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日本と西洋や中国との、城や城郭への収容について

shirouudaの回答

  • shirouuda
  • ベストアンサー率17% (14/78)
回答No.18

一部訂正。 吉野ヶ里の全盛期、弥生時代後半と 天皇家の草創期は古墳時代と、 少しずれてしまう。 もっとも、天皇家草創期という表現自体が幅が広いが。 いずれにしろ、堀やら、木柵、土塁、逆茂木(さかもぎ)に囲まれた所に住む、それをコミュニティと呼ぼうが、天守閣の無い城と呼ぼうが、都市国家の原型と呼ぼうが、事実に変わりは無い。 また、戦国時代の末期にはさらに巨大化した「城塞都市」が各地に現れた。 日本人がそういう物の中に住む時代は確かにあったのだ。 ちなみに、現代の日本人が近所を掘っても、それらしい遺跡は滅多に見つからない。 実は、日本人が、低湿地の水を抜いて、盆地の中央や平野の下流域に多数が住むようになったのは、江戸時代になってからなのだ。日本人は、雨が多くて、取水よりも水抜きに苦労してきた民族なのだ。昔は、盆地や平野の周辺部の緩斜面に住んでいた。関西の遺跡も丘陵地に多い。

park123
質問者

お礼

再三の回答ありがとうございました。 質問とは直接の関係はないですが、 <昔は、盆地や平野の周辺部の緩斜面に住んでいた。> ということですね。 大和時代がなぜ奈良盆地に芽生えたか、がわかりました。

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