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正義と悪の本質とは
- 正義とはなんでしょうか?正しいこととはなんでしょうか?悪とはなんでしょうか?悪いこととはなんでしょうか?この質問には明確な答えはありません。昔から決められてきた制限である法律は正しいことでしょうか?昔から行われてきた法律に触れることは悪いことでしょうか?人々は正義や悪を解釈することがあります。
- 常識や普通も同様です。昔から行われてきた行動は普通であり、常識であるとされています。では、正しいかどうかはどうでしょうか?昔から行われていればそれは正しさでしょうか?また、悪いかどうかも同様です。映画やゲームなどでよく見る悪役も人間的な理由や背景があることがあります。
- 正義役と悪役、目に見えるものと見えないもの、明確な答えと疑問。正義や悪には個人の解釈が存在します。正義は絶対的なものではなく、悪も最初から存在するかどうかはわかりません。では、正義と悪の本質とは何でしょうか?それは人々の中に異なる解釈や意見が存在するものであり、常に議論の対象となるものです。
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「興味深い質問」でしたので「回答」させて頂きます。 私の「意見」を述べる前に「1つ」の「前提条件」を「提起」させて頂きます。 「人間」とは「字」の如く「人の間」つまり「人」が「集団的社会」に「属する事」で「人」を「人間」として「認知」された「状態」を「表現」したものです。つまり「集団行動」を「取れる人」を「人間」として「現実社会」では「認知」されます。 因みにお聴きしますが「貴方」は「人間」ですか?そして「私」は「人間」でしょうか? 私は「この世の中」に「絶対的正義」は「存在」し無いと思っています。ですが「正義」は「存在」します。ですがこの「正義」とは「人」によって「異なる受けとめ方」をします。例えば「貴方」にとっては「正義」と思う事がもしかしたら「私」にとっては「悪」と思う事も有りうるのです。 即ち「正義」とは「捉える側」次第だと思います。簡単に言えば「人の数」だけ「正義」は「存在」するのです。 では「悪」はどうでしょう。「人間」として「生きる」なら「絶対的悪」は「存在」すると思います。それは「他者」に「迷惑」を「働く事」です。「前提条件」で述べた様に「集団的社会」を「築く場合」に於いて「初めて」「人」は「人間」として「認知」されるのです。その「社会」で「他者」に「迷惑」を「働く者」を「仲間」として「認める事」が出来るでしょうか。そして「迷惑者」を「選別」する「方法」が「法律」でしょう。「法律」とは「人間社会」での「正義・悪」の「境界線」をつける「道具」でしか無いのです。 「物語の世界」での「悪役」は「簡単明解」ですが「現実世界」では「簡単」ではありません。何故なら「当人」に於いては「良い事(正義)」でも「他者」に於いても「正義」とは言え無いのです。それが「本当」では無いでしょうか。 長々と述べましたが「現実世界」に於いて「正義」と「悪」とは「受けとめる側」に因って「不変」では無いのです。「貴方」が「その事」を「悩む」のは「素晴らしい事」です。只「貴方」が「行う事」が「正しいのか」と「悩む」ならば「その行い」が「相手」に「迷惑」を「掛けてい無い」かだけを「考える事」です。 「私」は「正義」も「悪」も「1つだと」は思いません。「人の数」だけ「正義」も「悪」も「存在」するものと思います。
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- NURU_osan
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「悪」というもの、そしてその対極である「正義」とか「善良」とかいうもの それらは特に天然自然の原理に基づくものではなく、人間が自分たちの都合に合わせて物事を判断するための尺度であり、絶対的な「悪」や絶対的な「正義」というものが存在するわけではありません。 したがって、「悪」「正義」の基準となるものは人によって、状況によって、国によって、時代によって、宗教によって、それぞれ異なります。 そもそも人の行いで「悪」という要素を含まない行為は、厳密に考えれば一切ありません。 たとえば物を食べるという当たり前の行為であっても、食べられるモノの多くは生物(植物も菌類も生物)であり、必ず殺生や破壊といった「悪」を象徴する行為を伴わざるを得ません。 ですが、生きていくうえでは誰もがどうしてもそうした悪事を働かざるを得ません。極端な言い方をすれば、人が生きるというそれだけのことが既に「悪」なのです。 そして、自らの行為に「悪」を見出した時に、ふと気づいてしまった時に、「悪いことをした」という罪悪感が心の中に生まれます。 しかし、心の中に生まれた罪悪感を消そうにも、生きている以上は悪事を完全に絶つことはできません。 その罪悪感そのものを消すことができないならば、何らかの方法で合理化して打ち消さねばなりません。その合理化のもっとも効果的な手段が「正義」です。 「これはこうなんだから仕方ない」「これはこうするのが正しい」という理由によって、自らの悪事(罪悪感の原因となっている行為)を正当化し、罪の意識や良心の呵責を緩和したり無視したりできるようになります。 極端な言い方になりますが「『正義』とは悪事を正当化する手段でしかない」のです。 だから、大きな悪事を働くものほど、大きな正義を必要とするようになります。 そして、立場によって働く悪事(その背景)も異なりますから、「正義」も大きく異なってくるのです。 しかし、異なる正義をいちいち正義と認めていたのでは衝突が避けられません。 自分にとっては悪事以外の何物でもない都合の悪い他人の正義など、誰だって「正義」とは認められません。 そこで、同じ社会で共存する者同士の間で、お互いに都合や考えをすり合わせて文化や習慣といったものが形作られて行きます。その過程で出来上がる暗黙の了解が「常識」であり、その常識にそって物事の「良い」「悪い」を判断する尺度の基準が「善悪」や「正義/悪」とされるようになります。 同じ社会で共存する者同士の間の了解事項なので、その内容は必然的に地域や時代によって異なるローカルなものにならざるをえません。 だから、同じ事柄でも人によって、国や地域によって、時代によって、宗教によって、違ってくるのです。 だから、正義や悪は決して絶対的なものになどなりえません。 絶対的正義も絶対的悪も存在しないのだからこそ、自分とは異なる価値観や考えには慎重に耳を傾ける必要があるのです。 もし誰かが「絶対的な正義」「絶対悪」といった極端な言い方をしていたり、極端に大げさな「正義」や「悪」を声高に、強硬に主張していたなら、その人はどこかでウソをついていると用心した方が良いでしょう。そこには必ず「悪事を隠したい」という思惑が潜んでいるはずです。
お礼
人が生きる上で何かを殺す事は仕方ないと言えなくもないかもしれませんね 道を歩く、走るなどすれば蟻や虫類、植物を踏んでしまう、殺してしまうのは必然と言えば必然 虫の世界にも法律のような物はあるかもしれない 人間で言う殺人罪 殺虫罪とかでしょうか? 虫の世界で虫が踏み潰される度に遺族が泣き、裁判が行われ、あいつは○○を殺した 処刑にするとなっても虫の力は人間には及ばず結果的には返り討ち 蚊が人間の血を吸いにくるのももしかすれば虫の世界であいつは吸血の刑とでもなってるからかも知れないけど 蚊取り線香やらで撃退される 虫の正義は人間には通用しないですね 何も殺さず生きる人間なんて居ないですね いただきます。 ごちそうさまでした。 は食への感謝の記しとされていますが 言い換えてしまえば、殺した事に喜ぶとも取れますね だからそれが悪であるとも言い切れないのですが… 回答ありがとうございました ===余談=== プロフ画可愛いですね 頂きました
- さば 缶(@sabacan)
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自分が正義だ!と思ったことが正義であり 自分が悪だ!と思ったことが悪です ですから、マスコミが悪だと放送してるものが悪とはかぎらないし、世論がみんなが専門家が悪だ、と言ってるものも悪とは限りません。
お礼
今の社会では… 例えば中国や韓国ですね そこら辺が邪険にされているみたいですが やはり中国や韓国を悪だ と思う方が多いということなのでしょうかね? 他の回答者に 正義なんてない、全てが悪だ という方が居ますが 実際そう考える人は少数なのでしょうか? 自身の正当化の為なら他人を犠牲にしてもいい という精神には理解をしかねますね こういう多数決みたいな社会が次世代の人々をそうさせてしまうのかもしれませんね
お礼
自分は恐らく「人」でしょう 昔から行動力に欠け集団行動は苦手でした 友好関係も長く持った事は無く、コミュニケーション能力にも欠けます 職場でも最低限の事しか話さず、はっきり言って無口です 運動もどちらかと言うと1人でできる物を好みます もしこんな自分に無いものを持っているなら貴方は「人間」ではないでしょうか? 残念ながら自分は貴方を知りませんので断定は出来ません。 残念ながら少なくとも今の時点では自分は正義も悪も常識も感じ取れていません 殺人が悪であるとは思わず、中国や韓国は悪であるとは思わず かといって正義とも思わず 自分は幼き頃はこれは悪いこと、これは良いことと言っていましたが 近年より物事に優位や良悪を着ける事をしなくなりました 高級食材を使って、いい器具を使ってる飲食店が美味しいと評判になるのは当たり前で スーパーに売ってる安い食材を使って、器具も開店から変えていない料理店が評判になるには腕次第 こんなの当たり前と思っていた頃もありましたが、今ではおかしいかもしれないと思うようになりました。 自分は無口で、人に言われた事しかしないロボットのような人ですが、こんな自分でも迷惑にはなるのでしょう 言い換えれば、頼りない、行動力が無い、元気がない、親しみずらい、何を考えているか解らないなどと取れてしまう 極端な言い方をすれば社会的不適合者ですからね 他人に迷惑を掛けない行動をするにも難しいですね 例えば警察は法律、秩序に従って悪を罰していますが 逆に言ってしまえば 捕まった人はその後の人生は壊れてしまうし、他にもよく思わないという人は居るでしょう 何事にも反対はあるんですね 100%の評価を得られる飲食店は無いですし 100%の証拠を揃えて犯人を逮捕する警察も居ません もし何にも迷惑をかけないで生きる目標を抱いてしまえばすぐに挫折するでしょう 歩く、走るなどをすれば植物や虫を踏んでしまい 踏まれた虫の遺族や友人(友虫?)に恨まれるかもしれない 生きる事で迷惑をかけてしまう事は必然ですね 勿論 だからといって悪だ!とも正義だ!とも言えませんが。 貴方や前回答者様の意見は大変興味をそそられました 回答ありがとうございました