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殺された人の人権

最近殺人が簡単に行われているように思います 3月末には障害を抱えた大学生が同級生に殺された 事件がありました 新聞にも出たので記憶に新しいと思います いつも思うのですが殺した人の刑があまりにも 軽すぎるように思います 新聞によれば、3月までは旧少年法の適用で 約1年で社会復帰の可能性があるとの事 新少年法でも約5年が目安との事 息子を殺された親はこんな短期間で社会復帰する 殺人者を見てどう感じるのでしょうか イスラム教だと思いますが 「目には目を、歯には歯を、(命には命を)」 が人権の平等を正しく示しているように思うのですが

  • autoro
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  • okaya_3
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回答No.4

確かに人を殺したのに何で1年で社会復帰するんだ!とは思います。 殺人者を擁護しようとは思いません。 ただ、刑罰というのは法律(刑法)で決められるものです。 そうすると刑事政策的にはこうしよう、という意図が働いてくると思います。 例えば、殺人罪は総て死刑としたら殺人はなくなるのでしょうか。 そうではないと考えられています。 私は人を殺したことがあるわけではないのでわかりませんが、人を殺す瞬間、その殺人者は捕まるとは思っていないそうです。 捕まるとは思っていないということは、刑罰を科せられるとも思っていないということです。 だから、死刑にしても殺人はなくならないと考えられています。 昔の事件なんですが自分の父親を殺した娘がいました。 その娘は、母親が早くに亡くなり父親に小さい頃から強姦され、しかも、何度も子供を身ごもりおろしていました。 その娘を責められますか? 法律で殺人を犯したら死刑決めてしまうとそういった事例でも死刑とされます。 そういった法律の下で、人が安心して暮らせるでしょうか。 また、刑法では犯罪者に罰を与えるとともに犯罪者の更正を願っています。 刑法の目的はあくまでも犯罪者の抹殺ではないのです。 それに、死刑を執行する人は職務としてその犯罪者を殺すのですが、それでもそのことは一生忘れられないそうです。 ずっとその重さを背負って生きていくのです。 刑務官は死刑執行人ではないのに、死刑を執行しなければならないのです。 人を殺した人は、それがどういった状況であれそれを一生背負って生きていくのだと思います。 きっと、こんな法律のことを聞いているのではないとは思いますが、法律では「命の重さ」をはかることはできないと思います。

autoro
質問者

お礼

回答有難う御座います 刑が決まれば犯罪者がなくなるか ご指摘のとうり犯罪が起きる瞬間罪を意識している人は 少なく瞬間的に発生している割合が高いと聞いております しかしその一瞬前の意識については皆一様に意識があった とも聞いています その行動を起こさせた一瞬の動機と起こした人の人格が 刑の判定の分岐点とも聞いております また死刑執行人の心理人間としてやりきれないものと 思います 将来ロボットシステムになり「人」の介入なしに実施 出来ることが「刑」としての「格」になるように思います

その他の回答 (11)

  • ajaja622
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回答No.1

とても難しい問題ですね。 殺された人の身内だったら犯人は死刑にして欲しいでしょうが、犯人の身内だったらどんな気持ちなんでしょか? どんな子供でも、親にとっては大事な子供。我が子の為なら命すら惜しくない。これが親の気持ちらしいです。(違う親もいるとは思いますが‥) まだ、社会的に保護される立場にある未成年の場合。許されない事件も確かにありますが「目には目を‥」というのも問題あるような気がします。 私は、少年の起こす事件よりも薬物常用者の犯罪が許されることのほうがもっと問題のような気がします。 「薬物使用の為、正常な判断ができなかった」 それだったら、飲酒運転も許しなさいよ!!と、言いたい。

autoro
質問者

お礼

早速の回答有難う御座います ただ親の気持ちは今回の主題と少し観点が異なるように 思います 私の主題は「命」の重さです 今一度ご意見を頂けたらと思いますし 他の方々のご意見もお伺いしてみたいと思います

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  • 人を殺した以上は、自分の死を以て償う以外にはない

    私は 死刑はむしろ報復ではなく、自分のした責任を自分で取る、ということだと思います。 人を殺した以上は、自分の死を以て償う以外にはないと思いますね。 被害者遺族感情としては当然そうでしょうし、等価であるべきと思うでしょう。何の落ち度もない人の人権が不当に侵害され、殺人事件の場合には被害者は二度とこの世に戻ることが出来ぬというのに、何故その人権を不当に侵害した張本人である加害者が刑期を終えてのうのうと社会に戻って生活するのだと。加害者が幸せに暮らすのは許せない。残虐な殺戮を行った者にどんな情状酌量の余地があるのだと。何故無期なのだと。目には目を、歯には歯を、というのは感情論としてはとてもよく分かります。 基本的には等価賠償であるべきと個人的には思いますが、人が人として法という一定のルールに従い人を処罰する上では、完全に等価賠償、目には目を、歯に歯を、というのは難しいとは思います。法は犯罪者にも基本的人権を認めていますから、やられたとおりの残虐な処刑は出来ません。もしそれが出来るとなれば法が法として成り立たなくなります。最高刑として死刑があり、その死刑方法は定められたものでなければならない、そういうことです。犯した罪に対する処罰として法の下での死刑があり、それは貴見のとおり報復ではなく、自分のした犯罪責任を自分で取る、ということに他なりません。 免罪の可能性等、死刑制度にいくつか問題点があるにしても、無期懲役の仮釈放中の再犯の可能性や遺族感情等を慮れば、最高刑としての死刑を否定、廃止を唱える輩達は偽善者としか思えませんし、正直意味が分かりません。 みなさんは、どう思いますか?

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