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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:カルマの法則について)

カルマの法則とは?

このQ&Aのポイント
  • カルマの法則については、スピリチュアルな考え方で、「自分がまいた種は自分が刈り取る」という意味を持ちます。
  • 善き事を思い、善き行いをすると、プラスのカルマとして自分に返ってきます。逆に、悪い行いをするとマイナスのカルマとして返ってくるといわれています。
  • 人間は生まれてから死ぬまで未熟な存在であり、魂の成長のために生まれてきたといわれています。未熟な自分の言動がすべて自分に返ってくると考えられています。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • hfsa
  • ベストアンサー率33% (2/6)
回答No.9

No3です。 現在を一生懸命生きていたら自然に成長する、その通りだと思います。前述のヒドイ人も、一生懸命生きていたら偶然似たようなヒドイ人に出会い、行いに腹をたて、自然と成長したともとれますしね。 私なりの見解としては、人として成長しようと思わなくても、意識させられるような出来事に出会う。それがカルマではないでしょうか。 日常的に成長を意識してもしなくても本当に誠実に一生懸命生きているなら自ずと成長に駆り立てられるでしょうけど、意識して成長しようとするならなお良いと思います。息苦しく思う自分を越えてみるとか。

mika_kobe123
質問者

お礼

ありがとうございます。 プラスの波長で生きれば自然体で成長できるんですね。

その他の回答 (8)

回答No.8

カルマの考え方は輪廻転章に起因しています。 現世で克服すべき心の課題です。 ”業”ともいい,克服できなければ何度生まれ変わっても,同じ”苦””悩”等を体験します。 克服すれば魂が一つ上え昇華します。 貴方のいうとおり,どんな未熟な人も小さいことから克服していけば成長しているんです。 ただ自分の言動,行為が全て自分には返ってはきません。 時間の問題があるため,自分の子や孫,あるいは血縁者に返ってくる時もあります。 俗にいう”悪因縁”です。 私見ですが,要は邪な心で人と付き合わないことです。 邪な心は何もいい結果をもたらしません。 因果応報なんて人生はつらいですよ… 質問者様への私なりの答えですが,それていたらすいません。

mika_kobe123
質問者

お礼

ありがとうございます。 人間すこしずつでも、誠実に生きることで成長していけたらいいんですね。 因果応報とかあまりこだわると苦しいですね。 勉強になりました。

  • papanda26
  • ベストアンサー率40% (407/1002)
回答No.7

再度失礼します。 >成長って意識してするものですか? >現在を生きていたら自然に成長していってるものですか? 個人的にはメリハリかなと思っています。 成長ってず~っとニョキニョキと同じ速さでするものではなく、緩急があるんじゃないかと。 土壌を肥やす時期、種まきの時期、発芽まで待つ時期のような「ただ時間が必要」な時もあると思います。 逆に、発芽し急速に伸びていく時期や、ぱっと花開く時期、実になる時期のような「ここぞ!」という時もあると思います。 待つべし、耐えるべしの時は、自然に任せてただ生きていればいい。 ここぞ!という時は、多少意識をして挑戦したり、失敗を活かしたりすればいい。 なので、質問者さんの問いに対してはズルい答えかもしれませんが「どちらもYES」だと。 難しく考えることが息苦しいなと感じる時は、流れに任せて待つ時なのかな。 ただ、待つ時期とここぞ!の時期との見極めこそが、とても難しいのであって ゆえに私達は悩み、苦しみ、もがくのかもしれませんね。

mika_kobe123
質問者

お礼

ありがとうございます。 私は人間は日々の目の前のことに一所懸命生きることで、 経験を通して自然に人間性が磨かれていくものだと思います。

  • nung
  • ベストアンサー率40% (69/169)
回答No.6

善きにつけ、悪しきにつけ、「自分の思い通りになる」のが、宇宙の法則です。 (と何かに書いてあった) その際、気をつけなければならないのは、自分の思ったことが、思考を向けた相手に起こるのではなく、自分自身に起こると言うことです。 つまり、自分が受ける仕打ちとは、自分の思考が形となって生じた結果なのです。 その仕打ちを、自分自身の思考が作り出し、自分自身に引き寄せたと言うことです。 自分の行いに対して、仕返しをする神なり、仏なりが、どこかに居ると思うから、理不尽じゃないかという思い違いが生じるのです。 誰かが仕返しするのでなく、ただ自分がそれを思った(=望んだ)から、それが起こるのです。 それが「自業自得」と言うことだと思います。

mika_kobe123
質問者

お礼

自分を律するという意味ではその通りですね。 ありがとうございました。

noname#174259
noname#174259
回答No.5

こんにちは カルマの法則とは懲罰としての一面もある一方、本人のためー本人の進化のための部分もあると思います。 私はまだ中年ですが、人間て自分がしたひどいことを自分が味わわされて、初めて自分の行った事のひどさを理解する人が多いと思います。 ある程度は未熟であるということで許されるかもしれません。 しかし現実の社会であっても犯罪行為を起こせば、この人は精神的に未熟だから許そうとはなりません。 精神的な障害などがあれば別ですが。 あとはその言動を行った時にどのような心であったか? という事も加味されると思います。 人を苦しませてやろうと思って行ったのか? そんな気持ちはなかったのか? 人の目はごまかせても、天ー神ーの目はごまかせません。 >>どんな人も未熟ですこしずつ成長していってるんじゃないですか? 未熟な自分の言動がすべて自分に返ってくるのですか? やはり限度と言うものがあるように思います 未熟とは言え、ヒトラーや宮崎勤ー宅間守のしたことが許されるとは思いません。 天網恢々疎にして漏らさず 人は巻いた種を刈り取らなければならない 因果応報 などなど・・・ あとカルマとは悪いことだけではなく、良いカルマもあります。 >>[3]あなたは、施しをするとき、右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい。 [4]あなたの施しが隠れているためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父(神)が、あなたに報いてくださいます。 http://www.amazon.co.jp/gp/product/4812703425/ref=pd_lpo_k2_dp_sr_1/378-0698443-2297417?pf_rd_m=AN1VRQENFRJN5&pf_rd_s=lpo-top-stripe&pf_rd_r=0WYY10MPX7QKV07PPEZT&pf_rd_t=201&pf_rd_p=466449256&pf_rd_i=4884810015 こちらの本がカルマについてよく書かれてると思います。 こちらで質問しても、個人の考え方になろうかと思いますので 信じる信じないがあると思いますが カルマについて書かれている本を50冊くらい読まれてから、自分なりの答えを持たれても良いのではないでしょうか 退行催眠や生まれ変わりについてなど、いろいろな本があります そういったデータを見てから判断しても遅くはないと思いますよ 個人の精神の自由がありますので、いろんな本を読んだけど、カルマなんて信じないというのも自由だと思いますよ

mika_kobe123
質問者

お礼

長文ありがとうございます。 なかなか私には難しい内容でした。 少し勉強してみます。

  • pct10968
  • ベストアンサー率21% (641/2971)
回答No.4

カルマの法則、輪廻の法輪。 解脱を目指すなら考え方として有効でしょう。 生臭い日常性では、こじつけ、言い訳程度でしょうか・・・ 

mika_kobe123
質問者

お礼

そういう考え方もありますね。 あまりこだわると苦しくて仕方ないと。 ありがとうございます。

  • hfsa
  • ベストアンサー率33% (2/6)
回答No.3

知り合いにとんでもなくヒドイ人がいました。 自己中心的で、一切他人に興味がなく、自分の利益ばかりを追い求め、他人を蹴落とすことに躊躇いのない人で、口を開けば誰かの悪口ばかり、平気で盗みなんかもはたらいていたんです。 その人は今、全く同じことを他人にされ、ひどく憤慨しています(笑)途端に、非常識な人は嫌いだと言うようになりました。よくもまあ似たような人に巡り合えたものだと感心しています。カルマ万歳! カルマの法則というのはあるんだなと実感しました。行いを刈り取らなければならないのは、それは致し方ないこと。未熟なものを未熟なまま放ってはおかないということではありませんか?

mika_kobe123
質問者

お礼

ありがとうございます。 未熟なままでいてはいけないのはわかりますが、 現在を一生懸命生きていたら、自然に人間として成長していくものなのではしょうか?日常の生活で常に意識して人間として成長しようと思うのは 息苦しく思います。どう思われますか?

  • papanda26
  • ベストアンサー率40% (407/1002)
回答No.2

人生は修行ですから。 未熟だからこそ修行をしていく訳だけれど 修行をするからには、少しずつでも未熟から脱していかねばならない。 未熟さゆえにしてしまうことを誰も否定はしていない。 けれど未熟だからといって、してしまった事が許される訳ではなく、どういう形であれ責任を取ることにはなるのだと思います。 カルマの法則は、修行をするうえで、自分を律するための言葉のようなものではないでしょうか。

mika_kobe123
質問者

お礼

ありがとうございます。 人間はみな未熟だから、そうだといって否定はされない。 でも、未熟さを受け入れて成長していく。 成長って意識してするものですか? 現在を生きていたら自然に成長していってるものですか?

  • kame_sama
  • ベストアンサー率20% (17/83)
回答No.1

自分のしたことが、そのまま返ってくるのではなくて、 それをされた相手の嫌な気持ちを味わう「何か」が、自分に来るだけの話。 でも、あの時、あの人にあんなことをして、あんな風にさせてしまった・・・・と、 後悔して、償えば、 もう、そのカルマは消えるのです。 ただ、本当に、人を傷つけて、それを真に受けとめて、 「なんであんなことしたんだ」と、後悔するのは、辛い。 やはり「カルマ」なんだなと思います。 その同じ気持ちは、何万回も生まれ変わるのに1回味わえば終わりです。 自分が望まなければ。

mika_kobe123
質問者

お礼

心の持ち方でカルマは消えるのですね。 罰ではなく気付きなんですね、 ありがとうございます。

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