1980年代の国士館や日体大等の気質について
別に批判非難するつもりはなく、この様な組織にはその優しさや意義がある事を
踏まえた上で質問させて戴きます。
1980年頃 国士館大学では入学するとクラスや学生寮で誰が強いかと云う喧嘩が始まる
部外者同士の喧嘩などを通じて、拳で序列を創り 、教員や運動部顧問の屈強な男に
この人は叶わないと思い従い、社会性を身に着けていく。
社会にでると、拳を懐に仕舞う、これが厳しい事だと小説『国士館物語』には書かれていたと
思います。
その中で、別に非道はしなかったが、「暴力や喧嘩日常にはついていけない」と云う同級生は
早々と退学し、別の大学に入り直したと云うエピソードがありました。
又、国士館ではありませんが、昭和時代某体育学部出身で教師になり、
そこの寮での武勇伝や、人間関係を絶対と思っており、
罰則を超えて、「気合を入れる」事や「序列」を造る為に体罰を奨励し、
それで従えていく事を好む教師が居りました。
この教師は「不良」や「いじめっ子」が好きで、「とろい奴を苛めたくなる気持ちはわかる
がやり過ぎると俺は殴る」と云い それで「いじめっ子」タイプはバランスが取れていたのか もしれませんが、私はこの様な気質にはついていけませんでした、
又、私を含め基本的な事は聞く 喧嘩 暴力基本しないと云う人間は「軟弱者」と
嫌っている様でした。
彼らの気質は
1 自分自身が暴力 喧嘩 拳で序列をつくるのでその体制が居心地が良い
2 いじめ 暴力嫌いな人間の主張を認めたくない
と云う事なのでしょうか?
前述の教員とその教員が顧問をする部の部員は
1 暴力嫌いな人間は「根性無し」と見なされる
2 部員は大人しい同級生を苛めるが、顧問や怖い先輩からやり過ぎると殴られ
度を超えない弱い者いじめは認めてもらっている
3 拳で序列を作る人間は理不尽な事も叶わないと思うと従うので顧問の教員の目に
叶っている
この様な感じでした
私は罰則による体罰は完全に否定しませんし、モチベーションを上げることにも時と場合によると思いますが、
私は「強くて叶わないなら絶対服従は出来ない」「他で失礼な事をしてまで特定の人間には
従えない」と中学時代にも思った矛盾でしたが、この教員とその部員は私の様な人間を
「超えられない軟弱者」と思っている様でした
この辺りの事をご回答いただきたいと思います。
お礼
ありがとうございます。気にしているのはわいせつ事件の多さです。その他にも暴力事件の多さです。大学で人が死亡するなんて滅多に聞きません。暴力を振るうOBに聞いたら学校の部活で暴力を受けたそうです。姪にはもっと志の高い学校へ行くように伝えました。