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進化心理学と人生の意味
- 進化心理学を学んで人生の意味を見失った
- 進化心理学的には人生に意味はないのか
- 進化心理学の考え方によって幸福や愛の意味が揺らぐ
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質問者が選んだベストアンサー
進化心理学なんて学ばなくても、 中学で習うダーウィンの適者生存で説明できますよね。 たとえば苦みをおいしいと感じる種がいたら、毒を毒と判断できずに絶滅するでしょう。 人間は苦みをおいしいと思わなかったから生存できたのです。 生存に有利、というのは充分に重要ではないでしょうか。 子供を愛しく思うのも、その方が種の保存に有利だからです。 リチャード・ドーキンスは、著書「利己的な遺伝子」のなかで、 「人間は遺伝子の乗り物でしかない」、と言い放っています。 生きる主体は遺伝子であり、人間は遺伝子にとって乗り物でしかない、と。 (一度読んでみるといいですよ。進化心理学よりももっと衝撃的です) 甘いものをおいしいと感じるのも、 子供をカワイイと思うのも、 人間はそうプログラムされているから、そう動くのです。 プログラムの目的は「種の保存」です。 プログラムされているということと、人生に意味があるかどうかはまた別問題です。 そもそも、人生に意味などありません。 人生に意味があると思っていることがそもそも間違いなんじゃないかな。 私だってこんなことを書きながら、実は人間じゃなくて、 このサイトのサーバが用意したBOTかもしれませんよ。 あなたが意味ある人生と思って生きてきた数十年間も、 あるいはあなたは脳だけが培養液に浸かっている状態で、 実は5分前に記憶がインプットされただけかもしれません。 そういうことを言い出したらキリがないんですよね。 進化心理学だけじゃなくて、もっとほかの哲学も勉強して、いろんなモノサシを持つといいですよ。
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- shift-2007
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ついでにもう一つ、 現在人間はDNAを直接操作しています。 人間による進化に対しての意図・意思・目的・作為の介入はもう始まっています。 これからの世代には進化論は通用しませんね。 では。
お礼
ご回答ありがとうございます。 「DNAを直接操作して」も自然選択が行われる限り、生存に有利なように操作された個体のみが残るため、進化論が通用すると思います。ただ、実際には「DNAを直接操作し」た場合、自然界に漏れないようにすると思われるので、品種改良同様、自然選択ではなく人為選択が働き、生存に有利な特性を持った個体ではなく、人間に都合のよい個体が残ることになるため、進化論が通用しないと言えるかもしれませんね。その場合も、「生存に有利な」を「人間に都合のよい」に置き換えれば、進化論も、進化心理学も妥当性は変わらないような気もしますが。 ありがとうございました。
- shift-2007
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私は科学、哲学、宗教それぞれがそれぞれの分野でその力を発揮できればと思います。 それゆえに今回は科学が踏み込める領域と踏み込めない領域の線引きにこだわりました。 >進化心理学が正しいならば、幸福や愛、道徳などは生存に有利だから残っているが ついでに言うならここも私的には怪しいなと感じます。 進化心理学が愛や幸福を定義できるのだろうかと。 まぁそれは良しとしましょう。 最後は私の方に付き合わせてしまったようです。 ありがとうございました。
お礼
ご回答ありがとうございます。 進化論が正しくても、幸福や愛、道徳などは生存に有利だから残っているかは怪しいですが、私が言っているのは「進化心理学が正しいならば」ですから、愛や幸福の定義の問題はクリアしているものとしています。 頂いた意見やそれを基に調べるうちに科学哲学などの考察を深めることができました。 ありがとうございました。
- shift-2007
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もうちょっと付き合ってください。 人間は動植物を品種改良します。 ダックスフントのかわいらしさは進化論的には >変異の仕方はランダムで、その一部が生き残るに過ぎない となるわけですよね。 品種改良の過程ではそのようのことが実際に起きているのでしょう。 しかし、品種改良は明らかに人間の意図が介在しています。 同じようにもし進化に意図があったとしてもが進化論では説明できないと違いますか?
お礼
ご回答ありがとうございます。 進化と品種改良には違いがあります。品種改良の進化との違いは、基本的に突然変異を利用せず、有利な個体を繁殖させるにとどまること、種レベルでは変化せず、亜種が生まれているにすぎないこと(チワワとセントバーナードでも交配可能)、自然選択ではなく、人為選択であることなどです。 品種改良は人為選択ですので、おっしゃるように当然「明らかに人間の意図が介在しています」。 同様に進化にも何らかの意図が介在している可能性はあります。ただ、不存在の証明は不可能ですから、立証責任は意図の介在を主張する側にあります。科学では原理的に、意図が介在していることを証明することも、意図が介在していないことを証明することもできないので、この点について言及することはないのでしょう。 ここで私の最初の問いに戻ると、進化心理学が正しいならば、幸福や愛、道徳などは生存に有利だから残っているが、そのことをもって人生の意味の有無について言及することは、進化心理学が科学であろうとする限りできない、ということになるでしょうか。 ありがとうございました。
- shift-2007
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なるほど、 >環境への適応の仕方は様々で、「牛、豚、植物、微生物」などはそれぞれ独自の仕方で適応できたために絶滅することなく生き残り、 私はこの一文で質問者は進化は絶滅回避のための手段と考えていると判断しました。 そうではないのですね? >進化は変異と自然選択により生じた結果であり、そこに原因はあっても意図や目的はないので、 なぜそういえるのでしょうか? >「進化する必要がある」のかという目的論的な問いには答えようがありません ですよね。 つまり科学的という手法では例えあったとしても意図や目的を説明できませんよね。 説明できないから意図や目的はないという結論なのではないですか。 なのに質問者さんは人生の意味という目的論を科学的に証明しろと? 私は科学から見ればロマンチックでオカルト的と思われるところにその答えがあるんじゃないかと感じます。 それに科学的に説明できないことを「無い」とするのは科学的ではないと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 「絶滅回避のための手段」という表現は語弊があると思い、避けています。変異の仕方はランダムで、その一部が生き残るに過ぎないからです。 進化に意図や目的がないと考える理由は、動物の場合、「こういうふうに進化しよう」と意図したり、そのような目的を持つことはないと思うからで、人間の場合も、仮に「こういうふうに進化しよう」と意図したり、そのような目的を持ったとしても、欲求は遺伝しないので、進化に意図や目的があるとは言えないだろうと考えるからです。 私も科学によっては意図や目的は説明できないと考えています。ただ、私のこの結論に自信がないため質問させていただきました。「人生の意味という目的論を科学的に証明しろ」と言うつもりはありませんし、できるとも思いませんが、できる方がいるならぜひしていただきたいです。 科学によっては意図や目的は説明できないということが正しかったとしても、そこから意図や目的はないと結論するのには飛躍があるように思います。科学によっては意図や目的は説明できない場合、意図や目的はないし科学ではそれらを説明できないという可能性のほかに、意図や目的はあるが科学ではそれらを説明できないという可能性もあると思うからです。 ありがとうございました。
- shift-2007
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そこまで科学的な根拠に信頼を置くならなぜこんな質問を立てたんですか? >進化心理学的には人生に意味はないのでしょうか。 ない。 これで納得すればいいじゃないですか。 この心理のカテゴリでどんな回答がほしいのですか?
お礼
ご回答ありがとうございます。 哲学や生物学にまたがる学際的な質問だと思ったのですが、一つのカテゴリを選ばなければならないため、進化「心理学」に関する問いということでこちらのカテゴリに質問させていただきました。 進化論に関してはある程度コンセンサスが得られていると思いますが、進化心理学には批判も多いようです。その進化心理学的な心理メカニズム獲得の説明や、そこから私が素人として考えた人生の意味がなくなるという結論(これは科学の領域外かと思います)の妥当性に関してご回答をいただきたかったのと、人生の意味がなくなるという結論を覆してほしいという思いがあったため、質問させていただきました。 ありがとうございました。
- shift-2007
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回りくどい言い方はやめます。 >人間がこれまで特別な意味を見出してきたものは、生存において意味があっただけだということにならないだろうか 逆もまた真なりと言いたいわけです。 人間が特別な意味を見出してきたものをより強く感じられるようになるために進化してきたとも言えないでしょうか。 例えば美しいと感じるものをもっと見たいという欲求を満たすように人間の目は進化してきた、そういう見方もできるんじゃないかと思います。 故に車輪の両輪だろうと思うわけです。
お礼
ご回答ありがとうございました。 「キリンは高い枝の葉を食べるために首が高くなった」などのような、進化に対するラマルク的な説明は、機械論的なダーウィニズムと違ってロマンを感じるのかもしれませんが、残念ながら現在否定されています。なぜなら、欲求や獲得形質は遺伝しないからです。 ありがとうございました。
補足
「首が高くなった」ではなく「首が長くなった」の誤りです。失礼いたしました。
ANo4 おはようご座います。 >「欲が脳を造った」、一般的な進化論と全く異なる。 ⇒興味深い、とは嬉しい限りです。希望の星!? >ミミズは「気持ち良い」としか感じない ⇒それと、「気持ちよくない」も加えてください。 ミミズの段階で、既に神経は人と同程度備わっています。 しかし、痛いとかの高度な感じは無いのです。 踏み潰されても、モグラに食われても「気持ち悪い」 >人間は快や幸福も感じるということでしょうか。 ⇒「人」が快です。 幸福を感じるのは高度な思考と判断のできる 「人間」です。 人は多いのですが、人間は少ない。と感じています。 >で、この区別をした意義が理解できません。 ⇒人の前身、脳ミミズは個体の認識を持っています、 でも人ではないので「人でなし」と呼びましょう。 この段階(人の形をしているだけ)でも人類として 生息していると認識してください。ゲ!でしょ? 「狼に育てられた子供」が人間社会では生きられなかった 事から、本来不自然なことなのですがね。 人間の創るコミュニティに紛れ込んで、救われている事の 認識すら持たず、騙し、脅し、くすねる、やりたい放題 です。 >幸福を得がたいのはわかりますが、 幸福を追い求めること自体に意味はないのでは。 ⇒幸福は「人間」にしか感じることができません。 「人」でも、想像(創造)はできる、でも感じることは できません、最大快楽のみです。 人間が幸福に生りたいのであるのなら、人と人でなしの 「間」の人を人間と認めざるを得ないと認めてください。 人は、宗教や人生哲学に救いを求めます、しかしこの認識 を持てば、即救われるのですがね。 質問者さんの、人間=幸福=意味についての結論、今は出ません。 なぜなら、質問者さんが生を得る前に既に人生が存在していました、 タブンですが、質問者さんと人間だけが意味を探しているのでしょう。 多分!!!人間の課題です=この克服が人生です。
お礼
ご回答ありがとうございます。
補足
申し訳ないのですが、独自の言葉の用法をされているために十分に理解できませんでした。 まず、ミミズ、脳ミミズ(人でなし)、人、人間の4種類に分類されているということでよろしいでしょうか。脳ミミズの例として「狼に育てられた子供」が挙げられていますが、脳ミミズはどのような点で人や人間とは異なるのでしょうか。言語の使用でしょうか。「人と人でなしの「間」の人を人間と認めざるを得ないと認め」ることと、人間が幸福になることや救われることには一見関係がないように思えるのですが、前者はなぜ後者のために必要なのでしょうか。私が「生を得る前に既に人生が存在していました」とありましたが、誰の人生でしょうか。もし私の人生だとすれば、それはどのような事態を表しているのでしょうか。 ありがとうございました。
- shift-2007
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話が元に戻ってしまいました。 >種は様々な方向に変異するわけですが この変異のことを進化と呼んでいますがなぜ変異する必要があるのかです。 最初に質問者さんは絶滅回避のためとおっしゃいましたが絶滅しないだけが目的ならば微生物のままでいた方が有利ではないでしょうか。 もちろん環境に合わせて多少の変異は必要だったかもしれません、しかし絶滅回避のためだけに単細胞生物が人間にまで進化する必要があるのでしょうか。
お礼
ご回答ありがとうございます。 DNA複製の過程で合成ミスが生じた結果、DNAの塩基置換が起こり、突然変異が起こるようです。他にも化学物質によってDNAが損傷し、突然変異が生じることがあるそうです。 進化は結果であって、目的論的に進化が進むことはないので、「絶滅回避のため」という表現は不適切であり、私自身そのような表現は一度たりとも用いておりません。引用は正確にお願いいたします。 現在の多様な生物のすべてが、共通祖先から長い年月を経て次第に変化することで生じました。生きている化石と言われるような生物も全く進化していないわけではありません。微生物が進化していないわけでもなく、微生物も人間も共通祖先からの独自の進化の結果です。進化というのは枝分かれ的に進んでいきますが、微生物以外にも多くの系統の生物が生き残ったことを考えると、微生物の方が有利とは言えないだろうと思います。 変異は上述の理由で起こるので、環境に関係なく起こります。多様な変異のうち、生存に好ましくない変異をした個体が消滅し、残った個体が次世代に子孫を残します。人間も現在の微生物や単細胞生物も共通祖先を持ち、そこから独自の進化を遂げてきました。人間と比べると変化は小さく見えるかもしれませんが、現在の微生物や単細胞生物もまた、人間同様、共通祖先とは異なります。現在の生物はすべて、系統樹の末端に位置づけられますが、単細胞生物以外に多くの系統が生き残ったことを考えると単細胞生物が有利とは言えませんし、現在の単細胞生物も以前の単細胞生物とは異なるように、変異をある時点で止めることはできません。 進化は変異と自然選択により生じた結果であり、そこに原因はあっても意図や目的はないので、「進化する必要がある」のかという目的論的な問いには答えようがありません。 ありがとうございました。
- shift-2007
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#10 私が腑に落ちないのは進化しなければ絶滅していたはずだという部分です。
お礼
ご回答ありがとうございます。 より厳密に言うならば、種は様々な方向に変異するわけですが、有利な変異は自然選択によって選択され、不利な変異は排除された状態を「進化」、どの方向への変異も排除された状態を「絶滅」と呼べるだろうと思います。 ありがとうございました。
- 馬鹿 禿(@baka-hage)
- ベストアンサー率67% (99/146)
まだ締め切られていないようなので少し書かせていただきます。 私は俗にボーさんと呼ばれているものなんですが、認知心理学をずいぶんと長いこと勉強していまして、そういった進化心理学や脳科学なんかを含めた認知科学の方面から宗教研究をしています。(もう現場からずいぶん離れてしまいましたが)私もそういった立場から宗教を解説すると、ボーさんの友人だけでなく一般の方々からもよく「確かに興味深いけれど、それでは宗教なんて意味がなくなってしまう」とか「宗教の持つ崇高さがなくなってしまう」「夢がなくなってしまう」とかいうことを言われます。たぶん質問者さんも人生においてそんなことを感じているのではないかと思います。 しかし、私はそんなことはないと思っています。たとえば、質問者さんは「鳥みたいに空が飛びたい」と思ったことはありませんか?私は小さいころそんなことを思っていました。 この鳥の翼の進化に関して、こんな説があります。鳥の翼でも羽毛の部分は、爬虫類の鱗が進化したもので、寒さをしのぎ熱を保つためためのものであり、そして羽根の部分は脇の下をバタつかせそこにある血管を冷やし熱くなりすぎないように熱を逃がすために進化したというのです。つまり、鳥の翼は別に飛ぶことを目的としたものではなく、体温を調整しやすくするためのものにすぎません。この羽毛と羽根の進化がうまく重なっって、現在の鳥の「飛ぶ」という機能につながっているというものです。 では、このことが分かったところで、「鳥みたいに飛びたい」という気持ちに意味がなくなってしまうのでしょうか?鳥の持っている天空をはばたく雄大なイメージに意味がなくなってしまうのでしょうか?あの有名な「翼をください」という歌は意味をなくすのでしょうか??決してそんなことはない。やっぱり鳥がうらやましいし、自分も飛んでみたい。だからこそ、人間は鳥の翼のシステムを研究し、飛行機をつくったのでしょう。 三年ほど前に亡くなられたアメリカの数学者マーティン・ガードナー氏は晩年のインタービューにこんなことをおっしゃっています。 誰かがワインの川を発見した、あるいわ誰かが物体を宙高く浮かせる方法を発見したとする。そのワインの川や、浮かぶ物体を見るために我々は、どれくらいのお金を出すだろうか?たいていの人はそんな奇跡を見るためなら、かなりの大金を払うだろう。しかし、私から見れば水の川もワインの川と同じぐらい素晴らしいし、動かないものも宙を浮くものに比べて魅力が劣るわけではない。 私はこの意見に賛成です。進化心理学によって人間や宗教やほかにもいろんな物事が解明されてしますと、「人生に意味がなくなってしまう」「宗教の持っている崇高さがなくなってしまう」「世界から魅力がなくなってしまう。」という考えは、もっともなようにも見えますが日常を取り巻いている素晴らしい出来事から目を背けさせてしまっています。 >>進化心理学的には人生に意味はないのでしょうか。 私は「特別な何かがあるから人生は素晴らしい」なんて思いません。確かに進化論の物差しは単純明快で「どれだけ子孫を残すのに有利か」ということだけです。しかし、この視点から物事が解明されることによって、特別だと思っていたものが特別でなくなったとしても、それは特別なものに比べて魅力が劣ることにはならないのです。そんな特別でないものを、大切にしていけるようになることが進化心理学的な人生の意味ではないでしょうか。 急ごしらえの文章のため誤字脱字乱文ご容赦ください。 合掌 南無阿弥陀佛
お礼
ご回答ありがとうございます。 おっしゃる通りで、なぜ人間があるものに魅力を感じるのかということを進化心理学的に解明したところで、人間がそれに魅力を感じる事実は変わりません。私が問題にしていることは、進化心理学によって、人間がこれまで特別な意味を見出してきたものは、生存において意味があっただけだということにならないだろうか、ということです。 上述のように、baka-hageさんが「特別だと思っていたものが特別でなくなったとしても、それは特別なものに比べて魅力が劣ることにはならない」とお考えなのはわかるのですが、そこから「そんな特別でないものを、大切にしていけるようになることが進化心理学的な人生の意味ではないでしょうか」というのはどのように導出されたのでしょうか。 ありがとうございました。
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お礼
ご回答ありがとうございます。 ドーキンスや世界五分前仮説など出していただきありがとうございます。 「生存に有利、というのは充分に重要ではないでしょうか」というのは、誰にとって、何のために、重要なのでしょうか。 「そもそも、人生に意味などありません」と言い切る方がどうして生きているのか大変興味があります。 私は哲学を主に学んでいたのですが、進化心理学に触れて、人生の意味という非経験的なことは科学という経験可能なもののみを対象とした学問では説明できないのかと思い、質問させていただいた次第です。 ありがとうございました。