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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:真に語りあいたい…)

真に語りあいたい人々を見つける方法とは?

このQ&Aのポイント
  • 同年代の人々との会話は短いものが多く、内容が薄く持続性に欠けることが多い。
  • 真に語り合いたいと思える人々を見つけるためには、自分の興味や関心がある話題について話すことが大切。
  • 政治・経済・学問・思想・芸術・宗教などの深い話題に興味を持つ人々とのコミュニケーションを求めている。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • tomban
  • ベストアンサー率26% (2616/9771)
回答No.3

それは「求めよ、さらば与えられん」だと思います。 自ら求めていれば、そのうちにはそういったコミューンと出会うこともあるでしょう。 ただ、覚えておいて欲しいのは「必ず間違えますよ?」ということ。 何度も間違え、そのたびに修正する歴史です。 昔、左翼運動全盛だった頃、学生運動に参加し活動していた人が、社会にでてから考え方を変え、右翼側に入っていく、ということは珍しくもなんでもありません。 私はそれは正常だと思うし、人間は立場が変われば考え方も変わるものだと思います。 また、変わらないこともあって当然だと思います。 しかし「間違い」をするということは、自分だけのことではなく、必ず誰かを犠牲にする、ということでもあります。 現在の若い人が、ある意味「ボキャブラリが少なく感じられる」最大の要因は、私は「コミュニケーション不足」にあるのではなく「コミュニケーションそのものを否定する」からだ、と思っています。 会話のカテゴリーが少ないことや、会話時間が少ないことは、自らの「情報」を相手に与えることに恐怖感を抱いているからではないでしょうか?。 その一方でSNSなりの「匿名」での集団では開放的であり、同時に「破壊的・破滅的」でもあります。 それも自他共にそうなのですね?。 グループアイドルのように「不特定多数」の「アイコン」を愛し、二次元キャラを愛することは、自らの中に巣食ってしまった「申し訳無さ」への愛撫のような気がします。 「自信が無い」から、自らのアイデンティティーに言及できないし、なんらかの「堡礁」を海岸に作っては、外からの「敵」に対しての「安全保障」としているように思えます。 私たちは、年代にかかわらず、時代にもかかわらず、人間の形はしてますけど、心の格好は「まる」じゃありません。 私たちは誰でも、心のなかに「ハリネズミ」を飼っています。 ただ、今の人がかわいそうなのは、その「トゲ」を仲間にも向けねばいけない、という、その「性」でしょうね。 そしてそれを作り出してきたのは、私達の世代を含めた「大人の責任」だと思います。 本来ならば、私達も自戒しなければいけないはずなんですけどね。 ただそれが「なし崩し」になったままなのが、今という時代であり、その世情なのだと思います。 いろいろな人と戦わなければいけないでしょうけど、もし「もっと知りたい!」と欲するなら、求めて下さい。 そうやって先人もいろいろなことを伝え、そして改革して来ましたから。

noname#181693
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 おそらくは,回答者さんは,ウルリヒ・ベックの著書などに目を通されたものと思います。コミュニケーションそのものまでが,いわゆる「リスク」と化してしまった,ということだと思います。 そして,回答者さんの回答文を拝見して,わたしが考えたことは,「対話」そのものに,「大きなリスク性」があるのだと,そのように考えている人々が多いということです。「対話」,あるいは,コミュニケーションにおいては,「摩擦」なり「衝突」というものは,つきものです。そういった,「衝突」などがあるたびに,お互いの「対話」が深まるのだと,わたしは,そのように考えています。 回答者さんの回答文を拝見して,わたしは,非常に,「アンフォーチュネイト」な思いを持つようになりました。それは,「対話をしたいのだけど,対話の相手がいない」ということでもあると,わたしは考えます。 わたし自身のことですが,わたしは「語り」をとおして歴史の研究をしているのですが,回答者さんの回答文を拝見するたびに,なぜ,日本社会のなかでオーラル・ヒストリーが支持されないのか,その「理由」を痛いほどに感じました。それまでは,「日本人は概して非常に口下手」という「イメージ」があったのが,「社会的な事情」があるために,「語れない」,そういう,「不都合な事情」があるのだと,そのように考えるようになりました。 様々なことについて,深く考えさせられる回答文でした。ありがとうございます。

その他の回答 (2)

回答No.2

私は27歳の男ですが、20前後のときは質問者様と同じように考えていました。 ですので、周りと話が合わずあまり積極的にコミュニケーションをとろうとしてませんでした。 そんな中でも雰囲気?か何かを察して、そういう話題をしたがる人たちが寄って来たりもしていました。 逆に今は、質問者様がおっしゃるような俗な話題?にも積極的に乗っています。 諦めと言われればそれまでですが、そういう難しい話題が好きな人は世間では少数派です。 世の中、政治・経済、学問・思想について意見や知識のある人ばかりではありません。 質問者様は教養も知識もお持ちでしょうから、それが当たり前に感じられるかもしれません。 しかし、言い方は悪いですが、大学を出ていない人だって世の中にはたくさんおり、そういう人たちにとってそんな難しい話題というのは、外国語の会話を聞くのと同じくらい意味がわかりませんし、聞くだけで苦痛でしょう。 ある意味、そういった会話ではコミュニケーションが成立しません。 それこそコミュニケーションの意義なんて、一生考えないと思います。 私自身は質問者様のそういった考え方に同意できる部分も多いですが、それが万人にとって「内容が濃く,持続可能性のあるコミュニケーション」ではないと思います。 それはあくまで質問者様の中の価値観での話です。 車や合コンなどの俗な話題と上下をつけるのはどうかと思います。 あまり俗な話題を見下す姿勢が強いと、それは質問者様の了見の狭さを露呈し、質問者様の価値を俗な話題しか出来ない人と同じレベルに貶めることにつながると思います。 周囲に政治や思想の話ができる人が少ないのは、どうしようもないと思います。 興味のある人が少数派だと思いますので。 それを嘆くよりは、「車や合コンの話も楽しめるし、深い政治などの話題ができればもっと楽しい」と思えるように、いろんなことに興味を持ち、いろんな価値観を認められるようになった方が良いと思います。

noname#181693
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 この質問文を書くにあたっては,話題の内容,質,そして,いわゆる“程度”に上下関係がないことを前提としました。さらには,日本は民主主義の社会なので,民主主義の社会としてふさわしい「話題」についても,このことを考えるときの前提にしました。 わたし自身は,車のことや合コンのことが話題になっても,それらがわたし自身にとって,苦になることはありません。ただ,そういう話題だけで,どれくらいコミュニケーションが継続されるのか,そういった点において,懸念の気持ちをいだいていました。また,わたし自身は,幸いなことに,色々なことを学ぶことができましたので,いわゆる「ハッキングから“夜のおかず”」まで,さまざまなトピックに対応できると思います。そのような,たくさんあるトピックのなかから,コミュニケーションが長続きするだろうと,わたしが考えたものが,政治や経済,思想といった話題でした。これらであれば,いわゆる「徹夜マージャン」ではありませんが,長い時間語りあうことができると考えました。さらには,こういったトピックは,たしかに,いわゆる「お堅いもの」ではありますが,さまざまな人々が関心や興味を持つ分野でもあると,わたしは考えました。車や合コンの話題も,それはそれでかまいませんし,そういった会話から,相手の人々の「価値観」というものが理解できるようになるので,意義は大いにあるとおもいます。しかしながら,それと同時に,日本は民主主義の社会なのですから,いわゆる「お堅い」ほうの話題のほうにも,もっと関心を持ってくれたらな,という「思い」もあります。

  • fuefue12
  • ベストアンサー率38% (457/1192)
回答No.1

個人的には質問主さんの意見にとても共感出来ます。 ただ1つ頭に入れておいた方が良い事がある気がします。 それは「彼らが何故持続性の少ない話題をするのか」です 質問主さんは常に「内容の濃いコミュニケーションを深める会話」を求めているのだと思います。しかし 実を言うとそういう会話を求めている人と言うのはそんなに多くは無かったりします。 相手の事をよく知らない 自分の好きな事を話すのが恥ずかしい 特に話したいことも無いし人と話すのも好きじゃ無い 等等 「会話とコミュニケーション」の感じ方ってとても人それぞれなのです。 いやいや会話はコミュニケーションが… と言う気持ちは私も賛同なのですが 世の中には「うるさい!ほっといて!人と喋りたく無いの!」と突っぱねたり「そう言われても興味わかねー」と言う人も結構な数いるのですよね。 そしてそういう人の為に「大多数の人に通じる話題でのコミュニケーション」が重要だったりします。質問主さんの例で言えばバイクとかの話ですね。あと皆が見ているテレビとか。 自分にしか分からない話や自分が好きな事だけでは会話はなかなか成り立ちません。 人の趣味はそれぞれですし。 そして新たな話題の受け取り方もそれぞれなのです。 誰かにとって重要な話は誰かにとっては「くだらない」話なのです。 質問主さんの「恩師と学生時代の友人と語る」事が好きなのは 彼らが「私はこういう事に興味があり話せます」と看板を掲げているからです。 しかも恩師は自分以上の知識を持っている事が大半。 話してて世界を広げてくれるので楽しくて当たり前とも言えます。 しかし社会では必ずしも看板を掲げていてくれる訳ではありません。 この中で「濃い話」が出来る人を捜すのは訓練が必要だったりします。 私の経験談では… まず相手の話をバカにしない事。 例えば私に撮ってパチンコとかギャンブル系は受け入れがたい趣味なのですが パチンコ等のシステムやどういう風にこちらにメリットがあるかというシステム的な話はちょっと興味があったりします。 この娯楽が何故万人を引きつけるか もしかして政治に関わるかも!?等の可能性を考える楽しさはあります。 そしてそういう事を私が提示すると 何人かに一人は「そうかも!」とのってくれます。 するとそうかも!とおもった更に何人か一人は 「そう言われて政治の話に興味が出たかも」と思ったりするのです。 それまで世界を知らなかった人が 世界に触れた瞬間と言うのは なかなか見てて面白かったりします。 そして「話す事が受け入れられる」と感じた人間は 些細な自分の中での疑問を人にぶつける事も出来る様になるのです。 質問主さんは出来るかもしれませんが 「些細な疑問から繋がる深い話」を提示するのを恥ずかしがる人と言うのは結構います。 ところがこういう些細な疑問が 「それは良い質問ですね!」みたいな話に繋がる事もあります。 恩師の様に「濃い話が出来るひと前提」で人を捜すとなかなか大変です。 質問主さんは既に色々知識や情報を持っているのだと思います。 それを興味の無い人から「引き出す」テクニックを見つけると 個人的には沢山の濃い深い話と出会えると思いますよ。 頑張って!

noname#181693
質問者

お礼

毎回丁寧な回答をしてくださり,ありがとうございます。 ほかの回答者さんへのコメントにも書いたのですが,このような質問文を書いたひとつの理由は,日本社会が民主主義の社会であることから,「語りあうこと」,あるいは,「言葉」,「コミュニケーション」が社会にとって,最も重要な要素のひとつになるからです。 そして,わたし自身は,手前味噌ではありますが,いわゆる「ハッキングから“夜のおかず”」まで,色々な話題に「対応」することができると思います。そして,あまたある,たくさんあるトピックのなかから,民主主義の社会にとって重要であると考えられるトピックに,「焦点」を当てた,というわけです。 もちろん,車やバイク,合コンの話題でも,わたしはOKです。でも,わたしの場合,ほかの大多数の男性が主張するところの「可愛い女性」というものが全く理解できませんので,わたしにとっては,街のなかを行きかう女性のすべてが,「べっぴんさん」にみえてしまいます。そして,世の中のあまたの男性が考えるところの「可愛い女性」の「可愛さ」なんて,どこかの週刊誌やファッション雑誌,あるいは,フリーペーパーに書いてあるような「情報」によって「刷りこまれた」ものだろうと,そのように考えてしまいます。大切なのは,そのひとの「瞳の輝き(たとえば,向上心,など)」なのではないでしょうか? 価値観の話はここまでにして,わたし自身は,回答者さんである,あなたが主張されたことは,理解しているつもりです。また,さまざまなトピックがあるのですが,それらに「序列」をつけることは,基本的にはありませんし,そういうことは,意味のないことだと,わたしは考えています。なぜならば,さまざまなことに,「哲学的な何か」がかかわっていますので,そこをうまく「活用」すれば,いわゆる「深い話」につなげることができるからです。 アドバイス,ありがとうございます!

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