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チンパンジーも花を美しいと感じるのか?
- 霊長目はかつて樹上生活時代、花を主食にしていたため、チンパンジーも花を見て美しいと感じている可能性があります。
- ゴリラやオランウータンも花を好む可能性がありますが、具体的な食べ方や好みに関してはよく分かっていません。
- 「花を好む遺伝子」については、具体的な研究結果が存在するかどうかは分かっていません。
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こんにちは。 「花を好む遺伝子」というのは理論上存在しません。 どうしてかと言いますと、もしそのようなものがあるとしますならば、例えば星を美しいと思う遺伝子や、宝石を好む遺伝子など、この世のありとあらゆる美しいものを好む遺伝しがそれぞれあるということになってしまいます。そしてもちろん、このようなことは事実上、ちょっと考えられません。 では何故、我々は花を美しいと思うのでしょうか。それは、多くの人が生後にそう学習するからです。従いまして、我々人間と同様に、チンパンジーにも花を好むことを学習するのは十分に可能です。但し、野生動物は生きてゆくために食べることが何よりも優先ですから、その生活のほとんどが花より団子ということになると思います。 では何故、多くの動物は花を美しいと感じることができるのでしょうか。 我々動物の脳には、環境からの入力情報に対して利益・不利益、安全危険を判定する能力が生得的に備わっています。視覚入力でしたら色彩が鮮やかで目立ち、判別しやすい。加えて上下左右が整然と安定している。動物の脳はこのようなものに安心感を覚え、報酬刺激と判定します。これに対し、色形が不安定で識別しづらいものには不安を感じます。そして、この基準に照らしますと、動物にとって花は本質的に美しく安全なもとなり、我々人類はこれに基づいて花を愛する文化を育んできたということになります。 ではでは何故、植物は動物に好まれる色や形を身に付けたのでしょうか。それは、植物が動物を利用するためです。具体的に述べますと、花の蜜で昆虫を呼び寄せて受粉してもらう。あるいは、熟した実を鳥や動物に食べてもらい、中の種子を遠くに運んでもらうといったことです。 今から一億年ほど前、陸上動物のほとんどは色覚を持たない色盲でした。ところがそのころ、植物界に被子植物の出現という大変革が起きました。 それまでの裸子植物は、毒を持ったり棘を生やすなど、ひたすら動物に食べられないようにして自分たちの身を守っていました。ですが、新しく現れた被子植物の生命戦略は、自ら目立ち、動物に食べられてもらうことによって子孫を残すという、180度の大革命でありましたた。そしてこれにより、動物は植物から蜜や果実などの栄養を得、植物は確実に子孫を残すという「動植物の共生関係」が確立されました。 しばらくして地上から恐竜がいなくなりますと、それまで夜行性であった我々の祖先は昼の世界に進出します。すると、そこには色鮮やかな花や果実が咲き誇っていました。それまで色盲だった我々の祖先は、色覚という新しい能力を発達させることにより、その中から赤く実ったより栄養のある果実をいち早く見つけ出すことができるようになありました。そしてこれにより、我々の祖先は生存競争に勝ち残りました。 このように、我々が何故花を好むのかと問われるならば、そこには一億年前の「被子植物の出現」と、これに伴う「色覚の発達」といった生物学的要因が背景にあるのではないかと考えます。 因みに、チンパンジーが花を食べていたとしますならば、それは蜜の味を学習したためと考えるのが妥当と思われます。霊長類の強みは雑食性であり、基本的に食べられるものは何でも食べます。ですが、もしかつてその主食が花であったとしますならば、とてもでは栄養が足らず、少なくとも現在のような繁栄は成し遂げられなかったのではないかと思います。
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- aothegenus
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誠実なお礼ありがとうございます。 黄金率は美しいは間違いです。 数学は美しいも間違いです。 それを美しく感じるなら間違いとは言えない、です。 正しい、つまり現実的な表現と言えるものは一つもない。 全ての人が星や花を美しいと思わないなんて言い訳になりませんよ。 一部の人が美しいと思うなら文化論的な事実じゃないですか。そう感じる一部の生物が作り出す事実じゃないですか。 その人らだけで構いませんから説明してください。美しいという現象をこの議論のまな板にのせてください。私はそこに料理する具体物が見えないと言っているのです。見える人は神も見えるでしょう。 チンパンジーが学習した結果、花を美しいと感じる、という命題は、私には見えないのです。 美しいと感じているのですか。本当ですか。 だから美しいという言葉を禁句にして議論した方が賢明ですよと申し上げているのです。 私はしないという判断です。これは正しいと思いますよ。 トンデモ科学者の真似をしたければ現実に確認できない要素を添加するだけですよね。美しいを介在させるのは崩壊の始まりです。美しいを入れない議論をして前進して落着させてから美しいを思索したらいけないのですか。 数学は美しいもそうですが宇宙は数学で出来ているとか言い出したらヤバイのですよ。
お礼
一応回答はありがたいのですが、「美しい」という言葉を巡って議論が長引きそうな・・・ 他の方は別に異論を唱えておられないので、これは貴方だけの拘りのようです。貴方と対話しようとすると、貴方の考えをもっと正確に理解しなければなりません。 >数学は美しいもそうですが宇宙は数学で出来ているとか言い出したらヤバイのですよ。 これも、もっともっと貴方の説明を聞いてからでないと、私のコメントは出て来ません。 私の疑問を解決する答えが欲しいので質問を出したわけで、質問から派生した議論を重ねるのは非常にしんどいです。 それに、そういう抽象的な話は興味が湧かないのです。 誠に申し訳ありませんが、そういうことで、質問を閉じますのでご了承下さい。 前に補足欄で書いた内容が多少、私が「美しい」という言葉を使った説明になっていませんか?
- aothegenus
- ベストアンサー率22% (56/252)
供花は装飾文化でしょう。 食い物由来ではなくて飾り付け的な本能が花の造形を選ばせた。 美意識の根源は芸術ではなく装飾。 と思います。 花弁は目立つための器官でしょう。その目立つ機能を利用した知的動物なのだと思います。 この議論は類人猿などが花を美しいと感じるかと展開しても絵に描いた餅にしかなりません。 美しいというどこまでも言語的な概念がつきとまうからです。 美しい日本などのように悪用されますが極めて偽善的な用語です。美しさという概念は自然科学の大地に足がついていませんし、人文科学的な議論においても空論だと思います。 せめて、興奮するとか、安らぐとか、の概念に引き下ろさない事には現実的な議論が始まりません。 つまりはこのテーマの考察を誠実に深めたいのならば、美しさを含む命題を放棄される事です。美しさの代償的な命題の中に物質的な現実が存在し、その代償的な命題のうち最適な物こそが自然科学的現実と見なされるでしょう。 最適さはタイトルで美しさを求められている質問者さんにお任せします。 最適な代償的命題を探る過程において、花を好む遺伝子などという概念の杜撰さも見えてくる事でしょう。 貴方は都合よく食欲の概念と結び付けたり別の観念、美しさに波及させたりしています。それでは宗教的自然科学です。生物学、とりわけ動物学はその類いの誘惑に負けない自己批判力のある者だけが専門家になるべきですがそんな専門家を知りません。人間の精神文化って継承ではなく遺伝するのですか。サルとヒトが交流したのですか。 遺伝子があるかないか以前にその概念が自然科学的に存在するのかです。花を好むとは何?さらにはそれがどこまで独立した要素になりえるかです。 身も蓋もなく言えば仮に食物的に好んだとしても美しさとどう結び付けられるというのでしょうか。
お礼
回答ありがとうございます。 「美しい」という語を安易に使ったのがいけなかったのかも知れません。 わざわざ生物カテで質問したのには、理由があります。「宗教的自然科学」をもてあそぶつもりはありません。 人間が持つ色々な感情にはそれぞれの背景があると思っています。人間がなぜ花に魅せられ、ヒマラヤに魅せられ、のたうつミミズの姿に嫌悪感を抱くのか? 心理学で説明できるものもあれば、進化の歴史を探らねばならないものもある。人間の花への愛着は、進化の歴史から説明できると主張した人がいたので、浅学な私は一応納得したのです。 昆虫も人間も花に引き付けられますが、その時感じる感情が昆虫と人間が同じものかどうかは知りません。昆虫も花を見つけ、花に向かって行動を起こしている以上、何がしかの「刺激感覚」には捉われているはずです。 人間が花を見つけ、引き付けられた時に感じる特定の感覚を我々は「美しい」と名づけているに過ぎません。 文学や日常生活で使う「美しい」という言葉の意味だけに捉われていては私の質問の意味を誤解してしまうでしょう。 「黄金分割はなぜ美しいのか?」こういう質問も貴方にとっては間違っているというのでしょうか?
補足
>人間の精神文化って継承ではなく遺伝するのですか。サルとヒトが交流したのですか。 「花を美しいと思うのは人間の精神文化」---生物に興味を持つ人らしからぬ発言ですね。文学カテで質問したのかな?と錯覚してしまいます。 内臓の話になりますが、人間には心臓がありますね。ミミズにも心臓がありますが、人間の心臓と比べて形態が帯状で極めて単純原始的です。言わば"心臓状のもの"です。しかし、規則正しく脈打っています。 人間が花を見たとき惹き付けられる感情を、我々は「花は美しい」と名づけることにしました。 チンパンジー(かつては花を食べていたとのこと)が花を見つけ、食べたいと思っている時の感情は、人間の感情とは違うものでしょう。多分、人間より原始的なものでしょうが、持っていることは否定出来ません。 人間が創造した精神文化は、人間以外の生物は全く持っていないと主張されているようですが、原始的な形では持っていると思います。そしてそれは同根です。 あらゆることを研究した結果そう結論を出したわけではなく、数例を観てみて今の段階でそう思うだけですが・・
NO.2 です。 >ここは論理学ではないのですから 学問畑ですから論理的思考はつねに手放さずにいなければ、冗談になってしまいます。 ネアンでルタール人が墓に花をたむけたのは有名なはなしですね。彼らも人類の一種ですから、チンパンジーとは質的に異なった文化生活を既に営んでいたということでしょう。 チンパンジーも死んだ子供を惜しんでしばらくは一緒にいますが、ある時点でごみのようにして放置します。死者は彼らには疎ましいだけの、無価値のものなのでしょう。花を食用としてみていたこともあったのかもしれませんが、そこから見るだけで満足するような習慣は生まれるはずはないし、実際生まれていません。蜜をなめるのがせいぜいであり、美的感覚とは無関係です。 花はそのあとの有用な果実を記号的に指示する点で人間以外の動物には重要なのかもしれないと私は思います。 >人間が花を美しいと感じるのも、人間の進化に歴史が それは間違いないと思います。人間の精神文化に継承された美意識のひとつだろうと思います。ただ生きるために発展させてきた衣食住の文化とは系統の異なったものだとおもわれます。
お礼
再度の回答ありがとうございます。 >チンパンジーも死んだ子供を惜しんでしばらくは一緒にいますが しばらくは子を失った喪失感は持つんですね。 >学問畑ですから論理的思考はつねに手放さずにいなければ、冗談になってしまいます。 勿論そうですが、しかし、貴方のは「目くじら」を立てていましたからね。論理を論ずる場ではないと思ったからです。
>チンパンジーが今花を食べないのだとしたら、積極的に種の保存に役立たない状況が過去においてあったということでしょうか? 蜂に刺される危険性から遠ざかったのではないでしょうか? いずれにせよ >花を好む遺伝子が積極的に種の保存に役立たない限り、花を好む遺伝子は残る可能性がある。」 この日本語は変です。論理的にも日本語的にも意味をなしません。この人が言いたかったのは 花を好む遺伝子が積極的に種の保存に役立たない限り、花を好む遺伝子は残る可能性はない。」 なのか(このほうが論理的ですが) 花を好む遺伝子が積極的に種の保存に害をなすことがない限り、花を好む遺伝子は残る可能性がある。 と言いたかったのか(この方が人間に関しては結果的に現実になったわけですから、こういいたかったのかもですが、なんとも強弁すぎます。 私は、花を好む遺伝子はないと思います。人間が花を好むのは、その知能の高さから来る好奇心の強さが、花を自然における異様な現象として珍重したことに由来するのではないかと思っています。
お礼
回答ありがとうございます。 先のリンク先の質問者は「ネアンデルタール人が死者に花を供した」という話をされています。 昆虫はその数億年の進化の歴史の中で獲得した「光に向かう」という遺伝子がわざわいして、誘蛾灯やロウソクの炎にも飛び込んで来て自らの命を滅ぼしてしまいます。 人間が花を美しいと感じるのも、人類の進化の歴史が関係しているのではないかと想像してしまいます。
補足
>蜂に刺される危険性から遠ざかったのではないでしょうか? いつもいつも刺されるわけではないと思いますが・・・花から遠ざかる要因になるのでしょうかね? >なんとも強弁すぎます。 ココは論理学カテではないのですから、大目に見るのがいいのではないでしょうか? 論者の言いたいことは判るのですから。
- pupPeTeer119
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曖昧な記憶に頼った回答になるのですが、以前何かの野生動物を紹介する番組の中で、チンパンジーが“花をむしって花の蜜を吸っていた”映像を見た記憶があります。 生き物にとって、蜜などの糖分はエネルギーとして利用し易いことから、それを識別する“甘味”という味覚は強い快感を呼び起こすものとなっています。 このことがイコール“花を好む遺伝子”の一つの要因となっているではないでしょうか? ところ一つ疑問があります。 質問文中、『花を好む遺伝子が積極的に種の保存に役立たない限り、花を好む遺伝子は残る可能性がある』と書いておられますが、これは間違っていませんか? 遺伝的に残されるものはその種が生存していくことに有効なものである筈ですよね? そう考えると、 『花を好む遺伝子があるとして、その“花を好む”という性質が積極的に種の保存に役立つ限りにおいて、その遺伝子が残される可能性がある』 という感じに、書かれている事と真逆の定義でないと論理的におかしいと思えるのですが、如何でしょうか? 最後に >ところで、「花を好む遺伝子」というのは、実際に遺伝学者か誰かが突き止めて発見しているのですか? この問いに関しては残念ながら私は答を持っていません。 しかし、人間が生来的に“甘味”を好む性質を持つことは、赤ん坊に甘味料を与える実験によって遺伝子レベルではなく現象面で確認されています。
お礼
回答ありがとうございます。 『花を好む遺伝子が積極的に種の保存に役立たない限り、花を好む遺伝子は残る可能性がある』---これは私の文章ではなく、リンク先の回答者の文章なんです。実は私もこの文章の解釈には戸惑ったんですが、多分自分の文章理解力が低いせいだろう、他の人なら誤解せずに正確に理解するのだろうと判断して、そのままコピペした次第です。 やっぱりちょっとヘンな文章なんでしょうね。 でも、『花を好む遺伝子があるとして、その“花を好む”という性質が積極的に種の保存に役立つ限りにおいて、その遺伝子が残される可能性がある』とは意味が少し違うと思いますよ。 例えば、別の例を上げた方が分かり易いかも・・ 赤ん坊が異常に握力が強いのは、かつて人間が樹上生活をしていた時の名残りだとどこかで読んだことがあります。 現代においては赤ん坊にとって握力は必要ありませんが、握力を保持することが種の保存が危うくするという状況ではないので、かつて獲得した能力がそのまま消失せずに続いているということだと思います。 別の言い方をすると・・積極的に役立つというわけではないが、別にこの能力を持っていても邪魔にはならないのでそのまま持ち続けているということだと思います。 動物園でサルなどを見ていると、木に登ったりするだけでなく、親につかまったりもしていますから、この手の握力は今尚積極的に役立っているのでしょう。 チンパンジーが花の蜜を吸っているという情報、ありがとうございます。参考にさせていただきます。
お礼
全ての人間は、腹が減ると食べたくなりますが、全ての人間が花を美しいと思うわけではありません。 全ての人間が宝石を美しいと感じるわけではないように。 人間が花を美しいと感じるのは、隠された本能があるのではないかと思ったのですが、そうではないのかも知れません。
補足
回答ありがとうございます。 >しばらくして地上から恐竜がいなくなりますと、それまで夜行性であった我々の祖先は昼の世界に進出します。 人類の祖先が現れたのは恐竜時代より遥か時代が下ってからではないのですか? >それまで色盲だった我々の祖先は、色覚という新しい能力を発達させることにより どの辺りの祖先から色覚能力を持ったか、ご存知でしょうか?ネアンデルタール人は直接の祖先ではないようですが、色覚を持っていたのでしょうか? 今まで人類と色覚能力というのは気にも留めませんでしたが、この質問をしてから気になり始めました。 動物が木の実に興味を持つのは理解出来るのですが、しかし、ここで私が問題提起したのは「花」ですから、論点が違うように思うのですが・・ 被子植物の重要性・・よく解りました。