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どうして受け身の形が尊敬になるのでしょうか

hakobuluの回答

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  • hakobulu
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回答No.6

個人的な感覚ですが、「れる、られる」の尊敬用法は、自発用法から派生したという考えもありかな、という気がします。 「自発」とは、ウィキによると、 『日本語の文法における自発(じはつ)とは、 動詞の表現様式で、行為・動作を人が積極的意志を持って行うのでなく、自然にあるいはひとりでに実現する現象・作用のようにいう表現である。助動詞の「れる」「られる」などによって行われる。』 と定義されているようです。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%99%BA_(%E6%96%87%E6%B3%95) ・これから社長が歌われます。 ・今から先生がお話しされます。 ・天皇陛下はすぐに泳がれます。 ・そのとき、女王はこちらを振り向かれました。 これらの例のように、尊敬用法というのは、必ず尊敬すべき主体による主体的行為や動作を表わすことになります。 こうした「主体的行動や動作」であるにもかかわらず、 「(その)人が積極的意志を持って行うのでなく、自然にあるいはひとりでに実現する現象・作用のようにいう」ことによって、 その人の人間臭さを消すことを画策し、そのことによって相手を人間以上の価値を持った存在として持ち上げているかのように表現する。 これが尊敬用法の根幹的な構図ではないか、という気がします。 こうした意味で、個人的な感情や感覚を抑えることが美徳とされてきた日本ならではの表現のような気がしますが、検証はしておりません。 全くの個人的感覚による、独断的見解にすぎませんが、このように思う次第ではあります。     

noname#194289
質問者

お礼

なるほど、そういう考えかたがあるのですね。受け身もちょっというか、かなり「自発」に似ているように思えました。そのことに対応して同じ助動詞が使わえるようになったというのは説得力がある考え方のように思いました。

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