一度に大きな害を与える人は、小出しに害を与える人よりも悪いのか?
犯罪などの大きな害を与えた人は、世間で非難され、また個人としても非難したくなったりします。
一方、学校や職場でのイジメなど、それが被害者の自殺やうつ病に繋がるようなことをネチネチと何十回もやっても、社会的にはなかなか認知されにくいので非難されにくく、また個人としても「犯罪者よりはましかな。」と思うこともあります。
私たちの心には、「大きな害を与えた人は強い非難を受けるべきだが、小さい害を与えた人はそこまで非難しなくても良い。」という心理があるのでしょうか?
タバコのポイ捨ては、ちょっと行儀が悪い人、くらいにしか思われていない、もしくは目をつぶる、という常識があるけれど、
でも、色々な場所で合計何十回、何百回もポイ捨てをしていれば、確実に色んな人を不快にさせるし、その人達がうつ病になったり、あるいはキレて犯罪をする事の原因の一部になっている、なっている事もあると考えると、
大きな犯罪のニュースに飛びつく現代人て、どうなんだろ?と最近考えるようになったのです。
大きな事件を思いっきり非難する人の心には、「そこまで大きな害は、私は与えてないから、私は悪者ではありませんよ!」という自分の罪を認めない心理、逃げの心理もあるのでは?と思うのです。
皆さんは、一度に大きな害を与える人は、小出しに害を与える人よりも悪い、と思いますか?また、その理由もお聞かせ願いたいと思います。
お礼
そうですよね。 最近、厨二病が跋扈してて困ります。