• ベストアンサー

他人の病気や怪我に対する恐怖

私は昔から身近な人の病気や、怪我に強い恐怖と不安を感じます。 身近な人が精神的に落ち込んでいたり、体調を悪そうにしているだけで、できるだけ助けたくなります。 心理的には、他人のためというより、自分の不安のために介入してしまいます。 私自身、そういった利己的な部分を強く認識して、いつも自己嫌悪します。 それが異性の場合、深入りしすぎてしまうこともあり自分の生き方に疑問を感じてしまいます。 同じような感じ方をする方はいらっしゃるでしょうか? どうやって助けたい、なるべく気を軽くしてあげたいというエゴに対処していますか? 教えてください。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • salvus
  • ベストアンサー率40% (67/166)
回答No.2

対処っていうか、私は「エゴ」を認識し、受け入れちゃってます。 「自分のため」でなく、「他人のため」のみの行動って現実的にありえないって思います。他人を助けることが、自分の満足、喜びなどの「利益」に一切繋がらないケースが具体的に思い浮かびません。 極論かもしれないけど、人間って自分のため以外の行動はできないんじゃないでしょうか。ですから、あなたの言う「エゴ」は悪いことではなく、人として当然(自然)なことだと思いますよ。 「エゴ」を否定してしまうと、人間の言動や行動に矛盾を感じてしまい、結果、悩むことになっちゃいます。 「他人のため」っていうのは単なる思い込みに過ぎず、そのような思い込みが強い人ほど、「やってやっている」って意識も強く、さらには「やってやってるのに」っていう不満につながりやすいと思います(現実的にそんなケースが多い)。 あなたのように、「自分のため」をきちんと認識していれば、行動も「他人事」にならず、不満にもつながらず、その行動の結果も、「他人のせい」にすることなく、自分自身で受け止めることができるのだと思います。 あとは、「自分のため」を否定(嫌悪)せず、もう一歩進めて考えてみてはいかがでしょうか。

gohansan
質問者

お礼

お礼大変遅くなり申し訳ありませんでした。 非常に参考になりました。 質問の悩みのせいでいつも人間関係に苦しんできましたが、ひとつの答えをいただいた気がします。 ありがとうございました。

その他の回答 (1)

回答No.1

私も多分貴方と似たようなタイプです。 他人が妙に心配というか・・・。 「人のことよく見てるね」と言われますし、 人から見ると、私は「すごい世話好き」だそうです。 対処法としては、 気になると、まず、他の人に聞いてます。 自分のことや身内のことは、自分で判断しますが、 他人の場合、どこまでかかわるべきなのか、 自分で判断できなくなることがあります。 だから、信用できる人にできるだけ聞いて、 「これはやってもいいことなのかな?」と相談します。 判断を仰いでるというより、一度冷静になりたいからです。 その場合に、「関わっちゃいけない」と言われたら、 手を止めますね。 それでも気になるようなら、再度他の人にも意見をもらいます。 ひとりで怖いと思ったら、相談したらいいと思います。 人間、完璧じゃないです。

gohansan
質問者

お礼

私も大人なので、必ずしも他人が困っているからといって手出助けしていもいいわけではない ということはわかっているのですが、その線引きをあいまいなまま手を出してします。 信用できる誰かに一度客観的にアドバイスをもらうのは良いかもしれません。 不安に突き動かされて動くよりはよっぽど良いかも知れません。 回答ありがとうございました。

関連するQ&A

  • 「会話が途切れる」恐怖症。

    「会話が途切れる」恐怖症。 誰かと会話する時、会話が途切れて無言の時間が出来ると、「相手を楽しませなくてはいけない」という脅迫感に駆られ、とっさに他人に話すべきでないプライベート(自分の失敗や金や異性にだらしない親戚の事など)を自らぺらぺらと話してネタに使ってしまい、その後どうして赤の他人にあんな事を喋って自分の事をさらけ出してしまったのだろう、と物凄く自己嫌悪します。 その話に相手が興味を持ち、それでそれで?と嬉しそうに聞かれると、何でもかんでも馬鹿正直に全て話して話のネタに使ってしまいます。 普段も隠し事がほとんど出来ず、何か嫌なことがあったりするとすぐ誰かに話したくなり、話さないと消化不良のような気持ち悪い感じがして、そわそわして落ち着くことが出来なくなります。 そして話し終わった後、どうして言ってしまったのだろうと嫌悪感にかられます。 黙っていればいいのに。いつもそう後悔します。 でも、気づくと喋ってしまいます。 自分は決して普段はおしゃべりでなく、むしろ人見知りし出来ることならば誰とも喋りたくない。一人でいるのが好き。と考えているような性格です。 なのに、何か喋らない気がして気づけば逆の行動を取っています。 こんな私は一体どうすれば良いのでしょうか。

  • 他人に嫌われることが極度に怖いです

    20代女性です。 私は他人に嫌われることがとても怖くて、嫌われないようにと自分の本心とは全く違う行動をしてしまうことが多いです。 本当は言いたくないし、やりたくもないことを、相手を喜ばせようとしてやってしまいます。 そんな自分のせいで、他人と関わるととても疲れます。 本心を隠して、他人の言いなりになっている自分は好きではありません。 私は自分のやりたいことや言いたいことをズバッと表現できる人になりたいと心の底では思っているのに、どうしてもそれができません。 なぜできないのかと考えてみたところ、他人に嫌われるのが極度に怖いからだとわかりました。 他人に嫌われるということを想像しただけで怖くなるような、自分でも言葉では言い表せない恐怖や不安があります。 そして、他人に嫌われるのは自分にとって損であり、できることならば好かれていたいし、その方が得だと思っています。 しかし、自分の本心をさらけ出して、自分の意見をはっきりと言える人になっても、別にそれで他人に嫌われるとは限らないと、私は考えています。 むしろ自分を出していった方が好都合なことも多いのではないかと思っています。 このように、私の間違っている思考として、自分をさらけ出す=他人に嫌われてしまう、という部分があると思います。 でも、そこまで考えていても、やはり私はどうしても他人の顔色を窺い、他人の嫌われまいと行動してしまうのです。 どうして私はこんなにも他人に嫌われることに恐怖を感じているのか。 そして、頭ではわかっているつもりだし、本当は自分をもっとさらけ出したいと思っているのに、なぜ自分を変えられないのか。 とても疑問です。 他人に嫌われることが怖いと思うのはなぜなのか、その心理などを教えていただけると幸いです。 ご回答よろしくお願い致します。

  • 利己的な自分が嫌です。

    わたしは変な風に完璧主義というか、 何か人のためにやったときでも あとあと思い出したときに 「あれは自分のイメージを上げるために やったのかもしれないな、、」 とか思ったりして、 自分の利己心が許せません(´・_・`) 結局は自分のエゴばかり考えていて、 でもほんとはそんな自分がいやだから 自自己中心的な人をみるとイライラしたり、、 自分と同じだからですかね(。-_-。) またわたしは変なプライドも高くて(´・_・`) 「ナメられたらどうしよう」とか思ったりもして、 それも結局自分のことしか考えてないな っておもって、自己嫌悪します 自分の性格が大嫌いです。 どうやったら純粋に人に何かを やってあげようという気持ちになれますか?

  • 自己臭恐怖症(自臭症)克服にむけて

    大学生です。 一生懸命勉強し、望みの大学にはいることができましたが、 自己臭恐怖症で非常に困難な生活を強いられています。 教室や電車、カラオケボックス、サークルの部屋などで自己臭恐怖症により、他人に匂いと臭さの迷惑を与えているのではないかという恐怖症です。この自己臭恐怖症があるばっかりに大学生活を謳歌することができなくなりました。毎日が自分の体臭(妄想かもしれないし、実際そうかもしれません)との闘い、人に迷惑をかけてはいけないという罪の意識との闘いです。 へとへとに神経がすり減っています。このままだとますます悪化していきそうで、カウンセラーにも相談しましたし、心療内科にも治療を受けに行きました。やっぱり自己臭恐怖症と診断されました。 どうも担当医も力不足を感じていて、自己臭恐怖症克服にはほど遠いです。ただ抗不安剤などを出されます。 自己臭恐怖症克服にわたしはどのように取り組んでいけばいいでしょうか? 似たような悩みの人がいたら心強いですし、克服できた人がいたらすごく嬉しいです。

  • 常に他人からどう思われているかを気にしてしまいます><

    タイトルそのままなのですが・・・。 他人の目を気にする割に自分の意見も言うので、後で言い過ぎたかな~と自己嫌悪に陥ります。 友人などにその話をすると、全然言い過ぎてないと思うよ?と言われます。 お酒を飲んで気が大きくなった時なんて特にそうで、次の日自己嫌悪です>< 自分としても、意見を言わずに後でウジウジする人より、ある程度キッパリ意見を言う人の方が好きなのですが、自己嫌悪に陥っている最中の自分が大嫌いです。 どうしたら、他人の目を気にせず堂々といられるのでしょうか? 自分に自信をつける為、色んな勉強をするなどの努力はしていますが、 なかなか変えられません。 ぜひ、客観的なアドバイス(ここだけには気をつけておけば嫌われない!など。) や、訓練方法を伺えるととても嬉しいです。 こんな風に悩めば悩むほど、悪循環だな~と思うのですが・・・。 宜しくお願いします!

  • 嘔吐恐怖、治し方

    よろしくお願いします。 わたしは21歳の女子です。 タイトルのとおり、嘔吐恐怖症を治すには どうすればよいのでしょうか? 私は10歳のころぐらいから 嘔吐に対して異常に恐怖感があり、 (自分が吐くのも、他人が吐くのも怖いです) その話をされるだけでも怖くて、夜は嘔吐のことを考えて眠れない日々を過ごしていました。また、ずっと吐いていなかったので吐く前にどうなるのかもわからず、 吐き気の感覚もわからないし、そういう時がきたとき、急に出さずにちゃんとトイレとかに出せるのか不安でそればかり考えてました。 しかし年をとるにつれ、恐怖はあるものの 昔よりはマシになっていき、 そういう話をされても平気になり 道で吐いてる人を見ても目をそらすだけで済むぐらいになりました。 しかし昨年の夏に嘔吐下痢症になってしまい、10年以上ぶりにもどしました。 そこから恐怖は蘇ってしまい、 またいつ吐くかわからないという不安と なぜか他人が吐くということも怖くて怖くて仕方なくなりました。 このときに嘔吐恐怖症というものを詳しく知ってしまい、 余計に意識してしまうようになったのかもしれません。 昨年の夏に吐いたときは、吐きそうとちゃんとわかり、 袋に吐くことができたんですが、ずっと吐く前の感じがわからず悩んでいたうえに 何年も吐いてなかったため、まだ今もその感覚が掴めず、 次もちゃんと吐く前に吐きそうだとわかるかな、という不安もありますし 吐いたら困る状況(電車、授業中など)で 吐いたらどうしようと不安になります。 また、他人が吐くことはもっと怖くて、 家族が体調悪そうにしてると 動機と手の震えがして どうしたの?!ときつい口調で何回も聞いてしまいます。 また親がお酒を飲んで帰ってきて トイレに行くだけで不安で気分が悪くなります。 このままじゃ将来、結婚して 旦那さんが吐いたとき介抱なんで絶対できないし、 ましてやよく吐くといわれる子どもができたら たえられるのか心配で、情けなくて仕方ありません。 今からこんなこと考えなくてもいいことなのに 不安がとまらないんです。 毎日、今吐いたらどうしよう 一緒にいる人が吐いたらどうしよう 家族が吐いたらどうしよう 将来子どもの嘔吐はどうしよう そればかり考えて落ち込み 体調も常に悪いです。 こんな不安に襲われた生活を 一生するのかと思うと 本当につらいし、死にたくなります。 似たような質問を検索してみましたが、 治し方というより、 私も同じです、という返答が多かったため、 改めて私の症状を書き、 克服方法があれば教えていただこうと思い 質問させていただきました。 心療内科にいくということは 最後に考えるとして まず自分だけでできる事をご存知の方が おられましたら教えていただけませんか? マシになるとかでもいいです… 長くて読みづらい文章になりましたが、 どうかどうか、よろしくお願いします。

  • 恐怖心の取り除き方

    今、普通自動二輪の免許を取りに行ってます。自分から通い始めたのに辛くてしかたありません。 どうしてもこけるのが怖くてバイクをねかせることができません。そういうわけで、ハンドルにしがみついているので、なかなか上達もしません。ようやくS字とクランクはでなんとかできるようにはなったものの、スラロームでバイクをねかすことができないので、自己嫌悪の毎日です。 どうしたらこの恐怖心を取り除くことができるでしょうか。免許を取った方は、恐怖心はなかったのでしょうか。 すみません、なんか変な質問で…

  • 優しさとは何か

    こんにちは。質問をご覧くださり、ありがとうございます。大学2年の女子です。 私は、近年優しさとは何かについて考えたとき、ある結論に至りました。私の結論は、「優しさとは、他人へ気を配ることで自己満足を得る、一見利他的に見えて実は利己的なことだ。だから誰かのためになにかをする、というのは、誰かのためになにかをするという自分の中の理想像を叶えるための手段に過ぎず、それは結局自分のためにしている。だから、これは他人に対して優しいことだという時には、常に自分のためにしているから、相手に恩着せがましく優しくしようなどと考えてはいけない。そもそも優しいということ自体が利己的なので真に思いやりのある行為は絶対にできない」というものでした。 これに気づいた時から、私はいままで他人に優しくしようと思っていたことは全て偽善であり、結局は自分の自己満足だったのだと思いました。なので、決して自分は他人のためなどと考えず、他人が嬉しくなるようなことも、自分がよく見られるためだとか、その笑顔が嬉しいんだとか考えながら暮らしてきました。 しかし、本当に最近になって、他人に優しくすることは本当にエネルギーを使うことなのだと知りました。そう考えていたうちに、私は人に優しくできなくなっていたみたいで、配慮ができないことも増えました。(優しいということ言われることも多々ありますが、配慮が無いと言われることも多々あります。) 誰かに優しくするということは、例えそれが他人からよく見られたいとか他人の笑顔がみたいとかそういった利他的なものであれ、他人にエネルギーを使うだけの心の余裕がある器の大きい人ではないかと思いました。 それで、その考えに沿って考えると、最近私は器の非常に小さな人間だと思ってしまいます。しかし、優しさは利己的なものだ、という考えが抜けず、自己嫌悪に陥っています。 どなたか、この「優しさとは利己的だ」という考え方のおかしな点を指摘してくださらないでしょうか。 長文失礼いたしました。最後までお読みくださり、ありがとうございます。

  • 他人に心をさらけ出す事ほど怖いものがない。

    他人に心をさらけ出す事ほど怖いものがない。 二十代後半の会社員です。 子供の頃から他人に対して猜疑心の塊みたいな所があって、 友人は出来ても長続きせず、当然恋人などいたこともありません。 他人に対して自分をさらけ出すことが何よりも怖く、 いつも虚勢を張って自分を大きく見せようとしてしまいます。 家に帰ってはそんな自分に自己嫌悪し、後悔を繰り返してしました。 それでも、さらけ出せる、人に好かれる人間になりたいという気持ちは 年々強くなってきてしまう為、苦しい気持ちが強まってゆきます。 人に心を開いても拒絶されてしまうのではないかという恐怖や、 自分が与えるばかりになって、何ももらえず良いように使われてしまう恐怖、 自分自身が他人の前ではとてもみすぼらしく感じてしまう恐怖。 自分がとても弱くてダメな人間だと分かっていてもそれを受け入れる勇気がありません。 自分を守る為の理論武装や弱い自分を納得させる言い訳を考える能力だけは高まってゆきます。 親や周りの人の顔色ばかり伺ってきて、見捨てられるという恐怖で他人に心を開けません。 その上、劣等感や嫉妬心は人一倍強くて、その感情で自分がおかしくならないように、 自分の殻に篭って自分を守ることしか出来ません。 他人から見れば無駄に警戒心が強くて、理屈っぽくて絡み辛い人間のようです。 理屈で話してしまうので、イライラされてしまったこともありました。 自分を守るために外面は大分良くなりましたが、踏み込むのも踏み込まれるのも躊躇します。 一度心を許してしまったら、恐らく自分はズルズルと依存してしまい、 少し冷たい態度を取られたら「裏切られた」と感じて自分の殻にまた閉じこもってしまいます。 何とかしなければいけない、早く自立しなければいけない、と思いながらも 一番恐れているであろう他人からの承認を何よりも望んでしまっています。 自分にまとわりつく負の連鎖をなくすには今しかない、と思いながらも やはり心を開くのは怖い、嫌われるのが怖い、場合によっては口元が震えてしまいます。 全てさらけ出してどん底に落ちてそこから這い上がるしかないのかと思いますが、 どん底に落ちる勇気すらありません、打たれ弱さだけは天下一品だと思います。 どうやって他人と係わって行けば良いでしょうか? このままではダメだからカウンセリングに行ってみたいとも思っています。

  • 侮辱恐怖症

    タイトル通りなのですが、自分の時代には特にこの感じの人が多かったように思います。何か言われる前に何とかしなくちゃという具合に 侮辱を言い出したり、なにも言っていいないのに見つめただけでこう言ってくるのか?という不安に駆られられてああでもなくこうでもなく訳のわからんことを言ってくる人が居たのですが「他人を見下す若者達」の見下す側の心理と告示している点から多分これだろうという気はしていますが、ここで正常性から外れる不安など自分が侮辱されるのではないかと思い込む人はなぜその様な心理へといたるのでしょうか?