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会社を辞めたものの息苦しさと不安が続く
- 会社を辞めたものの息苦しさや不安が続いています。父への恐怖心や母の状況による心配などがあり、カウンセリングやお医者さんにかかっていますが、欝になりかけていると診断されました。
- 仕事の激務や心の不安定さが原因で会社を辞め、5ヶ月が経ちましたが、完全には回復していません。父に会うことや母の状況を考えると不安になり、人の態度や注目を気にすることで息苦しさを感じます。しかし、就職先の人柄や貯金、友人との交流などにより、少しずつ回復の兆しが見えています。
- 生活リズムの不規則さや孤独感も原因のひとつかもしれません。薬を処方されていないため、自分自身の心のケアで改善を目指しています。生活習慣を改善することが大切であり、他にも情緒の安定に役立つ方法を知りたいと思っています。
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とても良く自己観察をなさっていますね。そこまで判っているのであれば、後はやり方さえ判れば練習次第で自分の心の傷を癒し、恐れから解放することが出来ると思います。 昔のことを思い出すことは、悪い事ではありません。思い出した時の感情を終わらせる必要があるだけです。 恐れというものは、大体過去の経験で自分が恐れたものが継続された状態です。恐れは、自分で終わらせることが出来ます。他の感情も、終わらせることが出来ます。安心さえすれば終わります。 根本的にすっきりとさせるには、自分自身で心の傷に向き合い、受け止め、受け入れる必要があります。 他の存在や何かの神は、サポートをすることはあっても救う事はありません。サポートは自分や人生に向き合い易くする為に、モチベーションを上げる際には有効です。自分を救うことが出来るのは、自分自身だけです。自分を知るという行為は、他の存在に犯されてはいけない領域です。 過去を振り返った時に感情が蘇る記憶は、受けれていない証拠です。これは悪い事ではありません。そういう状態にあるというだけです。 ポジティブな感情やネガティブな感情、両方に対して受け入れる必要があると言えます。ポジティブな感情をなぜ受け入れる理由は、本当の自分のマインドにする為に必要です。本当の自分のマインドに近づけば近づくほど、外からの評価は氣にならなくなり、自分本来の悦び、感覚、視点等が蘇ります。自分の生きる方向性も感じてきます。自分はどう感じ、どうしたいのかを実感できるようになります。失敗や間違いから逃れるのではありません。全て必要な経験であるので、自分を把握し自分らしく生きる事が重要です。 自分を救う一つの方法です。 1.まずはモチベーションを上げるために、楽しい事や喜びを感じる事を探して実行していきましょう。 2.心が満たされてきたら、自分に向き合い、自分を受け止め、受け入れる練習が必要だと思います。 3.次に心がすっきりとしてきたら、自分の生きる方向性を見つめ直した方が良いと思います。何も縛るものが無い時に、自分が何でもできるとしたら何をしたいのか。 それを自問し、答えが出たらそれを実現する為に少しずつでも行動を起こしましょう。 私が2で行っている方法です。感情に支配された時を思い出し、『なぜ○○の時に○○なのか。』と自問します。過去の映像・人物・感情が蘇ったらその当時の自分に対して「もう大丈夫だよ。終った事だからね。安心して良いよ。愛しているよ。大好きだよ。ありがとう。」という感じに自分なりの言葉で、自分が安心するように何度も声をかけます。登場人物が笑顔に変わったり、感情がすっきりとするかも知れません。私は初めの内上手くできませんでした。気長に行う必要があります。 ※ 出来るようになってきたら、根本原因を探るようにしましょう。 すぐに結果を出そうとしないことや、自分を裁かないことも大事です。 ご参考までに。
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- obrigadissimo
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お父さまへの恐怖感とは、 たとえば、暴力や暴言でしょうか。 であるとすれば、その陰にある お父さまの真の感情に触れることができて、 お父さまを受容でき理解することもできて、 許せたり、負のエネルギーが消滅するかもしれませんよ。 [お父さまは職場で自己重要感・自己好感・自己有用感などで 満足感を得られていなかったり、家庭では、 質問者さまやお母さまから、優しい眼差しの笑顔で、感謝や 労いの言葉をかけてもらってなかったということはありませんか。 あるいは、お父さまには、 引き摺っている挫折(感)、 諦め切れない夢、 長い間 叶わずにいる願望などは ないでしょうか] お母さまの病気は、 100人に1人がかかる病気ですので 病理をよく知って、 適切に対応してあげましょう。 質問者さまの心の奥の奥にある感情の すべてを紙に書き出してみませんか。 で、ひとつ1つクリアすることで、 心に余裕が生じてくると環境が変わり始めるでしょう。 また、可能なことで 社会貢献するようにしていれば、 心が広くなりますので、無理のないところで 進めてみてください。たとえば、 被災地の皆さんのために千羽鶴を折って 1羽1羽に質問者さまからの励ましの メッセージを書いてあげ、千のメッセージを 送りませんか。あるいは、 お料理が好きならば、ホームレスの皆さんへの 炊き出しに参加してみませんか。などなど。 以上を参考に、ご自身で極限思考してみませんか。 カウンセリング関連の専門書で研究して セルフ・カウンセリングを身に着けるのも お勧めです。 お大事に!
お礼
父は母にいつも暴言をあびせていました。母はだまってきくだけ。暴力を見たのは私が小5のとき1度だけ。けれども今でもどのように父が母を殴っていたかというのを良く覚えています。 父親は商売をしていましたからそれがうまくいかないで苦しんでいたのを知っています。私がものごころついたときから母のことをひどく馬鹿にし見下していていつも「馬鹿女」呼ばわりしていました。 けど、私の事はそういう言い方をしたことはありません。好きなことを好きなようにやらせてもらっていましたし、束縛されていたかんじもしていません。でもカウンセリングの先生はそれを「ただあなたをほっといただけですよ」といっていました。優しいとはなんか違う気がしていたのでなるほどと思いました。 私は馬鹿にされていないし束縛もされていないなのになぜ怖いと感じるのか、それは父と母の喧嘩(というか一方的な暴言)がいつ始まるか、始まったらいつ終わるのかそういうことに20年間びくびくして過ごしていたからだと思っています。そして自分のことばかり考える人だったのであまり良い性格ではないように思っています。思いどおりにいかないと怒鳴っていましたから。うそもつきます。 実家をでて父と離れるようになってから会うのは嫌だけど父親だから会わなければと思って月1回会いにいっていましたがそれさえもしんどくて、会ってもほとんど喧嘩ばかり。父はアルコールなしでは私と話せないらしく、いつもいっていることは支離滅裂なことばかり。どなってばかり。話が全然通用しない。 おっしゃるとおり父親にも苦労があったことは充分知っています。母親もだまったままだった。けど母親はとても些細なことでも感謝ができる人間です。病気になった今でもそれは変わらない。いつも怒鳴って自分を馬鹿にする、反論すると物がとんでくる相手にねぎらいのことばをかけるなんてことできなかったのではないかと思います。 頭では父の苦労がもしかしたら性格をゆがませてしまったと理解したとしても、身体が恐怖心を連れてきます。父親からの手紙が送られてきただけでもひどく怖くて、携帯のバイブ音も怖くて、乗っている車と同じ色をみても怖くなります。 おもわず長く書いてしまってすみません。 せっかく助言くださったのにおっしゃるように父を想うことができないのです。 セルフカウンセリングというのは初めてききました。 不安を書き出すことは必要かもしれません。 自分では分かっているつもりで身体がいうことをききませんが もしかしたら気付いていないこともあるかもしれません。 ご回答ありがとうございました。
息苦しさと闘わない事です。気にすればするほど悪化します。 本当の呼吸困難と違います。呼吸が止まる事はありません。呼吸は身体が勝手にやってくれます。 息苦しくなったら、そのまま、なるがままにすれば、症状は軽減し、やがて消えていきます。 溺れそうになった時にもがけばもがく程、溺れてしまうのと同じです。 力を抜けば身体が浮いて助かります。 不安感や恐怖を伴うでしょうが、是非、試してみて下さい。
お礼
そうですね。 息苦しいからといって死んだりすることはないのだなと頭ではわかっているのですが やはり不安になったり足元が震える感覚がくるのが嫌なんですね…。 それによって相手とうまく対応できないのもなんか悲しくて。 でも相手はそんな私をさほど気にしていないのも分かってはいるのですが。 ああ、でもなんか今なんで「不安」が嫌なんだろうって考えてしまいました。 「不安」「恐怖」嫌だけれど本当は大抵のものはなんでもないにすれば私の中でなんでもないことになるのに。 答えが分かっているのに身体がうまく対応できない感じです。 ご回答ありがとうございました。
お礼
ネガティブ面は容易に感じてしまうのにポジティブに感じることは難しいのです。 自信のなさからかつい卑下して言ったり、浮かれてしまうと良くないことが起こるという感覚があるのです。好奇心は家で父親が暴れだしたりすると無くなるということの繰り返しだったのであまり持てなくなってしまったように感じます。 自分を好きになることが大事なのもこの歳になってだんだんと気付いてきたのですが、難しくって。 病院の先生に「自分で自分を評価して駄目だと思うな。評価は他人がする。」といって良い評価をしてくださったり、 本当に些細な事でも褒めてくれて「あなたは必要よ」と言葉をかけてくださる方が少しいたりします。 自信をつけさせようとしてくれているのだなととてもありがたく思っています。 嫌なものですが自分を駄目だと感じるほうがなんか理由がはっきりした感じがしてちょっと落ち着いたりするのです。 自分への安心する声かけというのはなるほどと思いました。 欝になりかけのときはそういう言葉すら考えることも難しかったのですが、 最近症状が落ち着いたときにわざと自分にとって良い言葉を何度も言ってみたことがあったんです。 ポジティブ友人と話していてやってみようと思いました。 そうしたらそのときは本当に息苦しいのがなくなりました。 でも症状が落ち着いたといってもなんかこれがしんどくってやらなくなっていました。 必要なことだったのですね。繰り返しやって生きたいと思います。 言葉に表してくださってありがとうございました。 なんかある部分が結びついた気がします。