ↓ ・こう鑑みれば、子どもに対して”のみ”、「のろうべき意志行為」と断じるのは酷である。 上記のような理屈からでありました。舌足らずであったこと、深くお詫びいたします。 > 一般に 法律においてにせよ慣習によってにせよあるいは哲学による考え方としてにせよ これこれのことが認められたなら その認知や許可をありがたくいただくといった姿勢は 糞くらえだと考えます。優等生ですが 無味乾燥のように思われます。 ↓↓↓ 仰りたいお気持ちはわかります。ただ、先日にもあった選挙。これには子供が参加することは認められていないというのは、原則、法律上の問題であります。 印鑑証明等につきましては若干異なりますが(生き馬の目を抜く競争社会におては、未成年を巻き込むのは酷という弱者保護の観点からです)、これも法律によって定められています。 では、この法律は誰が決め、そして改正が必要になった場合、誰によって制定、改正・修正がなされるのかといいますと、その国民となります。つまり、極論ですが、その国の法律を認めない、といってしまいますと、“民主主義”が危ぶまれてしまう危惧感があります。 ただ、哲学においては、そもそも真理を問う、もしくは、根本原理に疑義の目を向ける必要のある学問ですから、 哲学については、「クソ食らえ!」は全くもって同感です。時代錯誤となった慣習も同様であります。 > またそういう姿勢が社会を覆うなら 《禁止命令に従うか従わないか》で――つまり倫理規範がすべての思惟と行動との源泉になるといったかたちで――人びとの生きることが規定されて来ます。 以前も申し上げましたが、「美化」することには反対であります。と申しますのも、それをしなかった人たちに対して、非難の声が上がってしまう可能性があるからです。 > 従わない者――つまり 人びとの内のよわい者を自死に追いやる者――がいるから そのような自死について 《禁止命令という原則は原則だが その原則に対する例外と見なされる場合もある》という見方が出て来るのだと考えます。 ↓↓↓ なるほど。仰る通りかもしれません。 > なんで世間のあるいは世界の思潮に従わなければならないのでしょう。 ↓↓↓ 思潮やその場の空気に従う必用はない、こう考えます。ただ、上述しましたように、法律に関してだけは、少々異なると考えていますが、その他に関しまして、原則、自由!! です。 > で あとは 見解の相違ということですので それはそれでとうとばねばならないことと考えます。そのようにお伝えしました。〔そして さらに広く人びとの見解を聞こうとしました〕。 ↓↓↓ 厚くお礼申し上げます。 やはり、わたくしと致しましては、以下の通りとなります。 「自死は否定すべき行為である。ただし、かけがえのない多くの命、この多くの命を救わんが為、死をも覚悟で尽力をすくすことは、例外として認められうる。」
お礼
にゃんこさん お早うございます。ご回答をありがとうございます。 ★ ・こう鑑みれば(* すなわち 子どもは判断力が未熟であり したがって大人がいっしょにかかわって助けることをする必要があるという事情に鑑みれば)、子どもに対して”のみ”、「のろうべき意志行為」と断じるのは酷である。 ☆ すでに《見解の相違で合意しており これをとうとぶ》というひとつの段階で述べるのですが わたしの考えでは このとき大人が子どもに助言することの内容のひとつとして 次のように考えます。 すなわち 《自死は ひとごろしであるゆえ(すなわち ひとの意志と心とを絶対的に踏みにじる行為であるゆえ) のろうべき意志行為である》と子どもにおしえるということ これをつたえることがよいと考えます。 もっと言えば もし仮りにイジメを受けて自死をえらぶとするのならば 《それは ひとごろしであるゆえ のろうべき意志行為である》と認識し自覚をした上で それでも選択するというかたちになる。そう見るよりほかにないのではないか。このような考えを提出して問うています。 イジメを戦争に置きかえて 《カレーの市民》にも触れられています。基本的に言ってわたしは 《そのような献身的な行為で 結果として自己犠牲になるおこない》をおこなった者を英雄視することには 問題の焦点を当てていません。 つまり英雄視するのなら その場合にも《自死は のろうべき意志行為である》という原則の見方から逸れるのではなく・またそこに例外をつくるのではなく その原則の上に立って・その原則にもすすんで自分の意志でさからうのだというかたちにおいて 決行するのだと見る。そう見たほうがよいのではないか。こうも 派生する主題として 問うています。 イエスという男の場合は キリストでもあって 人間イエスとしては その自死のごとき振る舞いという盃を去らせて欲しいと泣いて願ったのですし 神の子なるキリストとしては 《だれもわたしから命を奪い取ることはできない。わたしは自分でそれを捨てる》(ヨハネ福音10:18)(*)と言っています。 * あるいは《わたし(イエス)は命を ふたたび受けるために 捨てる》(ヨハネ福音10:17):については 次の質問で少しく問い求めました。 【Q:《友のために自分の命を捨てる・・・愛》とは?】 http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa7975495.html パウロの場合は 《宣教という愚かな手段》を用いて福音をつたえて行く過程の問題だという条件がついていると言えばついていると思われます。 むろん《宣教の時代》を終えてからも それ相応の困難な問題に遭うことがあろうかと考えられます。そうしてあとは ▲ (ヨハネ15:13) 友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。 これの解釈になるかと考えます。上掲の質問でも問い求めましたが わたしにはまださだまった答えが得られていません。《友のために》ということが とうぜんのごとく《主観》の問題であると考えられるからです。 わたしに分かっていることは そういう場合でも《自死は のろうべき意志行為だ》という原則にのっとっての判断であり行動になるのだと思うことです。こういう見方について問うていました。 ★ つまり、極論ですが、その国の法律を認めない、といってしまいますと、“民主主義”が危ぶまれてしまう危惧感があります。 ☆ 《法律人間(または 道徳人間)であることを 無味乾燥の優等生であり この行き方を摂らないということ》と 《法律を無視せよということ》とは別です。 ★ では、この法律は誰が決め、そして改正が必要になった場合、誰によって制定、改正・修正がなされるのかといいますと、その国民となります。 ☆ ということでしたら つねに法律条文の内容じたいをも吟味検証しているというのが 哲学の徒の行き方になると考えます。現行の規定に従うというのも 疑問を持つならそれについて考えつつ とうめん従うということになると考えます。 この考え方によるならば 《自死は のろうべき意志行為だが 中には時と場合によっては 認められるべきものもある》というふうに規定するのではなく――つまり原則に例外をもうけるのではなく―― 原則をどこまでも保ってその上で この原則の規定に対してさえも自分はさからうのだという意志の行為 これがえらばれる場合もある。というふうに全体をとらえたほうがよいのではないかと言っています。 次のご見解をならびかかげて お礼とします。 ★ ~~~~~~~~ やはり、わたくしと致しましては、以下の通りとなります。 「自死は否定すべき行為である。ただし、かけがえのない多くの命、この多くの命を救わんが為、死をも覚悟で尽力をすくすことは、例外として認められうる。」 ~~~~~~~~~~
- nyan_nyanko
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こんばんは にゃんこです 新たなご質問をかかげられたのですね。 まず、問題の整理からさせていただきます。かなり、独断的ですが・・・ > ▲ (パンゲ:自死の日本史) ~~~~~ キリスト教は キリスト磔刑によって そもそもの起源から犠牲への道に踏みこんでいた。 それゆえキリスト教はそれだけ一層厳密に犠牲と自殺とを区別し 《意志的な死》の領域に許され賞讃されるべきものと 禁じられ忌避されるべきものとを区別する必要にせまれられうる。 (第八章) ~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ と言うのですが これに異を唱えます。そもそもの初めから ↓ ↓ ↓ これは、以下の事例からも、そうなのですが、確かに「自殺」それ自体に対してはキリスト教は厳しい。 しかし、”ある正しいと思われる大義” のためならば、それは認められる。と考えました。 理論の上では、また聖書の上では、確かにそれを認め難い表現があるかもしれません。ただ、事実として、「認められる」例が存在する、ということなわけです。 以下がその一例と思っています。 Wikipediaフクシマ50 からそのまま引用です。 フクシマ50(フクシマフィフティ、英語: Fukushima 50)は、2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震の際に福島第一原子力発電所の対応業務に従事していた人員のうち、同発電所の事故が発生した後も残った約50名の作業員に対し欧米など”日本国外”のメディアが与えた呼称。 6 メディアや政府の反応 メディアは、現場に残った従業員たちの勇気を讃え、彼らをヒーローと紹介し、“Fukushima 50”の名が知れ渡った。フランスの国際ニュース・チャンネルFrance 24は、彼らを“Japan's faceless heroes”(日本の顔が知れない英雄たち)と紹介した。イギリスの新聞ガーディアンは、“Other nuclear power employees, as well as the wider population, can only look on in admiration”(他の原子力発電所に従事する者たちは、他の多くの人々と同様に、強い賞賛をもって見ていることしかできない)と書いた。ドイツのニュースサイトは、彼らの献身を四十七にたとえている。中国語のニュースサイトは彼らを“福島50死士”と名づけた。 2011年9月7日にスペイン皇太子賞(アストゥリアス皇太子賞)の受賞が発表され、同年10月22日に同賞平和部門を警察、消防、自衛隊の現場指揮官ら計5人が代表として受賞した。 次はイジメ問題ですが、 > 子供のイジメによる自殺について ↓ ↓ ↓ 基本的には自殺は認められません。ですが、増加傾向にあります。ただ、子供のみではおそらく解決は不可能でしょう。このため、大人が手を差し伸べてあげる必要があります。そして、多少は取り組んでいるかも知れませんが、改善は現時点では認められない、という状況にあります。 理由としては、大人自身が不甲斐ないから。もしくは、以下にもありますように、「そもそもなかったことにしている(た)から(このため、問題視されにくくなってしまう)」というのが原因と考えています。 「警察庁は「いじめ自体が増えたのではなく、大津の事件を契機に警察の対応を求める事案が増えた」とみている。」 引用: http://www.jiji.com/jc/graphics?p=ve_soc_kyoiku20130221j-01-w420 「同省によると、事故死にしてほしいと望む遺族に配慮するケースなどがあるためという。 一方、いじめの認知件数は7万231件で、前年度より7399件減少した。 いじめ認知に有効とされるアンケート実施率が前年度よりやや低下したほか、都道府県別で児童・生徒1千人当たりの件数は、最大54倍の開きもあったことから、文科省は「いじめの認知が不十分な地域があるのではないか」とした。 都道府県別では熊本が32・9件で最多。最少は佐賀で0・6件だった。」 引用: http://sankei.jp.msn.com/life/news/120911/edc12091122100001-n1.htm なお、ご質問者様のご心証を害したならば、この場をお借りし、深くお詫び申しあげます。
お礼
にゃんこさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。 ★ 理論の上では、また聖書の上では、確かにそれ(=自死)を認め難い表現があるかもしれません。 ☆ これは 聖書を盾に取って議論したのではなく パンゲが 聖書の記事について《犠牲死に よい死とわるい死とがある》という意味のことを言ったので 聖書を出したものです。 ですから ★ 確かに「自殺」それ自体に対してはキリスト教は厳しい。 ☆ ということを論拠としようとするものではありません。 その筋の議論になりはしますが ★ しかし、”ある正しいと思われる大義” のためならば、それは認められる。と考えました。 / 以下がその一例と思っています。 / 〔すなわち〕Wikipediaフクシマ50 からそのまま引用です。 ☆ という論旨についてですが これは 《理論の上では また聖書の上では》という前提における議論ではないように思います。 それとも決死の覚悟の人たちの行動を〔特に〕欧米が称賛しているのだから クリスチアニズムは 犠牲死を ときには認め これをたたえることがある ということでしょうか。 《勇気をたたえる》ことに異論はありませんが それと自死の肯定とは 別であると考えます。 ★ ~~~~~~~ > 子供のイジメによる自殺について ↓ ↓ ↓ 基本的には自殺は認められません。ですが、増加傾向にあります。ただ、子供のみではおそらく解決は不可能でしょう。このため、大人が手を差し伸べてあげる必要があります。そして、多少は取り組んでいるかも知れませんが、改善は現時点では認められない、という状況にあります。 ・・・ ~~~~~~~~~~ ☆ 《ですが》のあとのご議論に その論旨がよく読み取れません。 自殺が認められるか認められないかという切り口とは微妙に違っていて 自死は ひとごろしであるゆえ のろうべき意志行為である。のではないか? と問うています。 一般に 法律においてにせよ慣習によってにせよあるいは哲学による考え方としてにせよ これこれのことが認められたなら その認知や許可をありがたくいただくといった姿勢は 糞くらえだと考えます。優等生ですが 無味乾燥のように思われます。 またそういう姿勢が社会を覆うなら 《禁止命令に従うか従わないか》で――つまり倫理規範がすべての思惟と行動との源泉になるといったかたちで――人びとの生きることが規定されて来ます。 従わない者――つまり 人びとの内のよわい者を自死に追いやる者――がいるから そのような自死について 《禁止命令という原則は原則だが その原則に対する例外と見なされる場合もある》という見方が出て来るのだと考えます。 倫理規範に従うか否かで 世界を切って行くことによって 原則を逸脱する例外規定が出て来るのではないかと考えます。 なんで世間のあるいは世界の思潮に従わなければならないのでしょう。 死を《のろうべき》意志行為だとしているところは たしかに聖書によっていますが これはただそういう思想をわたしがパクッただけのことです。宗教としてのオシエとは関係ありません。そういう自分の見解を持つと言っているだけです。 で あとは 見解の相違ということですので それはそれでとうとばねばならないことと考えます。そのようにお伝えしました。〔そして さらに広く人びとの見解を聞こうとしました〕。
- nyan_nyanko
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こんばんは > ☆ 思うにですが おそらく《君に忠》の一辺倒となったならば 時代の変化など情況によっては《君に不忠》のやはり一辺倒になるのかも知れません。 ↓ ↓ ↓ 確かに、一辺倒になってしまった悲しい歴史・史実がありますから、この危惧感は拭えないかと思われます。 > ☆ このことに不満も文句もありません。ありませんが M.パンゲの考え方にはいくらか違和感がのこります。それは 《自死》を日本人が美化していると言っているか もしくはパンゲ自身が美化する傾向にあるかだと思われるところです。 ↓ ↓ ↓ “美化”、そこまでとはいかずとも、“誇りとすべきもの”と解することはできると考えられます。ただここは、“自決”というだけでなく、甚大な犠牲を伴うならば、“譲る”という選択肢を、かつての日本人は選んだ、という意味かと思われます(一般に、革命ともなれば、少なく見積もっても数万人の犠牲者が出てしまいますから)。 また、昨今の原発事故の際に、東電労働者や消防隊員が身を犠牲にしてまで、放射能の拡散を防ぐべく奮闘したことが海外で高く評価されたのも、この精神があったからと思っております。 > ☆ と言うのですが これに異を唱えます。そもそもの初めから ● (パウロ:ガラテア書3:13) ● (ホセア書6:6) ● (マタイ福音9:11-13) ▼ キリスト教はそれだけ一層厳密に犠牲と自殺とを区別し ☆ 《死》としては区別などしていないと考えます。 ▼ 《意志的な死》の領域に許され賞讃されるべきものと 禁じられ忌避されるべきものとを区別する必要にせまれられうる。 ☆ という見解に全面的に反対します。《律法という養育係を必要とした時代(段階)》が過去にあったというのみだと考えます。 ↓ ↓ ↓ 「いけにえ」ともなりますと、やはり抵抗感はございますね。 ここは、少々、ご質問者様と見解が異なるところかもしれませんが、”それ相当の大義がある”場合には、わたくしは認めたいと思っております。例えば、上記のような東電職員等の例であります。 なるほど“自己犠牲”が美化される社会というのは、厳しい社会だと思われます。例えば、“自己犠牲”をしなかった場合、批判・非難の対象となってしまいかねないからであります。 > ☆ という問題が いかにけなげで うつくしい自死であっても自死をもってしては けっして解決され得ない。こう言わなければならないのではないか。という思いを持ちます。 ↓ ↓ ↓ 「命の尊さ」については、おそらく学校でも常日頃から、教えていると思われます。ですが、一向に改善されない、という無念!!というべきデータがございます(少し古いデータですが)。 「児童生徒の自殺、25年ぶりに200人超える いじめ認知は7000件減少 文科省調査」 産経 2012.9.11 http://sankei.jp.msn.com/life/news/120911/edc12091122100001-n1.htm ただし、正確な人数は不明確な部分もあるようなのですが・・・ 「【図解・社会】いじめが原因の事件数(2013年2月)」 時事ドットコム http://www.jiji.com/jc/graphics?p=ve_soc_kyoiku20130221j-01-w420
お礼
お早うございます。ご回答をありがとうございます。 ★ ~~~~ 「いけにえ」ともなりますと、やはり抵抗感はございますね。 ここは、少々、ご質問者様と見解が異なるところかもしれませんが、”それ相当の大義がある”場合には、わたくしは認めたいと思っております。例えば、上記のような東電職員等の例であります。 ~~~~~~ ☆ ということで 了解しましたがその違いについて 過剰になるかも分かりませんが 確認したいと思います。 すなわち 人類史を二つに区分するというのが わたしの考え方です。 《律法などの禁止命令によって 人殺しを抑制する思惟と行動の方式を採って社会秩序をかたちづくろうとする時代》 このような時代にあっては 《人びとを生かすために少数の人たちが犠牲となること》が称賛されるのだと考えます。 じつは その律法の時代の前にすでにアブラハムの時代(ないし生活)としては すでに《どこまでも犠牲をも避ける》という思惟・生産・行動・共同自治の方式が生きられた。こう思われるように 一たん暫定的にモーセの律法の時代があいだに入った。また それのみだと捉えます。 ★ “美化”、そこまでとはいかずとも、“誇りとすべきもの”と解することはできると考えられます。ただここは、“自決”というだけでなく、甚大な犠牲を伴うならば、“譲る”という選択肢を、かつての日本人は選んだ、という意味かと思われます(一般に、革命ともなれば、少なく見積もっても数万人の犠牲者が出てしまいますから)。 ★ また、昨今の原発事故の際に、東電労働者や消防隊員が身を犠牲にしてまで、放射能の拡散を防ぐべく奮闘したことが海外で高く評価されたのも、この精神があったからと思っております。 ★ なるほど“自己犠牲”が美化される社会というのは、厳しい社会だと思われます。例えば、“自己犠牲”をしなかった場合、批判・非難の対象となってしまいかねないからであります。 ☆ 《誇りとすべきではないこと》をみづから欲してそう行動した。――こういう解釈をわたしはします。 《誇りとすべきではないこと》をやはりしなかった そのことによって《批判・非難の対象となってしまう》としてもかまわない。――そこから・そう腹を決めたところから あらたに問題解決への対処策を考えるべきだと考えます。 そう考えないでよいとするところから 指導者層のあいだでは安易な犠牲による対処論が出てまかり通るのでしょうし それによっていたとしても犠牲者については人びとがたたえるということになるのでしょうし 一般にことに当たってリスク・オンの方向へ 議論の途中で 踏み出されるのではないか。と思われて来ます。 その昔つたえられるところによりますと スサノヲは アマテラスを初めアマテラス普遍語を――訛って――しゃべる人間に対しては・つまりそれは 心を開いて語るのではなく閉じていてとおりいっぺんことしか語らずけっきょく相手に対して 肝心要の大事なことにかんしてはいっさい取り合わないといった人間であり その思想と実践に対しては 《職場放棄・登校拒否・ぐれる・或る種の暴力沙汰等々》をもって おのが心をうったえました。 オホクニヌシは 兄弟からことごとく イジメを受けました。殺されても生き返りました。 その後はふたりとも イヅモの国の安寧と発展のためにつくしました。 この物語は もうスサノヲやオホクニヌシの《前史》は 繰り返すことはないと語っていると考えます。 多少は個体がそれぞれ 人類史ないし民族史の過程を繰り返すことによって学習するということかも分かりませんが それでも人びとの自覚は それがあれば その水嵩を増して前史は後史へと入って行くことが出来るのではないか。 こういう違いを確認して お応えとします。
- nyan_nyanko
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こんばんは にゃんこです。 > ☆ と知ると 葉隠はけっこう扱いにくいようにも思えて来ます。知行一致の路線なのでしょうか。 ↓ ↓ ↓ ちょっと、早とちりだったと反省しています。 「明治維新後、四民平等布告により、社会制度的な家制度が解体され、武士は事実上滅び去った。実際、1882年(明治15年)の「軍人勅諭」では、武士道ではなく「忠節」を以って天皇に仕えることとされた。ところが、日清戦争以降「武士道」が再評価されるようになる。例えば井上哲次郎に代表される国家主義者たちは武士道を日本民族の道徳、国民道徳と同一視しようとした。」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%A3%AB%E9%81%93 上記のことを考えますと、難波らが活動していた時期には、多少なりとも「武士道」が評価されつつある時代だったのかもしれません。 なお、葉隠の主張が「知行一致(「先ず其の言を行い、而して後にこれに従う」)の路線」かどうかにつきましては、異なるように考えられます。 > でもおそらく《かむながら(神のカラ= 神の関係。⇒神との関係さながらに。)》の道つまりシントウにあっても その神とのつながりのまにまに生きる・行動するというのであれば 何も朱子学 ではなかった 陽明学のこの知行一致を持ち出さなくても 合っているように思えます。 おそらく、理論体系化、もしくはその思想の説得力を増すため、陽明学のようなものをもってきたのかもしれません。 > その歴史の初めに武士であることについては 個人としてその行動方針であったり 主君との関係としてはむしろ双務的な倫理の指針であったりしたようで やがてアマテラス普遍語としての規範化が為されて行った: (同上ヰキぺ) ~~~~ § 1 歴史 § 1.2 発展と深化 道徳大系としての武士道とは「君に忠、親に孝、自らを節すること厳しく、下位の者に仁慈を以てし、敵には憐みをかけ、私欲を忌み、公正を尊び、富貴よりも名誉を以て貴しとなす」、ひいては「家名の存続」という儒教的態度が底流に流れているものが多く、それは江戸期に思想的隆盛を迎え、武士道として体系付けられるに至る。 ~~~~~~~~~~~~~~ ☆ とも知られます。朱子学が忘れられたわけではなく むしろこちらが基本なのでしょうか。 ↓ ↓ ↓ 少なくとも、江戸時代中期以降、明治中頃までは、通説だったと考えられます。 > そうして次のごとくシントウを持ち出す場合は 《思想の〈着せ替え〉史観》が有効であるように思われます。 幕末の万延元年(1860年)、山岡鉄舟が『武士道』を著した。 それによると 「神道にあらず儒道にあらず仏道にあらず、神儒仏三道融和の道念にして、中古以降専ら武門に於て其著しきを見る。鉄太郎(鉄舟)これを名付けて武士道と云ふ」 とあり、少なくとも山岡鉄舟の認識では、中世より存在したが、自分が名付けるまでは「武士道」とは呼ばれていなかったとしている。 ~~~~~~~~~~ ↓ ↓ ↓ まず間違いなく、思想の”移り変わり”はあったと考えています。体系化されたのは、意外かもしれませんが平穏な時代になってからだと思われます。 例えば、漢心とは対義語に位置する“大和魂”も元来は女性的な意味合い(柔軟かつ現実的)を持っていたと思われます。「なお、才を本としてこそ、大和魂の世に用ひらるる方も、強う侍らめ(紫式部)」などもその一例でしょうし、またその後の江戸時代での「敷島の大和心を人問わば朝日に匂う山桜花(本居宣長)」も、今日の“大和魂・心”とは異なっておりますから。 ある程度の、(思想の)移り変わり・変化はあったように考えております。 > さて 難波大助を思想としてどう捉えるかです。 ☆ 単純に考えるなら 《社会主義なる知とその行動との一致 としての武士道は死ぬことと見つけたり》なのでしょうか? ↓ ↓ ↓ 社会主義、つまりある種の「知行一致」思想と、「武士道」との関わりは時代によって受け取り方は異なるでしょうが、難波のときには、微妙かと思えます(武士道の考えは難波自身にはほとんどなかったように思えます)。 ただ、少なくとも、死は覚悟だったと思われますし、また、切腹ではありませんでしたが、難波の父(時の衆議院議員)は一切の食を絶ち、餓死の道を選んだそうですし・・・ また一方では、ときの首相である加藤氏なども、処遇を自らすすんで受け入れました。つまり、その上の世代の人たちには、武士道という概念が残っていたかもしれません。 そして、これらが、E.レーデラー氏が異様な光景に映った要因かと思われます。 > つまり《死ぬこと》を単純に受け容れることはしていない。つまり 非戦論であり たとえ 敗北の屈辱を受けても いのちには代えないという《くにゆづり》史観です。 《君に忠》を文字通りに最後までおこなえという精神は 《ゆづりあい》の精神ではないようにも見られます。 ↓ ↓ ↓ おそらく、難波にとっては、今までの社会運動の失敗を目のあたりにした結果、最後の“悪あがき”のようなものだったと推測しています。そして、この点からも《ゆづりあい》の精神とは解離したものといえるでしょう。 > たしかに忠義の心から主君を諌めるというのは すでに死(切腹)を覚悟での行動だったのだと思います。ただそれは そういう制度とナラワシに合わせたのであって おそらく第一義にそのような《死ぬことと見つけたり》が来ているのではないように思います。 ↓ ↓ ↓ 確かに、理想論的なところは否めません。「死ぬことと見つけたり」とは言ったものの、言った本人は畳の上で安らかに往生したといわれていますから。 ただ、仮にそれが慣習・制度であったとしましても、自らが身を引く(死ぬか死なないかは別として)、という考えは必用だったと考えています。 日本研究者のモーリス・パンゲ著「自死の日本史」では、こう結ばれています。 「明治維新は、公のために働くことを自己の使命と考えていた武士たちによって実現した改革だった」。さらに申しますと、「自ら改革・革命を推進し、そして、そのため自らを消滅させた」という訳です。 そして、収賄・搾取とは、ほとんど無縁の存在でもありました。例えば、現代中国の共産党幹部のような搾取階級であれば、思う存分農民たちから富を収奪できるでしょう。しかし、身分的には保障されてはいましたが、(よくある時代劇の悪代官ような)収賄・搾取とは関わりを持たなかったわけです。これは、制度とナラワシに過ぎなかったかもしれませんが、わたくしとしましては、一定の価値を見ております。 > その関連で言えば いじめを受けた子どもたちが その清廉潔白のような心を明かすためにかどうなのか おのれの道を死ぬことに見い出すといった事例が多く見られるには見られるのですが。 これは たぶん《ゆづり過ぎ》なのではないかとは考えます。オホクニヌシ思想の系譜であるかに見えて 行き過ぎであるようにも思われます。おどしには じゅうぶんゆづっているところを なおゆづることによって 相手の目を明けさせようとするのかどうなのか。 ↓ ↓ ↓ まず、“子ども”、という点におきましては(特に小中学生)では、まだ判断が未熟な点があります。そして、これを補っていくのが“大人の役割”と考えています。 つまり、「なおゆづることによって 相手の目を明けさせようとする」との一助、もしくは精神的支えとなるのが大人の役目かと。 ただ、大人の社会におきましても、相当醜いイジメがありますから(このOKWaveもその傾向にあるのかもしれませんが)、「相手の目を明けさせようとする」ことそれ自体が、大人自身にも欠如していることが察せられます。「子どもは大人を写す鏡」なのかもしれません。 > ☆ 非戦論が変身してしまった場合には もう手がつけられない。と思われる。 個人についてはその自然本性と そして広くは歴史社会としての自然史過程に期待するしかないのかも知れない。 ↓ ↓ ↓ そうですね。この事件の後、10年もかからずに、国民が軍部支持へと向かってしてしまいましたから。
お礼
にゃんこさん お早うございます。ご回答をありがとうございます。 ★ ~~~~ 《君に忠》を文字通りに最後までおこなえという精神は 《ゆづりあい》の精神ではないようにも見られます。 ↓ ↓ ↓ おそらく、難波にとっては、今までの社会運動の失敗を目のあたりにした結果、最後の“悪あがき”のようなものだったと推測しています。そして、この点からも《ゆづりあい》の精神とは解離したものといえるでしょう。 ~~~~~~~ ☆ 思うにですが おそらく《君に忠》の一辺倒となったならば 時代の変化など情況によっては《君に不忠》のやはり一辺倒になるのかも知れません。 ★ ~~~~~ 日本研究者のモーリス・パンゲ著「自死の日本史」では、こう結ばれています。 「明治維新は、公のために働くことを自己の使命と考えていた武士 たちによって実現した改革だった」。 さらに申しますと、 「自ら改革・革命を推進し、そして、そのため自らを消滅させた」 という訳です。 ~~~~~~~~ ☆ このことに不満も文句もありません。ありませんが M.パンゲの考え方にはいくらか違和感がのこります。それは 《自死》を日本人が美化していると言っているか もしくはパンゲ自身が美化する傾向にあるかだと思われるところです。 まづ規範化された武士道が ▼ 自らを節すること厳しく、下位の者に仁慈を以てし、敵には憐みをかけ、私欲を忌み、公正を尊び、富貴よりも名誉を以て貴しとなす ☆ と言っていることに大いに賛同しますが 《ゆづりあい》が 《自死》にまで行き着き そうなっても普通のことだともし日本人が見ている〔とパンゲが捉えている〕とするなら そこには反論があります。 ▲ (パンゲ:自死の日本史) ~~~~~ キリスト教は キリスト磔刑によって そもそもの起源から犠牲への道に踏みこんでいた。 それゆえキリスト教はそれだけ一層厳密に犠牲と自殺とを区別し 《意志的な死》の領域に許され賞讃されるべきものと 禁じられ忌避されるべきものとを区別する必要にせまれられうる。 (第八章) ~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ と言うのですが これに異を唱えます。そもそもの初めから ● (パウロ:ガラテア書3:13) ~~~~~ キリストは わたしたちのためにのろわれた者となって わたしたちを律法(法律・道徳規範)ののろいから あがない出してくださいました。―― 木に懸けられた者は皆のろわれている。 (申命記21:23) と聖書に書いてあるのです。 ~~~~~~~~~~~~ ☆ とパウロが言うのですから 自死・自殺はもちろん自己犠牲に対しても 基本的に否と考えていると言わなければなりません。愛・正義・法にしても これらに殉じるという自死 これは呪いであり 木(十字架)にかけられる犠牲も 呪いである。それらは 供犠による文化である。《いけにえ》によって成り立つ倫理関係という段階にとどまる。 ● (ホセア書6:6) ~~~~~ 「私が喜ぶのは、愛であっていけにえではなく、 神を知ることであって、焼き尽くす献げ物ではない」 ~~~~~~~~~~~~~ ☆ すなわち ● (マタイ福音9:11-13) ~~~~ 11: ファリサイ派の人々はこれを見て、弟子たちに、「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。 12: イエスはこれを聞いて言われた。 「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。 13: 『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とは どういう意味か、行って学びなさい。 わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」 ~~~~~~~~~~~~~~~~~ ▼ キリスト教はそれだけ一層厳密に犠牲と自殺とを区別し ☆ 《死》としては区別などしていないと考えます。 ▼ 《意志的な死》の領域に許され賞讃されるべきものと 禁じられ忌避されるべきものとを区別する必要にせまれられうる。 ☆ という見解に全面的に反対します。《律法という養育係を必要とした時代(段階)》が過去にあったというのみだと考えます。 ★ ~~~~ ただ、大人の社会におきましても、相当醜いイジメがありますから(このOKWaveもその傾向にあるのかもしれませんが)、「相手の目を明けさせようとする」ことそれ自体が、大人自身にも欠如していることが察せられます。「子どもは大人を写す鏡」なのかもしれません。 ~~~~~~~ ☆ という問題が いかにけなげで うつくしい自死であっても自死をもってしては けっして解決され得ない。こう言わなければならないのではないか。という思いを持ちます。 触れなかったところは そのまま受け容れ あとも断片的になりましたが 質問者からの応答といたします。 オホクニヌシなどは 兄たちが《八十神》と言って大勢おり ことごとく何度もかれらからいじめを受けました。一度か二度はすでに死んでしまいました。母親によってか生き返らせられました。それでも人びとに尽くしました。 ですが 《ゆづり過ぎ》には 抵抗感があります。
- nyan_nyanko
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こんばんは 横スレ失礼致します。 難波大助のことを調べていますと、ふと北一輝や、北に影響を与えた宮崎滔天のことが思い浮びました。年齢的には彼らの方が年上なのですが、共通点として、3人とも明治生まれであり、また全員名家の生まれでもあり、社会主義者でもあった、といったところでしょうか。 また宮崎は、幼少時から母に「畳の上で死ぬのは男子の恥だ」と常々諭されていたと言われています。 その考えますと、 「武士道と云うは死ぬ事と見付けたり」 http://kotobank.jp/word/武士道と云うは死ぬ事と見付けたり 忠君に対しては、死をも覚悟しなくてはいけない。という生き様は、そのときも健在であり、このため、 辞任をした山本權兵衞(嘉永5年生まれ)なども、そのような気概の持ち主だったのかのかもしれない、とふとそう思いました。 そう考えますと、 > 1.そのスサノヲ市民の《ほこり》を 裏切り・台無しにし したがってこの《非戦論にもとづく くにゆづり》によってこそ《 A-S の逆立連関制》が成り立ったという理論をも 崩壊させるものか? ↓ ↓ ↓ これは、微妙かと思われました。 > 2.この《くにゆづり》という歴史の伝統とほこりとを 回復させるかのように 大助に代わってみなが責任を負った。 ↓ ↓ ↓ これも、微妙かと思われました。ですが、まだ武士道という精神は健在であり、またこれを、誇りとしていたことは、事実かと思っております。 > 3.いちどゆづったのだから 二度と返してくれとは こちらからは言わない。という伝統とほこり。 ↓ ↓ ↓ これも、一種の武士道精神からきているのかと思いました。 そう言えば、わたくしも、「畳の上で死ぬのは男子の恥だ」と言われて育ってきました(そんなことないだろ!!)。 > 4. この《くにゆづり》史観において おおよそ日本史とその社会は 解釈が可能なのではないか? ↓ ↓ ↓ これは非常に難しい」ご質問かと・・・ わたくしにはわかりませんでした。 どうもお粗末様でした。
お礼
にゃんこさん お早うございます。ご回答をありがとうございます。 あらためて 武士道です。 ▼(ヰキぺ:武士道) ~~~~ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%A3%AB%E9%81%93 § 2 思想としての武士道 § 2.1 近世における武士道の観念 享保元年頃(1716年)、「武士道と云ふは、死ぬ事と見付けたり」の一節で有名な『葉隠』が佐賀藩の山本常朝によって著される(筆記は田代陣基)。 これには「無二無三」に主人に奉公す、といい観念的なものに留まる「忠」「義」を批判するくだりや、普段から「常住死身に成る」「死習う」といったことが説かれていたが、藩政批判などもあったせいか禁書に付され広く読まれることは無かった。 ~~~~~~~~~~~ ☆ と知ると 葉隠はけっこう扱いにくいようにも思えて来ます。知行一致の路線なのでしょうか。 でもおそらく《かむながら(神のカラ= 神の関係。⇒神との関係さながらに。)》の道つまりシントウにあっても その神とのつながりのまにまに生きる・行動するというのであれば 何も朱子学 ではなかった 陽明学のこの知行一致を持ち出さなくても 合っているように思えます。 * 知行一致: ちこういっちと読むのだそうですね。知らなかった。 そして 知行合一(ちこうごういつ)のほうが 王陽明の 言った言葉なんですね。 朱子学は 《知先行後》だとして批判されているのですね。 その歴史の初めに武士であることについては 個人としてその行動方針であったり 主君との関係としてはむしろ双務的な倫理の指針であったりしたようで やがてアマテラス普遍語としての規範化が為されて行った: ▼ (同上ヰキぺ) ~~~~ § 1 歴史 § 1.2 発展と深化 道徳大系としての武士道とは「君に忠、親に孝、自らを節すること厳しく、下位の者に仁慈を以てし、敵には憐みをかけ、私欲を忌み、公正を尊び、富貴よりも名誉を以て貴しとなす」、ひいては「家名の存続」という儒教的態度が底流に流れているものが多く、それは江戸期に思想的隆盛を迎え、武士道として体系付けられるに至る。 ~~~~~~~~~~~~~~ ☆ とも知られます。朱子学が忘れられたわけではなく むしろこちらが基本なのでしょうか。 次のようなひとつの発展は おもしろそうです。 ▲ (同上) ~~~~ § 1.3 展開と再生 山鹿素行は・・・人間は確かに国家に属しているが武士に(封建)社会全体への義務を負わせることを選んだ存在も確かにいるとした。 これは人間でもなく、社会でもない。人間は自ら倫理を担うものであり、社会は倫理に基づいて人間が実践をする場である。 国家という制度のように目には見えないが武士を動かしたそれを山鹿は天とした。 そのうえで自らが所属する共同体への倫理と天からあたえられた倫理が衝突した場合に武士は天倫を選択すると考えた。幕府は山鹿を処罰した。 ~~~~~~~~~~~ ☆ 《天・天倫》を持ち出すのは いささか我田引水すれば 《目に見えない》というところでやはりシントウの底流としてのチカラを感じさせます。《天》という言葉を使うのは すでにからごころ(漢意・唐心)でしょうが。 そうして次のごとくシントウを持ち出す場合は 《思想の〈着せ替え〉史観》が有効であるように思われます。 ▲ (同上) ~~~~ § 2 / § 2.1 幕末の万延元年(1860年)、山岡鉄舟が『武士道』を著した。 それによると 「神道にあらず儒道にあらず仏道にあらず、 神儒仏三道融和の道念にして、 中古以降専ら武門に於て其著しきを見る。 鉄太郎(鉄舟)これを名付けて武士道と云ふ」 とあり、少なくとも山岡鉄舟の認識では、中世より存在したが、自分が名付けるまでは「武士道」とは呼ばれていなかったとしている。 ~~~~~~~~~~ さて 難波大助を思想としてどう捉えるかです。 ★ ~~~~~~~ 難波大助のことを調べていますと、ふと北一輝や、北に影響を与えた宮崎滔天のことが思い浮びました。年齢的には彼らの方が年上なのですが、共通点として、3人とも明治生まれであり、また全員名家の生まれでもあり、社会主義者でもあった、といったところでしょうか。 また宮崎は、幼少時から母に「畳の上で死ぬのは男子の恥だ」と常々諭されていたと言われています。 ~~~~~~~~~ ☆ 単純に考えるなら 《社会主義なる知とその行動との一致 としての武士道は死ぬことと見つけたり》なのでしょうか? これに対して異論をはさむなら たぶんシントウでは たとえば《馬など動物の去勢手術を当初はあまり行なわなかったことと そして宦官の制度をほとんど採り入れなかったこと》が史実として考えられます。 儒教ないし中国思想を採り入れると言っても 拒むものは拒んだ。 つまり《死ぬこと》を単純に受け容れることはしていない。つまり 非戦論であり たとえ 敗北の屈辱を受けても いのちには代えないという《くにゆづり》史観です。 《君に忠》を文字通りに最後までおこなえという精神は 《ゆづりあい》の精神ではないようにも見られます。 たしかに忠義の心から主君を諌めるというのは すでに死(切腹)を覚悟での行動だったのだと思います。ただそれは そういう制度とナラワシに合わせたのであって おそらく第一義にそのような《死ぬことと見つけたり》が来ているのではないように思います。 その関連で言えば いじめを受けた子どもたちが その清廉潔白のような心を明かすためにかどうなのか おのれの道を死ぬことに見い出すといった事例が多く見られるには見られるのですが。 これは たぶん《ゆづり過ぎ》なのではないかとは考えます。オホクニヌシ思想の系譜であるかに見えて 行き過ぎであるようにも思われます。おどしには じゅうぶんゆづっているところを なおゆづることによって 相手の目を明けさせようとするのかどうなのか。 《くにゆづり》史観 ・ いのちが真っ先に大事。 ・ わたしも生きる。きみも生きる。 ・ それを守るために ゆづる。互いにゆづりあう。 ・ 敗北をも意に介さない。 ・ 相手がその帝国主義なる心から目覚めるのを 千年でも二千年でも俟つ。 逸れる場合とは ・ 《わたしも死ぬが きみも死ぬ》に替わる。 ・ 《帝国主義打倒》を真っ先にする。そのとき死をいとわない。 ・ すなわち 主戦論を採った場合である。 ☆ 非戦論が変身してしまった場合には もう手がつけられない。と思われる。 個人についてはその自然本性と そして広くは歴史社会としての自然史過程に期待するしかないのかも知れない。
- kurinal
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>「ふっふっふ。 ぢゃあ まづ丸山真男が 《人権侵害》のうたがいがあるってことですよね? はっはっは。」 B様、こんにちは。 「《人権侵害》のうたがい」なら、あらゆる個人にあるんじゃないでしょうか。
お礼
K さん こんにちは。ご回答をありがとうございます。 ★ 「《人権侵害》のうたがい」なら、あらゆる個人にあるんじゃないでしょうか。 ☆ これはですね。そういうことであれば 人権侵害をおかす可能性が 誰にでもある。こう言わなくちゃ。 まだ何もおこなっていない前から《人権侵害》のうたがいだなんて言うのでは たまったものではありません。よ。
- kurinal
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>「▲ 新たなもの 本来異質的なものまでが過去との十全な対決なしにつぎつぎと摂取されるから・・・・ ☆ うんぬんと。」 人権を侵害しないでね。
お礼
ご回答をありがとうございます。 ふっふっふ。 ぢゃあ まづ丸山真男が 《人権侵害》のうたがいがあるってことですよね? はっはっは。
- kurinal
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B様、こんにちは。 ・・・むかしむかし、いたるところで、 「敗戦後、ころっと変わった」そうな?
お礼
Kさん こんにちは。ご回答をありがとうございます。 そうですね。丸山は こう書いています。 ▲ (丸山:無構造の《伝統》その(一)――思想継起の仕方) ~~~ 伝統思想がいかに日本の近代化 あるいは現代化と共に影がうすくなったとしても それは・・・私たちの生活感情や意識の奥底に深く潜入している。近代日本人の意識や発想がハイカラな外装のかげにどんなに深く無常感や《もののあわれ》や固有信仰の幽冥観や儒教的倫理やによって規定されているかは すでに多くの文学者や歴史家によって指摘されて来た。 むしろ過去は自覚的に対象化されて現在のなかに《止揚》されないからこそ それは言わば背後から現在の中にすべりこむのである。 思想が〔* それが継承されて行くといったふつうの意味での〕伝統として蓄積されないということと 〔* いちおう着せ替えのためあらたに採り入れたその《着物》として一定期間学ばれ持たれたところの〕《伝統》思想のズルズルべったりの無関連な潜入とは実は同じことの両面にすぎない。 一定の時間的順序で入って来たいろいろな思想が ただ精神の内面における空間的配置をかえるだけでいわば無時間的に併存する傾向をもつことによって かえってそれらは歴史的な構造性を失ってしまう。 小林秀雄は 歴史はつまるところ思い出だという考えをしばしばのべている。それは直接には歴史的発展という考え方にたいする あるいはヨリ正確には発展思想の日本への移植形態にたいする一貫した拒否の態度と結びついているが すくなくも日本の また日本人の精神生活における思想の《継起》のパターンに関するかぎり かれの命題はある核心をついている。 新たなもの 本来異質的なものまでが過去との十全な対決なしにつぎつぎと摂取されるから 新たなものの勝利はおどろくほどに早い。過去は過去として自覚的に現在と向き合わずに 傍らにおしやられ あるいは下に沈降して意識から消え《忘却》されるので それは時あって突如として《思い出》として噴出することになる。 (『日本の思想』 1961 pp11-12 ) ~~~~~~~~~~~~~ ☆ これによると ★ 「敗戦後、ころっと変わった」 ☆ そのあと 《過去》がいつなんどき《噴出》してくるかも分からない。のだそうな。《ころっと変わる》ことの天才だそうな 日本人は。 ▲ 精神生活における思想の《継起》のパターン ☆ が 問題を呈しているとか。 ▲ 新たなもの 本来異質的なものまでが過去との十全な対決なしにつぎつぎと摂取されるから・・・・ ☆ うんぬんと。
お礼
こんばんは。ご回答をありがとうございます。 そうですね。つまりこの仮説は きわめてあいまいな生活上の態度や信条にもとづいて築いているので 容易に崩壊し得ます。 つまりあるいは ◇ スサノヲ市民は、《くにゆづり》したことを既に忘れている、もしくは、《くにゆづり》の意味を理解していないようなので。 ☆ といった前提から出発して それでも《くにゆづり》が 人びとの社会についての思いや態度を 知らないままにおいてでも かたちづくっているのではないか。という仮説ですから。 おかしな話になりますが この仮説は こういう見方もできるのではないかとか こういう見方をしてみると面白いかもしれないとか そういうたぐいの話になるかと いまさらですが 思われます。 さらに変な言い方になりますが この質問の答えは――いま思ったのですが―― 人それぞれに受け取ったその受け取り方がそのまま答えになる。ということかも知れません。 一般に人がまたスサノヲ市民がアマテラス圏を攻撃するというのは めづらしいわけで この事件をしか知らないくらいですので いちど取り上げてみたいと思ったのですが そう簡単にことが――そして理論が理論どおりに――割り切れるものではない。こう思いました。 大助が 共産主義者だということは あまり要因として捉えていませんでした。日本人が A 圏を攻撃することがあるかといった観点を問題にしていました。 ◇ ~~~~ この事件に関しては、江戸時代に国民に植え付けられた儒教的精神が大きく関わっているのではないでしょうか。 ここでいう儒教的精神とは、儒教そのものの精神というよりは、江戸時代の支配制度を絶体肯定するために改変された儒教的精神です。 ~~~~~~ ☆ この点にかんしましてはですね シントウなり日本教が 隠れた本体であって オモテに出て来ているのが 日本型儒教といった格好ではないかとは思ったりします。 ◇ 日本人に、中国の宗族は理解困難です。 ☆ そのほかに 男系血族というところに注目します。 マタイ福音では イエスの系譜が出て来ています。女性も入っていますが 男系血族が明らかにされています。 一般に遊牧民に見られるナラワシだと思います。 埼玉の稲荷山古墳出土の鉄剣の銘にも 杖刀人の系譜が 男系血族として名をつらねる恰好となっています。 農耕民のあいだでは そういう慣習はないようです。 もう少し開いています。
補足
再考の結果をつづっておぎないます。 《くにゆづり》史観について まだ持ちこたえることが出来る。こう結論づけたのですが どうでしょうか。 すなわち スサノヲ市民一般が この大昔のくにゆづりなる歴史(?)について知らなくてもかまわないと考えられるそのワケは けっきょくそのオホクニヌシらが非戦論に片向きそれを志向したのと同じ気持ちや心や生活の態度(つまり思想)を保ち続けているのならば この《くにゆづり》のことを何ら知らなくても そのスサノヲ=オホクニヌシなる市民にとっての思想は 生きている。 こう考えてもそれほど行き過ぎの議論でもないと思われるからです。 あるいはたとえ歴史事実ではなくても 神話としてうたわれたという事実があって そのことはやはり人びとの心ないし思想にもとづいているであろうと捉えてもあながち牽強付会の議論ではない。こう考えられるからです。 ですから たとえば人びとが一致団結して お上に楯突くという一揆などにしても 年貢のきびしさに対するといった特定目的の一過性の《革命》にしか過ぎなかった。こう考えられることに くにゆづり史観の基礎となった思想は 息づいている。こういった見方は 採りうると考えられます。 あるいはしたがって もし難波大助が このくにゆづり史観を崩壊させたとするならば それは 非戦論ないしゆづりあいの精神からかれの心が離れたということを物語っている。ということだと考えられます。 つまり 共産主義においては ゆくゆくの歴史情況が来たときには お上に楯突くのは まるまるその国家主権を奪取するということであって しかも問題はそれが暴力革命によるという前提が織り込み済みであることだと考えられるからです。いわゆる主戦論 この思想にすでに行っちゃっている。からには 話が別だと考えることが出来ましょう。 あるいはつまり 例のオ○ム○理教なる人びとの思想も 例のポアなるオシエから派生して 非戦論を離れ主戦論を採った。そこから 説明がつくと考えられます。 ▲ (ヰキぺ:ポア) ~~~~ 本来の意味の「ポア」とは、「死に際して、その魂を高い世界に移し変える(転生する)こと」を意味していた。 ところがオウム真理教では魂を高い世界に転生させるためには、積極的にその魂の持ち主の生命を(実際に)奪っても構わないという「殺人正当化の教義」を意味することになった。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ ここまで行っちゃってしまうと くにゆづり史観から はみ出たのだと考えるしかありません。 言いかえると ゆづりあいの精神は 自己の中からそれを崩壊させる動きを出してしまった。よわかった。ということですが くにゆづり史観の理論としての有効性をないがしろにしたかどうか? これは まだ議論の余地があるのではないかと考えます。 一定の多くの人口をもった単位社会において これだけの長い期間にわたって 非戦論=くにゆづり=ゆづりあいの精神なる思想がおおむね有効であったという歴史は 消されてしまうわけではないと思われるからです。単純にそう言えるかと考えます。世界に例を見ないという意味においてです。 別の見方をすれば 主戦論か非戦論かにかんする議論とその判断は いづれそれが決せられるとすれば 思想の問題ではないかと――思想による言ってみれば自己洗脳としての問題ではないかと――考える余地を残しており そういう問題意識において さらに問い求めて行くことも出来るかと考えます。人間にとっての社会的な和解のあり方――自己自身との和解をもふくめた世間との仲直りのあり方――という主題についてです。 なおまだ全体的な問題群のあいだにおける――史観による説明としての――整合性は 問い求め続けなければならないかも知れませんが。