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源氏物語の翻訳について
- 長い雨の季節。楽しい機会はなく、宮廷は厳しい精進日を守っている。
- 義父の家では源氏の宮殿での滞在に我慢できなくなっているが、若い貴族たちは源氏に仕えることを好んでいる。
- 源氏の最も優れた友人は主馬頭の頭中将であり、彼は彼の遊び仲間の中で最も馴れ馴れしく感じている。
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今晩は。いよいよ師走も間近ですね。 1)『 It was the season of the long rains. For many days there had not been a fine moment and the Court was keeping a strict fast. 』 >長い雨の季節だった。数日の間楽しい機会はなかった。そして宮廷は厳しい精進日を守っているところだった・・・・? ● fine 以外は完璧です。had not been の過去完了を「~しているところだった」と訳されたのは参考になりました。 fine は「晴れている」という形容詞です。「少しの晴れ間もなく」ということです。 >moment・・・・機会? ●「瞬間、わづかの時間」という意味です。 >いろいろな神事があったようですね。 ●貴族は有閑階級で、労働しなくていいので、政事や色事が主な仕事でした。そして政事の多くは儀式の形を取ったはずです。子孫を残すことも重要な義務ですので、勢い、さまざまな恋愛が営まれることになりますね。 2)『The people at the Great Hall were becoming very impatient of Genji's long residence at the Palace, but the young lords, who were Court pages, liked waiting upon Genji better than upon anyone else, always managing to put out his clothes and decorations in some marvelous new way. 』 >義父の家(the Great Hall)で人々は源氏の宮殿での長い滞在にとても耐えられなくなっているところだった。しかし若い貴族たち、(彼らは)宮廷の従者たち、彼らは他の誰に仕えるよりも源氏に仕えることと、いつも彼の服と装飾を何かのすばらしい新しい方法で差し出すことを世話することを好んだ・・・・・・? ●always managing to put out his clothes and decorationsの部分以外完璧です。manage to は、とてもよく出てくるイディオムで、「何とか~する」が日本の定訳になっていますが、英語だと、succeed in accomplishing という定義で、こちらを覚えておかれたほうが応用が利くと思います。 put out は、原文「よろづの御よそひ何くれとめづらしきさまに調じ出でたまひつつ」の「調じ出で」を訳したものと思われます。中辞典には載っていませんが、out に「選び出して」(pick out の out)の意味がありますので、全体で「いつも源氏の衣装と装飾をうまく選んでお着せするのに成功していた」という感じだと思います。 >「waiting upon~」のことと、「managing to put out~」のことをliked(好んだ)と、とりましたが・・・・ ●それですと、liked waiting upon~【and】managing to put out~と and が必要です。「managing to put out~」はやはり分詞構文で、like の支配下にはありません。 >managing to put out・・・・差し出すことを世話すること?すっきりした言い回しにできませんでした。 ●上に書きました通り、難しい言い回しで、誰が訳しても苦労するところだと思います。 >in some marvelous new way. ・・・・・何かのすばらしい新しい方法・・・具体的にはどんな方法だったのかわかりませんが。 ● way は「方法」ですが、fashion の意味で、服のアレンジの仕方を言っています。原文の「何くれとめづらしきさまに」の「さま」が way の意味です。 3)『Among these brothers his greatest friend was the Equerry, To no Chujo, with whom above all other companions of his playtime he found himself familiar and at ease.』 >これらの同胞たちの中で、彼の最も優れた友人は、Equerry(主馬頭?)、頭中将だった。源氏は彼と一緒にいて、彼の遊びの時間のすべての他の仲間たちに優って、彼自身(光源氏自身)馴れ馴れしく、くつろいでいるのを見出した。・・・・・・? >Equerryのここでのふさわしい訳がよくわかりませんでした。 ●確かにEquerryは、〔王室などの〕御馬番、主馬頭と辞書にありますね。英語圏の読者はその意味に取るでしょう。しかし「頭中将」は辞書によると「近衛中将で蔵人頭を兼ねる人;天皇の側近で出世コース」とあります。ですので、ちょっと問題のある翻訳かなと思います。 >with whom above all other companions of his playtime he found himself familiar and at ease.・・・ ● find oneself + 補語というフォーミュラでしばしば使われます。「気がついたら~していた、知らぬうちに~していた」などと訳したりしますが、「意図しないで、なりゆきで、自然に」そうなっているという感じです。直訳しますと、「頭中将とは、遊び友だちの誰にも増して、源氏は、自然に、気をおかないで打ち解けることができた」となります。原文は「宮腹の中将は、なかに親しく馴れきこえたまひて、遊び戯れをも人よりは心安く、なれなれしく振る舞ひたり」で、頭中将のほうが源氏になれなれしくできたとなっています。 >ここは with whom (above all other companions of his playtime ) he found himself familiar and at ease.かっこの中が挿入されている句のように思えたのですが・・・ ●その通りです。 >with whomで「頭中将と一緒にいて」、という訳になりますか?(he found himself familiar and at ease with him) ●そうではなく、be familiar with~, be at ease with~がイディオムで、with は「関係」のwith です。 >源氏の宿敵、頭中将が登場しました。 ●頭中将の母は、桐壷帝の妹で、かつ葵上の母でもありますので、桐壷帝が更衣に生ませた源氏に負けないだけの格を持っており、やがて政敵となっていくわけですね。でも青年の時はこうして打ち解けた pals であったという設定も、心憎い設定ですね。 ************************ 《余談》英語はそれほど勉強したことがないというお話ですが、よほどいいセンスをお持ちのようです。よくこれだけ込み入った英文を読みこなせると感心します。 私も小林秀雄のランボー論を久しぶりに読み返してみました。文学作品からぶちのめされるような衝撃を受けるという体験は、小林秀雄をもって始まったような気がします。(小林秀雄の場合は若干、俳優的なところもありますが...)彼がランボーを読み始めたのが、1924-25年あたり、まさに Waley が源氏を翻訳していた時にほかなりません。イギリスでは日本の古典が、日本ではフランスの象徴詩の spirit がそれぞれ味読され、それぞれに大きな文化的遺産となったと思うと、興味深いです。深いレベルの異文化交流には、こうした才能ある個性を必要とするわけですね。 それはともかく、西洋の詩は、現代詩になってからきわめて難解となり、大衆の理解から遊離してしまって、ある意味で出口の見えない隘路に自らを追い込んでしまったような感があります。それは日本の現代詩も同じことなのですが、日本の面白いところは、伝統的な短歌や俳句という詩形式はいまだに健在で、何百万人という人々が、難しいことは考えないで、素直な気持ちで詩をつくっているというのは、世界でも類のないことではないかと思います。 日本人は少し自信を失いつつあるように見えますが、源氏を生んだ(今なお生きている)文化的洗練や、何百万もの現役詩人を擁する国であることを思えば、もっと自信を持ってもいいのではないかと思えますね。(つづく)
お礼
今晩は。今週の土曜日には12月になってしまいますね。 いつも大変丁寧に回答をくださってありがとうございます。 「fine」のところは「moment」を「機会」ととってしまったため、最初は「すばらしい」にしていましたが、もう少し考えて「楽しい」に変えました。でも「晴れている」だったのですね。(「moment」は瞬間、わずかな時間だったのですね。「fine」はたくさん意味がありますね。) 『さまざまな恋愛が営まれることになりますね。』はまさに源氏物語の背景ですね。 辞書の「out」の意味の中に「選び出して」がありました。(「single a person out for the job」という文例が載っていました)ここは「put out」のイディオムで考えていたので「out」の単独の意味は頭にありませんでした。 「manage to 」は「succeed in accomplishing 」で覚えておくといいのですね。 「way」は「服のアレンジの仕方」だったのですね。女性は着物の重ね着で色合いに工夫していると思っていましたが、男性もいろんな服のアレンジの仕方があったのですね。 頭中将の身分からすると「御馬番、主馬頭」ではよくない感じですね。 「find oneself + 補語」で、「意図しないで、なりゆきで、自然に」の感じになるのですね。 (「oneself」が入っただけでも違ってくるのがわかりました) 原文は頭中将が『なれなれしく振る舞ひたり』なんですね。 「with」の場所が違っていました。(be familiar with~, be at ease with~ですね) (政)敵だけれども「良き」ライバルという設定は今でも好まれて使われるような気がします。 ************************************** 自分はセンスがあるとは全く思っていません。(びっくりです) いつも訳を直していただいて間違いだらけなのがよくわかります。 「ランボー論」は使われている言葉がものすごく難しかったです。最初に「この孛星が~」と読み始めて、「孛星(はいせい)」って何だろう?と思って調べてやっと「尾のない短い彗星のこと」と分かって、そのあともわからない言葉が一杯ありました。 小林秀雄とランボーの出会いは「ランボーIII」に詳しく書かれていましたが、1924-25年あたりのことだったのですね。 才能のある人同志は時代や国、文化を越えて結びつくものですね。 日本の現代詩はどのようなものなのか、読んでいないのでわかりませんが難解なのでしょうか? 短歌や俳句は新聞などにも一般の方々が投稿されていますね。(世界でもめずらしいことなのですね) 私もそう思います。一つの価値観だけではなく、視野を広げて良さを再認識したいですね。 (明日また投稿します)