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勉強のゴールってどこにあるんでしょうか・・・?

どんなに勉強してもキリがないのですが・・・ 試験が一つの区切りになりますが、それでもまたわからないことが出てきます。

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  • tomban
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回答No.10

勉強なんて「ゴールが見え無い」から、する気にもなるし、しなくちゃいけないというようなものです。 好んで勉強するならば、突き詰めればきりが無く知りたくなります。 嫌でも必要だからしなければ、ということであるならば、必要がなくなるまではしなければいけません。 勉強のゴールは「しないでいいや」って自分で決めたときです。 投げたときがゴールです。 だから、勉強をし、努力をしてきたということが、他者から見れば、その人に対する評価ともなりうるのです。 …わかります?。 勉強はするも止めるも「自分で決めればいい」んです。 ただ、そのことで他人は評価を上げたり下げたりもします。 そういうことです。

BQABYBPUO
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回答No.11

勉強、というのが、いわゆる座学だとすれば、それを活用して実際に世の中のために役立てる、「実学」をいつ始めるのか、が問題です。実学は座学なしにはあり得ませんが、座学ばかりで実学なしではまた、絵に描いた餅に過ぎません。もちろん、実学をしながらも座学は必要ですし、いきなりきりかわるものでもないですが、要するに社会に出て、それまで培った「学力」をいかに役立てられるか、が大事なんです。 もちろん、座学を一生の仕事にすることもできます。それが学者という職業です。学者は座学を極め、それが間接的に世の中の役に立つのです。ですが、そういう人はあなたのような質問はしません。なぜなら、そのような学問にはゴールなど無いし、むしろゴールのないことこそ、彼らが学者を続ける理由ですから。 端的に言えば、あなたが社会に出るまで、です。そして、それまでにどれだけの「学問」を吸収できるのか、それがあなたがこの世の中にどれだけの貢献ができるのかを決定する大きな要因となります。

BQABYBPUO
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回答No.9

まず勉強は実現のための手段ですね。 何を実現するのかは人それぞれでしょうが、それでは議論が終わってしまうので、もっと大きく眺めてみましょう。 普遍的に言って人間は何を実現しようとしているのか。 つまり「人はどこから来てどこへ行くのか」という昔からあるテーマに向き合わなくてはなりません。 この問いに対する回答は様々ありますが、私はこんな風に考えます。 とりあえず人間も動物の一種です。 ということは種の保存こそが最大テーマになるはずです。個体の生存よりも優先されます。自然界を見れば明らかですね。 ここで「いや人間はもっと高い次元の存在で」なんて言うのは驕りです。 人間だってミジンコと何ら変わりない生物です。 人間にとってもミジンコにとっても種の保存こそが究極の存在目的です。 では種の保存のゴール地点はどこでしょう? これは不老不死でも実現しない限り永遠にきりがない話しになります。 だから勉強にもきりがない、ということになります。 ただ、不老不死が実現できれば生物の持つ永遠のテーマが解消するので、それこそ次元の違う存在になれるかもしれません。 医療はこれに直結した分野で、日々実現のため研究が進んでいます。遺伝子的には老化の原因をつきとめるところまで来ていますよね。 エネルギーも同様で種の保存に欠かせません。食料もそうですね。 人間の全ての活動が完全なる種の保存=不老不死に向かっていると考えれば、当面、勉強の種は尽きないでしょうが、ゴールは見え始めているという気がします。

BQABYBPUO
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noname#203300
noname#203300
回答No.8

 学生時代は“区切り”がありますが、社会に出れば『日々是勉強』。ちょっとサボれば社会から弾き飛ばされる。ゴールは死ぬ瞬間でしょうね。もっとも、社会から弾き飛ばされても執念で?生きている人がほとんどでしょう。私はそうはなりたくない。

BQABYBPUO
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noname#188107
noname#188107
回答No.7

>勉強のゴールってどこにあるんでしょうか・・・? 自分がこれでいいや。と思うまでです。 学生の区切りだと、試験だったり、受験だったり、 社会人だと資格試験なんかだったりしますが、 実際は、死ぬまで一生そういう試験とは関係なく 勉強する必要があります。

BQABYBPUO
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  • lions-123
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回答No.6

>勉強のゴールってどこにあるんでしょうか・・・?       ↓ 勉強って、テストや考課の対象もあれば自己研鑽やスキルアップの為の学習もあるのでは・・・ テストや効果の対象としての勉強ならば、目標達成や受験成績で一応の区切りに成ります。 自己研鑽やスキルアップの為の勉強ならば、目標到達や生涯に亘る研鑽にて高め続けるものかもしれません。 人生において、試験は試練かも知れませんが、寄せ来る波の様なものでもあります。 繰り返し寄せ来る荒波もあれば気付かぬさざ波もある、寄せては引いて、例え眼前の波を乗り越えても、新たな波が寄せて来る。 ゴールが有るかないか、どの地点をゴールとするか・・・は、自らの医師であり目標なのではないでしょうか? 逃げても避けても、必ず波は来る、乗り越えて行かねば新たな世界や目標が、見えなくなる遠ざかる・・・。

BQABYBPUO
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ご回答ありがとうございました。

noname#171881
noname#171881
回答No.5

踏ん切りついた所がゴール、そしてまたスタートして新たなゴールに向かう、その繰り返しだと思います。 たった一回しか訪れないものだったら、つまらないです。

BQABYBPUO
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ご回答ありがとうございました。

回答No.4

学校の勉強なんて長い人生の勉強においてはたいした量ではないよね。 (基本としてはないがしろにしては絶対にいけませんが) でも、長い人生でも全てを知ることはできないね。 個人的には自分の知識で生活できて家族が幸せならいいかな、と思いますよ。

BQABYBPUO
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  • yasuto07
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回答No.3

就職先が決まるまでです。

BQABYBPUO
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  • terepoisi
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回答No.2

>試験が一つの区切りになりますが、それでもまたわからないことが出てきます。 あきらめとゴールは別でしょう。ゴール地点は自分で定めるものではないと思います。 知らないことがあることを自覚するためにも勉強が必要だと思います。 それに人の知的欲求が完全に無くなることは無いと思いますけど、どうでしょう? でも試験のため”だけ”の勉強は、ホントつまらなかったです。あきらめました(笑)

BQABYBPUO
質問者

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回答No.1

最期に死とはと考え、答えが出て死ぬ時です 学校等で覚える勉強はあくまでも基礎だけです 社会に出る為に必要な事だけです 勿論、全員に教えるのですから色々な勉強も有りますが 全員が、何に成るか決まって居ませんので、高校までに、必要な事を勉強します 高校を出てから専門学校や大学に成るわけですが 勉強が嫌で社会に出る人もいますが、結果的には、死ぬまで考えながら生きていかないと、 生きていけません、 むしろ学校を出てからの方が大変で、勉強というより覚える事が多いです 仕事が定年で退職しても、生活をエンジョイするには、勉強したり考えたりしないと、ボケてきます 脳を活性化するには、考えたり勉強した方が良いです つまり考えや勉強を終える時は、死ぬ時です その時がゴールですね

BQABYBPUO
質問者

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ご回答ありがとうございました。

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