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正しい剣道…?
別の質問でも書きましたが、引き技や突きや逆胴を軽視する風潮に疑問を感じております。 例えば、町道場等に於いてこれらの技を先生方との稽古中に使う事は、邪剣、無礼であると言った風潮は無いでしょうか。 先日ある道場で稽古させて頂いた際、私は先生方に積極的に技を仕掛けました。 合気を外し、竹刀を撃ち落とし、突きを繰り出し、引き技も逆胴も打ちました。 お相手戴いた先生からは、「君の剣道は暴力だ、正しい剣道をしなさい。高段者の剣道を目指すべきだ」とお叱りを受けました。 中段に構えてゆっくり気を練り合って面ばがりを打つ、鍔迫り合いでの駆け引きや引き技を用いる事無く「互いの無言の合意」で間合いを切って構え直す… それが正しい剣道だとおっしゃいました。私に打ち込まれた方が言うべき言葉でしょうか。 では、私の「暴力」に屈した先生の剣道は、武道としての真価をいかほどお持ちでしょうか。 踏み込みもしないで「おめぇ~ん」とその場打ち、まともに打ててもいないのに自己満足な残心を取る老人剣道が高段者の剣道とは… この様な先生方は少なくないと感じます。 格式にあぐらをかいて積極性や多様性を否定し、精神面にこだわり過ぎて、理屈先行の剣道になっている気がします。 胸突きが禁止されたり、開始線が引かれたり、ルールも様々な変容をして来ましたが、ルール内での技の多様性を認めない風潮であれば、武道としてもスポーツとしても衰退すると思います。 当てっこ剣道がいけないと言われておりますが、当てる為の技術、当てさせない為の技術を競うのが剣道です。 もちろん、軽い打ちその他不十分な打突は一本と認める必要はありませんが、稽古であれ試合であれ審査であれ、立ち合うのに特定の概念にだけとらわれるのはいかがなものでしょうか。
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- praecoxlc77
- ベストアンサー率26% (14/52)
あなたの言いたいことはわかるような気がします。 もし、昔の武士の戦闘のための剣であれば、あなたの勝ちかもしれません。 しかし、剣道はスポーツであり殺し合いではありません。 そうなると必然的にルールや精神が尊重されるのも事実です。 こういうふうに考えてはどうですか? もしその稽古が真剣でやっていたらどうですか? 技の切れとか、間合いとか関係ありません。 場所を外してようが、当たりが弱かろうが、先に当てられた方が重症を負うでしょう。 下手すると腕や指が切断するかもしれませんよね? 最初の突きが当たったら、相手はそれでバタっと倒れて死ぬかもしれません。 そんな時に >中段に構えてゆっくり気を練り合って面ばがりを打つ、鍔迫り合いでの駆け引きや引き技を用いる事無く「互いの無言の合意」で間合いを切って構え直す… そんなこと言ってられませんよね。その場合あなたの言うとおりだと思います。 精神論や気合、技など関係ありません。 とにかく刃を相手に当てて、切ればいいだけですから。 おそらくあなたならば、そんな老人剣士なんてひとたまりもなくやっつけてしまうでしょう。 でも、剣道とはそれとは違います。 ルールがあり、精神論があるスポーツです。 つまりどちらが強いかを決める勝負のようであって、それだけとも限らないのだと思います。 他の回答者がいうように、なぜ老人と勝負にこだわりますか? 柔道や空手やボクシングで考えてください。 もっともあなたのいうことは柔道や空手、ボクシングでは成り立ちません。 あなたのいうようにしたら空手の場合はこうなります。 >先日ある道場で稽古させて頂いた際、私は先生方に積極的に技を仕掛けました。 間合いを考えずに突進して相手を捉え、蹴りで腕をへし折り、突きを繰り出し、ハイキックもローキックも打ち込みました。 もしこれ空手だったら高齢者の高段者(老人)では勝負にならないでしょう? そもそも老人の高段者と稽古しようとも思いませんし、勝負にもこだわりませんよね? 剣道だけが唯一といってもいいほど高齢者の高段者と稽古をできる武道です。 ですからあなたのような疑問というか迷いが生じるわけです。 空手や柔道、ボクシングなどではそんなこと考えもしませんよ。 つまり剣道は直接肉体同士がぶつからないので、その分年齢による影響が出にくいのです。 それゆえ老人の精神論も出てくるわけです。 でも剣道ってそういうスポーツだから仕方ないのではないですか? 私は剣道は初心者レベルですが、当たったか当たらないかではなく、姿勢や気合も必要で、 それでなければ技が決まったとは認めないというルール?自体に疑問を感じたことがありますが、 そのように剣道自体が技以外の部分を重んじるスポーツ(武道)なんだから仕方ないと納得はしましたよ。 もしあなたがやりたいのなら、例えていうならフルコンタクトの剣道版見たいのならいいんじゃないでしょうか? あたらしいスポーツになるかもしれません。
- Kage-Ryu
- ベストアンサー率50% (1/2)
1.武道・武術、特に剣道においては、高齢高段者は学ぶべきお相手であって負かすお相手ではございません。 2.あなたさまは観る目をお持ちでありません。 3.あなたさまは直心影流の宗家や門弟の先生方に剣道でまちがいなくボッコボコにされますが、それであなたは剣士をやめることになりますか?ならないでしょう?
- south325
- ベストアンサー率35% (7/20)
もうお読みにならないのかもしれないのですが、一応、思ったことを書いてみます。 ふらふらっと、剣道の検索をしていて立ち寄りました。 正しい剣道ですか? それは、その人によって違うと思います。剣道って流派があるんだと思います。 なので、私の流派の正しい剣道とは違うと仰ってるんです。 そういう時は、言葉でわかりましたと答えて、今の私とは流派が合わないと思った方がよいです。 ただし、質問者様も将来はそういった流派になられている可能性は十分あると思います。 今はそこに行き着くまでの過程であるかもしれません。 それと、出稽古にいかれたのならなおさらお相手の道場の流派に合わせなくてはいけません。 余談ですが、木刀を持っても形稽古になると更に言われること違いませんか?それもしかりです。 全剣流ではと、仰る方もいるのではないでしょうか?小太刀一本目を右鎬ですりあげるのは、全剣流では違うかもしれませんが、高段者の方で間合いによっては、右鎬ですりあげる方も見たことがあります。 だから、お稽古の時は、お相手のご流儀にあわせてお稽古します。なので、自分より高段の方とお稽古する時は、ジャンケンで例えるなら、グーを出すのがわかっていても、チョキでいきます。 ただし、先生から勝負なんでもあり!と言われたら、自分の持ってる技は出します。 片手面、片手突き、平行ぎりぎりの平行左右面。二段引き技からの突き、上段、2刀、歩み足の技、かちあげる体当たり、何でもありです。 でもその前に、私の剣道は見られています。お相手の流派に合わなければ、きっと勝負しましょうとは言ってくれませんね。 流派問わずの勝負をしたいならそれが、通常の試合だと私は理解しています。もちろん試合でも、旗が揚がる基準は試合ごとに違います。反則すれすれでも勝てばいいと思っている方もいるでしょう?自分の胴をたたいて、抜けてさもお相手の胴を打ったようなふりをしたり。お相手が来るところを一歩入って体当たりして危ない技?を使ったり、スコップ突きとか面金突きとか…ようは旗さえ揚がればよいという剣道です。でもそれが試合だと私は思ってます。お稽古とは違います。勝負ですからね。 ただ、同じ試合でも八段選手権をご覧になったことがあればおわかりでしょうが、何で今ので上がらないの?というシーンはたくさんあるはずです。でも、それが八段選手権なんだと思います(私が出場出来ることはありませんが) きっとその先生は質問者様には、そういった高段者なってほしいと思ったのではないでしょうか?逆胴や突きがダメなわけではないし、私も否定しませんが、高段者の流派ではあまり見ませんからね。 あと、出稽古では、三本勝負とするなら、一本取ったら、お相手に一本取らせないとダメです。それが昔からの出稽古のマナーです。ようは遺恨を残さないって事です。江戸の昔からのお作法で、私は先生からそうならいました。 長文失礼しました。よきお稽古相手に恵まれることをお祈りいたします。
- mask_the_red
- ベストアンサー率84% (11/13)
>引き技や突きや逆胴を軽視する風潮 今の所、私の身の回りではそういう風潮はないように思います。 技は技ですので、軽視していいものかどうかを問われれば、やはり質問者様と同じくNOと考えます。 正しい形だけで臨め、という特定の概念にだけとらわれるのも確かに、多様性を狭める事である事のように感じます。 ただ、「『暴力』に屈した」という表現にちょっとだけ引っ掛かりを感じました。 剣道というのは人を屈服させる事が目的と考えればそうなのかもしれませんし、単純に「手も足も出なかった」という意味で使われたのかもしれませんが、もし、毎回の試合で相手を負かした時に、相手が自分に屈したのだと思われてるのであれば、それは暴力の剣になるのかもしれないと思いました。 (もし単に言葉のあやでしたら申し訳ありません) 私は恐らく質問者様より大分年下です。 若輩者が分かった事ような事を言うなと怒られてしまうかもしれませんが、剣道は当てる、当てないの技術を競うだけなのでしょうか… そうすると剣道サークルや町道場に通う女性や子供、お年寄もほとんどやめなくてはいけないなと思うと少しさびしい気がしました。 実力も実績も無いし、むしろ動きを覚えるので精一杯の方もいるのですが、皆それなりに楽しそうなので… 私の通う道場にも高齢の高段者の先生がいますが、確かに打ち合いでは若い力ある人に負けます。 若い人に説教や愚痴めいた事も言いますし、正しい剣道みたいな事も言います。 「また同じこと言ってるよ…」と思う時もあるのですが、じゃあどっちが正しいのか、とかそういう事を考えたりはしません。 色々な考えの人がいますし、それぞれのやり方や信念があると思うからです。 自分の信念を持とうとは思いますが、主張したり、賛同してもらおうとは思いません。 質問者様のおっしゃるように、様式だけにとらわれすぎる、という意見も正しいと感じる時もあります。 ただ、様式も悪くないな、と思う時もあるのです。 質問者様のように日々の努力で自分の力を研鑽し、高めていく事は立派な事だと思います。 高段者の方をそこまでやっつけられるのは相当な強さなのだと思います。 そういう方が、負けた相手に「正しい剣道とは」と言われたら「何をぬかすか」と思うと思います。 私もその立場だったらそう思うかもしれません。 でもその老いた先生にも若い、強い時があって、色々な事を見聞きしてきたと思います。 その結果としてその人が「正しい剣道」と思っている事を、傾聴する事はあっても、軽視したり、切り捨てたりは出来ないように思うのです。 「ああ、そういう考えもあるんだ」と、それだけでいいような気もするのですが、それではいけませんでしょうか? 人間、好きで老いるわけじゃありませんから、その先生にも若い、強い時があったのかもしれません。 負けて悔しかったり、無力感を感じたりするのは年をとっても同じですから、 本当は若い人と互角に打ち合いたいけれどそう出来ない苦しさというのもあると思います。 自分はもう出来ないけれど、その分、誰かに教えたり、上手くなってほしいと思って、自分の得てきた事を伝えるという事もあるように思います。 育てる、育む剣道とでも言うのでしょうか。 質問者様がその先生と対峙された時以外にも、ルールに規定されるにも関わらず、その技を使う事が軽視、邪道扱いされている風潮が全国的にあるのであれば、それは大きな問題であると思います。 ただ、一つだけ気になるのは、その先生は逆胴やそれらの技を使ったから、「暴力の剣」と言ったのでしょうか。 れっきとした技である以上、その技を使うだけでは暴力にはならないと思います。 その使い方が、例えば、既に力量差が分かっている人間を手ひどく打ちのめすとか、そういう事でもない限り、変な表現だなと思いました。 それと「高段者の剣を目指す」。これも負けた相手への悔し紛れとしては、ちょっと妙な気もしました。 こういう事は、素人やそこらの強さの人には言わないと思います。 十分に強くて、本当の剣の高みを目指す事が出来そうな人に、言うものではないでしょうか。 質問者様は多分、相当に強い方なのだと思います。その先生も強さを認めていると思います。 でも、長い年月やってきて、息子や孫もいる年の方から見ると、あとほんのちょっとだけ何か足りないものがあるのではないでしょうか。 自分はその高い山に登る体力はもう無いけれど、若く強い質問者様には本当の剣の高みに登れる可能性がある、そう思ったからそう言ったのかもしれないと思いました。 質問者様にとってあまり役に立たなさそうな教えだったかもしれませんが、 批判ではなくてアドバイスだったのではないでしょうか。 風潮というのが、そういうアドバイスをする方が多いという事であれば、多くの人が共通して同じアドバイスを質問者様に抱くという事に何か真理があるのかもしれません。 文章をお読みして何となくそう感じました。 間違っていたら申し訳ありません。 でも、質問者様は周りの方からとても期待されているのではないでしょうか。 アドバイスの内容を見てもそう思います。 年上の方にえらそうに申しまして大変失礼を致しました。 御容赦頂ければ幸いです。 失礼致します。
- shizumo
- ベストアンサー率12% (159/1285)
問題はあなたのような疑問を持つ物が素直に疑問を言い出せず、干されていく環境にあると思います。 そもそも正しい剣道とはなんであるのか、明文化されておらずあいまいなところにも問題があります。
お礼
回答ありがとうございます。 その通りだと感じます。
- ms903
- ベストアンサー率33% (1/3)
初めまして。 私は高校時代、顧問の先生(七段ぐらいだったと思います)から突きを活用しろと教わりました。 相手が打ち込んできたとき、突いて止めろとか、基本稽古の中に諸手突き、片手突き、迎え突きの練習までしたほどです。 逆胴の練習もあったし、私自身一度だけですが公式試合で逆胴の一本を取ってもらえたこともあります。 休日に稽古をつけにきてくれる道場の先生も、多用はするなとは言っても、使うなとは言いませんでした。 周りの高校からは、「あの高校は突きばっかしてくるから嫌だ」と言われたこともありますが、別に注意されたわけでもないですし。 こういった経験から、私は必ずしも突きや逆胴が暴力の剣道だとは思えません。 そもそも使っては駄目なんだったら、それこそいっそお得意のルールで規制すれば・・・はさすがに言いすぎですかね。 また、学生だったからなのかは分かりませんが、積極的に打ちに行くことは悪いことではないはずです。 さすがに間合いもなにもかも無視して、かかり稽古みたくなるのは駄目でしょうけど、待ち剣もあれば打ちに行く剣道のスタイルもありますしね。 私はずっと先鋒だったので、自分から動いて積極的に打ちに行き、勝って自チームに流れを作るスタイルを貫いてきました。 竹刀を打ち落とすのは下手でしたが、質問者様と同じように突いたり引き技したり逆胴もどんどん使ってました。 部内での稽古はまだしも他校との試合は、本当に勝つか負けるかの真剣勝負、人間形成の理念とか言ってる場合じゃないです。 いかにして一本を決めるか、一本を決めたと審判に分からせるか。 うちのブロックだけだったのかは分からないですけど、長時間の鍔迫り合いは両者反則になったので、どうすばやく相手の手元を崩すか、だと思います。 交通事故と一緒に聞こえますね、自分はルールを守ったのに、相手は守らなかったから事故った。 自分はちゃんと引き技を使わなかったのに、相手は使ったからこんなの剣道じゃない、暴力だ。 面の打ち合いのはずなのに、なんで小手なんか打ったんだ、みたいな。 立派な出小手という技なのに、変ですねー。 余談になりますが。 互角稽古でこちらが引き技を使ったときに、稽古相手だった後輩の男子が追いかけてきて突きをし、壁に激突したことがあります。 そのときは「いくらなんでもここで突きを使うのは危なすぎるだろ!」と半泣きで訴えた記憶があるので、使うタイミングさえきちんと考えればちゃんとした技だと私は思っています(ちなみに私は女子です)。 うーん、結局質問者様の求める回答ができたとは言えないかもしれません・・・長文乱文失礼しました。
お礼
回答ありがとうございます。 交通事故とは… 主旨が異なる問題だと思います。
- sp6m6cy9
- ベストアンサー率34% (162/473)
武道を競技として持ち出した時点でもう終わりでしょ。 ルールがあって動きに決まりがあって、そんな武術を昔の人が望んだかどうか。 競技化したために概念ができてしまうのはごく自然で必然です。 概念をなくせばそれは「生きるための技術」になります。 高齢高段者の方々も生まれるのがもう少し早ければ現代の達人になっていたでしょうに。 私は以前、戦争に駆り出され銃剣道などを嗜んでいた剣道家と手合せしましたが、ブレることのない体軸に研ぎ澄まされた集中力、一瞬の隙を逃さない速さ、一撃の重さ...六段を取得し舞い上がっていた私の気持ちを叩きのめしてくれました。それほど、どれを取っても今まで自分のやってきた剣道はなんだったのか、と思うようなものでした。 ようは老人の趣味か生き抜いてきた人の本気かの違いでしょう。 >>当てる為の技術、当てさせない為の技術を競うのが剣道です。 いえ、真剣の理法を簡素化したものが剣道です。もとは殺すか殺されるか。たとえ竹刀だとしても危機感のない、ただやればいい稽古に意味はありません。 残念ながら今ご存命の達人の方は剣道をやっている方からすれば、残心が片手であったり残心しなかったり、舐めてると思われるかもしれませんが、一度手合せするのもいいものですよ。 少しは剣道に対する考えが変わるかもしれません。
お礼
回答ありがとうございます。 あなたが「概念」と言う言葉をどの様な意味でお使いか、いまいち理解出来ません。 「~と言う概念」「既成概念」等、文章の中にそれがどの様な概念かを示す文言が無ければ意味不明です。 武道を競技として持ち出すと何が終わるのでしょう?競技化されていない武道としては古流剣術等がありますが、 古流を名乗る人たちも胡散臭い方が多いですが。 剣道が真剣の理法を簡素化したもの? 源流は確かにその通りかも知れませんが、現代に於ける剣道は刀法とはかけ離れた打突ですよね。 そこまで考えると一本とは何だ… と言う所まで議論が及びそうですが。 当てる技術と当てさせない技術以外に何を競うんですか? 真剣で立ち合うにもまずは当てる、当てさせない事が前提ではないんですか? ちなみに、高段者と手合わせした結果感じた事を書いています。老人と稽古した事がないわけではありませんので悪しからず。
お礼
古流の褌担ぎが(笑)