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家父長制

家父長制はいつの時代から始まった事なんですか?

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noname#118466
noname#118466
回答No.2

補足。 専門家ではないので断定はしませんが、武家制度が確立するまでは「家」という観念はなかったようです。平安時代までは古代母系社会の名残りか、結婚の形も嫁入りではなく、男が女の家に通う、通い夫が普通だったようです。武家社会になり、結婚が家と家の結びつきとなり、女性が夫の家に住み着くようになり、女性の地位が従来とは180度変わったと理解しています。それまでの女性は権利ではむしろ男性以上だったかも知れません。母系社会では男性は財産の相続権がなく三下り半を出すのは女性であり、現在でもアメリカインディアンほか多くの先住民族の習慣として残っています。 奈良時代後期から平安時代の宮廷生活は女流文学で語られているので、よく知られていますが、政権に女性の進出度合いが薄いから女権が低いと短絡的に考えるのはどうかと思います。どこの国でも何時の時代でも政権中枢への女性の進出は少ないと思いますが、それと女性の権利とは直接関係ないのでは・・日本の場合、庶民は江戸時代になっても長い間、自由恋愛、自由な結婚の習慣が残っていたのではないでしょうか。 siosaiさんは予想したとおり自分の考えを持ちながら、素朴な疑問として質問されていますね。私の意見はあくまで参考意見として頂ければ結構です。

siosai
質問者

お礼

ありがとうございます。参考になりました。

その他の回答 (1)

noname#118466
noname#118466
回答No.1

家父長制の定義の仕方によって、いつから始まったか変わってくるのではないでしょうか。家父長制そのものは人類の始まりからあったでしょう。人間が家族単位に生活するとき、母親と父親の役割が決まってきます。それはひとつだけの形ではなく生活する場所(地域)によって異なってきたと思われますが、一般的には父親が 狩をして食料を確保し、外敵より家族を守り、母親は料理と育児、僅かな植物性食料の採取という段階から自然に父親が家族の長として重要な役割を果たすようになったと思われます。 現在言われる家父長制度は武家社会が発達し固定化した中世(江戸初期)からでしょう。武家社会は個人よりも家が中心となった社会です。家のためには家族の構成員はあらゆることを犠牲(後回し)にしなければなりません。そのような社会では必然的に家長の権限が強くなります。個人の自由が縛られ、結婚も個人の意志よりも家の都合が優先されるようになり、女性の地位が低くなりました。それまでの日本や江戸時代になっても武家社会以外では、今日のような自由恋愛、本人同士の意思を尊重した結婚が普通だったものが、時代と共に庶民にも武家社会の風習が広がり始めました。この流れを巧みに利用したのが明治政府ではないでしょうか。富国強兵を計り欧米に追いつくために、家父長制度は理想的だったと思われます。 1945年(終戦)以降、新生民主国家となった日本では家父長制度は否定され、家族は等しく同じ権利を持ち、自由恋愛、結婚が300年ぶりに復活したわけですが、長い間の習慣は一朝一夕にはあらたまらず、古い意味での父権を振り回す人がゼロではありません。単に父親が家族の中で大きな責任と交換に指導権をもつのは家父長制とは特に関係なく、父系社会、母系社会という違った文化に基づくものなので日本特有の習慣ではありません。 蛇足 質問が簡単すぎます。人に物を尋ねる場合は、何故そのような疑問が出てきたのか 、家父長制のここが知りたいとか、もっと具体的に質問すべきです。同じグループ、同じ環境の仲間であればツーカと通じるでしょうが・・

siosai
質問者

補足

なるほど、ありがとうございます。でも女性の価値が下がり始めたのは、奈良時代後半ではないかと思っています。なぜなら、そのころは財産相続で言えば男女こそ平等ですが、仕事の面から見ると、女性は後宮や宮人しか仕事が無くそれ以外は男性ということが目立つからです。そこで財産を増やそうとする女性が経済力のある夫を見つけるようになったのではないでしょうか。そういう意味で私は9世紀頃から家父長制が現れてきたのではないかと思ってます。間違えていたらすみません。

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