• ベストアンサー
  • 暇なときにでも

整合性の意味について

整合性の意味を調べると⇒むむじゅん‐せい【無矛盾性】 と出てきます。そして【無矛盾性】⇒「理論体系一般において、ある公理系内に相互に矛盾する公理が存在しないこと。また、そこからの命題の導出に論理的矛盾がないこと。」 と出てきます。 さっぱり意味がわかりません。 無矛盾だから、要は矛盾していないということでしょう? 簡単に言うとどういうことでしょうか? 意味や使い方をお教えいただきたいです。 よろいしくお願いします。

共感・応援の気持ちを伝えよう!

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • 回答No.4

「整合性」と言う言葉が使われる場合は 「整合性がある」「整合性がない」 とか 「整合性が取れている」「整合性が取れない/取れていない」 とかの使い方をします。 意味は 整合性がある=矛盾がない 整合性がない=矛盾がある 整合性が取れている=矛盾が起きていない/矛盾を取り除けた 整合性が取れていない=矛盾が起きている/矛盾が取り除けない と言う感じ。 「整合性がある=矛盾性はない」のように、「整合性」と「矛盾性」は、逆の関係になってます。

共感・感謝の気持ちを伝えよう!

質問者からのお礼

ありがとうございます。 矛盾と逆に考えるとわかりやすいと思いました。

その他の回答 (5)

  • 回答No.6
  • GPRO999
  • ベストアンサー率24% (64/263)

整合と性を分けて理解するとよいです 整合:二つのものの合致で性は特質ですから 2体ある物体または理論が一致する性質のものという意味です

共感・感謝の気持ちを伝えよう!

質問者からのお礼

ありがとうございます。 単純でわかりやすいです。

  • 回答No.5

「相容れない要素がない」ということです。二つ以上の事柄のつじつまが合う、という感じです。

共感・感謝の気持ちを伝えよう!

質問者からのお礼

ありがとうございます。 相容れない要素がない 2つ以上のものがつじつまがあう なるほどですね。

  • 回答No.3
noname#177845
noname#177845

no.1 ゴメン(笑)たしかに。書き間違えましたw

共感・感謝の気持ちを伝えよう!

  • 回答No.2
  • bekky1
  • ベストアンサー率31% (2252/7255)

バナナとリンゴならリンゴが好きです。リンゴとナシなら、リンゴが好きです。ナシとバナナなら、ナシが好きです。これは論理的に矛盾しています。 バナナ>リンゴ>ナシ ナシ>バナナ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ #1の方が解説されているが、ちょっと、おかしい。 文章としてかいてあるのは、好きの度合いで リンゴ>バナナ、 リンゴ>ナシ、ナシ>バナナという二つの対比であって、 これらは、 リンゴ>ナシ>バナナであれば、別に問題ではない。 どうして最初がバナナ>リンゴ>ナシと書かれているのか意味が判らない。 矛盾というのが文章と、不等号の設定が無茶苦茶だということを意味するために書いたのか? A=B、B=Cならば、A=Cというのは整合性あり。 この最後が、A>Cでも、A<Cでも整合性はなくなる。 うそっぽい儲け話のようなものが大体、こういう’スケジュール’ですね。

共感・感謝の気持ちを伝えよう!

質問者からのお礼

ありがとうございます。 命題といのでしょうか。このようなものを参考にするとわかり やすくなりました。

  • 回答No.1
noname#177845
noname#177845

私は、バナナとリンゴならリンゴが好きです。リンゴとナシなら、リンゴが好きです。ナシとバナナなら、ナシが好きです。これは論理的に矛盾しています。 バナナ>リンゴ>ナシ ナシ>バナナ ↑3つの関係の整合性を示した式。整合性が無いでしょ?。こういうことです。

共感・感謝の気持ちを伝えよう!

質問者からのお礼

No.2の方により理解できました。 ありがとうございました。

関連するQ&A

  • ゲーデルの定理

    完全性定理では「任意のモデルで真である文はすべて1階述語論理で証明可能である」 不完全性定理では「自然数論を含む体系は無矛盾である限り、真であっても証明できない 命題が存在する」とありました。 それではこの2つの定理をペアノの公理系に当てはめると「全ての真である命題は証明可能」でありながらどこかに「真であっても証明できない命題が存在する」わけですか? 何だか矛盾するような感じがしますが、そんな訳ありませんよね。 どう考えたらよいのか教えてください。 よろしくお願いいたします。

  • ユークリッド幾何学にまつわる不完全性定理的理解について

    ユークリッド幾何学にまつわる不完全性定理的理解について ゲーデルの不完全性定理の対象となる数学は『公理系Nが無矛盾である』が前提です。ユークリッド幾何学は 一階述語論理で表されることが出来る自然数の部分集合であって、ゲーデルの不完全性定理の対象である 公理Nの無矛盾である 論理の対象になってないとなり それ以上のユークリッド幾何学の論理的理解が進みません。そこでゲーデル理解を拡張して『公理系Nが無矛盾ではない』として不完全性定理を理解すると(須田隆良氏、中西章氏など) (1)ゲーデルの第一不完全性定理の解釈==>公理系Nが無矛盾であろうがなかろうが 公理系Nにおいて、「公理系Nにおいて命題は証明可能である。」という命題も、「公理系Nにおいて命題は証明不可能である。」という命題も証明不可能である (2)第2不完全性定理の解釈==>公理系Nが無矛盾であろうがなかろうが その無矛盾性を証明できない となります。これらはゲーデル不完全性対象から外れておりますが、対象外のユークリッド幾何学を理解するには都合がよい と思うのです。 (2)によりユークリッド幾何学の公理の無矛盾性は証明できない。 (1)によりユークリッド幾何学の未定義領域(非ユークリッド幾何学、虚数、無限遠点とか)は 公理系Nにふくまれ 多くの証明できない命題があることになります。もちろん 公理定義内では完全性理論は保証されています。 なぜ このようなユークリッド幾何学に こだわる かと申しますと 世の中の 論理(数学、哲学、論理を用いた論文 など)は ユークリッド幾何学的なものが 圧倒的に多いと思うのです。これら論文は ほとんどは一階述語理論で表され かつ ゲーデル不完全性定理 対象論理ではないのです。それら論文の特に(2)に関わる自己証明は出来ない ということは重要であると思うのです。もちろん 自己証明が出来ないと言って間違いとはなりません が 常に 冷静に謙虚に 主張理論の原点を見直すことに 繋がっていると思うのです。勿論、論理構成が出来ていないシロモノは 論外であります。    以上のように理解しているのですが、ユークリッド幾何学にまつわるゲーデル不完全性定理の場外理解は問題ないでしょうか。諸先生のコメント頂けましたら幸甚です。

  • 無意味に真な命題に関して

    数学と論理学に絡んだ質問です。 1=1⇒素数は無限に存在する という命題は 数学的に「1=1」は真、「素数は無限に存在する」は真なので命題も真になるはずです。 しかし、あるところによれば、これは「無意味に真な命題」となっていると記述されています。もちろん、この命題が数学における証明に使えないのはもちろん理解できます。 では、数学において、どのような基準で意味があるかないかを判断するのか教えて下さい。その基準に公理などが関係ある場合はとくに明記していだだければ幸いです。

  • 命題「存在は定義できない」について。

    「存在は定義できない」という命題が真か偽か、意見が分かれると思います。 ハイデガーなどはこの命題が真であるとの立場をとり、西洋哲学(=哲学史)を勉強した人などもこの主張を支持する人が多いようです。 私はこの命題が偽であるとの立場で論理的な説明を試みたのですが、途中で疲れてしまいました。 疲れてしまう理由は、「どこの誰かが何か言った」などという論理的ではないリファレンスが登場して、これを逐一否定しようとすると枝葉末節に入り込んでしまうからなのです。 そこで、「どこぞの某がこう言った、ああ言った」というリファレンスを無しに、命題が偽であることを説明できないかと考えています。 方法論は、公理的集合論(axiomatic set theory)を用いるのが良いと思っています。 あくまで「存在は定義できない」というのは公理ではないとし、他に、一般に合意可能な内容をいくつか公理として選択し、最終的に「存在は定義できない」という命題が偽であると立証したいのです。 数学や論理学など得意な方、どなたか、手伝っていただけないでしょうか? 質問:命題「存在は定義できない」が偽であることを立証できますか? (なお、これが命題である以上、これを公理には選択できません。)

  • 論理学と数学(とくに高校数学)

    論理学に関する質問です。 高校数学では 公理・定義→定理→問題を解く という構図が考えられると思います。また、最初に選ぶ公理系しだいでいろいろな体系ができるのではと思っています。 A1. ここで論理学における規則はどこに関わってきますか。 A2. 「A⇒B」という命題はAもBも真ならば、命題も真なはずです。「1=1⇒素数は無限に存在する」という命題は数学的には真なはずですが、まったく証明では使えない。ならば論理学だけでは数学上の証明にとって不十分ではないですか。また不十分ならば数学と論理学はどのようにこの問題を回避しているのですか。 数学(高校数学)を勉強しているのですが、前から数学と論理学は密接に関係があると思ってきました。しかし、高校生で、論理学については学ぶ機会がありません。できれば僕の論理学に対する無知も考慮に入れて上記の2問にお答えいただけると幸いです。

  • 私がよく分らないのは ゲーデルの第1不完全性定理です。『形式的体系Sに

    私がよく分らないのは ゲーデルの第1不完全性定理です。『形式的体系Sにおいて、形式的体系Sが無矛盾である限り、「形式的体系Sにおいて命題は証明可能である。」という命題も「形式的体系Sにおいて命題は証明不可能である。」という命題も証明不可能である。』 と表される(別表現もありますが)とあります。 ここで現れる命題は抽象的言語であってよく分らないのです。例えばユークリッド幾何学においてはこの具体例は何でしょうか。私の理解は 『例えば無限遠点において平行線は交わるは証明可能である』はその例のように思うのですが 間違っているでしょうか。 問題は 無限遠点が公理を用いて表されるか どうか という先輩のご指摘があり公理をあらためてみてみますと 公理2に線分を限りなく伸ばすことができる とあります。つまり無限遠点は「公理2の限りなく線分を伸ばした点」と理解され 公理の定義を用いることで表されるとおもうのです。間違っているでしょうか。参考までに公理を挙げておきます。 <ユークリッド 幾何学の公理> (公理1)与えられた2点に対して、それらを結ぶ線分をちょうど1つ引くことができる。 (公理2)与えられた線分は、どちらの側にも限りなく伸ばすことができる。 (公理3)平面上に2点が与えられたとき、一方を中心とし、他方を通る円をちょうど1つ書くことができる。 (公理4)直角はすべて相等しい。 (公理5(平行線公理))直線外の1点を通り、その直線に平行な直線は1本に限る

  • 私が知りたいのは ゲーデルの不完全性定理の幾何学での理解です。

    私が知りたいのは ゲーデルの不完全性定理の幾何学での理解です。 (1)第2不完全性定理では 次の表現があり『公理系Nにおいて、その無矛盾性を証明することは不可能である』、そのなかで問題として『 真であるが証明不可能な主張とは何か。』に対して 答え『公理』とあり 自己言及を表現していることは 理解し易いのです。幾何学では5公理です。この理解はたぶん正しいと思います。 ところが (2)私がよく分らないのは 第1不完全性定理です。『形式的体系Sにおいて、形式的体系Sが無矛盾である限り、「形式的体系Sにおいて命題は証明可能である。」という命題も「形式的体系Sにおいて命題は証明不可能である。」という命題も証明不可能である。』 と表される(別表現もありますが)とあります。 ここで現れる命題は抽象的言語であってよく分らないのです。例えばユークリッド幾何学においてはこの具体例は何でしょうか。私の理解は 「例えば無限遠点において平行線は交わるは証明可能である」はその例のようにおむのですが。つまり 例題には ユークリッド幾何学では未定義の無限遠点が現れており 証明はできない のです。いくら公理を増やして定義を明白にしても 未定義の領域はある ということです。 もう一つの例ですが 無限遠点は扱わないという6番目の公理を追加したとしても 例えば 「X・X=-1 は根がない は証明可能である」も証明できない と思うのです。なぜなら複素数は未定義だからです。つまり 『公理で定義されても未定義域は必ずある』が第一不完全性定理の一つの別表現ではないか と思うのです。この理解が間違っているのかどうか どなたかにお教えて頂きたかったのですが 

  • 不完全性定理 ユークリッド幾何学 公理

    専門家の方にお聞きしたいのですが、不完全性定理でいう「自然数論を含む帰納的に記述できる公理系が、ω無矛盾であれば、証明も反証もできない命題が存在する。」において、 ユークリッド幾何学における証明も反証もできない命題=ユークリッド幾何学の5つの公理 ということでよろしいでしょうか?? また、ユークリッド幾何学の5つの公理以外には、ユークリッド幾何学において証明も反証もできない命題は存在しないと考えていましたが、正しいでしょうか?

  • ニュートンの理論の公理は?

    文科系なので質問が意味をなしてなかったらすみません。 数学の本を見ていたら、理論ごとに 定数記号、関数記号、述語記号を用意して それらを組み合わせて論理式をつくる。 その論理式の中からいくつかを選んで公理とする。 あとは公理から許される規則を使ってで別の論理式を得て理論が展開されるように書いてありました。 それでニュートンの理論と言った時には 公理はどういったものになるのでしょうか?

  • 科学信仰

    科学は自然の様々な面を論理的に矛盾がないよう理論的な説明をつけようとします。 そしてより矛盾がなく、うまく説明ができるものが正しいとされます。 その根底の精神には自然とは完璧なもので、一見無秩序に見えてもよく見れば 実は秩序立っていて矛盾することなどない。 だからこそ矛盾する理論は間違っていると言うのでしょうが そもそも自然界は論理的に整合性が取れるようにできているのでしょうか? 結局のところ、科学も信仰の一つにしか過ぎないのではないでしょうか? 回答よろしくお願いします。