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聖徳太子、憲法十七条は世界に類例ありますか?
当時として又、近代法以前で、。 特に「和を持って貴しとする。」は平和憲法ですか? だとしたら日ノ本・皇国日本、昔から平和主義の側面ある事になすますけど。 当時これが異様な憲法だとしたら私見では、太子は他の世界宗教にも比肩し得る大聖人だと思います。誕生日と言われる師走の25日は、うちでは祝日です。 皇室の一方で日本、荒ぶる須佐之男から、もののふ の伝統もあるので、せめて防衛戦準備は必要とも考えますが、 敵に塩送る、謙信公や敵米兵を「敵さん」と呼んだ帝国軍人の伝統など考えるにつけ、やはり宥和的なのが、明治以前の伝統・日本精神なのかと思います。守るべきですか?
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- daidou
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面白い着眼点だと思います。 確かに解釈の仕方によっては「和を持って貴ぶべし」は「平和条文」とも思えますねぇ。 ただ、「生類憐れみの令」を世界初の「動物愛護法」と位置づけるのにも似て、ちょっと違和感を覚えます。 憲法って一般的な法律とちょっと性格が違うんですよね。 言ってみれば「国の主権者」と「治世担当者」との「業務委託契約」みたいな物だと言えば判りやすいかな。 国の主権者ってのは、民主主義なら当然国民、聖徳太子の頃なら主権者は「天皇」(大君)かな。 宗教統治をする場合、主権者が「神さま」で「憲法」が「教典」だったりすることもある。 まあ、この契約に基づいていろんな業務マニュアルやら規則が作られて、というのが一般的な法律ということになる。 違憲立法がNGなのは契約違反になるってニュアンスですね。 (連邦国家の憲法の場合はちょっと趣が違うんでこの喩えは通用しませんが) そう考えたとき、十七ヶ条憲法はあくまでも、役人や官僚に対する統治方法の指針として示したもの。 当然主権者たる天皇(や、その取り巻き)の方が力がある。 つまり「役人は任された範囲で平和的に民を治めなさい」と言っているわけで、主権者(王様)自身が戦争をしないとは言っていない。 「為政者は国家間の問題解決に戦争という手段を取るな」と、主権者である国民が言っている平和憲法とはかなり趣が異なりますね。 類例としては、ある意味モーゼの十戒の中の「汝殺すなかれ」が近いかもしれません。 先に書きましたが、宗教統治の場合は「教典」が「憲法」になりうるという事です。 確か、イスラムのどこかで「コーランを憲法とする」って国もあったと思います。
- izuhara
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経典に反戦的記述は無いと覚えますが、仏陀ご本人は反戦的だったようです。日本の当時の内乱の予感の状況も鑑みて、争いを避ける思想は有ったでしょう。官僚が範を示し、民にまで及ぶ事も。 以上よりこれを、和平的で無い、とするのも又無理があるのでは? No.6です。お礼ありがとうございます。 ・経典に記述のない仏陀の反戦的考えが果たして日本に伝わったのかという問題。 ちなみに憲法の内容は儒教的思想が強い。 ・太子が争いを避ける思想を持っていたかという問題。 物部氏との戦いで蘇我氏側として参戦し、四天王に戦勝祈願。 以上の問題点が解決されない限り、仰るような憲法を和平的と見なす評価はかなり飛躍したものと言わざるを得ません。 ちなみに仮に和平的であったとしても、後の時代は基本的に好戦的で、ほとんど影響はないように感じます。
お礼
今日は。 この質問は、’平和憲法だ’と言う答を望んだものでは無いです。 サイトの規定上、不必要な議論を避ける為、私立場を記しときます。 私自身は平和主義ではありません。「平和は戦争と戦争の間に過ぎぬ。」とはニーチェでしたか? 相対的平和に積極的価値などは無い、と言う、。絶対的平和となると別ですが。私は好戦的ではないですが戦争愛好家です、ただしそれは近代以前の。 本来、戦争は馬遊牧の戦士warriorが担う事でした。サラリー貰い妻子持つ兵士soldierでは気の毒と言うか向いてません。民を巻き込む国軍による総力戦に成ればなるほど、戦争が汚れます。 司馬遼やチャーチルが「魔術的な美さがあったのはせいぜい一次大戦前までだ」と言ってます。 それで石原莞爾は「世界最終戦争は終わった」と。総力戦はもう古いと言う事ですね、対テロでもそうです。国軍戦でない戦いは戦士、貴方や私がやればいいんです。現憲法下での傭兵軍の可能性について、別に質問立てており、宜しければご参照下さい。 敵を憎んで戦うなど、戦士には以ての外!力んだらお終い。必要なのは好敵(ニーチェ)~信玄・謙信のような「遠く離れた)星の友情」。それで十七条の精神です。 平和主義者ほど強い、と言う逆説。 高倉健さん我慢の人、ジャイアント馬場や中田英寿氏など、。これが戦士の部類です。 好戦的でないが闘うとなると最強。何故なら、戦争を好まない彼らを、戦争の方が!愛すからです。軍はそんな主義者をスカウトしなければ強くならない。 敵状よく知ってた山本五十六は陸軍若手から、イラク参戦に一人反対したパウエル長官は弱腰呼ばわりされましたが、誰が正しかったか、その後明らかです。ブッシュIIが、政権最大の過ちだったと明言してます。ベトナムの辛酸熟知の長官はExit Strategyの名人、勇ましいだけでは御座いません。 如何です? サッカー代表見ても、周辺国と違ってフェアーでかつ強いでしょう。太子の昔から脈々と続いてる、それが日本精神です。 長々と済みません、仏教経典については取り調べ中、なるべく補足します。 でも法隆寺、太子ゆかり仏は限りなく和平的です。
補足
十七条憲法は、「二に曰く、篤敬三寶。々々者佛法僧也。(三宝を敬え)」三宝=佛法僧の僧は、今日の僧侶の事ではなく‘僧伽’サンガ(サンスクリット)→和合衆(わごうしゅ漢訳)、和合する出家者の事。 最初に二つ、仏教的な和を持って来たのはそれだけ重視したのでしょう。 仰っしゃるように、厩戸皇子は武勇にも優れ、物部、新羅討伐に加わりますが、十六の時ですし物部は仏敵でもあったので、その後の思想に影響したのでしょう。仏陀の初期経典は色々な部派のが有り、当時何が読まれたかは確認できませんでした。 本来は個人の解脱・智慧から~大乗期には慈悲・利他救済へと移行してくのが天平に至る頃ではないでしょうか。 三経義疏の内、太子自筆と言われる『法華義疏』は法華経を講じた書ですが、法華経中の法華七喩の話に、6髻中明珠(けいちゅうみょうしゅ、安楽行品)と言うのがあって、 転輪聖王(武力でなく仏法によって世界を治める理想の王)の話です。これがアショーカ王時代から理想化されており、その影響は強いと思われますね。 親鸞はじめ、宗教界では影響絶大です。江戸の尊皇思想では、崇峻天皇殺害の蘇我馬子と共に敵視されもしたそうです。 まあ太子信仰も含め、ヤクザも手打ち式では非武装丸腰で通すお国柄です。考える以上にその和平というのが誰の身にも染付いてる気がします。良く言えばフェアーお人好し、わるくいや、、ぼけ。でしょうか。
- あずき なな(@azuki-7)
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17条憲法は憲法というより役人の心得だと思います 憲法なら国民にも発布する必要があるが 17条憲法が斑鳩の民に周知された感は無いです まぁ 役人が争いを無くせば民も幸せになるだろ? ってことでしょ 和を以って尊しとなせ 争うこと無きを旨とせよ ちなみにウィキペディアは信用してません どうにでも書き換えられますからね
お礼
よくぞいらして下さいました。流石に他でも御活躍の方です、感謝します。 他回答様とのやり取りでも話題となりましたが、仰っしゃる通りこれは「官人の議論の‘和’を説いたもの」で、民に配布された訳はありません。 これを推古期に書かれたもの、あるいは偽書とする議論もあるようですが、ここでは少なくとも為政者の周辺での正式なものと仮定すると、仮にも国の憲法ですから、直接には官僚向けでも、それを通して経世済民などの儒教・仏教的な意思表示を示したと取れませんか。 Wikiの信用度の事は知ってますが、確定してない事項、この話題などは両論併記してます。学会でも決着付かないんだから、シロートの私等はそれらを参照するしか手が有りません。 私自身は虚構説の可能性も否定しないけど、それでも構わないのです。当時からの太子信仰も含め、聖徳太子という現象と捉えれば良いですから。 イエスの実在も証明できません、状況証拠から確からしいと。聖書記述は時代時代に書き加えられてるから虚偽も入ってます。逆に一部教徒すら実在信じて無かったモーゼが、考古学の発見でほぼ認定されたりしてます。 聖人とはそんなものじゃないでしょうか? 有難うございました。
- izuhara
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熊谷公男『大王から天皇へ』(講談社、日本の歴史03)では、「和を以ての・・・」の条文は、最後まで読むと「上下が対立しないで論議を尽くして合意すれば、できないことはない。だから和を重んじなさい」という意味で、憲法全体を通して、官人が君の命令を受けて職務を遂行し、民の支配にあたる際に守るべき規範を問いたものと理解されています。 平和主義と理解するのは難しいかと。
お礼
御丁寧な回答、感謝します。 仰っしゃる事は正当です。それに関しては、ANo.4様への御礼と補足に期してある通りです。 官人の議論の‘和’を説いたもので、民に向け配布された訳では無いのは、歴史学者や井沢氏の指摘待つまでもなく当然です。先ず行政・官僚の行為を制限するのは今の憲法を含め、世界的にも常識なのでしょう。 ですからこれを敷衍して現代的な‘反戦’と捉えるのは無理があります。 一方で、太子なる方が存在したとして、法隆寺諸仏を見るにつけ、彼の方(あるいは起草者)が仏教者である事も紛うかたなき事実です。 経典に反戦的記述は無いと覚えますが、仏陀ご本人は反戦的だったようです。日本の当時の内乱の予感の状況も鑑みて、争いを避ける思想は有ったでしょう。官僚が範を示し、民にまで及ぶ事も。 以上よりこれを、和平的で無い、とするのも又無理があるのでは?
- あずき なな(@azuki-7)
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厩戸皇子=聖徳太子だと思ってますか? 私も厩戸皇子は実在したと思いますよ 名前も残ってますし しかし厩戸皇子の功績は何一つ有力な資料はありません 「あ」は別にバカにしてるわけじゃないんですけど… 真面目に答えて損した… あぁばかばかしい…
お礼
再度の御回答、感謝致します。これは本当ですよ。 <厩戸皇子=聖徳太子>は確定してません、しかし否定説も有力ではないようです。詳しくは、 Wikipediaー聖徳太子ー虚構説、及び、十七条憲法。を参照なさって下さい。 私の下司の勘ぐりだとしたら謝ります、そう取れてしまったものですから、許してよ~。 それより、太子作では無いとして、貴方の‘十七条憲法’そのものの評価は如何なんですか? 私ごときは無視して、ここで世間に問うてはどうでしょう? ともあれ有難うございました。
- PENPENMAKKY
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三曰。承詔必謹。君則天之。臣則地之。天覆地載。四時順行。万氣得通。地欲覆天。則致壊耳。是以君言臣承。上行下靡。故承詔必慎。不謹自敗。 六曰。懲悪勧善。古之良典。是以无匿人善。見悪必匡。其諂詐者。則為覆国家之利器。為絶人民之鋒釼。亦侫媚者対上則好説下過。逢下則誹謗上失。其如此人皆无忠於君。无仁於民。是大乱之本也。 どこが平和憲法ですか? 1・民には優しく接し、隔てなく扱え 2・仏法を大事にしなさい 3・王の命令は絶対です 4・役人は礼の心を持ちなさい 5・役人は私利私欲を捨てなさい 6・悪を懲らしめ善を勧めなさい 7・職務に忠実でありなさい。職権乱用は以ての外です 8・役人は早朝出勤、深夜帰りしなさい 9・真心は道の根本です 10・十人十色です。自分に合わないからといって怒ってはいけません 11・その成果をみて賞罰を行いなさい 12・むやみに税金をとってはいけません 13・役人は職務を熟知しなさい 14・役人は嫉妬してはならない 15・私心を捨て公僕となるのは役人の道です 16・民に使役を求めるのは熟慮して行動しなさい 17・何か決める時は一人で決めずに話し合いなさい 役人への戒めですね
お礼
ありがとうございます。 一曰、以和爲貴、無忤爲宗。人皆有黨。亦少達者。以是、或不順君父。乍違于隣里。然上和下睦、諧於論事、則事理自通。何事不成 一に曰く、和(やわらぎ)を以て貴しと為し、忤(さか)ふること無きを宗とせよ。~~~上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん。 第一条を忘れちゃあ困るじゃないですか? 和を以て貴し、は平和主義と言わなくとも、和平主義ですよ。もちろん役人を対象とし、間接的にその下の民にも向かうべきものとしてね。 見え透いて意図的な省略は、それこそ贔屓の引き倒し、だと気づきませんか? 日ノ本の精神大事にして下さい。<9、真心は道の根本です>
補足
今の憲法を「平和憲法」ってのは誰かが勝手に言い始めただけですからね。無論、十七条とは直接は関係ありません。もしや貴兄は「和平」の平、が当時の国家間の平和主義を意味する訳は無い。とお考え為さってるのなら、その通りだと思いますよ。直接には、役人の議論の和、を謳った文ですから。失礼致しました。
- あずき なな(@azuki-7)
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あ 17条憲法は蘇我馬子作ですが? 聖徳太子は後世の創作
お礼
あ りがとうございます。 Ans,1様の補足に書きましたが、太子虚構説を巡って全然決着は着いてませんよ。少なくとも厩戸皇子の実在を疑う学者はいないでしょ。大山誠一説は主流では無いでしょう? お調べですか? それと、、 「あ」、の意味は判りません。は、なら分かるけど。失礼ですが、もし他人を馬鹿になさるのでしたら止めた方が良いですよ、いずれ必ず自分に返ります。 現存する文物で、憲法に‘和’が記されてるのは、他に類例ございますか?が趣旨です。でも又どうぞツッこんで下さい。
やや似てるものに、モーゼの十戒というものがあります。 旧約聖書の時代なので聖徳太子よりはるかに昔です。
お礼
ご回答ありがとう御座います。 モーゼのExodusは読みました。あの大移動、偉大な人です。 しかし‘十戒’は直接的に神との契約なので、治世の憲法とはだいぶ趣が違います。只今も読みましたが、和平的な事は書かれていませんでしたね。
- blackhill
- ベストアンサー率35% (585/1658)
独創性や平和主義で評価するのはひいきの引き倒しで、儒教の枠組みによりつつ仏教の理念を説く、いわば折衷主義的なところが当時の日本の状況を反映したものといえるのではないでしょうか。 中国(台湾)の研究者の評価が、その2面性をよく説明していると思われます。 http://blog.goo.ne.jp/kosei-gooblog/e/17e89b4947a3a06c9a15b7ddd46ec9c0
お礼
ご回答及び参考リンクのご提示、感謝致します。 儒教・仏教の影響は無論のことです。しかし「平和主義で評価するのはひいきの引き倒し」とは思えません、独創性は兎も角も。むしろ今その事を強調する事は大事と考えます。 それにその「和」の精神を、憲法として立てたのは今の憲法とともに世界史的意義があるのではないですか? ですから憲法として、当時・以来、他に類例あるのかお訊ねしたわけです。偉大な参照古典が大陸に多くあるのは当然の事です。
補足
どうも舌足らずで誤解生むようなので補足させて下さい。 太子の実在については学会でも、現在も決着してません。最近でも大山誠一説を巡って議論が続いてるようです。しかし虚構説が主流ではないようですよ。ですからココ質では存否の是非は問いません。詳しくはWikipediaー聖徳太子ー虚構説、及び、十七条憲法。でどうぞ。 でも十七条は文物として厳然と現前してますから。もし和平主義があるのなら、憲法に条文として記された物は世界的意義があるのでは? が質問の趣旨です。 私は皇国史観に則って太子を賛美してるのでは無く、むしろその史観が出来上がる以前、明治より前の日本精神の、手弱女ぶり・益荒男ぶり、を省みる事しないと、本当の良き大和魂とか美しい日本とか、取り戻せないですよ。古い二項対立軸の上で、単に現行憲法改憲・護憲を言い合っても不毛ですし。温故知新、未来の子供の暮しを見据えて将来を決定するにも、左右の垢を取り去った眼で古来の日本を見直したく、この質問をした訳です。
お礼
御回答、感謝致します。 無論これは、反戦の平和憲法でな無いでしょう。ただの質問です。 厩戸皇子は物部氏との戦いや、新羅征討(途中で中止)に加わってますから。 その後厭戦的となり六〇四年の憲法で、もううんざり!の豪族統治の為の儒教思想(君に従え!)と、済民としての仏教思想が相まって、仰っしゃる通り直接には「治世担当者」官僚に対して出されました。 それはここの質問やり取りでも既にほぼ共通認識となってます。 私自身は平和主義で無い事は、Ans,8様への御礼を是非ご参照下さい。 しかし、仮にも国家として初の憲法です。官人だけが対象ならそれまで同様、訓示や訓告で済まして来たでしょう。地方豪族まで広げたと言う事? 六百年代には既に幹線道官道が整備され始めたそうですね。「日本の古代道路」参照、飛鳥~難波の竹内街道は幅員;約40mの大路で遺構発見されたと聞いてます。 民は、もし太子が実在なら何処かでその姿を目にして、非在だとしてもその業績は噂を通して流布します。古代人民をナメちゃアカンようです。その証拠に太子信仰、<『日本書紀』に既にみえており、8世紀には「本朝(日本)の釈迦」と仰がれ(ウィキ>、すぐに広まってます。流布力を見越しての仏教的な宣言の面もあるかもと、。 ともあれその効果、官人だけに限定するのも木を見て森見ず、、かも知れません。 私含め、保守と思しき方々が、これを平和主義と看做し賞揚するのに抵抗あるのは、現行憲法をも評価する事に繋がってしまうからでしょう。 でも、、現行法の下でも交戦可能、戦えるとしたら?如何です? それについては <地方自治体は武装できますか?道州兵・都軍・傭兵>という質問も立ててます。嘘でも良いから誰か回答くれないかな。以前から左右両翼からも無視です。 モーゼは偉大ですが十戒は直接、神の言葉・契約ですし殺人禁止は他にもあるようです。でも「和やか、を貴し」と価値宣言するのは異様です。ローマ法ハンムラビ経典と調べて、仲裁和解の決め事は書かれたたけど。 やはり世界に冠たるものでは? 皇室と一般民は手弱女ぶり・平和主義でもよい、ただ、戦士warriorの戦いは否定しないで下さい。というとこでしょうか。