• ベストアンサー
  • 困ってます

ジャカルタの漢字表記

  • 質問No.8043151
  • 閲覧数964
  • ありがとう数4
  • 気になる数0
  • 回答数4
  • コメント数0

お礼率 76% (476/619)

ジャカルタを漢字で書くと「加拉巴」だそうです。 通常漢字表記する場合は、音に合わせて漢字を充てるはずですが、どうやっても「ジャカルタ」と読めません。 中国語の「雅加達」の方がまだ分かりやすいと思われます。 大体「加拉巴哥」と書けば、中国語では「ガラパゴス」です。 誰かが間違って「「加拉巴」をジャカルタに充てて、そのまま使われてるとしか思えませんが、どなたか詳しい方、真相を教えてください。 

質問者が選んだベストアンサー

  • 回答No.4
  • ベストアンサー

ベストアンサー率 58% (35/60)

Anyoneotherさんの回答通り、「加拉巴」という文字はカラパを表しています。

カラパというのは現在のジャカルタの海岸部にあった町で、西部ジャワを支配したパジャジャラン王国の要港のひとつでした。ただしパジャジャラン王国の港としては、バンテンがもっと重要な位置を占めていたようです。

もとの名称は単にカラパであり、西部ジャワの地域名称がスンダだったので、後世になってスンダカラパ⇒スンダクラパという呼称に変化していきました。

スンダクラパは1527年に東部ジャワ中部ジャワのイスラム都市国家連合軍に征服されてジャヤカルタと名前を変え、さらにオランダ東インド会社に征服されてジャカトラ、そしてほどなくバタヴィアと名前を変えて行きます。バタヴィアは日本軍の占領によってジャカルタという名前に変更され、それが今日まで続いているわけです。

カラパという名前の港町が存在していた時代のジャワは中心地が中部・東部ジャワにあり、西部ジャワはずっと東にある王国に服属していました。つまりカラパはスラバヤをはじめとするジャワ島東部の諸港の前で影の薄かった存在であり、日本人がどうしてその漢字表記をジャカルタに当てはめたのか、理解に苦しむところですね。

明治以後の日本人がバタヴィアの漢字表記である「巴達維亞」をジャカルタの漢字表記としたならまだロジカルですが、「加拉巴」という文字をジャカルタに結び付けているのは実に不可解です。

だから、質問主さんのおっしゃる間違いとは別の意味で、カラパをジャカルタに結び付けていること自体が間違いなのではないか、という気がします。
お礼コメント
kantansi

お礼率 76% (476/619)

ご回答ありがとうございました。 皆さんのご回答のおかげで、「加拉巴」の根拠はよくわかりました。遅くとも安土桃山時代頃から現在のジャカルタの漢字表記として使われ、それが今に至っているのかもしれません。 海外地名の漢字表記は誰がいつごろ決めたのかという新たな疑問が湧いてきました。
投稿日時:2013/04/17 09:11

その他の回答 (全3件)

  • 回答No.3
加拉巴はジャカルタの旧称であるスンダ・クラパの表記です。
ジャカルタという新しい名前より「まだ分かりやすい」ために使われているうちに、いつしかなんのことかわからなくなったようです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%82%BF#.E5.90.8D.E7.A7.B0

Sunda Kalapa(スンダ語)
Sunda Kelapa
http://en.wikipedia.org/wiki/Sunda_Kelapa
https://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%BD%E4%BB%96%E6%A0%BC%E6%8B%89%E5%B7%B4
お礼コメント
kantansi

お礼率 76% (476/619)

ご回答ありがとうございました。
投稿日時:2013/04/17 09:03
  • 回答No.2
ジャカルタに「加拉巴」を充てたのは福沢諭吉かも。
http://www.ss.iij4u.or.jp/~ana/chimei.htm

「加拉巴」は、『どうやっても「ジャカルタ」と読め』なくても「カルタ」の発音には似ていませんか?
唐突に話は変わるけど、メリケン粉の由来を知ってますか?アメリカン→メリケンなのです。アクセントが「メ」にあるので、頭の「ア」が落ちたんですねぇ。
Djakarta は「カ」にアクセントがあるので、「カルタ」に聞こえても不思議はなかろうかと。

【独白】「誰かが間違って」たって構わない。どだい、非漢字言葉を漢字で正しく表記するのに無理がある。
お礼コメント
kantansi

お礼率 76% (476/619)

ご回答ありがとうございました。
投稿日時:2013/04/17 09:03
  • 回答No.1

ベストアンサー率 53% (737/1372)

ジャカルタは阿蘭陀統治時代においては「バタビヤ Batavia 」と称されたが、もともとの旧称では「シャガタラ(Jacatra ジャカトラ)」であり、しかも我が国の当時の認識ではジャワ島の意に取られていたとみなされています。
この爪哇(ジャワ)官府の漢での表記「咬刺巴/交留吧/咬𠺕吧」に擬した呼称で、ジャガタラは「咬拉吧(カラパー)」となり、更には「加拉巴」の表記へと移行していった経緯が背景にあるようです。

参考:西川如見「遺書第4編 増補華夷通商考 5巻」(1708年)
「土産 黒木綿 咬拉吧島(シャカタラヲリノシマ)…」、「咬拉吧(カラパア) ジャガタラとも云」
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991284
お礼コメント
kantansi

お礼率 76% (476/619)

ご回答ありがとうございました。
投稿日時:2013/04/17 09:02
結果を報告する
このQ&Aにはまだコメントがありません。
あなたの思ったこと、知っていることをここにコメントしてみましょう。
関連するQ&A

その他の関連するQ&Aをキーワードで探す

ピックアップ

ページ先頭へ