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泉鏡花(ひいては文学者)と辞書
(1)Amazonのレビューで読んだと記憶しているのですが、 「泉鏡花は毎日辞書を読んで漢語の使い方を練っていた」 というのを読んだことがあります。 私は泉鏡花について詳しくないので真偽が分からないのですが、実際にこういうエピソードはありますか? (2)泉鏡花に限らず、文学者一般と辞書に関する質問です。 文学者の中で、辞書や百科事典に関するエピソードを持っている人がいれば教えてください。 ただ、辞書を通して「言葉」についてどのように学んでいたのかを知りたいので、 「人間研究のために百科事典を読んでいた」 などのエピソードは除外します。 前述の泉鏡花のような、言葉と辞書に関するエピソードです。
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- kine-ore
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(1)明治24年の「言海」 この年10月末に、近代的スタイルの国語辞典第一号「言海」が発売されたのです。その簡潔な名文、「語釈」の明解さや用例の豊富さ、また古典のアンソロジーの側面からも、まさに「読める辞書」「明治のことばの辞典」として、また巻頭の「語法指南」は最初の西洋風の文法書として、巷間に絶大な表現を呼んだものでした。 ちょうどその頃に、鏡花が触発されて文学を志すに至った彼の尾崎紅葉の門を敲き、許されて書生生活を送った経緯からして、「言海」を座右において愛用したことは大いに頷かされることでしょう。 (2)明治36年の「漢和大字典」 漱石はその「文学論」において「余は少時好んで漢籍を学びたり。これを学ぶ事短かきにも関らず、文学はかくの如き者なりとの定義を漠然と冥々裏に左国史漢より得たり。文学は斯くの如き者なり」と言明している通り「左伝」「国語」「史記」「漢書」そのものの読破を通して「言葉」の習得研鑽を行っていたことが分かります。 そんな漱石の膨大な蔵書の内に、日本最初の「漢和」であり熟語も載せたこの「漢和大字典」もあるということは興味深いことです。漢詩の脚韻には便利なこの辞典特有の熟語語尾の発音を揃えた排列は、漢文作詩を自在に行うレベルの達人ならではのスタイルとして当時では便利なものだったことでしょう。 http://www.library.tohoku.ac.jp/opac/opac_list.cgi?kywd=%E6%BC%B1%E7%9F%B3%E6%96%87%E5%BA%AB
三島由紀夫も辞書(広辞苑だったと思うのですが)をしょっちゅう読んで語彙を増やしていたと自分でどこかに書いていたように思います。
お礼
回答ありがとうございます。 三島由紀夫でしたら辞書を読んでいることもあったでしょうね。
お礼
文学史に関する情報も含めて詳細な回答をありがとうございます。 泉鏡花が文学活動を始めた時期に国語辞典が発売されたのですね。 それなら泉鏡花が辞書を読んでいたことは大いに納得できます。 夏目漱石が漢詩に精通していたことは知っていましたが、漢籍や漢語辞典も読破していたことは知りませんでした。