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何も考えないとは

くだらない質問かもしれませんが、何にも考えないって可能なのでしょうか? もちろん意識がある状態で。 というより意識的に何も考えないでいること、が可能なのか?なのですが。 ふと思ったのが何も考えないようにと意識すると違うことを考えてしまいます。ボーっとしているときも何か考えています。何かに打ち込んでいるときもそれについて一所懸命考えていると思うんですが、人間、常に小さいことから大きいことまで何かしら考えているように思いました。

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回答No.6

No.4です。 どんな感覚か想像する、イメージすることは考えることです。 もっと言えば、考えない状態に感覚は存在しません。 五感が機能しないのではなく、「これが考えない状態だ!」というものが無いということです。 くどいですが、考えない状態を意識した時点で考えています。 それでもあえて言うなら、自分と世界との境界をなくした状態と言えるかもしれません。 ちなみに考えない状態と無の状態は違うと思います。 完全なる絶無はすでに人知を超えています。 無の境地というより、無我の境地という方が近いかもしれません。 禅僧は悟るために座りますが、同時に座ることそのものが目的でもあります。 悟って、「ハイ、修行終了」ではありませんしね。 彼らは他の宗教のように言葉で伝えられないからこそ座るんです。 まぁ、禅問答などもあるので、言い出したらキリがないし、そんな議論をするつもりはありません。 座禅でよければ、最近は体験でやってるお寺もあります。 そんなもので悟れるわけはないですし、考えない状態にすらなれるかもわかりません。 ただ、実際の僧に「考えない状態ってどんな感じですか?」と聞くことはできるでしょう。 真面目な坊主なら、私がここに書くよりよっぽどまともな回答をくれるでしょう。 どこにお住まいかわかりませんが、一度調べてみられると良いかと思います。

shin58
質問者

お礼

お返事ありがとうございます。 おっしゃる通りですね!これか、と感じてしまっている時点で考えてますね。難しい・・・ 逆に、考えるということ、イメージするということもすごさも感じました。 うまく表現できませんが自分の知りたかった答えであるような気がします。 大変勉強になりました。ありがとうございます。

その他の回答 (6)

回答No.5

NO2です。 何も考えない・・どうして、それが必要なのでしょう。 と言うより、何故それに憧れるのでしょうね。 ある修行と書きましたが・・瞑想がその道への、近道(簡単と言う意味ではないです)。 唯、瞑想は・・少なくとも最初は、それなりの人に教わる必要があります。 自己流では・・ダメと言う事です。 瞑想を初めても、様々な妄想が湧きます。 これは、もうあらゆる妄想・・がでます。 それを、如何に処理するか・・が、瞑想の瞑想たる所以かも。 そして、様々な妄想を一つにする・・実際にはここまでが、長い道のり。 最期にはその一つ・・一つになれば、処理は比較的簡単? と言う様な手順です。 唯、何も考えない状態が持続は難しい・・瞑想の間でも長時間はね。 日常生活では、刺激がありすぎ・・ しかし、考えないのが良いのではなく、考える必要があるときには考えるのは当たり前。 先に妄想を一つにする・・と言いましたが、例えば、ぼんやりと何かを考えて居る事に気付いたなら、そのぼんやりと考えて居る何かが、自分に取って必要なのかどうか・・を見極めます。 必要なら考え続ける。 必要がないのなら、考える必要のある所に戻る。 この様に気付く・・気付いたなら、本来に戻る・・ これの繰り返し。 を練習するのが、瞑想・・とも言えます。 何も考えないのが素場らしい訳ではないです。 禅の話があった様ですが、あちらは悟りを得るために行っている様ですよ。 あなたが悟りを得たいのなら・・しかるべく場所あるいは、悟りを得た師匠につく必要があります。 まあ、だれが悟っているのかを見極めるの難しいし、見極めたとしても、その人の弟子となるのは更に難しい。 これは余談。 座禅を組んでいるからと言って、考えて居ないのかどうか、考えない様になっているのか・・は? 考えていない事をどの様に認識するのか? これまた、余談。 つまりは、あなたが何故、考えない・・事にあこがれるのか・・目的は何故・・と言う事が全ての始まりです。 何となく・・なら、まあ達成は難しいでしょう。 また、例え考えない状態が得られたとしても、その先は?

shin58
質問者

お礼

お返事ありがとうございます。 最近、気持ちが乱れやすくイライラしやすかったり仕事や人間関係などでストレスを感じたり。対処法としてであったり、集中力や意志力を高める効果として瞑想や座禅を知りました。 心を落ち着かせる中で頭の中に余計な考え事が出てきて止まないことに改めて気づきました。その頭の中に出てくる言葉に気づいたら言葉で溢れる様な状態にいる自分の雑念の多さにびっくりしたのと、こういった感情に気付いたことに対してすごい発見!という気持ちになりました。それとともに思ったのが何も考えない状態ってどうなんだろう?という好奇心、何も考えない→からっぽの状態→雑念から解放されたすっきりした状態みたいなイメージの期待感。はたまた普通では感じれない何かを感じれるのか?といった具合の考えです。そもそも、こんな考えでは・・・って感じもしてしまいますけど。 ただ、すごく勉強になりました。ありがとうございます。 そして、これを書くのに自分の表現力のなさ、文章力のなさに気付きました・・・

回答No.4

仏教の禅宗の座禅などは、何も考えず心の中をからっぽにした状態で座り続けることを目的としていたと思います。 実際に彼らが何も考えていないかは、他人のことなのでわかりませんが…。 私も秒単位から1分くらいであれば何も考えずにいることはできます。 気を許すと思考が入り込むので、相当な集中力が必要です。 普通はどんな状態であれ何かしら考えるものですし、そこは質問者様のおっしゃる通りだと思います。 精神修養を目的にするのでなければ、何も考えない状態に挑戦する必要はありません。

shin58
質問者

お礼

ありがとうございます。 何も考えずにいられるとはすごいですね! どんな感じなのでしょうか? あれからいろいろ考えて何も考えない無の状態を想像したら、うまく表現できませんが体験してみたい衝動に駆られます。イメージだけで衝撃的です。 出来ることなら挑戦してみたいと思います。

  • Tori_30
  • ベストアンサー率27% (653/2415)
回答No.3

確かに。 え~?どうなんだろう?こんがらがってくる。 今、この状態からそれが可能か?よりも、そういう例があるかないかで探すのが手っ取り早い気がする。 例えば、脳死状態。(植物状態とも違う?)意識がない状態。これはどうも現実にありそうだよね。脳波がないとかあるし。間違いなく何も考えてないでしょう。ただし、意識もない、と。 じゃあ、動物。何も考えていないのか、そもそも意識があるのかないのか。分からない。家で猫飼ってるけど、何か考えてるような気がするし、何も考えず反射で動いているような気もする。 う~ん。これは結局分からない。 もはや意識とは何か?っていう定義問題になっちゃう感じがするねぇ。 大体、人間が本当に何か考えてるのか?って時点で既に怪しいと僕は思うよ。 本当は考えてなどいないのかもしれないよ? あたかも考えているように、そう感じるだけの話で、実際はそんな思考活動などないのかもしれない。 もっと言えば、ここにこうして在る”私”。本当に存在してるのかどうかすら怪しいもんだ。 ”コギト・エルゴ・スム”我思う、故に我在り。本当にそうか?と僕は思ってしまう。 この世界は、僕じゃなくて誰かが見てる世界なのかもしれない。次の瞬間、または何十年後かの将来、僕がどこにいて何をするかは既に決まっていて、単にそれを再生してるだけなのが今この世界なのかもしれない。その中で僕が何か感じたり考えたりしてるのは、単なるモノローグに過ぎないのかもしれない。 本当は既にこの世にいない過去の人なのかもしれない、僕は。いや、存在した事なんか一回もないのかもしれない。じゃあ、そういう考えを持った僕は一体なんなんだ?いるんじゃないの?この世界に? 分からんねぇ。本当に分からん。 たまねぎの皮を剥いていくと、いつかなくなっちゃって、どっからが皮でどっからが身だったのか?どっから食えて、どっから食えないのか?美味しいのか美味しくないのか? そういう認識問題になりそう。分からん。

shin58
質問者

お礼

うーん・・ちょっと自分の今考えてるイメージと違う方向にいってますが、回答ありがとうございます。

回答No.2

ハイできます。 但し、ある修行をした後で。 唯、これは相当難しいです。 適性・・と言うものがありますね。 私には無理です。

shin58
質問者

お礼

ありがとうございます。

回答No.2

ハイできます。 但し、ある修行をした後で。 唯、これは相当難しいです。 適性・・と言うものがありますね。 私には無理です。

shin58
質問者

お礼

ありがとうございます。 適正とはどんな感じなのでしょうか? 出来ることならチャレンジしてみたいです。

  • z2man55
  • ベストアンサー率10% (29/278)
回答No.1

何も考えないとは。 何かを考えている状態の事を指す、と誰かが謂っていたけど。

shin58
質問者

お礼

ありがとうございます。

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