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甲子園開幕で思い出が甦る!繰り広げられる感動のドラマとは?
- 甲子園開幕によって、選手やシーンが思い出や記憶を甦らせます。
- 夏の太陽のようなまぶしさと強烈なエネルギーを感じながら、孫のような世代の少年たちのキビキビした所作やプレーを見ています。
- 好コンディションに恵まれ、熱中症や節電問題の影響がないことを祈りながら、熱戦と感動のドラマが期待されます。
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質問者が選んだベストアンサー
★【三番、セカンド篠塚くん!】 アンチ江川です。 憎たらしさ、強さは天下一品。 「一発病」とやらで、肝心な時に打たれる彼の魅力に、拍手を送ったものです。 江川に勝った銚子商業高校のファンになり、校歌を覚えました。 だから…、 ★9番ピッチャーは、闘志をむき出しにして吠える、田中将大くんを推奨します。 ★8番ライト 矢野くん 松山商業高校「奇跡のバックホーム」の主人公。 ★1番レフト 田中くん 松坂大輔を苦しめた、PL学園の外野手。 ★4番センター 松井くん 最近…、影がうすい… なかなか、9人思い出せないです。
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- isoken
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>◇貴方の記憶・思い出から、年代を超え、甲子園(春夏)通じての、ベストナインを、推薦願えませんでしょうか? 9番 ピッチャー 江川卓 作新学院 に1票! 高校野球はやはり投手が花形であり、私の場合他のポジションは正直印象が薄い、依ってベストナインという前提を崩して申し訳ありませんが、作新学院の江川卓にのみ1票を投じます。 確かに松坂大輔も凄かったが、彼は高校生にして高速スライダー・フォークボール、そして投球術に長けたほぼ完成されたピッチャーであった、一方の江川はほぼストレートとカーブの2球種のみ、それでも高校生レベルでは全く打てず、彼が点を取られると一大ニュースになったほどでした。 その後も甲子園は興味深く見続けておりますが、彼に匹敵するほどの剛速球にはお目に掛かった事が無い、尚金属バット導入後に於ける、投手受難と打高投低化は決して否定致しませんが。 その後大学・プロ野球何れも大投手として名を馳せましたが、私には彼が投手としてさほど進化したとは思えない、投球術はともかく恐らく彼の速球は高校時代がピークであったろうと。 思えば彼ほどの天賦の才能を持つ者にとって、恐らくフィジカルのピークであったろう大学+浪人の計5年間の遠回りが誠に痛かった、彼の才能を惜しむ者として誠に残念です。
お礼
ご哀悼を賜りまして誠にありがとうございます。 「オリンピックのテレビ視聴とアルコールでフラフラ状態、お礼をしながらも誤字脱字や意味不明の点があればご容赦ください。」 江川に異論はありませんし、確かに凄かったですね。 その他に、投手では浪商の尾崎行雄も凄まじい速球でした。 <江川がスピード・切れの良い球なら、尾崎は重くて唸るようなドスンという印象と独特なカーブ(ドロップ気味)で、緩急の差が大きく、相手のバットを時々へし折ってました> それと、甲子園には行けなかったが、我が地元でワルで有名、けれど野球では恐ろしく早いと評判を呼んでいたのが、私と同学年の江夏(大阪学院)。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E5%A4%8F%E8%B1%8A#.E3.82.A2.E3.83.9E.E3.83.81.E3.83.A5.E3.82.A2.E6.99.82.E4.BB.A3
お礼
ご回答を賜りましてありがとうございます。 確かに、江川の堂々たるピッチングの貫禄、松井(ゴジラ)の4打席連続敬遠(明徳義塾)は今も記憶に残っている。 >なかなか、9人思い出せないです。 そうですね・・年月の経過による記憶の曖昧さと甲子園での活躍はチームの成績如何で変わり、個人の体調と運も揃わないと、中々、本来の持てる力=実力発揮が難しいですから・・・・ 鮮烈な印象と言うよりは、チームが勝ち進む中での活躍と印象的なプレーが記憶に残るのでしょうが、それでも名前とポジションと活躍シーン・校名がそろって覚えてる選手と成ると案外少ないものですね。