• ベストアンサー

負けず嫌い とは

ロンドン五輪、メダル奪取で感動的でした。ところでちょっと気になったことが・・・インタビューでよく「負けず嫌い」という言葉が出てきます。これって変では?「負けるのが嫌い」がどうして「負けず嫌い」になるのか?「雨ニモ負ケズ」の「負けず」ですから「負けない」という意味でしょう。「負けないのが嫌い」じゃ、へんですよね。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • rokometto
  • ベストアンサー率14% (853/5988)
回答No.2

検索したら出てきましたよ 私は聞いたり調べたりするのは好きです 知らないことを知るのが妙に快感なんですよねえ http://www.tisen.jp/tisenwiki/?%C9%E9%A4%B1%A4%BA%B7%F9%A4%A4 •生まれた時から日本語を使っていると気が付かない事かもしれませんが、日本語は世界中の言語の中でも難しい部類にはいるそうです。 それは語彙の多さやひらがな?・カタカナ・漢字など文字の多さも影響しています。 その中で何気なく使っている言葉で「負けず嫌い」と言う言葉も、ふと考えてみると変な言葉です。 -------------------------------------------------------------------------------- •負けずの「ず」は基本的に否定を意味する助動詞なので、直訳すると「負けない事が嫌い」となってしまい、つまり「勝つ事が嫌い」と言う意味になってしまうのです。 もちろん負けず嫌いは「負ける事が嫌い」と言う意味なので、まったく逆の意味です。 何故このような言葉が誕生してしまったのでしょうか? -------------------------------------------------------------------------------- •実は江戸時代にはこの表現は「負け嫌い」と言われていました。これなら意味通りの言葉です。 それが何故か「負けじ魂」などの「負けてたまるか」と言う言葉が混ざってしまい「負けじ嫌い」→「負けず嫌い」となってしまったらしいのです。 •実は別の説も存在しています。 江戸時代・駿河の国(現在の静岡県中部)では本来否定の「ず」が推量の意味にも使われていたそうなのです。現在も静岡県中部の一部地域には方言として残っているそうです。 -------------------------------------------------------------------------------- •ここで「負けず」というのは「負けるだろう」と言う推量を表す言葉になって、そんなのは嫌だと言うこで「負けそうな状態は嫌だ」として『負けず嫌い』と言う言葉になったと言う説もあります。 駿河の国は徳川家康が一時期住んでいた場所で江戸とも密接な関係もあったため(最後の将軍も退位後は駿府に住みました)言葉が江戸で使われることも多かったのでは?とされています。 -------------------------------------------------------------------------------- •とりあえず現時点では、判明していませんが最初の「負け嫌い」が変化した説が有力だそうです。

その他の回答 (2)

  • fuku7500
  • ベストアンサー率21% (31/141)
回答No.3

其れって誰かにではなく自分にですよ、  人は何時も自分の弱い心と戦ってるのです。 無意識にも意識的にもですよ、有る時は非常に強い様ですが、何かを縁にして人は直ぐに弱くなるんです。  世の中で一番怖い事は自分の弱い心が出た時です。 其の時は何を考えてもしてもマイナスに思うのです。消極的で内向的で真っ直ぐに進めなくなるのです。   其れを間違いなく確かな明るい方向に進むのは、一人じゃなくて色んな周りの良いサポートを受けて、自分と向き合って逃げないで、弱い心と戦って自分と言う人間に勝負に出るのです。 其れが常に強く何もかもバネにして、結果を出して見せるのが負けず嫌いです。 只悪意味で捉えると、エゴで傲慢で自分の利益だけを考えるような、只々目先の欲望だけを優先させて、何かに誰かに勝つ人の事です。 其処でも満足や幸せは偽物です。

amigo56
質問者

お礼

ありがとうございました。

  • vargodog
  • ベストアンサー率25% (1/4)
回答No.1

目からウロコです・・・確かにそうだ。なんでだろう。 負けずの「ず」は打ち消しの意味を持つ助動詞ですが・・・ 食わず嫌い、みたいなものでしょうか・・・

amigo56
質問者

お礼

ありがとうございました。

関連するQ&A

  • 「食わず嫌い」と「負けず嫌い」

    「食わず嫌い」は、食わずに嫌いという意味ですが、同じように考えると 「負けず嫌い」は、負けずに嫌いという意味になり、よく使われる意味の、負けることが嫌いという意味にはならないと思うのですが、これは、間違った語法なのでしょうか?変な質問かもしれませんが、結構気になってます。

  • 表彰式の音楽って・・

    北京五輪の表彰式のときに流れている曲に感動しました。とてもきれいなメロディーですよね! あの曲がとても気になるので質問です。 1.メダルをかけるときとかに流れている音楽はなんという曲ですか? 2.ぜひ五輪後も聞きたいんですが、どこか売っているところはないでしょうか?

  • 「感動を与える」が耳につく

    30代男です。 同世代以上の方に質問です。 今回のロンドンオリンピックを見ていて思ったんですが、日本人メダリストのインタビューで「感動を与える」というくだりがとても耳につく気がしました。 結果的にそうなっているので別に良いんですが、なかには「次回も感動を与えることができるように頑張ります」的なことを言う選手もいます。 「次回は(も)金メダルを取れるように頑張ります」なら全然いいんですけど、「感動を与える」という目標に違和感を感じます。 ちなみに自分が子供の頃のオリンピック選手(およびマスコミ)って、いまほど感動感動って言ってなかったように思うんですが、気のせいでしょうか。同じような違和感を感じる方っていますか? 自分の解釈では、過去のオリンピックでは(世情なども含めて)成果第一主義(メダル第一)だったのに対し、昨今は成果(メダル)のみで全てを語る風潮が弱まってきている。 そのため、「メダル」を「感動を与えられるモノ」と言い換えてるのかな、と思ったり。。。 考えすぎでしょうか。 どうなんでしょう。

  • 『負けず嫌い』の『ず』。

    『負けず嫌い』の『ず』。 よく使う言葉で『食わず嫌い』という言葉があります。 この場合の『ず』は否定の意味の『ず』で、『食べたことはないけれど、嫌いな食べ物』と言う事の例えですよね。 一方、よく似た言葉に『負けず嫌い』と言うのがあります。 この場合の『ず』はどの様に解釈すべきなのでしょうか? 『食わず嫌い』と同じく否定の『ず』でしょうか? となると、『負けた事はないが負けるのが嫌い』…と、本来使われているのとはちょっと違ったニュアンスになってしまいます。 そもそも、『負けず嫌い』=『負けん気が強い』との理解が間違っているのでしょうか? 普段何気なく使っている言葉ですが昔から気になっているもので… わかりやすく解説できる方、よろしくお願いいたします。

  • 負けず嫌いについて

    いくら考えてもわからないんですが、負けず嫌いな人っていうのは、負けるのが嫌いな人って言う意味ですよね。でも、言葉の意味のまんまとると、負けず=負けない、嫌いで負けないことが嫌いな人になっちゃうと思うんです。 どこに思考回路の間違いがあるのかがわかんなくて悶々としています。『負けん気』の意味は通るのに?? これじゃないか、とか語源知ってる方がいたら教えて下さい。

  • 2014FIFA女子ワールドカップの予選はいつから

    なでしこの皆さん。あんなか弱いような?女性たちが、 見事にワールドカップ優勝!本当に爽やかな感動を頂きました。 ワールドカップも、決して楽ではなかった道のりですし、 今回のロンドン五輪予選通過も、堂々一位通過とはいえ、 本当に辛勝であり、また、運も味方してくれた面もあったかもしれません。 当然、来年の五輪、金メダルが大いに期待されますが、 ところで、男子ワールドカップは既に予選が始まっているのに、 女子ワールドカップは予選の組み合わせも決まっていないのでしょうか? 少々、気の早い質問ですが、男子が、W杯と五輪が並行して 予選が進んでおり、とても関心があります。 ご存知の方がいらっしゃいましたら、お教えください。 それとも、女子は出場チームが少ないので、五輪の大分先なのでしょうかね?

  • ロンドンオリンピックについて

    ロンドンオリンピックについてちょい質問を。 最近、「女子ばかりメダル取って、男子は駄目だね」みたいな言葉を聞きました…。 いやいや、そんなことは無かろうと。確かに女子の方がメダル獲得は多かったけれども、男子もまた、女子と同等にメダルを取ったり、頑張っていると思いますが…、どうでしたかね?私の考えすぎかな? あと、質問に答えるついでとなってしまいますが…、オリンピックにて印象に残ったシーン等、もし良ければ教えて頂ければ。 私は北島康介選手に次回のオリンピックも期待しております。 「康介さんを手ぶらで帰す訳にはいかない」この言葉に感動しました。

  • 嫌いだというオーラの出し方

    普通、友人関係で気が合わなければ、自然に双方が離れていくものだと思います。 私の場合、どうしても「合わない、嫌いオーラ」が出せず、むしろ相手を嫌いだと、それを隠そうとする作用が働くらしく、「好意的」というオーラをだしてしまうんです。 なので、結果として「嫌いな人と仲良くしてる」というとても変な現象がおきるんです。なぜか嫌いな事を隠そうとするあまり、相手をへんに持ち上げたり、おだてたりしてしまうんです。嫌いが故に、口先だけでしらっておこう!としているつもりで、結局は、相手をすごくいいきもちにさせるようで、「大嫌いな相手は、私の事が大好き!」というこれまた不思議な現象がおきてしまいます。 で、どうしようもなく一人で苦しむのがいつものパターンです。 人がいうには「相手を傷つけまいとして優しい」と言われます。 が自己判断で、内心はけっこうひどい見方してたりしますが、それを隠そうとする反動のような気がします。気も小さいのだと思います。相手をきずつけたら可哀相!という良心からくるものではないと思います。 こんなに毛嫌いしてても、こんなに好意的に接して、こんなに好かれる私は、ある意味技なのか??とも思います。 仲良くなってしまう、、という過程には、当然私に問題があると思います。「嫌なら嫌という意思表示をする!」これができずに悩んでます。矛盾だらけの人間ですいません。 私にできる方法をおしえてください。

  • 「感動と勇気を与えたい」との言い方

    ロンドン五輪をはじめとしたスポーツ試合で、最近特に耳につくのが、選手の 発する 「皆さん(場合によって、日本の皆さんだったり、被災地の皆さんだったりする)に 感動と勇気を与えたい」 という言い方。 「感動」とか「勇気」とかいうのは、受け手(観客)が試合を見、感じて、初めて発する 言葉であって、送り手(選手)が発する言葉ではないと思うし、さらに「与えたい」って なぜ上から目線・・・?なぜ、「皆さんと喜びを分かち合いたい」程度のことが言えない? 誰がいつからこの「感動と勇気を与えたい」のフレーズを使い始めたのか知りません が、東日本大震災後、とみに増えた気がします。今まで応援していた選手でも、この 言葉を発したのをきくやいなや、引いてしまいます。 同感して下さる方、あるいは別の意見をお持ちの方、いらっしゃいますか?

  • 敗者に対する拷問のようなインタビュー。

    こんばんは。 日本女子柔道48kg級と言えばこれまで谷さんの独壇場で有り(4大会連続出場)、 その力量、実績、人気は周知の所でありますが、 その引退を受けて見事今回代表選出、出場を果たした福見さん。 大会の初っ端、弾みを付けたい、勢いを付けたい、と言うか自分の為にもメダル取りたい。 すごいプレッシャーだがそんなの最初からは解っている、そんなのに負けてられない。 福見さんだって五輪は初めてでも世界選手権での優勝、国内での熾烈なライバル争い、 修羅場をくぐり抜けて来た、堂々の出場である。 でも負けてしまった、金どころかメダル無しに。(そんなのはどうでもいいです。) プレッシャーなんか跳ね除け逆に味方にして試合に臨んだはず、だが負けてしまった。 その時の心中、余人に理解できるものでは無い。 一体どう言う神経の持ち主か、その敗戦直後にマイクを突き出した報道関係者。 福見さんには負けたと言う事実しかない、他の事は断片的に頭ン中をグルグル廻っているだけ。 一体ここで何を聞くことがある?まともな返事が返る訳無い、何か言ったとしてそれは意味を成すのか? これはインタビューでは無い、インタビューとは相手に適切な間を与え自分も聞くべき事を用意し その場で聞かないでいいことは聞かないのだ。インタビューの技術だ。 これを私はインタビューではなく「マイク突き付け」と言いたい、マイクの攻撃とも言える。 過去にもあった、長野冬季五輪、日本ジャンプ団体。ちょっと記憶が曖昧です。 失敗ジャンプに終わりエース船木の出番を待つ原田に対しマイク突き付け、(だからまだ試合中) 神経が無いとしか言いようがなかった、競技妨害とも言える。 アスリートに何か無理に言わせようとする風潮がある、それが事前の意気込みとか、勝者にとか、 前向きな内容なら良し、もちろん敗者のコメントも良し。(それが次に繫がるべくものなら) 勝者の涙、敗者の涙、見る側にとって感動は同じです、良くやったね!次がんばろうね! 質問ですが、 このマイク突き付け人は何を考えていたのか?(聞いてる内容は通り一遍の事だった。) それとも自分も五輪に参加している気でいるのか? 報道組織内での決めみたいなものなのか?競技終了者の生声を即お伝えしたい? 即伝えんでもいい場合もある。 あれは不愉快だった、女の子なのに、私だったら一本背負いだ。 では宜しくお願い致します。

専門家に質問してみよう