• ベストアンサー

天皇陛下の名称?称号?について

天皇という呼び名について質問です。 天皇というのは後から付けられた名称だそうですが、 私が知っているのは、大王(オオキミ)、帝(ミカド)、天皇ですが、 その順番・時代と理由、基になっているものをご存じの方いらっしゃいましたら、 どうか教えて下さい。

  • 歴史
  • 回答数4
  • ありがとう数4

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • D-Gabacho
  • ベストアンサー率62% (948/1520)
回答No.3

大王⇒天皇⇒帝 の順だと思います。 ただし、帝(ミカド)は正式な称号ではありません。天皇という正式な称号で呼ぶのが失礼な感じがしてはばかられるため、本来、宮殿とか朝廷を意味するミカドということばで遠まわしに呼んだものです。屋敷や御殿をさす「お館様」や「殿」ということばで、武士が主君を呼ぶのと同じです。帝の字を使うのは、天皇=皇帝と701年制定の大宝令に規定されているからでしょう。 奈良時代の「万葉集」では「ミカド」はすべて「御門」「朝廷」などで、「帝」の字は使われていません。意味も本来の宮殿や朝廷の意味で使われています。「日本書紀」でも「帝位」とか「帝皇」といった熟語で用いられることはあっても、「帝(ミカド)」のように一字で天皇をさすような使い方は見当たらず、平安時代初期に編纂された「続日本紀」以降によく出てくるようです。 「万葉集」で天皇の呼称として最もよく使われているのは大王(オオキミ)で、天皇という称号が確立されて久しい聖武天皇の時代の歌にも使われています。正式な称号が大王から天皇に変わっても、正式な称号に代わる呼び名として使われていたということだと思います。その後、大王(オオキミ)という古い呼び方は廃れて、帝(ミカド)という呼び方に取って代わられたのでしょう。 大王から天皇に称号が変わった時期については諸説ありますが、天武天皇の時代という説が最も有力です。これには天武天皇の時代のものと推定される木簡に「天皇」と書かれていたという証拠もあります。ただ、それ以前に使われていなかったという確実な証拠もないので、確定されてはいません。 大王の称号の確実な初例は、西暦471年をさすとみられる「辛亥」年号と雄略天皇をさすとみられる「獲加多支鹵大王」の名が記されていた、埼玉県稲荷山古墳出土の鉄剣の銘文です。

tax_sos
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 年代と現代までに分かっている事例・物証を交えて ご紹介頂きありがとうございます。 とても分かりやすかったです。 そうですね。 なんとなくですが、称号の中で、確かに帝(ミカド)だけちょっと違う感じがしますね。 これは#2の方が挙げられているように、直接名称ではなく、それをそれと指すための 前置き的な呼び名にも感じられます。 主観ですが、私は天皇の側近(公家等)が主に呼んでいたような感じます。

tax_sos
質問者

補足

諸説ある中、難しい質問に答えて頂いた皆様、ありがとうございました。 今回は、 1.年代が書かれている 2.物証がある 3.その他 以上の理由からこの方にベストアンサーを差し上げたいと思います。 但し、私自身の見解では、大王 → 天皇(正規の名称)                      ↓ →帝(公家等)                      ↓ →朝廷・御門(武士・庶民等) というような、天皇と帝は並列しており、呼ぶ人の立場の差ではないか。 公家等が帝と呼び、武士や一般庶民は朝廷(御門)と呼ぶ(恐れ多くて直接名を指す名称では呼べなかった。陛下などの敬称が無かったかも)と思いました。 天皇は公名であり、同時にその呼び名は存在したのではないかと思いました。

その他の回答 (3)

  • Verhalten
  • ベストアンサー率17% (36/201)
回答No.4

御門には数種類の意味があります。 徒然草では天皇の敬称として。 崇神紀では天皇と御所を指す言葉として使用しています。 大和を例にとれば、日本全てを大和と言い、倭から大倭と称しました。 ので、崇神紀の御門を称号とすべきでありません。 大王は冊封を受けた外交的です。 次に天皇と記載のある木簡が出土し、 御門(帝)はどう見てもそれ以降と判断すべきでしょう。

tax_sos
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 主に私の知識のなさが原因ですが、 少々わかりにくいように思えました。

回答No.2

順番は 大王→帝→天皇が一般的です 大王は古代から飛鳥前期ぐらいまでの呼び名です 聖徳太子の時代には 帝という呼び名が使われていました 用明帝 推古帝など… ちなみに皇太子は 皇子(みこ)と呼ばれていました 天皇と呼んでいるのは最近です 今でも明治天皇のことを 明治帝と称することがあります 帝とは宮門という言葉が語源だそうです 蘇我氏が呼んでいたようです

tax_sos
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 基本的に#1の方と同じですが、 > 帝とは宮門という言葉が語源だそうです これは今でもありますね。 正式名称ではなく、その土地やそれ(人や名産・音が似ている言葉など)で その人物などを指す場合がありますね。

  • bonky653
  • ベストアンサー率12% (26/205)
回答No.1

基本はミカド、天子さま大王は古代の話です。 三国志で漢の皇帝もそう呼ばれているので中国から来たものだと思われます。 朝廷のシステム自体中国から来たものなので。多分漢王朝が元でしょう。

tax_sos
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 たぶんそうですね。 何か物的な例があるといいのですが。

関連するQ&A

  • 天皇という名称さえ無かったのに歴史をなぜ修正する?

    天皇という名称は、かなり後の時代になってから使用されたものであって、それまでは天皇という名称さえ存在していなかったという話です。それなのに、なぜ、天皇という名称をつけて、古い時代に遡って、たくさんの天皇をでっち上げたのでしょうか?

  • 推古天皇の子供

    後の推古帝と敏達帝の間に生まれた5人の子供たちは 父 敏達帝 母 後の推古帝の夫婦そろって天皇という良血にありながら一人も天皇になっていません また以降この血統から天皇になったひとはいません(万世一系にはほどとおい天皇もいるのですが) 何か理由があるのでしょうか 子供たちの一人 竹田皇子は早世したとのことですが 古代の天皇制に詳しい方の回答お待ちします

  • 「武烈」とか「継体」とかいう天皇の「名称」は???

    現在の「令和天皇」というのは、126代のようです。明治以降の「天皇の名称」というのは分かりやすいのですが、そもそも126代の天皇の名称は、いつの時代、何によって決まったのでしょうか??? 現代では、「令和天皇」という呼び方も、即位する時には決まっていますので、特段の違和感がないのですが、まさか、「武烈」とか、「継体」とか、「名は体を表す」ような名前が、当時、即位したときから、使われていた、呼ばれていたとも思えないのですが。 あまりにも単純でばかばかしい質問なのかも知れませんが、よろしくお願いいたします。

  • 後陽成天皇の称号

    そもそも古い天皇名に後を付けるのは、ものの本によると 「加護号」で「諡号」の一種の「追号」とのこと、つまり死後 に送られた名前とのことです、「加護号」の代表的なものでは 1)後醍醐天皇のように醍醐天皇の「延喜の治」にあこがれてついた   (一説には生前にすでに使用していた) 2)後桜町天皇のように先々代が父であったのでついた ですが、陽成天皇と後陽成天皇の間は約700年でどうして天皇 加護号に陽成天皇がでてきたかが不明です、私の考えは 1)天皇と陽成天皇は何の関係もなく、死後に宮中の諡号の会議   で適当に「加護号」として「後陽成」となり本人もまったく   意識はなかった、 2)生前、天皇が陽成の世を意識していた、 3)親族に陽成天皇の家系がいた 4)その他の理由 これらのいずれかですが、よくわかりません、天皇名に詳しい方回答の願いします、 そもそも「加護号」が使われることになった「理由」もお願いします

  • 「天皇」称号の歴史について

    日本史に詳しい方に質問です。 まず、「天皇」という言葉をその用法によっていくつかの種類に分けようと思います。 1.特定の死んだ“日本の君主”を指す用法で使われる「天皇」は、「天皇(1)」とする。 2.特定の現役の“日本の君主”を指す用法で使われる「天皇」は、「天皇(2)」とする。 3.特定個人を指すのではなく、「歴代の“日本の君主”が受け継いできた地位、またはその地位に就く人」を指す用法で使われる「天皇」は、「天皇(3)」とする。 4.“スメラミコト”“スメミマノミコト”などと読まれる「天皇」は、「天皇(ス)」とする。 5.“テンオウ”“テンワウ”“テンノウ”などと読まれる「天皇」は、「天皇(テ)」とする。 6.たとえば現代において「明治天皇」と言われる場合、その「天皇」は「天皇(1)(テ)」である。 以上を頭に入れて読んでください。 私は、天皇についてネットで色々調べました。それで得られた情報を(微妙に推測で補いつつ)まとめると、以下のようになります。 I.天武の頃から、「天皇(1)(ス)」「天皇(2)(ス)」が使われ始める。 II.少し遅れて「天皇(1)(テ)」が使われ始める。 III.「天皇(2)(ス)」は特別な場合にだけ使われ、一般にはほとんど使われなかった。 IV.「天皇(1)(ス)」はすぐに廃れる。 V.しばらくして、「天皇」は正式にはほとんど使われなくなった。使われるケースといえば、「天皇(1)(ス)」や「天皇(1)(テ)」を含む諡号・追号を既に与えられている過去の“日本の君主”を呼ぶときくらい。 VI.約900年後、光格の時「天皇(1)(テ)」が復活。 VII.明治になって初めて、「天皇(2)(テ)」「天皇(3)(テ)」が生まれる。 VIII.明治になって、過去の全ての“日本の君主”が「天皇(1)(テ)」を含む諡号・追号を持つことになる。 IX.「天皇(テ)」が、「特定の死んだ“日本の君主”」「特定の現役の“日本の君主”」「歴代の“日本の君主”が代々受け継いできた地位、またはその地位に就く人」を指す唯一の正式名称となったのは、明治になってから。 以上です。いかがでしょう。「ここが違う」「ここを補足したい」という部分があれば、解説をお願いします。

  • なぜ天皇家には姓が無いのか?

    大昔から現代に至るまで我が国の天皇家には姓とか家名というものがありません。 臣下である公家や武家にはあります。 これは何故なのでしょうか? 一応我が国では姓とは天皇(大王)が臣下に授けるものなので、授ける側の天皇家には無い、 ということになるのかなと思いますが、しかし源平藤橘のような姓ならそうだと思いますが、 大和朝廷初期の豪族である、葛城氏とか物部氏とか蘇我氏とかは与えられたのではなく、 拠点となっている地域の名前等から独自に名乗っている姓なわけで、それと同様に天皇家(大王家)の 豪族としての姓というのもありそうなものですが。 あるいは最初の頃は天皇家にも姓はあったけど、上記のような理由で名乗らなくなったのでしょうか? それではその天皇家の本来の家名は何だったのでしょうか?

  • 天皇陛下がつけていらしたバッジのようなもの

    天皇誕生日の一般参賀のニュースを見ていて気がついたのですが、天皇陛下のお召しになっていた洋服の左襟にバッジのようなものが見えました。これは何でしょうか?(昔ならこのような質問をすること自体、不可能なことであったと思いますが)御存知の方おいででしたら、どうぞお教え下さい。よろしくお願いいたします。

  • 後○○天皇について

    「後○○天皇」という名前の天皇がいますが、「○○天皇」がいないのに「後○○天皇」という名前の天皇が何人かいるようです。 例えば「後鳥羽天皇」です。「鳥羽天皇」は存在しません。 以前、本で読んだ覚えがあるのですが、理由を忘れてしまいました。 「○○天皇」がいないのに「後○○天皇」という名前が付いた理由をご存知ですか?

  • 天皇が女性だった場合、その旦那さんの呼び名は何?

    女性天皇の問題が取りざたされていますが、 天皇が女性だった場合、その旦那さんの呼び名は何になるのでしょうか? 天皇が男なら、その奥さんは皇后ですよね。 皇太子が男なら、その奥さんは皇太子妃ですよね。 天皇や皇太子が女性になった場合、その旦那さんは何と呼ぶのでしょうか。 昔、女性天皇がいた時代には、結婚は皇族どうしだったため、 旦那さんは「~親王」なり、もともとの呼び名を通せば良かったわけですが、 今は一般人との結婚になりますよね。となると呼び名は何?殿下? 考えてみれば、女性天皇or皇太子が、一般人と結婚した例って、 日本史上ないんですよね。 一体どうなるのかなと思いまして。 詳しい方、おられましたらお願いします。

  • 「天皇陛下」という呼び方にとても違和感があります。

    「天皇陛下」という呼び方にとても違和感があります。 明治期に制定された皇室典範により、天皇・皇后に対しては「陛下」という呼び方をすることが 規定されているそうです。 しかし、そもそも「陛下」という語は、天皇に対して上奏をする際に文書中で天皇を指し示す語で あったということです。 すなわち、天皇ご本人に上奏するなど畏れ多くて無理なので、「陛下」、つまり玉座へ続く階段の下、 にいる取次ぎの従者に対して申し上げるという形式をとっていたとのことだと思います。 同様に、文書中で天皇の事を指し示す場合は文書の種類に応じて 「天皇」「天子」「皇帝」「陛下」などを使い分けていたのですが、 (これは大宝律令?に定められているらしいですが) 発音する場合は全て「すめらみこと」と発音したといいます。 そもそも、日本の統治者の日本語での呼び名は「すめらみこと」であったのが、 自国に文字が無かった為に漢語で「天皇」「天子」など相応しい文字を当て字にして 表記したのでしょう。 また、天皇を呼ぶ際には他にも「御門」や「禁裏様」などが用いられ、 いずれも婉曲表現として天皇がおわします場所を呼ぶことで 天皇ご本人を表しているものです。 これらの様な事を考えますと、明治の皇室典範にあるように 天皇に「陛下」という称号を付けてお呼びすることは、どうにも不自然な気がします。 まず、「陛下」とは上奏という特定の状況において、天皇を指し示す語であり、 言葉本来の意味は「取次ぎの従者がいる場所」です。 上奏文の中で「陛下に申し上げる」というのは至極妥当ですが、 現代のように天皇ご本人に対して「天皇陛下」と呼びかけるのはどうなのでしょう。 いわば、天皇ご本人に対して「天皇の階段の下の従者」と呼びかけているようなもので、 むしろ失礼ではないでしょうか。 また「天皇」を「テンノー」と音読みする様になったのも同様に明治期からであるとのことです。 本来やまと言葉では「すめらみこと」が正しいはずです。 他にも天皇が軍服を着たり、人前に姿を表したりと、 明治期には天皇に関する事に対して多くの伝統破壊があったのではないかと思っています。 もちろん西欧列強に対抗する為の政策として必要であったのかもしれません。 ただ、明治維新の立役者の多くが下級武士で有った事を考えると、 「陛下」という意味や用法も良く知らずに決めたのではないかとも思えてしまいます。 言葉は変わっていくものだ、と言われればそれまでですが、 国の最高位の方に対する呼び方ぐらい、自国の伝統的な言葉でお呼びしたいものです。 また、右翼や国粋主義の人達が主張する「伝統的な」日本とは、 多くの場合この様な明治期に作られ、昭和初期にかけて強化された作られた日本像 であると思います。 そのくせ、「2000年以上の皇室の伝統」とか「万世一系の天皇陛下」などと さも古来からの伝統であるような言い方をします。 「てんのうへいかばんざい」などというやまと言葉が一切ないフレーズを 「日本人の心意気だ」などと言います。 本当の日本の伝統とは、そのようなものではなく、明治維新が起きる前の 日本の姿なのだと思います。(良いか悪いかは別にして) その中で天皇は「すめらみこと」であり「禁裏様」と呼ばれ、お歯黒をし、 京都の宮中でひっそりと雅の世界を守っていたのではないでしょうか。 もちろん権力などは無かったでしょうが、少なくとも、現在の今上天皇のように、 自由を全て奪われ、国家の為に決められた仕事をひたすらこなし、 内閣の命令に従い、さらに崩御なさるまで引退も許されないといったような、 (ご無礼を承知で言えば)まるで奴隷のような状態ではなかったと思います。 昨日の文化の日、役人が決めた文化勲章受章者に対し、モーニング姿で勲章を親授される 「天皇陛下」の姿をテレビで拝見し、その様に感じました。 質問が分かりにくくなってしまいましたが、「てんのうへいか」という呼び方に対して、 詳しい方のご意見をお聞きしたいです。 どうぞよろしくお願い致します。