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MM実験が光速不変を証明している話は嘘?

MM実験(マイケルソン・モーリーの実験)が、光速不変を証明していると言う話は、嘘だと聞いたことがあります。 その真偽のほどを教えてください。

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noname#175206
noname#175206
回答No.6

>私のお聞きしているのは、MM実験がどうして「光速不変」を証明しているかです。  していない、と回答申し上げました。検証した実験は、空間収縮説と光速度不変説の差異を探る、もっと後のものです。 >MM実験装置の中身についてです。  ググれば、いっぱい出てきますよ。 >この実験装置で何故、光速不変が証明できるのかと言う話です。  再び申し上げると、MM実験では光速度不変は証明されていません。実験にミスがないと仮定しても、少なくとも空間収縮説と光速度不変説のどちらかすら、決定できません。

okitarou123
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

okitarou123
質問者

補足

>少なくとも空間収縮説と光速度不変説のどちらかすら、決定できません。 もうひとつ肝心な話があります。 MM実験は、c+vを証明していると言う話です。 なぜなら、MM実験は、光にも慣性があることを示しているからです。 嘘だと思ったら、実験装置を電車に持ち込んでみてください。 光にも慣性があることが理解できますから。

その他の回答 (5)

回答No.5

>光速不変とは、「光源と観測者に相対速度vがあっても、 >光速がc+vにならずにcのままだ」と言う話だと思うのですが・・・ そうです。相対論の話は飽きたので(^^; ちょっと違う観点から補足します。 相対論以前でも、少なくとも特定の方向で光速度にばらつきがあるとは 考えられていませんでした。 光源は高速で運動する無数の微小光源の集合体(ろうそくとかレーザとか太陽とか) であるこが多いので、光源の運動が光速に影響すれば遠距離からの天体観測で星像がぼやけたり流れたり してしまいます。なので光とは光源とは無関係に媒質を通して媒質に対して一定の速度で 一斉に伝播するという考え方が妥当だろうと考えられていたわけです。 #これならきれいな光学像が結ばれることを説明できます。 でもMM実験では光速は方位によらず「地球に対して」一定で、これでは天動説に逆戻りです。 そこで新しい考え方が必要になったわけです(^^; #まあ、理論物理学者はマックスウエルの方程式に共変な慣性系間の座標変換が欲しい! #と思ったのが一番の動機だと思いますけどね。でないと気持ち悪いし。

okitarou123
質問者

補足

MM実験の中身について、お願いします。 この実験装置がなぜ光速不変を証明しているのですか? 私には光にも「慣性がある」ことを証明した実験のように 思えるのですが。

  • htms42
  • ベストアンサー率47% (1120/2361)
回答No.4

#3です。 広重徹の「1900年前後のエーテル」という論文(1967年)からの抜き書きをいくつか書いてみます。 ・しかし実は、正確なところ、いつ、どのような具体的経過を経てエーテルが物理学から姿を消したか、ということはまだ明らかにされていない。 ・1890年代におけるいわゆる地球とエーテルの相対運動の問題も、われわれが誤解しがちであるように、エーテルの実在を立証するためにエーテルとの相対運動の影響を見出そうという意図のものではなかった。エーテルは当然存在しているのであって、問題は、そのエーテルに対する運動の影響が見出されない理由を解明することであった。 ・エーテルに対する力学的な把握は、1900年頃を境にいちじるしく後退するように見える(完全に姿を消すわけではない)。この交代をもたらした要因の一つが、エーテルの完全なモデルを作ることの非常な困難さにあったことはたしかである。しかし、より積極的な理由は電子論の成功にあったと見なければならない。ローレンツの電子論に対する評価は、1890年代末からリエナールやポアンカレなどの加えた検討に寄って高まってゆき、1900年代以後には最も成功的な理論と一般にはみなされるようになった。 ・同じ90年代に、原子が単なる仮説にすぎないとしてエネルギー論者から激しく攻撃されたのに対して、エーテルへのそのような批判があったことを聞かないのも、いかに人々がエーテルの実在性を疑わなかったかを示すものといえよう。 (エネルギー論者が原子の実在性を認めるようになったのは1908年のペランの実験によってだと言われています。ペランはアインシュタインのブラウン運動の理論にも基づいた実験を行って分子の実在性を主張しています。ペランは1926年にノーベル物理学賞を受賞しています。授賞理由は「物質の不連続構造の研究、特に沈降平衡の発見」です。・・・引用者) ・ アインシュタインやリッツを別とすれば、1910年になってもなおエーテルが姿を消したわけではなかった。もっともいちじるしい例の1つを上げれば1910年にレーナルトの行った講演「エーテルと物質」である。これを印刷に付したところ大変好評ですぐに売り切れてしまい、翌年には増補した再版を出している。 ・ポアンカレはこうしてエーテルを“便利な仮説”にまで引き下げてしまったが、少なくとも仮説としては、後に至るまでエーテルを廃棄することはしなかった。 ・1912年にはエーレンフェストが“エーテルの危機”について論じている。これはレーナルトのようにエーテルのモデルをつくることを論じているのではなく、今なおエーテルが保持されるべきか否かを検討しているのである。しかし、そのような検討を行っていること自身、当時まだエーテルは死滅しておらず、相対論が完全には認められていなかったことを示している。 ・以上の概観から、1900~1910年のあいだというのはまったくの過渡期であった、ということが出来るであろう。同じ状況のなかにおかれながら、人によって事態の把握の仕方にいちじるしい凹凸があったということは、何よりも過渡期の混乱を表している。こんにちからみて決定的と思われる発見や理論的達成が、当時の人々にはけっして明白にそうとは見えていなかったのである。 引用が多くなりました。 でもこういう風なことを書いているものを見る機会がほとんどないだろうと思いますので参考になると思って書きました。

  • htms42
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回答No.3

>MM実験(マイケルソン・モーリーの実験)が、光速不変を証明している >この実験で得られた教訓は、単に「エーテルは存在しない」と言うことでしかないと思うのですが。 これらはどこに書いてあったことでしょうか。 MMの実験によって「エーテルが存在しない」ということが証明されたのではありません。 「エーテルに対する相対運動の違いが検出されなかった」ということが実験の内容です。 19世紀の末の段階においてエーテルの存在は前提になっていたそうです。光を伝える媒質としてのエーテルです。従って、存在するはずの効果がなぜ検出されないのが当時の物理学会の関心事であったということになります。ローレンツの相対論はこれに答えようとしたものです。ポアンカレの相対論も同じです。ローレンツ短縮の話によってそれに成功したのです。従ってMM実験の提起した問題はローレンツ、ポアンカレの理論で一応の決着が付いていたというのが20世紀初頭の物理学会の状況だったということになります。従ってアインシュタインの論文は当時の物理学会の関心事からするとずれているということになります。一部の人以外には関心を示す人がいなかったという結果はそれを物語っているのでしょう。注目を集め出したのは1920年ごろからだということです。(「エーテル」とはどういうものであるかという理解はかなり動いているようです。初期には物質的なイメージが強かったようですがローレンツの段階ではほとんど物質的な意味合いがなくなっていたそうです。「場的なもの」になっていたと広重徹は書いています。) アインシュタインの相対性理論はローレンツ、ポアンカレの相対性理論とは全く別のものです。MMの実験の説明をしようとしたものでもありません。 1905年の第一論文のタイトルは「運動する物体の電気力学」です。そこでやろうとしているのは「慣性系は力学の方程式に対して相対的である。電磁気学、および光学の法則についても相対的であるはずである。その要請を満たすものとすれば理論形式はどういうものになるのか。」ということです。論文の書き出しのところに磁石とコイルの相対運動の例が書かれています。「どちらが動いているかは全く相対的なはずであるのに理論形式はどちらが動くかによって異なったものを当てはめなければいけないものになっている。これはおかしい。」という内容です。理論形式は異なっても流れる電流は同じになることは電磁気の本に載っています。(「アインシュタインの嘘」という本の中に「相対性など成り立つはずがない。アインシュタインは電磁気学を理解していない」という文章が出てきます。珍しく原論文に則して話を進めている本でしたので期待したのですが、こういうレベルでした。) 相対性は2つの慣性系での相対性です。vはその相対速度です。エーテルに対する相対速度ではありません。2つの慣性系は普通に運動している物体で考えていいものです。光速度で運動するなどというとんでもない場面に当てはめて考えようとすることなど想定外です。光学現象を扱っていますので光速が出てきます。信号の伝わる速さとしても光速が出てきます。片方の慣性系の上から他方の慣性系の上で起こることを観察するのは光による信号以外の方法は存在しない、その測定以外の方法で先験的に長さや時間が決まるということはないということからスタートしています。その結果、ある慣性系の上での測定値とそれを別の慣性系から見た時の測定値とが食い違うということが起こるのです。その食い違いを表す変換公式の中に出てくるのが√(1-(v/c)^2)です。(電磁気的な相互作用が伝わる速さが有限(=光の速さ)であれば、光速に近くなると電磁気的に加速するということは難しくなります。原子、分子の内部の結合も維持できなくなります。これは相対性理論を使わなくても出てくることです。アインシュタインの式はそれに具体的な表現を与えたということです。) こういう変換則を求めるところでエーテルの存在を考えなければいけない場面は出てきません。 電磁気学の理論形式を相対性が成り立つように書き下した時にエーテルに関係する項が全く必要でないのですから理論としては必要がないということです。しかし別に否定はしていません。考えたければ勝手に考えたらいいというものでしょう。(マックスウェルの電磁気学の中にもエーテルを表す項は出てきません。)こういうことですから「エーテル」は徐々にすたれていってしまったのです。 アインシュタインはMMの実験には触れていません。 ではMMの実験の結果はどうなるのか? これに対してアインシュタインは「当たり前のことだ」としているのだと思います。 論文の最初のところに「同時性とは」、「時計合わせ」が出てきます。 そこでAB間を光が往復する時間について考察しています。 静止系ではt(A→B)=t(B→A)だとしています。 静止系の上では距離の測定が可能です。距離が同じであれば方向によらず同じ時間であるはずです。ABでなくてACでもいいのです。慣性系の上で起こる現象をその慣性系で観測していればその慣性系は静止系だとしていいはずです。MMの実験は地球という「静止系」の上で起こっていることですから方向によらず同じ時間で往復するというのは当然のことになっています。 ※この部分は私の読み取りです。  多くの本が書いていることはアインシュタインはMMの実験をローレンツとは異なる方法で説明したという立場です。2つの慣性系の相対運動についての考察をていねいに解説している本がほとんどありません。私はこう考えざるを得ないのではないかということになってしまったのです。 ※アインシュタインが原理として書いている「光速度一定」は「光が真空中を伝わる時の速さは光源の運動状態によらず一定である」というものです。多くの本がこの原理の内容を勝手に書き換えて「光速度一定の原理」としています。書き変えるのであれば注釈が必要です。原理の変形をやるのですからていねいな展開が必要になります。ほとんどの人が原論文を読んでいないことを前提にして勝手に書き換えて「これがアインシュタインの原理だ」としています。これは誤った態度だと思います。 ※アインシュタインの原論文は岩波文庫、ちくま文庫で手に入ります。 ※広重徹の論文は手に入りにくい状況です。 ・広重徹科学史論文集I「相対論の形成」みすず書房 ・西尾成子編「アインシュタイン研究」中央公論社  

noname#175206
noname#175206
回答No.2

 マイケルソン・モーレーの実験一例から、即座に光速度不変というアイデアが出て来たわけではないです。ちなみに、マイケルソン・モーレーの実験が示唆したのは、光の媒質であるエーテルについて、地球の公転運動の速度差(±秒速30km)による相対速度が0でないとは検出できなかったというものです  当然ですが、実験の不備が疑われ、追試の実験が多数行われました。実験の不備を無くすべく、いろいろ改良しながらですね。この時点では、まだ光速度不変はアイデアも出て来ていません。  そういう一連の実験から、どうしても光の媒質であるエーテルの地球に対する相対速度が0でしかないといことが、ほぼ確実になりました。しかし、天文観測における光行差は確実にエーテルが地球に対して相対速度を持つことを示している。そこでようやく、光速度可変であるものの、エーテルに対する相対速度に応じて空間が収縮するという、収縮仮説が、オランダのローレンツ、イギリスのフィッツジェラルドから提案されました。  これに対して、フランスの数学者ポアンカレが、アインシュタインに先んじて光速度不変を提案しています。これも、実験・観測事実をうまく説明できます。しかし、従来の理論からの最小の変更で済みそうな空間収縮仮説を支持する意見が多く、光速度不変というアイデアからの理論化は、あまり進展しませんでした。  そして、1905年にアインシュタインが独自に(とアインシュタインが主張する)特殊相対性理論を構築し、その論文を提出します。今度は有力視する人も出て、空間収縮説と特殊相対論で食い違う結論になる点を探し、実験・観測が行われ、ついに特殊相対論のほうがうまく現象を説明できるという結果になりました。  ローレンツやフィッツジェラルドは、やろうと思えば空間収縮説を補強することができたかもしれません。しかし、その二人を中心とする空間収縮説支持者は、特殊相対論がシンプルに現象を説明していることを重視し、特殊相対論採用に踏み切りました。空間収縮説の補強では、やたらに複雑・難解になりそうで、しかも適用範囲を広くすることができそうになかったからです。  以降、特殊相対論の正しさが何度も実験・観測で検証され、並行して他の物理学理論の書き直しに使われました。書き直した物理学理論も、実験・観測で検証され、特殊相対論で書き直したものが、以前より正しいことが検証されました。  ついには実用にも用いられるようになり、実用化されたものは正常に動作しました。ヒッグス粒子を発見したとされる、素粒子加速実験器も、特殊相対論なしには作れません。カーナビ(に使われているGPS)は、特殊相対論だけではなく、さらに一般相対論と共に設計せねば、正しい位置を示せません。 P.S.  取り合う価値もないことですが、相対論は間違いであるという人が、よくマイケルソン・モーレーの実験が間違いであり、だから光速度不変は間違いだと言うことがあります。マイケルソン・モーレーの実験を盲信した結果、間違いの理論であるアインシュタインの相対論が出て、誰もかれもアインシュタインが偉いから、相対論を盲信しているとか。  少なくとも2点で明らかに間違っています。  1点目は、マイケルソン・モーレーの実験後、「そんなはずはない」という観点で実験自体の検証が熱心に行われました。たとえば、「地下で行えば、エーテルが静止してしまうのではないか?」などです。  そして2点目は、多数の追試の実験が行われていることです。それも、何とか光速度可変の結果を出そうと工夫しながら。その後、採用すべき理論が二つほぼ決まって来ると、その差の検証になり、一つに絞られると、その理論を検証する実験です(間違いがないか探すことと、理論の予言能力を試すことが主)。  そういう事実、しかも百年以上行われ、広く深く実用に供され、今や高校生の実験にすらなっているようなことを、一切無視するのが、マイケルソン・モーレーが間違いだからアインシュタインも間違いだ、と言い募る人であったりします。

okitarou123
質問者

補足

私のお聞きしているのは、MM実験がどうして「光速不変」を証明しているかです。 MM実験装置の中身についてです。 この実験装置で何故、光速不変が証明できるのかと言う話です。

回答No.1

例えば、窪田登司の反論は有名ですが http://www.d1.dion.ne.jp/~kubota_t/m-m.html これは位相差が検出されるはずがないという珍説。 恥ずかしい間違いがあるのですがが、頭の体操くらいにはなります。 #もう十年も同じ主張を繰り返してます。それなりに信者もいるみたいです。

okitarou123
質問者

補足

窪田登司氏の(c-Vcosθ)は確かに意味不明ですね。 ですが、 この実験で得られた教訓は、単に「エーテルは存在しない」と言うことでしかないと思うのですが。 マイケルソンやモーリーも含め、当時の科学者は、宇宙に対する地球の絶対速度が計測できるとでも思ったのでしょうか? とにかく、この実験が、どうして「光速不変を証明した実験である」とまで言えるのでしょうか? 光源と観測者との相対速度はいくらなのでしょう? 光速不変とは、「光源と観測者に相対速度vがあっても、光速がc+vにならずにcのままだ」と言う話だと思うのですが・・・

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