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やりたいことを

人を傷付けても自分のやりたい事をやるべきなのでしょうか?という質問があったとしたら、きっと多くの人が「それはいけない」と答えると思います。 しかし実際には多くの人々が他者を傷付けてでもやりたい事を通しているように自分には見えます。 「それはいけない」という気持ちはこの時どうなっているのかと言えば、見ぬ振り、知らぬ振りで通ってしまっているのでしょう。 自分はこの見ぬ振り、知らぬ振りが難しく、有体な言い方をすれば不器用な生き方になってしまっています。 見ぬ振り、知らぬ振り。これはどうすれば身に着くのでしょうか?参考になるような本等があれば併せて教えて頂けませんか。よろしくお願いします。

みんなの回答

  • tomban
  • ベストアンサー率26% (2616/9771)
回答No.7

ririsakuraさんの回答への補足を見せて頂きました。 つまりなにかの出来事があった時に、それに正面から相対してしまう自分がいる。 それで大きなダメージを受け続けてしまうので、そのダメージから逃れる術を知らないか?ということですね?。 通常、何かダメージを与えられるような出来事があった場合、それを「受けた後」ならば、その解決法を見つけ出して対処をします。 「受ける前」に予測ができるなら、受けないようにかわします。 前者の場合は「自分を騙す」というのも手です。 「痛いけど痛くない!」と騙すことで、痛みのダメージを「感じないように」するわけですね。 いわば「やせ我慢」というやつです。 他にも「前はもっと痛かった」という「比較」や「痛いと思うから痛いので、思わないことにする」という「転化」など、様々な方法を使って、その場を凌ぐわけです。 凌いでしまえば、時間が解決します。 痛みは長くは続かないからですね。 あなたの場合は、それが「出来ない」のでしょう。 それはおそらく、プロセスを実行するために必要な「情報」というものを、得るのに大きな困難…ハンディキャップを持っているからだと思います。 具体的に言えば「自閉症スペクトラム障害」などの「ある種の感情の喪失」があるからだと、私は思います。 メンタルクリニックに行かれたことはないですか?。 もし無いならば、一度テストを受けられることをおすすめします。 その上で専門家のアドヴァイスを受けることが、私には近道のように思えますよ?。 器用不器用の問題ではありません。 不器用、というのは「行動法がわかった上でも、それを敢えてしないこと」です。 方法がわからないとか、なぜそうなのか、という理由に辿りつけないことではないのです。 ですから、それを間違えてしまってはいけませんし、また、それを信じ続けてしまうことで、結果的に解決から遠くなってしまうはずです。 真実を見つけに行く必要が有るのではないでしょうか?。 どうでしょうか?。

  • jbeam
  • ベストアンサー率41% (85/204)
回答No.6

ご自分のパーソナリティを変えたいのですか? >人を傷付けても自分のやりたい事を・・・・・と答えると思います。 私は相手によっては気にしない場合が多いですけどね。 【同情することが有りません】 http://hatsugen.zakzak.co.jp/qa8005212.html と言う 質問者様と真逆の方の質問に回答しています。 お時間が有りましたら参考になさって下さい。 パーソナリティの捉え方で、「ビッグファイブ理論」と言うのが有り、膨大な統計調査によって相関関係を見い出し導き出された理論です。 人のパーソナリティの基本は5つで、中の一つに調和性という要素が有ります。 調和性には心を読み取るメンタライジングと共感する2つの要素が有ります。 普通メンタライジングに優れた人は、共感する心も強いのですが、違う人も居ます。 メンタライジングは出来ないが共感できる人:人の心の動きを理解できないが、他人の悲しんだり怒ったりに同調する自閉症です。 逆に【同情することが有りません】と質問してきた メンタライジングは得意だが共感できない人:人の心を読み取るのは得意だが、読み取った結果に興味が無い→行き過ぎるといわゆるサイコパスです。 質問者様は、調和性のファクターが高いのです。 ですから人の心の動きを察知する能力が優れており共感する心も強いのでしょう。 なぜ同じようにメンタライジングが出来るのに共感する人としない人がいるのか? 理由を知れば対策も可能でしょう。 【パーソナリティを科学する】ダニエル ネトル (著) これは、現代のパーソナリティの捉え方において、最もコンセンサスを得ている「ビッグファイブ」について、主に進化論を理論的根拠にその妥当性を示している本です。 ご自分を【お人好し】から卒業させるにはお役に立つと思います。

  • eroero1919
  • ベストアンサー率27% (3007/11113)
回答No.5

>しかし実際には多くの人々が他者を傷付けてでもやりたい事を通しているように自分には見えます 「こういう商売で独立したい」というようなやりたいことと、「あの子とヤリたい」というようなやりたいことをごっちゃにされているように思います。 例えばプロ野球選手が「どうしてもメジャーリーグに行きたい」といえば、その過程で誰かを傷つけてしまうこともあります。例えば期待している監督の気持ちを裏切ることになるし、球団の命を受けて残留に説得した球団職員さんを傷つけることになるし、一部のファンを傷つけることにもなります。だけど、それはあくまで「結果として」ということであるし、どうしても我が道を貫くとなると、誰も傷つけたり迷惑をかけずに前に進むということは無理なことだって多々あります。 それと、誰かが「ラーメン屋をやりたい」といっていたときに、「いやあ、ラーメン屋なんか商売にならない。辞めたほうがいい」とアドバイスしておいて、その人がその案を引っ込めたら自分がラーメン屋を始めた、なんてことがあるかもしれません。おそらく質問者さんがいいたいのはそういう事例のことだと思います。 だけど、それも人生のしたたかさのうちのひとつですよ。ライバルがいるならそれを出し抜かないといけないときだってあります。ボクシングの輪島功一さんがカゼをひいたふりをして相手陣営を騙したという有名な話がありますが、勝つか負けるかの場合はきれいごとはいっていられない場合だってあります。特にまともに当たっても勝てないような実力差のある相手になんとか勝たないといけないという場合は法や道徳に反する以外の手段は選んでられないです。 具体的にどういうシチュエーションのことを指しているのか他の回答者さんを含めてピンとこないですが、もし自分の弱さを相手の汚さにすり替えているとしたら、それは自分のためにはならないですよ。

noname#246720
noname#246720
回答No.4

見ぬふり、知らぬふりで通してしまうような人は、結局のところやりたいことをやってもうまくいかないのではないかなーと私は思います。 「誰かを傷つけた」と自覚したなら、本人に直接詫びることはしなかったとしても、きちんと生きることで報いようとか…そういう心掛けを持つのが大事なのではないかと思います。 要は、見なかったふりをするのではなくて、正面から受け止めてその事実とともに生きていく覚悟というか… そういうのって案外見られてますからね… 「人を傷つける」っていう話ではないですが 私たちが毎日食べているものだって動物なり植物なりの命を奪って出来上がったものですが、まあ大体の人はそんなこと考えもせずに、食べられない分はゴミ箱にポイだったりしますよね。 しかし食卓に上がってくる過程を知って、きちんと自分の中で考えを持って、その上で「残さずに有効に使い切る心掛け」であるとか、捨てるにしても「どうしても仕方なく破棄します。ごめんなさい」のような考えを持つとか、手を合わせるだとか… まあちょっと極端かもしれませんが、心掛けひとつで同じ行動でもずいぶん変わったりするものです。 質問者さんの周りの「やりたいことをやっている」人が、自分が他者を傷つけていることについて見ぬふり知らぬふりをしながら生きているように見えるなら、それはあまり良い観察対象ではないのかもしれません。 でも案外、そう見える人でも色々考えていたりフォローしていたりするかもしれないので、一度直接話を聞いてみては如何でしょうか。

dantecobalt
質問者

補足

自分も全くその通りの考え方でした。しかしそれは今までの話。 やりたい事をやり、人を傷付けても知らぬ振り、見ぬ振り、報復を恐れず、信念を持って生きるのではなく楽な生き方をする。 食卓の例に倣って言うなら牛の肉を食う割に牛が死ぬ所を見ると「可哀そう」と口にするような感覚です。 それを口に出来るような感覚が欲しいのです。 自分は牛が死ぬ瞬間を見て受け止めてしまいます。しかし実際現実ではその感覚はアウトローです。何も「人を傷付ける」だけに限った話ではありません。 自分の見たい物だけを見て、知りたい事だけを知って、そうやって都合良く自分勝手になりたいのです。 自分と自分の近しい人間だけの安全と幸福を願い、他者は他者でどうなろうと関係無い。そういった感覚を今心の底から欲しているのです。

  • vansancan
  • ベストアンサー率23% (341/1422)
回答No.3

何を事例にしているのかわかりませんけど、 既婚者を奪ったら、慰謝料問題になるけど、 恋人のいる人を奪ったら、それは自由恋愛においての当然の権利。 どちらも、相手側の人を傷つけることになるけど、 後者は奪い取った者の勝利。 『当然の権利』と割り切ることかもしれません。

dantecobalt
質問者

お礼

特に何か時事問題などを事例にしている訳ではありません。 つまり傷付けた相手の顔を真っ向から見据えて笑うくらいの度胸があれば解決、という事でしょうか。 今まではそうしてきたのですが、少し事情があって今では出来なくなってしまいました。ですが改めて思うとシンプル故に納得出来る部分もあります。 参考になりました。

  • pigunosuke
  • ベストアンサー率19% (1063/5529)
回答No.2

自分の行動に責任を持つ事ですね 因果応報と言い、 自分でやった事は、良い事も悪い事も、自分に返ってきます 人を傷つけたら、その人から恨みを買う事になるかもしれませんね 恨みは3倍返しと言います 3倍になって返ってきた仕打ちを、ちゃんと受け止める事 それが出来るなら 私は構わないと思いますよ >見ぬ振り、知らぬ振り。これはどうすれば身に着くのでしょうか? 急いで居る時、車が来なければ、 信号を赤で渡ってしまった経験はありますか? 一度でもやると、 次に同じ状況になった時に 二度目を行う事に抵抗が少なくなります 一度意識して、知らぬ振りをしてみましょう 次はもっと簡単に知らぬ振りが出来るようになりますよ

dantecobalt
質問者

お礼

ありがとうございます。具体的な方法ですね。試しに実践してみます。

回答No.1

多少は仕方が無いのです やむ終えない時、傷付けてしまうとは思わなかった時は 仕方が無いのです やりたい事をやると、誰かと衝突する これは必然的なんです 無い訳が無い

dantecobalt
質問者

お礼

ありがとうございます。確かに世の中は弱肉強食こそが唯一のルールだと思えばその通りなご回答かもしれません。 ただ感覚的にそれは「必要な犠牲」であって自分が望んでいる知らぬ振りは「自分が楽をするために」というものに近いかと。 必要な犠牲は堂々たる態度でいれば良いと思います。 自分が楽をするためにというのは後ろめたさが残りそうです。 感覚的な違いで分かり辛いかと思います。申し訳ありません。

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