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不確定性原理について教えてください

brogieの回答

  • brogie
  • ベストアンサー率33% (131/392)
回答No.3

 物事を考えるときに、われわれは何かを基準にしています。日常生活では、いわゆる常識が基準になるでしょう。  物体を観測するときは、大きさは目に見える大きさ、速さなどは自動車や飛行機などの速さでしょう。  このような物体は、光でその物体の速さを測定をするときは、その光で撹乱されることはありません。  次に、自動車のタイヤの空気圧の測定をするときは、測定器の中にタイヤの中の空気が抜けますから、その時表示される圧力は、その空気が抜けたときの圧力になりますから正しいタイヤの空気圧ではありません。チョコに入れたお酒の温度を測定しますと、その温度計でお酒の温度が下がり正しい温度は測定できません。このことは測定するものが原因(撹乱されて)で正しい測定が出来ません。  つぎに本題の話に戻しましょう、目に見えないような小さな電子や中性子などの運動を規定するには、その位置と速度(物理では運動量が使われることはご存知ですね)が必要です。位置と速度がわかりますとその後の粒子の運動がわかります。しかし、粒子の位置を測定すると、その光(X線のような波長の短い、言い換えるとエネルギーが大きい電磁波)でどちらに粒子が移動するか予想できません。しかし、速度を測定するには、短い時間内に、2つの位置で測定しないと速度はわかりません。2回目の位置は1回目の測定でどちらに移動したかわからないのに正しいはずがありません。  しかし、あなたはそれでも光を当てなければ正しい速度があるはずだと言われると思います。これが間違いです。測定もしないものがなぜ分かるのでしょうか? ここのところが日常的な生活の次元で判断されていることになります。確かに、日常生活の次元ではそうですものネ。  ここのところで頭の切り替えが必要です。この切り替えが出来ませんといつまで経っても理解できません。  しかし、このことに興味をもたれることには尊敬します。

masutech
質問者

補足

空気圧とお酒の例、とてもよく解りました。 >しかし、あなたはそれでも光を当てなければ正しい速度があるはずだと言われると思います。 そうなんです。量子力学や近代物理などを専攻していない一般人はそう思うでしょう。私にもどうしてもこう思えて仕方がないのです。空気圧の例で言えば、測定器をさす前にも「あるひとつの空気圧」であったと思うし、お酒の例で言えば温度計をさす前にも「あるひとつの温度」だったと思えてしまいます。 「量子力学上は未確定とされる」という学問における理念としてならば、現実社会とは切り離した形而上学的な定義として「そういうものなんだ」と受け止められるのですが。 例えば、「真の偶然」というものはあると思いますか?

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