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ゆとりって私たちの責任?

中2女子です。 テレビで見たんですけど、○○ができないのはゆとり世代だから・・・ ゆとり世代は本当にダメ。 とかいわれていたんです。 でも私たち子供には選挙権はないし、有無を言わさずゆとり教育になってしまったんです。ゆとりをやめるのは大変けっこうなことですが、子供のせいにしないで欲しいです。 何でゆとりなんかやったんでしょうか。教えてください。

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  • mijyuma
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回答No.20

私は小学3年生の息子を持つ母です。 まず、貴方の「回答へのお礼」を読んで偉いな。と思いました。 どんな意見にも丁寧にコメントなさっている。内容も的を得ているし、とても中学2年生とは思えないほど「きちんとしている」という印象を受けました。 ゆとり教育は政府が実行したので、政府の責任だと思います。 選挙権も参政権もある私でも、どうにもできませんでした。 「最近の○○は・・」なんて言う人は、社会に出るとうんざりするほどいます。 私も社会人になったばかりのときには、今でも首をかしげるようなことを若い頃は散々言われてきました。 「戦争を知らない平和ボケ」「お茶の入れ方も果物(桃)の剝き方もなっていない。貴女も貴方の親も学校も、今まで何をしてきたの?」とことある毎に私の一般常識の無さを注意されました。(そもそも私の家は急須で入れたお茶飲まないし、果物も剝くものは梨と林檎しか食べない!!って内心ムカつく。親の悪口を言われるのはもっとムカつく。) 相手の理解できない部分を「自分の勝手なイメージ」で埋めているのではないかな、と思いました。 所謂「思い込み」というのは年齢と比例する傾向にあるような気がします。 相手の「常識」と私の「常識」が少し違えば、互いの自己肯定として「あいつの常識の無さは○○(例えばゆとり教育)だから」となってしまうのかな、と。 私も小学3年生の息子を見ていて「?」に思うことが沢山あります。 ・息子が入学した次の年から、ランドセルがA4サイズになったこと(配布されるプリントはA4なのでいつもぐちゃぐちゃ。) ・パソコンが1学級分あるのに、PCの授業が年に2回しかないこと。 ・リコーダーの練習曲が全く馴染みのない曲なので、吹いていても合っているのか間違っているのか瞬時に分からないこと。音楽の教科書はもっとスタンダードな曲にしてくれ。 ゆとり教育でゆとり時間が増えた分、何をすればいいのか。どんなことをしたらいいのか。子どもが考えるのは至難の業です。親や学校、地域が「ゆとりができた時間でこういうことをやってみてはどうか」と提案し、色んな道を見つけさせてあげるのが本来あるべき姿ではないかと思います。 親も、先生も、社会も、ゆとり教育に対してきちんと真っ向から向かい合ってきてなかった歪を、あなたたちに行ってしまったのではないかと、私は社会の一員として申し訳なく思っています。 かといって自己努力で7~8の習い事を掛け持ちしているお子さんも多々みかけるけど、これは親の経済力によって決まってしまうので私は否定しています。こんなところで経済格差が生まれるのはオカシイ。 小学3年生の息子は時間の許す限り3DSでポケモンをやっています。同級生のお友達もみんな似たり寄ったりです。将来ゲーム業界で働きたいというので、それでもいいかと思いつつも(お友達と遊ぶ時間は人間関係の形成に欠かせないものです)、本来一生の骨格を決めるこの重要な時期に、ゲーム漬けでいいのか母として悩ましいものです。 悩みは多面的に考えるといいと思います。物事は表裏一体ですから、良い面と悪い面があって当たり前です。ゆとり教育以前が全員授業についていけなかったからゆとり教育が生まれたして、ゆとり教育にしても授業についていけない子がいる。底上げを図ろうとしたら全体的なバランスが崩れたけど、他方で努力を惜しまず抜きん出ている子もいる。 稚拙な意見ですが、共感していただけたら嬉しいです (;一_一)

exiledaisuki
質問者

お礼

お礼が遅くなって申し訳ございません。ご回答ありがとうございました。 ご回答者様はとてもいいお母さんなのですね。具体的な例も含めて子供である私に分かりやすく説明してくださいました。 ゆとりだからできない自分。それを許してしまう自分。 これを作るのではなく、ゆとりだから知らない、分からない→じゃあできるように自分でやろう。それを上回った自主勉強をしてもいい。 ゆとり教育になってできた時間をどう使うか、自分で考えて行動すればよいのですね。 しかし、この「自分で考えて行動する」というのが今の人間(私の周りにいる人たちですが・・・)は苦手な傾向にあると思います。それは例えば学校生活中に学級活動などで多数決をとる場合があります。全員伏せてする多数決でしたら問題ないのですが、顔を上げたままの多数決だと○○ちゃんが挙げているから自分も手を挙げる。このような人ばかりなのです。 人間の心理的にそうなってしまうのかもしれないとも思いますが、自分の意見をしっかり持つべきところで持てないところ、これが将来社会に出たときに、つつかれてしまう点ではないかと私は(勝手に)思っております。 長文申し訳ございませんでした。 そして本当にご回答ありがとうございました。 理解が深まり、一人の人間として責任感が芽生えました。

その他の回答 (19)

  • makoji
  • ベストアンサー率25% (1/4)
回答No.19

No.9の方、 >ゆとり教育を主導した当時文部官僚の寺脇研氏は、 >鹿児島のラサールという超名門校の出身でそこは全寮制なのですが、 >寺脇氏は勉強漬けの非常に息苦しい青春時代を送って、 >詰め込み教育は間違いだと思うようになったそうです。 ラ・サールは全寮制ではありません。それはともかく、学校も詰め込み教育はしていません。開成もしていません。灘は知らないけど、多分していないでしょう。というか、する必要がないというか、すると逆効果になります。 というのは、こういう学校に入る生徒の家庭は、むちゃむちゃ教育熱心な家庭が多いんで、学校が尻叩かなくてももう十分すぎるほど叩かれているんです。寺脇氏の場合、在学中に一度自殺未遂をしていますね。親に、お前を医者にするためにラ・サールに入れたんだと怒鳴られたとか。。。ご実家は父方母方ともに九州大学医学部の教授です。むちゃくちゃ賢いです。実際、彼も卒業時の成績は250番台だったのに、東大へ一発現役合格です。一学年250人が定員の学校で250番台ですよ。高3の二学期が終わるまで全然勉強していなかった男が、冬休みくらいから頑張ったら東大。 ゆとり教育を批判する大人たちは、いつの時代にもいます。私の世代も新人類と呼ばれていました。「ゆとり世代」が揶揄される最大の原因はこれです。だから世間の大人たちが若者を中傷するキーワードとしての「ゆとり教育」だの「ゆとり世代」だのを気にされる必要はないです。 ただだからゆとり教育が間違いではなかったのかというと、これは判断が難しいです。この結論が出るまでにはあと20~30年ほど掛かるでしょう。 寺脇氏もそうですけど、中学受験で中高一貫校に進んだ生徒の7割は勉強しません。寺脇氏みたいに親に言われすぎて勉強したくなくなるというのもそうですけど、高校受験が無いですから。普通の人は、お尻に火がつかないと、自分から努力しないんです。残りに3割かな。。。言われなくても勉強する生徒。この3割のために中高一貫校ってあるんです。多数派の7割はこの3割の舞台を演出する小道具に過ぎません。 社会もそうです。会社の社長なり、現場のリーダーなりがしっかりしないと、下っ端はだらけてしまいます。上に命令されて動く人はいっぱいいるんですけどね。でもリーダーを育てるのは大変。 ゆとり教育がどうして揶揄されるかというと、子どもの自主性を尊重しようと授業数を減らして自由な時間を増やしてあげたのに、子どもたちがその自由な時間を有意義を使ってどのような成果を出したのかが判然としなかったからです。ただ授業数を減らして学力が落ちただけだって。。。そうでしょう。社会の7割の人には、自主性がないのです。これをしなさいと誰かが指導しないと、ただ無目的に時間を浪費してしまう。残り3割はその時間を自分なりに考えて使っただろうけど、でもちょっと有意義な時間を与えたからって、すぐにガーンと成果って出てきますかね。。。この3割はやがて社会を背負って立つようになるのですが、その成長には時間が掛かります。結果が見えてこないのは当たり前です。 ゆとり教育を評価するには時間が必要です。 思うに、ゆとり教育ってリーダーを育てる教育だと思うのです。優秀なリーダーが育つでしょう。その代わりその他大勢はレベルが下がってしまう。これはアメリカみたいに、一部のエリートは重宝されて高収入な一方で普通の庶民はたいして稼いでいない、そういう社会を作るのではないかと思います。 ゆとり教育の是非って、従来の日本みたいな中流意識の強い社会と格差が大きいけど優秀なリーダーに恵まれた社会の選択ではないでしょうか。

exiledaisuki
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 ゆとり教育は、私が見ているところとは違うところに長所があったのですね。

回答No.18

ゆとりは悪いことではありません。 スローライフ、ゆっくりとした佇まい。 そういったことは悠然として、豊かなことです。 ゆったりとした、悠々自適な生活空間というものはとても素晴らしいものです。 誇らしく思ってください。 テレビでゆとりはダメだとか聞いたとかなんとかですが、そんなものは一握りの人だけです。 ほかの方々は、とても奨励していて、大好評でした。 これからは自然エネルギーの時代に入りますから、豊かなゆとりのある空間を世界で作り出していくことになりますので、あなたのようなゆとり世代はその参考人として、活躍する場を与えられています。 古い人間は、原子力ですとか危険なものを好んであたかも自分らはこういうきついことをしてきたんだ! と躍起になってえらっそうにしてきますから、そういう古い考えを持ってプライドとしています。 本物はそうではなく、ゆとりや自然や素晴らしいものを好み、素直に人を愛したりするようなことがとても大切ですから、新しいあなたがたのような人々が時代をつくっていってほしいと思います。 かくいう自分は、あなたと同じ高校生よりすこし上の大学生ですから、わたしたちで時代をクリーンなキレイなものにしていきましょう!!

exiledaisuki
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 無責任に文句ばかり言うのではなく、自分にできる身の回りのことからよくしていくようにしたいです。 「時代をクリーンに・・・」私もクリーンにしていきたいと思いました。クリーンといってもただただ何もない殺風景なものではなく色々な良さと純粋な善でクリーンにしていきたいのです。 時にはそれがにごってしまうようなこともあるかもしれませんが、そのときそのときで適切な処置をし、速やかに物の状態に戻れるこうなるととても素晴らしいです。 このようなことはあくまで目標に過ぎませんが、小さなことから少しずつでも目標に近づけるように頑張っていきましょう。 長くなってしまい申し訳ありませんでした。 最後にご回答本当にありがとうございました。

回答No.17

個人的には、ゆとり世代でなく、ベビーブーム世代、私立の進学校に小学校から高校まで通っておりましたので、視点が全然、違うかもしれません。 ゆとり世代が色々とできないのは、いっしょにいるだけで、ひしひしと肌で感じられます。 言い訳と文句が多い割りに、物は知らないし、できることも少ない、しかし自己評価だけは、異様に高い。 大津の問題でも判る様に、日教組のお陰で公立学校がよろしくない事(反日、モラルと学力の低下)が、当たり前になってしまったので、私立の学校が、日本には、たくさんあるのではないでしょうか。質問者さまの周りにも、公立だけで育った方ばかりではないと思います。なんとか同レベル以上になるように、自分で切磋琢磨するしかないのではないでしょうか。 ご自分のせいではないと、愚痴をこぼして、レベルの低さを肯定していても、埒は明きません。自己を磨き、自分から競争に挑む事が大切なのです。 競争を嫌い、自己のレベルの低さを平等と言う名の元に肯定することにより、日本全体の学力や国際的競争力を下げるのが、彼ら(日教組)の狙いなのですから。

exiledaisuki
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 そうですよね。私は努力もせずに文句だけは言っていました。お恥ずかしい限りです。 ここで質問をし様々な方からご指摘を頂き、自分のことは棚に上げて上から目線の疑問を抱いている自分に気づきました。 これからは、自分の見解が正しいかどうかよく考えるようにしたいと思っております。

回答No.16

ほんとうですね!! 勝手にそうしておいて 本当に勝手だと思います 言葉に気をつけてほしいもんですね!! ゆとり教育は日本の経済にとっても大きな損失に なってしまいました 経済大国日本は今や世界から置き去りにされそうです 昔の戦後の日本人が遮二無二働いて頂いたお蔭で 今の私たちはゆとりある生活が出来ています これは分かりにくいと思いますが相当な努力の賜です 私もそうですが人間、だれしも怠けたくなるものですww 今の私たちは何でも揃うなんでもある そうゆう状態で産まれてきました だから手を伸ばせば届くわけですからどんどん怠けものに成りつつあります 教育ももうちょっとゆとりを持たせた方が子供たちものびのび出来ていいんじゃないか?! そんなことを思う輩が出てきてもおかしくない状況になりました じゃあ、取り入れよう!! ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ん?あれぇ?? おかしなことになってきたぞぉ!! ゆとり教育は間違いだったんだ!撤回だ! ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 間違いに気づくのに時間があまりにも経ってしまいましたm(__)m 勝手な大人たちを赦してやってください 悪気はなかったんです  良かれと思ってやってみたら思いもよらない結果に 恥ずかしくて直視できないのです 今は中学2年生とゆうことなのでまだ取り返しは効きます 自己努力は相当いると思いますが 周りの先生や親を上手く使って肥やしにしていってくださいね Good Luck!!

exiledaisuki
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 楽をしたい(させたい)などという勝手な思いで、ゆとりになったのではないことは他にご回答してくださった方もおっしゃっていました。 完璧な人間なんていません。完璧な国もありません。実行してみてうまくいかなかったとしても、次に違うやり方で成功することができるのかもしれません。 たくさんの方にご回答、ご意見いただき、自分勝手な思いでここに質問してしまったことを恥じております。 よいと思って、人の為に国のために、アイデアを出し実行に移す人間はとても立派なのだと思います。 私の周りには無気力な友達がたくさんいます。そんな友達は将来国を積極的に変えていこうと考えるのか、もしくは生きていればいいやと考えるのか分かりません。 でも少なくともここでたくさんのご意見をいただいた私は、国を積極的にいいほうに引っ張っていけるような責任感の強い大人になろうと思いました。 長くなってしまい申し訳ありません。 そして、ご回答ありがとうございました。

回答No.15

いいえ責任はありません。 ゆとり教育と言うと、あなたの世代をイメージする人がいますが、1970年代からゆとり化は進んでいます。非ゆとり世代と言えば、団塊の世代以前(現在の60代)で、それは詰め込み教育世代と言う事です。 昔は昔で、詰め込み教育に疑問が持ち始めてきました。 たぶんですが、グローバル化が本格的に進み始め、「詰め込み世代はダメだ。詰め込み世代は知識馬鹿ばかりで貧相な発想力しかない。これでは日本は国際的に立ち遅れてしまう。」と言う事で、詰め込み教育は廃止、70年代から豊かな発想力やグローバル化の世界で戦える自立した思考をもつ人材(個性の尊重)などに趣を置いたいわゆる「ゆとり教育」が進んだのだと思います。 そして、ゆとり教育化が進行するに当たって、現在のようになりました。ところが現在は、「詰め込みから発想の一歩が生まれる。無からはアイデアは生まれない。」と言う考えに変わり、詰め込み教育が良いというようになり始めています。 少なくとも、あなたには何も責任はありません。 責任があるとすれば、時代に翻弄される馬鹿な大人たちです。 そしてあなたもいずれ、その仲間入りを果たすでしょう。 遠いあなたの将来「最近の若い者は・・・」など嘆く日が来るかもしれません。

exiledaisuki
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 無責任な大人にならないよう、必要な知識をしっかりと取り入れていこうと思いました。

  • -sofia-
  • ベストアンサー率28% (39/139)
回答No.14

その気持ちわかります。 ゆとりは子供がつくった方法じゃないですからね。 まぁお偉いさん達が勝手につくって、そして学力が下がったなどと言っている始末…。 しかもゆとり世代に難癖つける人もけっこういますが、それはゆとり世代ではなくゆとりをつくった人達に言う言葉だと思います。 私自身の考えでは、ゆとり世代に文句を言う人は上から目線の人が多い気がします。 そして、"ゆとり前がいかに大変だったか"や"ゆとりは楽だな"と文句のはけ口にしている部分があると思う。 でもそういうことを平気で言える人間こそ、教育以前に人間としてどうなのかなと思いますね。 ゆとりについては、もともとは子供達がのびのび育つようにとつくったものです。 でもそれは子供達に責任のあることではないので、あなたが悪いわけではないのですよ。 なのでゆとり世代を気にすることは全くありません。 私は頭脳よりも、人間的に"できる人"のほうがよっぽど素晴らしいと思います。

exiledaisuki
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 私が大人になったときに、子供達に何で大人はこうなのだろうと思われないような、社会を実現させたいです。

回答No.13

結論から提示してしまえば、ゆとり世代がダメ・能力が低い・・というのは主観論であって、統計的な論説も出来ない妄言 有名なPISAの学力診断に関しての学力評論でも簡単に低下の是非について、低下と論説できないことを指摘できる したがって、ゆとり世代がダメ、という評論は単なる「最近の若いのは・・」「うちらが若いころは」という類の愚痴だと思えば良い ちなみに、ゆとり教育に問題があるとして、その意思決定を関わっている当事者にこそ責任があるのであって、ゆとり教育を受けた人間が「ゆとり教育に対する責任」を負う必然性はない ちなみに、ゆとり教育を行なって理由は様々ある より教育制度論的に大局的な視座で回答すれば、日本の教育制度は、振り子のように二つの方向性への志向がある 「知育」 「心育」 という二つの教育目的のどちらかに振れる傾向がある これに「体育」が加えられて大目標とされるのだが 10年毎に改訂される教育指導要領において、戦後ずっと知育を重視したり、心育を重視したりする この二つの教育概念を 振り子 のように往復運動している ゆとり教育とは、心育を重視する教育指針のタイミングだったのである ところで、このゆとり世代という概念は、既出の論理的思考のない回答者が指摘するような「週休二日制」の指導体系の世代とは特定しない場合が常識的である まぁ、既出回答者は、知ったかで論説しているのだから、誤認は仕方ないだろう 基本的には、2002年の指導要領改訂によって学習内容が大幅に削減されたことを受けて、ゆとり教育とするのが学術的であり、間違いのない話である もっといえば、この「ゆとり教育」というのは極めて概念的に不確定なものである (荒唐無稽な教育指針とも皮肉ることが出来るがw) 仔細は割愛するが、段階としては、以下の部分がゆとり教育の段階として注目されている (1)週休二日制の完全移行 (2)総合学習時間の創設 (3)新学力観の設定 これらを満たすのは、2002年以降である ちなみに、国際学力考査で近年TOPのフィンランドが、週休二日制であることを批判者はほとんど知らないのも現実なのだから、批判者の程度も痴れている 小生は、ゆとり教育肯定でも否定でもない。 小生は、自由主義者なので、学校教育に制限される普通教育制度が異常だと思う 以上

exiledaisuki
質問者

お礼

細かく教えてくださってありがとうございます。 難しい問題なのでしっかりと理解をした上で、さらに深くまで考えていきたいです。

  • asaka3
  • ベストアンサー率33% (85/255)
回答No.12

ゆとりという言葉尻をとらえ、内容を正しく報道していなかったマスコミって、 ひどいと思います。 学習内容を減らしたのは、 学力観が変わってきたからです。 知識が豊富なだけで良かった時代から、 思考をし新たなモノをつくり出すことが必要とされる社会になりました。 そこで、社会のニーズとして、 たくさんのことを知っている人よりも、 知っていることから新しい知や新しい解決法を生み出したり、 そもそも問題点に気づく力が必要になってきたのです。 そうすると、 学習や学力というもののとらえ方が変わります。 で、 覚えさせるだけだったら一方的に与えれば良かった授業ですが、 考えさせて見つけさせて解決させるとなると、 時間が必要ですよね。 だから、内容を減らし、時間を掛けて思考力や表現力を養う授業をしましょう。 そういった授業ができるように内容や時間にゆとりを作りましょう。 という意味だったのが、 「内容を減らす」「ゆとり」という言葉だけ一人歩きしてしまったのです。 具体的な例を一つだけあげてみます。 算数の足し算で。 3桁+3桁の足し算までを意味は考えず、機械的に計算法を教え込んでいたゆとり前。 2桁+2桁の足し算の計算の仕方を考えさせ、 仕組みを話し合い、まとめ、発展として、 自分で3桁+3桁以上の計算も解き方を考えられる力を付けようという 「ゆとり」教育。 どっちが使える人になりそうだと思いますか? で、 思考力、表現力の育成はそのままで、内容は以前の量に戻したと。 子ども達の大変さの負担はものすごいでしょうね。

exiledaisuki
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 子供としては大変ですが、思考力と表現力をしっかり身に付けられているのは前の世代にはいないから、私たちはラッキーなのだと考えることにします。 過酷なところで育てば育つほど将来の期待が高まるのではないでしょうか。 期待にこたえられるように、勉強も生活もしっかりと学んでいきます。

  • mist9323
  • ベストアンサー率50% (3/6)
回答No.11

No.6の投稿をした者です。 勘違いさせてしまったようなので補足をしたいと思います。 コミュニケーション能力の低い人もいる、と書きましたが私が見る限りあなたはその限りではありません。私が本を読んで下さい、と書いたのはあなたが自分で自分の能力に対して不安なら、の話です。 個人的には中学生でこれだけきちんとした文章を書けていれば何も問題ないと思います。 基本的に人の話をきちんと聞いて理解すること、自分の意思をはっきり伝えること、場の空気を読むこと、あとこれはある程度の年齢(20歳前後)になったら常識ですが挨拶と返事ができればどこでもやっていけると思います。 変な例を出してわかりにくくなってしまたかもしれませんが貴女は自信を持っていいと思いますよ。

exiledaisuki
質問者

お礼

もう一回、アドバイスを頂き本当に嬉しいです。 ありがとうございます。 的確なアドバイス、何回も本当にありがとうございました。

回答No.10

 週休二日制ができた時のことです。それまでは土曜日の午前も授業をしていましたが、それがなくなったので、授業日数が減りました。さらに同じ時期に、教科の時間を減らして、「選択」「総合」という新しい授業を作りました。これを「ゆとりの時間」と呼んでいた時期があります。その結果、教科書の内容が30%くらい減ってしまいました。今の100点は、当時の70点くらいにしかなりません。(私の現役の頃からは50%近く減っていると思います。)  なぜそうなったのかというと、「週休二日制にする」と決めた頃は、『日本はとても景気の良い時代で、休みが増えれば旅行に行ったり、趣味の時間が持てるので、税収も上がるし、豊かな暮らしができる』という理由が出されていました。それを出したのは大手の旅行会社や自動車会社などです。政府もそれを認めました。  もう一つの理由は、「詰め込み教育はよくない」いう意見が多くなったことです。先生は「落ちこぼれを育てた」なとど批判されるのが怖いので、教えることを減らしていったのです。  しかし、決まってから実際に始まるまでの数年間に景気がドン底にまで落ちてしまいました。「バブル崩壊」です。聞いたことありますか?「分数のできない大学生」と学力の低下も叫ばれるようになりました。しかしね一度決めたことは、間違いだと分かってても、突き進んでしまうのです。その犠牲者が「ゆとり世代」の人なのです。

exiledaisuki
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 30%も減っていなんですか? 驚きです。 でも詳しい説明をしていただいたおかげで、納得できました。 ありがとうございました。

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