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哲学者の詩についての言及

タイトルの通りなのですが、哲学者の詩についての言及を調べています。どんな事を言ったのかなと。哲学者と詩人は同じ言葉を扱う者ですが、深い違い、以外な共通点など、知りたく思います。哲学者の言及以外にも、それらについての個人的なご意見も募集させて戴きます。よろしくお願いします。

noname#181644
noname#181644

みんなの回答

回答No.5

NO4です。 お礼、ありがとうございます。 参考までに、 青年プラトンが書いた詩をご紹介します。 ───────── 星々を見やる星彦 なぞ我が身 夜の空ならぬ 万(よろず)の星の眼(まなこ)にて うれしき君を眺めるは ねたまし  斎藤忍随 プラトン 岩波新書 ───────── 恋愛詩です。 「目が二つじゃ、足んねぇ~よ。 オレが星空だったら、 夜空いっぱいの星という眼で美しい君を見られるのに。 くっそっ、星空がねたましい!!」 といった意味です。 アステール(星)という名の美しい《青年》を歌った詩だそうですよ。

回答No.4

こんにちはです。 わたしが知る限り、詩人という存在を徹底的に批判した哲学者は、 プラトン大先生!! です。 神のごときプラトン───わたしがそう思っているのではなく、スコラ学者などがかつてプラトンをそう呼んだ───が詩人に見せた態度を  斎藤忍随著 プラトン 岩波新書 から引用して、御紹介します。 ──────────── プラトンほど文学的才能、詩人的天分に恵まれた哲学者が、現在まで他にいたとは考えられない。彼は第II章に引いたような恋愛詩を書いたらしい。彼の多くの対話篇の劇的な構成、彼が案出した数多くの神話などからも、彼の非常な才能、天分を十分にうかがえるだろうが、その彼が詩人に激しい攻撃をあびせ、詩人たちを追放したいとの意図まで示した。彼の大作『ポリーテイアー』を有名にしているのは、共産主義組織を除けば、その激しい詩人追放論かもしれない。 ──────────── プラトンの考え方からすれば、詩人はすべて《嘘つき》。 もっともらしい嘘をつくことが、詩人の存在価値です。 《イデア=神》のプラトンは、この詩人のつく嘘が許せなかった、といったところでしょうか。 彼にとって《絶対善である神》を人間と同様な存在として描く、ホメーロスの『イーリアス』などは、到底受け入れられなかった。で、そんな不貞の輩は追放してしまえ!!というわけです。

noname#181644
質問者

お礼

プラトンにそんな説話があったなんて、意外でした。 詩人は嘘つきですか、。美しい嘘をつく、と言えるのかもしれませんね。 ご回答ありがとうございます。とても参考になりました。

noname#180507
noname#180507
回答No.3

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 孤独が終わるところ、そこに市場が始まる。 そして、市場が始まるところ、そこに(いわゆる)偉大な俳優たちの騒ぎや、 毒バエどもの唸り声もまた始まる。 偉大なもの、すなわち創造的なものを、民衆はあまり理解しない。 だが民衆は、偉大な事柄を上演するすべての者たち、 それを演ずるすべての俳優たちに対しては、感受性をそなえている。 俳優は精神を持っているが、精神の良心は持っていない。 彼がつねに信じるものは、ひとをして最も強く信じさせるための手段 __彼自身を信じさせるための手段なのだ。 ひとの気を転倒させること__それが彼にとっては証明することを意味する。 ひとを狂乱させること__それが彼にとっては説得することを意味する。 そして血こそ、彼の見るところでは、一切の根拠のなかで最上のものである。 すべての偉大なことは、市場と名声から離れたところで起こる。 昔から、新しい諸価値の創案者たちは、 市場と名声から離れたところに住んでいたのだ。 わたしは、きみが毒バエどもによって煩わされているのを見る。 彼らは、まったく無邪気に、きみの血を欲しがる。 彼らの貧血の魂が血を要求するのだ。 __それゆえ、彼らはまったく無邪気に刺すのだ。 彼らはまた、きみのまわりで、その称讃の唸り声を立てることもある。 押しつけがましさが彼らの称讃なのだ。 彼らは、きみの皮膚ときみの血の近くにいることを欲する。 彼らは、一切のきみの諸徳のゆえに、きみを罰する。 彼らがきみに対して心の底から容赦するのは、 ただ__きみのもろもろの失策だけだ。 卑小な者たちに用心せよ。 彼らの低劣さは目に見えない復讐と化して、かすかにまたあかあかと燃える。 きみにおいて偉大であるところのもの__そのもの自体が、 彼らをいっそう有毒に、ますますハエのようなものに、せずにはおかない。 のがれよ、わが友よ、きみの孤独のなかへ、そしてかしこへ、 或る荒々しい強い風の吹くところへ。 ハエたたきになることは、きみの運命ではないのだ。 ツァラトゥストラ ~市場のハエどもについて(抜粋)~ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ (訳註)市場・・・俗世間のこと

noname#181644
質問者

お礼

とても個性的で深い洞察と娯楽性に富む表現であると思いました。ツァラトゥストラ、聞いたことのある名前、私は彼とは異なる機軸で動いていますが、とても参考になりました。

回答No.2

 こんにちは。  詩がしばしば文学的であるとき・つまりは 開けゆく想像力の軌道を追ってその軌跡の表現にちからをそそぐとき  哲学は その意味内容について交通整理をしようとしましょうし さらにはすでに自己の価値観をも 含みとしてかあるいはオモテに出してか 明らかにしようとします。できるかぎり哲学は結論を明示したいと思っていると思います。  ボードレールのひとつの詩とその和訳二編を例示としてかかげます。  一連ごとに和訳をさしはさみます。最初の( A )はふつうの――文学としての――翻訳であり つづくもの( B )は 哲学の観点からの翻訳例です。         *  Baudelaire : Le reniement de Saint-Pierre  聖ペテロの否認  Qu'est-ce que Dieu fait donc de ce flot d'anathèmes  Qui monte tous les jours vers ses chers Séraphins ?  Comme un tyran gorgé de viande et de vins,  Il s'endort au doux bruit de nos affreux blasphèmes.  (A) いったい神は、親愛な熾天使たちへと向かって上って来る  この呪詛の波をどうしようというのか?  肉と酒に満たされた暴君のように、  神は私たちのおぞましい非難を甘い声と聞き、眠りに就く。  (B) 神には天使たちの受けた抗議の電話が届いていないのか。  セラフィームたちは 今や来る日も来る日も汗だくで応対しているではないか。  まさかこのわれわれの咎めの電話が鳴っても 子守唄にちょうどよいなどということはあるまいに。  ひょっとして いやまさか 神はたらふく食って飲んでご満悦だというわけはあるまいに。  Les sanglots des martyrs et des suppliciés  Sont une symphonie enivrante sans doute,  Puisque, malgré le sang que leur volupté coûte,  Les cieux ne s'en sont point encore rassasiés !  (A) 殉教者と受刑者たちの呻き声は  おそらく心を酔わせる交響曲なのだろう。  なぜなら、彼らの欲望の代償として血が流れたにもかかわらず、  天はいまだにすこしも満ち足りてはいないのだから!  (B) あのイエスにしたがい人びとは  次から次へと死地に追いやられるわ刑罰を受けるわ。  この人たちのすすり泣く声も 父なる神には持って来いの調べなのか。  それでも一向に動く気配は見当たらぬ。天使たちもよく見ると澄ましたものだ。  たしかに人びとは神を愛していた。そりゃあ勝手に愛したのさ。  Ah ! Jésus, souviens-toi du jardin des Olives !  Dans ta simplicité tu priais à genoux  Celui qui dans son ciel riait au bruit des clous  Que d'ignobles bourreaux plantaient dans tes chairs vives,  (A) ―ああ! イエスよ、オリーブの庭を思い起こせ!  お前は素朴に膝をついて祈っていた、  お前の生き生きとした肉体に卑しい処刑人が  釘を打ち込む音が響く中、自らの天の中で笑う者のために。  (B) それにしてもイエスよ。あんたはあのオリヴの園で  神なる父に懇願していたぢゃないか。  そのあとあんたにははりつけの釘が待っていた。  こんこんと打たれる釘の音もむろん父なる神には心地よい音色であったとは。  Lorsque tu vis cracher sur ta divinité  La crapule du corps de garde et des cuisines,  Et lorsque tu sentis s'enfoncer les épines  Dans ton crâne où vivait l'immense Humanité ;  (A) 卑しい衛兵と料理人たちが  お前の神聖の上に唾を吐きかけるのを見た時のことを。  そして巨大な人類が生きていたその頭蓋骨に  茨が食い込むのを感じた時のことを。  (B) あぁ きみはローマ兵らにつばきを吐きかけられていた。  吐きかけられるにまかせていたきみは ばかか。  あたまにかぶせられたいばらのかんむりも  ちっとはとげが刺さったかい? 痛かったかい?  神の子ったって 人の子だろうよ。  Quand de ton corps brisé la pesanteur horrible  Allongeait tes deux bras distendus, que ton sang  Et ta sueur coulaient de ton front pâlissant,  Quand tu fus devant tous posé comme une cible,  (A)打ち砕かれた肉体の恐ろしい重みによって  お前の伸びきった両腕がさらに長くなり、地と  汗が青ざめた額から流されていたとき、  お前が皆の前に、的のように置かれていたとき、  (B) やがて腕が血を流してだらりと垂れ下がって来た。  くしゃんとからだが縮こまった。  見ろよ まだ生きていらぁ。汗吹き出させて生きていらぁ。  だったらみながさげすみの心を向けておまえを見ているのが分かるだろ?  Rêvais-tu de ces jours si brillants et si beaux  Où tu vins pour remplir l'éternelle promesse,  Où tu foulais, monté sur une douce ânesse,  Des chemins tout jonchés de fleurs et de rameaux,  (A) お前は夢見ていたのか、輝かしく美しい日々を、  永遠の約束を果たすためにお前がやって来て、  大人しい雌ロバにまたがり、花と小枝を散りばめられた  幾つもの道を踏みしめた日々を、  (B) おまえはあの棕櫚の主の日にろばに跨って入城して来た。  その歓迎を受けた日のことがかえってうらやましいか。  国中の棗椰子の枝が道端に並び振られていた。  あの華々しきついこのあいだの日がうらめしいか。  Où, le coeur tout gonflé d'espoir et de vaillance,  Tu fouettais tous ces vils marchands à tour de bras,  Où tu fus maître enfin ? Le remords n'a-t-il pas  Pénétré dans ton flanc plus avant que la lance ?  (A) 心をすっかり希望と勇気に膨らませて、  あの卑しい商人たちを力いっぱい残らず鞭打った日々を、  そして、ついに主となった日々を? 後悔は、  槍よりも深く、お前の脇腹に食い込まなかったのか?  (B) あるいはその前には喜び勇んで おまえは神殿で  物売りたちを咎めていた。鞭まで振り上げて。  ようやく独裁者になったと思ったか。そのことも  悔やみの種か。それがいま磔で槍が突いた脇腹の痛みよ。  ― Certes, je sortirai, quant à moi, satisfait  D'un monde où l'action n'est pas la soeur du rêve ;  Puissé-je user du glaive et périr par le glaive !  Saint Pierre a renié Jésus... il a bien fait.  (A) ―確かに、私はといえば、心満たされて、  行動が夢の姉妹ではない世界から出て行こう。  剣を用い、そして剣によって滅びんことを!  聖ペテロはイエスを否認した... 彼はよくやった!  (B) そうだろう? 夢のやぶれたキリストなんておいらはおさらばさ。  あんたが逝ってしまうのならおいらはつるぎを振りかざして人をころし  あんたから地獄行きの宣告をいただくほうがましさ。  あのペテロもあんたをあのときは裏切ったではないか。三回も。

noname#181644
質問者

お礼

こんにちは。 回答ありがとうございます。いま、悪の華というアニメがやっていまして、ちらっとそれにもボードレールが出てきます。情緒不安定な読書好きの少年が、些細ないたずらから狂気の沼にはまってゆくと言う話ですが、少年故の純粋さに救いもある話になっています。それはさておき、 Bの訳がどうして哲学的であると言えるのかは疑問ですが、タイムリーな事もあり、面白く読ませていただきました。ボードレールは目立ちたがりやだったのかな?哲学が、言葉の意味内容を明らかにしようとしているという見解については同じ意見を持てました。

  • alterd1953
  • ベストアンサー率20% (239/1173)
回答No.1

私の単なる印象に過ぎませんが ウィリアム・ブレイクの詩で、フレーズの順番や表現はかなりアバウトかもしれませんが 「一粒の砂に世界を見 手のひらに無限をつかみ 一瞬に永遠を感じ 野の花に天国を感じる」 と言うものがありますが  スピノザの「無限の中で疑いつつ存在する」や ヴィトゲンシュタインの「自我は世界の開けの原点である」等の言説に近縁関係を感じます。

noname#181644
質問者

お礼

貴重なご回答、ありがとうございます。ウィトゲンシュタインなどは、目がよければ飛行士に成りたかったと言い残しているように、哲学者の中にはロマンチストもいる気がしますね。

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